僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十五章

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 僕は、泣けて仕方なかった。
 輝夜さんと凛ちゃんの物語に、涙を流さずにはいられなかった。
 けど、僕にも意地がある。泣き顔を女の子に見られたくないという男の意地が、ヘタレの極みたる僕にもある。僕は涙を追いやり、場に明るさを取り戻す方法を検討した。すると、ヘタレ少年にはもったいなさすぎる二人の少女が、絶妙な連携で僕を助けてくれた。
 ★輝夜ったら自分が言いたい事ばかり言って、次は私のターンだからね★
「ふふん、やれるものならやってごらんなさい」
 ★頭にきた、覚悟して輝夜!★
「さあ来なさい、凛ちゃん!」
 ★キャー輝夜先生、ステキ~~★
「えっへん! でも静かにね~」
「★アハハハハ~~!!★」
 なんて感じに白銀姉妹が笑みを振りまいたものだから、僕は検討などすっかり忘れて一緒になって笑っていた。しかし極めて優秀な二人にとって、それごときは及第点ですらなかったのだろう。二人は再度連携し、容赦ない追撃を放った。
 ★そうそう輝夜、そろそろ眠留さんの『金属の漿』の的確さを説明できるんじゃない?★
「ええ、できるわね。あのね眠留くん、凛ちゃんは聞いてのとおり、貴金属の自我生命力を液化した鉱漿から育ったの。漿は液体のことだから、眠留くんの『金属の漿』は、的を射ているのね」
 ★いよっ、私達の命の恩人!★
「あっ、それも説明できるわね。えっとね眠留くん、あの闇油は予兆なく私達の背後に現れて、不意打ちしてきたの。その時の針が凛ちゃんをかすめちゃって、その衝撃で凛ちゃんは一時的に、浮くことができなくなっていたのよ」
 ★端的に言うとショックで気を失い、地上にゆっくり落ちて行ったのね★
「でもそのお陰で闇油は凛ちゃんを知覚できなくなったから、凛ちゃんが助かって本当に良かった」
 ★それは私こそよ。輝夜がいなくなったら、わたし生きていられないし★
「ええっ、輝夜さんと凛ちゃんは、そういう関係なの!」
 金属の漿が的確だったと褒められただけで充分すぎる追撃だったのに、凛ちゃんの放った「輝夜がいなくなったら生きていられない」の追撃は、涙に伴う暗さを完璧に吹き飛ばした。いや、涙どころか時間感覚も消し飛んだ僕は凛ちゃんが心配でならず胸に抱こうとし、すんでのところで一年以上前の話だったことを思い出せてそれは回避したけど、命を共有しているかのような二人の関係に僕の不安は極限まで高まってしまった。
 そんな僕に「眠留くんそれは勘違い!」と輝夜さんは幾度も言葉をかけ、その甲斐あって僕は自分の勘違いを認識し、不安を除去することができた。
 だがその代わり、大変な事態が発生した。
 凛ちゃんが、とんでもない暴露話を始めたのである。
 ★あ~あ、私もさっきの輝夜のように、眠留さんに抱きしめてもらいたかったな★
「ちょっと凛ちゃんなに言ってるの? ううん違う、なぜそれを知ってるの!」
 ★うん、バラしちゃうと、武蔵野姫がさっきの一部始終を見せてくれていたの★
「いっ、一部始終を!」
 ★もっとバラしちゃうと、姫様は空間に通路を作って、私と輝夜の心をつないでくれたの★
「なっ、なっ、ななななな!」
 ★あの一時間足らずで私は精神年齢を数年成長させたって、姫様は言っていたわ。それは私も自覚していて、あの時の輝夜の気持ちを私は自分のことのように理解できた。だからその気持ちのまま眠留さんを呼んだのに、輝夜ったら照れ屋なんだから★
「凛ちゃんお願い、お願いだから、もう許して下さい~~!!」
 僕は凛ちゃんを、誤認していた。
 僕にとって凛ちゃんは「輝夜さんの愛らしい妹」だったのだけど、正しくはそれに、「最も頭の上がらない女性」を加えなければならなかった。
 輝夜さんの生命力と心根を浴びて孵化した凛ちゃんは、輝夜さんに類似する人格的土台を持っていた。それが僕に「凛ちゃんは輝夜さんの愛らしい妹」という印象を抱かせ、それ自体は間違っていなかったのだけど、正確にはそれだけではなかった。感情表現の手本にしたのが昴だったため、恐るべきことに凛ちゃんは、昴に類似する人格的土台も持っていた。つまり凛ちゃんは、輝夜さんの人格と昴の人格を併せ持つ愛らしい妹分という、三人娘の三要素を全てひっくるめた、ラスボス的存在だったのである。
