僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十三章

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「他者に罰を授けてもらえるなどと考える眠留の覚悟は甘いと、儂は言わざるを得ん。じゃが、早とちりのせいで眠留がとんちんかんな罰を思いつくのは見過ごせん。眠留よ、これから儂が話すことへ素直に耳を傾けなさい。良いかの」
 額を床に付けたまま、はいと答えた。この姿勢は僕の今の心を素直に現したものだから、そうすることで、素直に耳を傾けなさいという水晶の命令に従ったのである。ふと、頭のすぐ先に水晶が降り立った気配がした。
「肉体の長幼と心の長幼は、一致しないことの方が多い。八百六十余年の我が人生の大半は、それへの憂いに占められておった。それ故、研究学校生となった子供らが幸せな暮らしを始めるのが、儂は嬉しゅうての。お隣の湖校をちょくちょく訪れ、幸せのおすそ分けを、儂は頂いておったのじゃよ」
 後頭部に降り注ぐ水晶の清らかな声に、罪の意識が洗い流されてゆくのを、僕ははっきり感じた。
「櫛名田姫がことを、かの地を治める陽翔に儂は頼まれておっての。湖校を訪うは日課ゆえ案じなさるなと気楽に応えていた己を、儂は責めたものじゃ。優れた子らの中から特に優れた子を集めた湖校の、最も優れた組でさえ、あの子に居場所を与えてはくれなかった。悲しみに沈むあの子へ儂は幾度も語りかけようとしたが、その都度あるお方に、機が熟するまで待てと止められての。働きかけのできぬ儂は、あの子を五年間見守り続けたのじゃよ」
 記紀に登場する櫛名田姫が、心に浮かんできた。櫛名田姫の七人の姉は、八岐大蛇の生贄として順々に食べられていった。末妹の櫛名田姫の番がとうとう巡ってくるも、須佐之男命が八岐大蛇を退治し一命を救われた。『水晶の話した千家さんの境遇と、似通う個所があるのかもしれない』 そんな気が、なぜかしきりとした。
「機の熟す兆候が現れたのは、新忍道サークルの練習を絵に描き始めた頃じゃった。人の心が高き波長へ至った瞬間を絵に書き留めてきたあの子は、新忍道サークルの練習にいたく魅せられての。練習場へ足しげく通い、熱心に筆を走らせておった。湖校を治めるショハクが大急ぎで観覧席を作ったのは、あの子のためでもあるのじゃよ。あのハクもまこと、ようできた子じゃからの」
 ピクッと体が動いてしまった謝罪のため、額を床に付けたまま5センチ後ずさった。だが後ずさろうと、自分への怒りの方は一向に収まらなかった。大恩ある全てのAIに恩返しできたかもしれない語彙を水晶は教えてくれたのに、罪深い僕はそれについて問うことができなかったからである。後悔先に立たずという座右の銘が無数の槍となり、心臓を貫いていった。
「ショは、初日の出の初。ハクは、魂魄こんぱくの魄じゃ。敷庭でそなたへ降ろされた宇宙史を、後で当てはめてみなさい」
 さっきの倍の10センチ後ずさり、嗚咽を必死で抑えた。そう遠くに行くでないと水晶は朗らかに言い、頭のすぐそばまで歩いてきてくれた。
「新忍道に打ち込む若人らの輝きは、慈雨となりあの子の心を潤しての。心の深部に封印していた想いを、少しずつ表層へ浮き上がらせて行った。その想いが一瞬表に出たのを、眠留は先々月、影として見たのじゃよ。抑圧した想いが原光を遮る様子をつぶさに見るとは、眠留も成長したの」
 光を液状にし愛情を注ぎ入れ弾力を持たせたような至高のプニプニ感が、僕の頭に触れた。水晶に頭を撫でられたことは何度かあったが、今回のプニプニ感は今までのそれとは一線を画していた。僕は水晶の二人の愛弟子へ、また抜け駆けしちゃってごめんなさいと、謝らずにはいられなかった。
「古代の日本人にとって九は苦に通じる忌言葉であったゆえ、九ではなく八が最大の数字として神話に用いられていた。然るに、八番目の娘である櫛名田姫をもって八岐大蛇が退治されたことに、こだわる必要はない。千家の姫の苦難は八年ではなく、湖校の六年で終わるのだと儂は確信した。ならばあの子の心が強く震えた時のみ駆けつければよいと儂は思うようになり、その日が来るのを楽しみにしていたのじゃ。眠留、そして美鈴、今日は実に、楽しき日であったの」
