僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十三章

翌日以降、1

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 翌、六月五日。
 雨のしとしと降る日曜の、午後一時半。
 新忍道部が休みで手持ち無沙汰だった僕は、北斗と京馬の「今から遊びに行っていいか?」とのメールに、大喜びで「いいよ!」と返した。そして台所へすっ飛んで行き、お菓子と飲み物を鼻歌まじりで用意していると、
「俺らも行っていいかな?」
 なんと緑川さんと森口さんから遊ぼうぜメールを頂いてしまった。こんなことは初めてだったため有頂天になり「いいですよ!」と即座に返信しようとしたのだけど、
 シュビビ~ン
 天空から送られてきた未来の台所の風景に、僕はいたずら小僧の笑みを浮かべてメールを作成した。
「カレーとサラダを八十人分作ることになりますが、それでも良かったらどうぞ」と。

 とてもありがたい事にこの神社には、様々な助力を申し出てくださる大勢の氏子さんがいる。その人達へせめてもと、お正月や大祭の日に直会なおらいを共にすることを、この神社はずっと続けてきた。その関係で大人数用の調理環境が整えられており、八十人分のカレーとサラダを用意する程度なら僕は慣れっこだったけど、それは一般的ではない感覚だったらしい。「はっ、八十人!」「はいそうです」「わかった、みなまで言うな」「安心しろ眠留、助っ人を呼ぶからな」との、男気あふれるメールを先輩方は届けてくれた。この男気こそがあの未来を決定したのだと知った僕は、誇らしさと嬉しさを胸に、大まかな計画書を作って行った。
 計画書があらかた出来上がったところで四人はやって来た。緑川さんと森口さんの死角にさりげなく入り笑いを堪える様子を見せつける北斗と京馬を胸中ののしりつつ、義侠の炎を燃え上がらせる両先輩に僕は計画書を見てもらった。「緑川さんと森口さんは、ジャガイモや人参の皮むきをされた事はありますか?」「おお、ある。涙をあまり出さず、玉葱をみじん切りできるぞ」「俺は緑川ほどじゃないが、林檎が大好きで昔から自分で剥いていた。小六の頃には、皮を一本つなぎにできていたな」 との頼もしい言葉に計画を上方修正しかけたが、助っ人の力量が判明するまで待とうと思いなおし、四人を貯蔵室へ案内した。仲間達との食事会を毎週開いている事もあり、基本的な食材は20キロを下回らぬよう備蓄していたのだ。
 八十個の玉葱を四人で黙々とみじん切りにしている最中、加藤さんと三枝木さんが到着した。助っ人にやって来てくれたお二人に礼を述べ、調理技術を尋ねてみる。加藤さんの調理歴はカップラーメンにお湯を注ぐ場面で止まっていたが、三枝木さんはアルバイトを通じ基本を習っていたらしく力強い戦力となった。「次こそは絶対役立って見せる!」「意気込みは買うけど加藤君、先ずは基礎の基礎からね」「はい、頑張ります!」「では基礎の基礎を。料理はなるべく無言で、わかった?」「ひええ、ごめんなゴニョゴニョ・・・」的なお二人のやり取りは、料理に相応しいほのぼのした空気を台所に提供してくれた。
 そうこうしているうち、三枝木さんから連絡を受けた千家さんがやって来てくれた。さすがは数千年続く名家のお嬢様と感嘆せずにはいられない調理技術を体得されていたのでカレーの旨味の決め手となる玉葱の調理をお願いしたところ、快く引き受けてくれた。千家さんの割烹着姿に、三枝木さんは憧憬を更に強めたようだった。
 憧憬のみならず、「俺のバカ野郎見とれてんじゃねェ」的な視線も割烹着には注がれていた。千家さんから連絡を受け、真田さんと荒海さんと黛さんも駆けつけてくれたのである。これはさすがに恐縮したが、
「疲労回復のため今日を休みにしたが、一晩寝たら疲れが嘘のように消えていてな」
「暇ですねえ真田さんって電話で話していたくらいだったから、かえって良かったよ」
「・・・・」
 晴れ晴れとそう言ってもらえたので、ありがたく手伝ってもらう事にした。言及するまでもなく「・・・・」は荒海さんであり、千家さんの割烹着姿を無意識に目で追ってしまう自分へ、このギャップ先輩は「見とれてんじゃねェ」と懸命に言い聞かせていた。そんな荒海さんに気づいていない演技を、僕らは相当な苦労をしてせねばならなかった。
 竹中さんと菊池さんも、真田さん達と一緒にやって来てくれた。菊池さんは本物の調理技術を習得しており、菊池さんの手伝いを長年してきた竹中さんもかなりの高水準だった。なんと菊池さんは、「最後のひと手間を加えるだけで人間用の食事になる犬用料理」の、有名開発者だったのである。
 人間にとって美味しいものが、犬にとっても美味しいとは限らない。それどころか人間には無害でも、犬には猛毒の食べ物すらあるほどだ。よって人と犬が同じ食事を摂るのは難しいのだけど、物心つく前から犬と過ごしてきた菊池さんは、それが非常に悲しかった。犬も家族なのだから家族総出で食卓を囲む際は、せめて似たものを食べさせてあげられないだろうか。そう願った菊池さんは小学校低学年のころから研究を始め、そして湖校生となった一年後、試作品第一号を完成させた。それは犬の誕生日のお祝い料理として好評を博し、その後も順調にヒット作を生み出していった菊池さんは、その分野における有名開発者となった。このような経緯により菊池さんはプロの調理技術を身に付け、また菊池さんを手伝い続けた竹中さんも高水準の領域に達していた。そんなお二人が合流してくれたのだから、場が活気づかない訳がない。交わされる言葉は少なくとも活力漲る気配に、台所は満たされていた。
 一年生の松竹梅も大活躍した。肩の力を抜き呼吸を整え、一つ一つ丁寧にジャガイモをむく松竹梅にピンと来て「選択授業を家庭料理教室にしたのかな」との2D表示をそれぞれの手元に表示してみたところ、三人とも「はい」のアイコンをタップした。次いで松井が十指を走らせ、こんな文を僕だけに見せてくれた。
「新忍道部は春休みの合宿を眠留先輩の神社で行ったと聞き、最下級生として最低限の調理技術を習得しておかねばと思いました。という建前に、しておいてください」
 顔を上げると、かすかに頬を赤らめている三人がいた。
 ふと、美鈴の選択授業も家庭料理教室だったことを思い出した。僕と輝夜さんと昴から豊川先生の素晴らしさを聴いていた美鈴は、自分も先生の人柄に触れたいと常々言っていた。よって教室でもそれを口にしたことは想像に難くなく、その結果、同授業の男子の競争率は凄まじいものとなったのだろう。困った教育AIは男子達に志望動機を尋ね、松井が知恵を絞り「という建前にしておいてください」と赤裸々に答える賭けに出た。三人は賭けに勝利するも、真の戦いに勝つ見込みは皆無と知り、美鈴への恋心を潔くを諦めた。そして今は建前を本心にすべく奮闘中であることを、美鈴の兄の僕に明かしてくれたのだ。
 という三人の胸の内を、赤らんだその頬から察した僕は、「わかった、今日は期待している」とだけ返信したのだった。
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