 けどまあ、三人娘を一まとめにした女の子が、良い子でない訳がない。不正確に認識していただけで僕にとって凛ちゃんは、愛情と友情と信頼を惜しみなく注げるかけがえのない存在であることに、変わりは無かったのである。
 という想いにしがみ付いたお陰で、二度と気絶しないという誓いを、僕はどうにか守ることができた。一部始終を見ていたやら輝夜さんの気持ちのまま僕を呼んだやらの言葉が鼓膜を震わせるたび誓いを破りそうになり、体を右へ左へ傾けていたが、それでも意識の手綱を離すことはなかった。そして体が傾かなくなり、目の焦点が定まったことに自信を持てたころ、透明度と清らかさの一段増した凛ちゃんのイメージが心に届けられた。
 ★眠留さん、安心してください。私たち月鏘は心を成長させるほど強くなりますから、今の私が闇油に後れを取ることはありません。東京二十三区に魔邸は滅多に出現せず、また出現の折は必ず眠留さんへ助力を請い、共に戦うことを誓います★
 さっきより明瞭な人の姿になり三つ指ついた凛ちゃんへ、より頼もしい僕になって、僕も返礼した。
 ★次に、先ほどの説明をさせてください。私たち月鏘は、パートナーが天寿をまっとうしても魔想戦で命を落としても、心の欠損が大きすぎ自我を保てなくなります。自我を保てなくなった私達は鉱漿に戻り、そして少しずつ元の金属へ移っていきます。白銀家では、私達が離れることで生じた鉛を保管しており、その鉛へ鉱漿が染み込んでゆくことで、鉛が貴金属に還るんですね。この現象を、生きていられなくなると表現したのであって、私と輝夜が命を共有しているのではないと御理解ください★
「うん、理解した。大切な人を亡くすと、大きすぎる心の欠損のせいで自我を保てなくなるのは、人も同じだからね。ただ人は多くの場合、立ち直ることができる。凛ちゃんが自我を保てなくなることに共感するけど、それでも僕は、凛ちゃんに立ち直って欲しい。凛ちゃん、その方法は皆無なのかな」
 ★いえ、方法はあります。中級翔人による見習い翔人の教育が、その最も効果的な方法です。中級翔人の心に、子供達の成長に携わる喜びが芽生えると、私達の心にもそれが芽生えます。よって翔人が長い年月をかけその喜びを育てると、パートナーである私達の心にもそれが育ち、そしてそれが、翔人の死による心の欠損を凌ぐことが稀にあります。それを経験した月鏘のみが陽鏘へ成長するため、陽鏘は後輩を導くことに生涯を捧げる存在になるんですね★
「ああ、やっと安心できたよ。凛ちゃん、見習い翔人の教師を務める輝夜さんを、これからも応援してあげてね」
 ★幾ら応援しても、ある条件が満たされないと私は消えてしまうでしょう。だから、約束して欲しいのです★
「どんなことでも良いよ、言ってごらん」
 ★眠留さんが亡くなるのは輝夜の後か、少なくとも同時にしてください。ただ同時の時は輝夜と一緒に、私が陽鏘になるのを願ってください。ならば私は、二人の願いを叶えることに全力を注ぎましょう★
「約束する。僕は輝夜さんより早く死なないし、同時になった時は、凛ちゃんが陽鏘になることを輝夜さんと一緒に願おう。輝夜さんも、それでいいかな」
「はい、私からもお願いします。また、私も約束します。眠留くんと私が一緒にこの星を去る時が訪れたら、先ほど言葉にできなかった想いを、眠留くんに伝えます。今はどうか、それで許してください」
「もちろんだよ輝夜さん、楽しみにしているね」
 この返答をもって今際いまわの約束という重い話題は終了し、憧れの女教師の授業が再開すると僕は予想していた。しかし、そんな甘い考えがラスボスに通用するはずなかった。命を共有していずとも心を共有しているラスボスは、不正確な認識に留まっている姉へ、容赦ない鉄槌を下したのである。
 ★まったく、その程度ですむ訳ないじゃない、輝夜★
「その程度って、その程度って言うけど、私にとっては大胆なことだもん!」
 ★あのねえ、それは眠留さんとの出会い以降に輝夜が育てた想い。その何倍もの時間を、輝夜はこれから眠留さんと過ごすの。たかだか一年ちょっとでその状態になったのだから、そりゃもうあなた・・・★
 輝夜さんだけでなく、僕も限界だった。
 スチャ (姿勢正し)
 ビヨ~ン (後方跳躍) 
 ガバッ (土下座) 
「「凛ちゃん、どうか勘弁して下さい――ッッ!!」」
 僕と輝夜さんは正座のまま後方へ跳躍し、着地と同時に土下座するという正座後方ジャンピング土下座を、完璧にシンクロして凛ちゃんへ捧げたのだった。
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