「「はいっ」」
 兄妹二人で活き活きと声を合わせた。八日後の六月十二日に開かれる撫子大会関東予選へ向け一丸となっている撫子部の練習を美鈴が休むつもりでいると知った時は、自由意思を尊重すべきか休まぬよう説得すべきか大いに悩んだが、意思を尊重して良かったと今は心から思えた。まあ、この時期に部を休むわけにはいかない撫子部部長が真田さんの恋人で、美鈴はその部長さんから「私の代わりにありがとう」と重ね重ね言われていたらしいから、休んでも問題なかったみたいだけどね。
 とは言え、美鈴が新忍道部の応援に来られるのは今年が最初で最後だろう。最下級生である今年はまだしも来年は後輩ができるし、真田さんと撫子部部長のような関係も、来年以降は望めないからだ。観覧席を幾度か訪れていた黛さんの恋人は女子バスケ部の次期主将と目されている人だし、竹中さんと菊池さんにお付き合いしている人はいないようだが撫子部とはあまり縁がないそうだし、緑川さんと森口さんの代になれば美鈴はレギュラー資格のある四年生なので、ほぼ間違いなく準レギュラー以上になるはずだからである。美鈴が来てくれたお陰で新忍道部員がどれほど喜んだかを思い出すと胸が痛むが、来年以降は僕が悪者になってでも美鈴を来させてはならないのだと、胸に固く誓った。
 という、時間にすれば二秒に満たなくとも無関係のことを考えていた僕を叱ることなく、それどころか思考が一段落するまで待ってくれてから、水晶は話を再開した。
「あの子の心が強く震えたと感じた儂は、その場へ飛んだ。すると眠留が翔体となり、宙に浮いておった。眠留の生命力を芸術家の目で幾枚も描き留めていたあの子に、美鈴の作った障壁は通用しなかった。いやむしろ、障壁をものともせず眠留を知覚した経験は、あの子の感覚を一段鋭くしていた。その上、眠留を介し三人の若者の意識が心に届いているのじゃから、とうとう機が熟したのだと儂は判断した。そして遂に、あの子は知ったのじゃ。立ち向かう精神は複数あり、自分の湖校生活はその一つに当てはまっていた事。若者の一人が、自分と対を成す湖校生活を送ってきた事。その若者と自分は左右の足のように、呼気と吸気のように、睡眠と活動のように、協力し合い支え合い補い合う関係になれる事。そして自分達が最終学年でそのような関係を築く仲であるのを、本当は入学式の日に気づいていた事。それらをあの子は今日、知ったのじゃよ」
 美鈴のいる場所から、年頃娘のキラキラオーラが燦燦と降り注いできた。荒海さんと千家さんが幸せになる事をもちろん僕も喜んでいるが、それでも美鈴の年齢の女の子が抱くそれには到底敵わないのだと、僕はつくづく思った。
「眠留、心に留め置きなさい。自由意志を持つ人は、己が行動を自由に選択する事ができる。そしてその行動が、宇宙の創造主の意思と合致するなら、創造主はその者を通路とし、己が意思をこの世界へ顕現させる。そなたは今日、その通路となった。然るに儂は、そなたを責めぬ。観客に心臓の悪い者がいぬか儂が一人一人見て回った事へも、負い目を感じる必要はない。美鈴へも、負い目を感じなくてよい。なぜなら美鈴の作った障壁は、あの方の意向に沿うものだったからじゃ。眠留、わかったかの」
 見て回っただけでなく、その人達が体調を崩さぬよう飛び回っていた水晶の姿が、ふと心をかすめた。
 障壁を維持しつつ複数の翔体となり水晶を手伝う美鈴の姿も、同じように心をかすめて行った。
 だから僕は自由意志を素直に使い、思った。
 間を取りちょっぴり叱られた事にするけど、それはこの胸にしまっておこう、と。 
 僕は顔を上げ、はい分かりましたと告げた。
 顔をまん丸にして、そうかそうかと水晶は頷いた。そして、
「なら夕ご飯とするかの。儂はもう、お腹ペコペコじゃよ」
 と茶目っ気たっぷりに言った。
 僕らは大笑いしながら、台所へ歩いて行ったのだった。
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