僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十三章

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 右手に握った岩を投げつつ、次の岩を取ろうと伸ばした左手の先に、
 バシ――ンッ
 真田さんの放った銃弾が着弾した。左手から50センチ離れた場所を貫いた銃弾を無視し、上狒々はそのまま岩を掴んで投げようとする。と同時に次の岩へ右手を伸ばすや、
 バシ――ンッ
 今度は荒海さんの放った銃弾が右手の先に着弾した。実際に着弾しているのは岩の積まれた台にすぎず、しかも手から40センチほど離れた場所でしかないのだが、それでもその40センチという距離に、上狒々はある危惧を覚えた。それを確認すべく、上狒々は左手を岩へ伸ばすと、
 バシ――ンッ
 左手の30センチ先に銃弾が着弾した。
 賢者の如き泰然さを保っていたその面長の顔に、初めて動揺が走った。
 上狒々は理解したのだ。
 高速移動する自分を狙うより、石を乗せた台を狙う方が遥かに容易く、そしてあの人間達は自分の移動パターンに、当たりを付けつつあるという事を。
 それは正しかった。
 狒々族の屋根の上には、足の指で掴むための足場が沢山設けられていた。それを利用することで屋根の上という斜面でも、狒々は目にも止まらぬ速度を生み出せていた。
 だがそれは裏を返せば、次に踏みしめる場所を予測しやすいという事。
 高速移動する上狒々を狙い撃ちするのは非常に困難でも、次の足場に当たりを付け、そこを踏みしめている上狒々の幻影へ引き金を引くことなら、充分可能だったのである。
 この「足場予測作戦」を確立する前は、岩の積まれている台を銃撃で破壊することが試みられ、それは九割がた成功したと言えた。しかし威力の弱い麻酔銃では台を破壊しきれない可能性がどうしても付きまとい、その際おちいる「残弾0」をものともしない技術を身につけるには少なくとも一年かかると公式AIが試算したため、それは諦めざるを得なかった。ただ人とは面白いもので、迫りくる岩を避けながら台を狙い撃つ練習は、微塵も無駄にならなかった。高速移動する狒々を射撃する上達速度より、固定された台を射撃する上達速度の方が遥かに早く、それが心の余裕を生み、「狒々を落ち着いて観察すること」が可能になった。するとその落ち着きが新しいアイデアを次々思いつかせ、その内の一つが現在繰り広げている、足場予測作戦だったのである。独自の戦法を考案できたことが嬉しくてならなかったのか真田さんと荒海さんは嬉々としてそれを練習し、そしてとうとう県大会直近の二週間で、上狒々戦三連勝という快挙を成し遂げるに至った。
 そう、お二人にとって上狒々は勝てる見込みの充分ある敵であり、姿を一瞥しただけで戦意を喪失するほどの強敵では、決してなかったのである。
 それを、上狒々は直感した。
 眼下の人間達が、自分を少しも恐れていない事。
 人間達は自分を落ち着いて観察し、着弾距離を着実に縮めつつある事。
 然るに遠からず自分は銃撃にさらされ、一か八かの戦いを仕掛けねばならなくなる事。
 これらの事を、上狒々は本能的に直感したのだ。
 それは上狒々の誇りを傷つけた。
 人間如きに後れをとるなど許される事ではなかった。
 あの種族ならいざ知らず、人間に先んじられるなど到底受け入れられなかった。
 戦いの主導権を握っているのは、常に自分でなければならなかったのである。
 身の丈2メートル半の体躯に怒りの炎が燃え上がった。
 上狒々はかつてない速度で左右の腕を同時に振りぬいた。
 放たれた二つの岩はこれまでと異なり、真田さんと荒海さんの数メートル前方に衝突し、
 ジャバッッ
 大量の泥水を二人に浴びせた。
 二人は後方へ跳躍すると共に顔を腕で保護し、泥水が目に入ることを防ぐ。
 しかしその代償として、銃の照準を上狒々から外すことを余儀なくされた。
 その一瞬を突き、
 タンッ
 上狒々が屋根から身を躍らせる。
 それは絶妙という外ないタイミングだった。
 上狒々が中央の杉に着地するのは一目瞭然でも、二人がそこへ銃口を向けるより早く、上狒々がそこからの移動を終えていることも、同じく一目瞭然だったのである。然るに二人は再度後方へ跳躍し距離を確保しようとしたが、それはいわゆる悪手だった。二人が戦っている敵の身体能力は、その程度でどうにかなるような代物ではなかったのである。
 選択ミスを悟った二人は恐怖に顔を引き攣らせた。
 選択ミスを誘った上狒々は愉悦に顔をゆがませた。
 誇りを蘇らせた上狒々は二人に更なる恐怖を突き付けるべく、杉に着地するやふちをしっかり掴みそこから移動しようとした。だがその途端、
 ギャッッ
 指先を激痛が襲った。
 複数の麻酔針が指先に刺さったのである。
 咄嗟に指を離したせいで制御不能となった上狒々の体が、前へつんのめるように杉から落下してゆく。
 しかしそれでも、上狒々は真田さんと荒海さんから目を離さなかった。
 多少の銃弾に貫かれようと、四肢が地につくなり人間達に飛び掛かり瞬殺せねば身動きが取れなくなると、麻痺し始めた指先が訴えていたからだ。
 その気迫を察知した真田さんと荒海さんは後退を止め、上狒々に狙いを定めるべく銃口を向けようとするも、
「間に合わない!」
 二人は唇をかんだ。一方上狒々は、
「間に合う!」
 と牙をむき出した。銃弾がこの身を貫くより早く自分は人間達を葬れるのだと、上狒々は芯から信じた。が、
 ズキュ――ン
 地面まであと少しの場所で銃声が空気を震わせた。
 と同時に右臀部に痛みが走った。
 バシャ――ン
 泥水の地面にかろうじて着地するもほんの僅かの間、上狒々は動きを止めた。機を逃さず、
 ズキュ――ン ズキュ――ン ズキュ――ン
 三方から三発の銃声が轟いた。その、後方を担当していた黛さんが声を張り上げる。
「活動停止まで二十秒!」
 それは、対猿弾四発と激痛針の麻酔薬で上狒々が活動を停止するまであと二十秒、という意味だった。

