僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十三章

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「ほうほう、眠留は櫛名田姫の暗示に、見事ひっかかっていたようじゃの」
「くっ、櫛名田姫!」
 このお姫様の名前を口にして僕はやっと、自分の間違いに気づいた。円卓騎士に紹介され初めてお会いしたとき、あの人は確かに「せんげくしな」と名乗った。それに千家の名字を当てたまでは正しかったが、なぜか僕はそこから茶道の家元の千家(せんけ)を連想し、そして千家さんが美術部に所属していることから、この人は千利休ゆかりの人ではないと勝手に思い込んでいた。「げ」と「け」の読み方の違いがあるにもかかわらず、無関係な方角へ連想が及んだのは、あの人がそれを望んだからだったのである。
「うん、そこはさすがお兄ちゃんね。そう、千家さんはそれを望んでいたの。だからお兄ちゃんはあの人の願いを素直に受け入れ、暗示に引っかかってあげたのね」
 暗示に引っかかってあげた、の個所は不明瞭でも千家さんの願いには相応の理由があるに違いなく、そしてそれを叶えられたのなら、それは喜ばしいことだと断言できる。安堵の息をつく僕に、水晶はいつもの三割増しのニコニコ顔を向けながら、不可解な問いを投げた。
「眠留よ、女子おなごはなぜ化粧をすると、思うかの?」
 仮にここが教室だったら、僕はかなりの覚悟をしてこの問いに答えねばならなかっただろう。神事を手伝う際に化粧をしてきた僕は化粧の意義の変遷を教えてもらっていて、そしてそこには、人の弱さも含まれていたからである。それが慢心につながらぬよう、僕は教えられたことの要約をたんたんと述べた。
「古代において化粧は、超常の力を得るための呪術でした。当初は巫女の特権でしたが、成人や結婚等の人生の節目に、魔を払うべく化粧を施すことが民衆にも広まっていきました。それに伴い呪術的意味合いは薄まり、化粧は自分を美しく見せるための装飾へと変わって行きました。装飾としての化粧は暴走し、有害な化粧品を使うことで、多くの女性が肌の老化を促進させていました。今の時代に有害な化粧品はありませんが、有害な方法で化粧をする人はまだ残っています。お化粧するだけで美しくなれるという錯覚に囚われている人ほど化粧に執着する傾向があると僕は教えられ、そして僕自身も、それは正しいと考えています」
 世の中には化粧映えする顔立ちの人がいて、その人達が別人と見紛うばかりの変身を遂げるのは事実だ。それはその人達の自由であり他者が口を挟む事柄ではないが、化粧を落とした素顔を見て「騙された」と感じるのも、同じく自由なのである。よってそれでも良いと思う人だけが所謂いわゆるハードメイクを施すのだと、現代では認知されていた。
「ふむ、一介の少年としては妥当な返答じゃ。この宇宙に美醜の存在する真理へ到達しうるは、一千万人に一人おるかおらぬかじゃからの」
 一千万人に一人いるかいないかと教えられ無意識に美鈴へ目を向けようとした自分を、僕は慌てて押しとどめた。その一人に美鈴が含まれるのは確実でも、それを口外しないよう命じられていたら、目を向けられることは美鈴の負担になる。僕如きが美醜の真理に至ってないのは当然なのだから、美鈴にいらぬ負担をかけるべきではない。ダメ兄の僕が妹に今してあげられるのは、それだけなのだ。
 というダメ兄の気持ちを、十全に酌んでくれたのだろう。ありがとうお兄ちゃんと目を伏せ呟いたのち、美鈴は確信の眼差しで言った。
「千家さんがお化粧していたの、お兄ちゃん気づいてないよね」
「ええっ、千家さん化粧してたの!」
 正直、ぶったまげレベルで驚いた。普通の印象の際立つ千家さんと化粧は、どうしても結びつかなかったのである。
「うん、それはお兄ちゃんの美徳。お兄ちゃんは必要に迫られない限り、周囲の人達に通常視力だけを使うよう心掛けている。女性にはもっと徹底していて、普通の視力でも、女性の顔や肌をまじまじ見つめることは滅多にない。見とれることは、しょっちゅうあるようだけどね」
 お兄ちゃん聞いたよ美ヶ原さんに見とれたんだって、ごめんなさいもうしません、的なやり取りを経て、美鈴は明かした。
「千家さんにはいにしえの巫女の力があって、化粧を暗示に使えるの。その力をもってすれば、素人目にはまるでわからない薄化粧をするだけで、特徴の何もない顔立ちという暗示を皆にかける事ができるのよ」
 本来はここで、身も蓋もなく驚くのが僕らしいのだろう。だが、化粧の有無には気づかずとも千家さんが別格の人であることなら重々承知していた僕は、ただただ感心して美鈴の話に耳を傾けていた。のだけど、
「ん?」
 あることを思い出し僕は首をかしげた。
「千家さんを紹介してくれた円卓騎士が寮生だった流れで、千家さんは通学組って話題が出たんだよね。そのとき千家さんの表情に、ほんの少し影が差した。出雲きっての名家の人なのに寮生でないのと、化粧による暗示は、関係しているのかな?」
 千家の姫と水晶が表現しているのだから、千家さんは日本有数の名家の人であることが予想される。仮にそうなら寮に入るのが順当だが、相部屋かつ共同風呂の寮で素顔を六年間隠し通すというのは現実的ではない。よって一人暮らしや親戚の家から湖校に通うのが好都合ということになるのだけど、ならばなぜ影のある表情をしたのか。その疑問が僕の首を、傾げさせたのである。
 しかし首をかしげるなり、解答らしき発言が脳裏をよぎってくれた。
 ――狒々の建物へ単独で向かう荒海君の背中に、勇者の姿が重なって見えてね。ああ、あの背で安らぎたい。本来の自分に戻って自由に生きたいって、思ったの――
 僕は人生で初めて、先輩後輩を超えた友情を実感することができた。
 なぜなら僕は今、「この幸せ者め!」を連発しつつ、荒海さんをヘッドロックしたくて堪らなかったからだ。
「ふむふむ、眠留は正解に辿り着いたようじゃ。ならば本題に、入るとするかの」
 正解という言葉に、荒海さんと千家さんが仲睦ましくしている幻影が重なり小躍りしたいほど嬉しかったが、それをグッとこらえ背筋を伸ばした。なんとなく「本題」と「千家さんの告白」は、密接に関わっている気がしたのである。水晶はニコニコ顔を保ったまま、目をうっすら開けて言った。
「湖校チームの戦闘に観客がああも没頭したのは、宙に浮かぶ眠留が、両者の意識を橋渡ししたからじゃ。観客は眠留を介し、モンスターと戦う三人の若者と意識を共有したのじゃな。それはこの平和な時代を生きる者へ、大層な衝撃を与えての。心臓に疾患のある者が心肺停止してもおかしくないほどの、衝撃だったのじゃよ」
 誰かを死へ追いやっていたかもしれない過失を、僕は今日していた。
 その罪の大きさに、気を失いかけている自分を僕は感じた。
 だが僕はそれを、自分に許さなかった。
 なぜなら今僕にできるのは、その罪から逃げない事だけだったからだ。
 僕は床に額を付け、覚悟を述べた。
「どんな罰も受ける覚悟をしました。なんなりと、申し付けください」
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