 それからの二十秒を永遠と感じた人は、いったいどれほどいたのだろう。
 絶体絶命にいると直感した上狒々は、痛みも麻酔もないとばかりのスピードで三人に襲いかかった。
 三人はそれに、三方向からの接近戦で対抗した。
 三人が一か所に集まったら、上狒々はその方角へ全力突進する。
 上狒々が体をかすめただけでもその人は戦闘不能になり、残された二人では上狒々に勝てる見込みは薄い。
 つまり三人が一か所に集まった瞬間、敗北がほぼ決定してしまうのである。
 接近戦ではなく距離を取り戦いを挑んでも、敗北は濃厚だった。
 距離とはすなわち助走距離ゆえ、上狒々から離れた方が、自分に突進してくる上狒々の速度は増す。速度の増した方が回避は困難になるし、残り二人の援護射撃も命中しにくくなる。距離を取ると時間稼ぎが容易になり二十秒を凌ぎやすくなるのは事実でも、それは裏を返せば「上狒々が三人を各個撃破しやすくなる状態」に他ならない。よって三人が勝利するためには、三方から接近戦を挑むこと以外に、方法はなかったのである。
 だがそれは、極めて高い回避能力を持つ三人が、極めて高い連携を成功させて初めて可能なことだった。
 真田さんと荒海さんと黛さんは、あえて上狒々に突進させていた。
 誰かが突進の標的にされたら、その人は上狒々をギリギリまで引き付けたのち、左右どちらかへ飛び込み受け身をした。競泳選手が水面へ飛び込むように低く素早く地面へ跳び、高速一回転して上狒々を躱した。ギリギリまで引き付けるという間合いの見極め、左右どちらへ跳ぶかを惑わすフェイント、速度を落とさぬ鋭い回転、回転終了からの再度の高速移動、これら全てを一人一人が完璧にこなした。だがいくら完璧に回避しようと、残り二人が連携しなければ包囲は破られていた。突進された真田さんが左へ跳び、真田さんを仕留めるべく上狒々が方向転換すると、自分に狙いを定める荒海さんが視界に飛び込んでくる。銃弾を一発浴びるより荒海さんを仕留めることを優先し上狒々は突進するも、荒海さんはそれを右へ跳んで躱す。人影のなくなった前方へそのまま走り包囲を抜ける作戦が上狒々の脳裏をかすめるも、それは体毛に守られていない臀部を三人にさらすことと同義なのだと上狒々は気づく。いや既に自分はその状態にあり、三人が今まさに引き金を引こうとしているのを直感した上狒々は、渾身の回避行動をとる。仮に上狒々が体調万全だったらそのまま連続跳躍に移り包囲を逃れられたかもしれないが、麻酔薬に麻痺しつつある心身にそれは不可能。上狒々にできたのは、後方から接近してくる黛さんへ、突進することだけだった。それを黛さんは躱し、次いで真田さんが・・・・という連携を、三人は二十秒間続けたのである。上狒々に全力突進させ心拍を速めた方が麻酔は早く効くと頭では理解できても、たった一度のミスですべてが無に帰すことを本能的に知っていた僕らは、何十倍にも引き延ばされた時間の中で三人の戦闘を見つめていた。
 いや、違う。
 僕らは見つめることで三人と一緒に、上狒々と命がけで戦っていたのだ。
 そしてそれは、この競技場にいる全ての人も同じだった。
 その証拠に上狒々が地に伏し、

  YOU WIN
 
 の文字が上空に映し出されても、皆が皆胸に手を当て呼吸を整えるばかりで、声を出す人は誰一人いなかったのだった。
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