僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

文字の大きさ
566 / 934
十六章

初訪問後編

しおりを挟む
 居間に戻った僕は、おじいさんに請われるままキャッチボールをした。球技が大の苦手だった僕にとって、野球は小学校の体育の授業で一度習ったきりの最も縁遠いメジャースポーツだったが、教え方の大変上手なおじいさんのお陰で「楽しい」とすぐ思えるようになった。体の動かし方が支離滅裂なうちは5メートルの距離で焦らずゆっくり投球フォームを改善し、次いで捕球フォームも改善して両者の間隔を少しずつ広げてゆき、そしてそれが20メートルに達する頃になると、僕は夢中になってキャッチボールをしていたのだ。またそれだけでなく、会話を示す「言葉のキャッチボール」やコミュニケーションを示す「想いのキャッチボール」のように、キャッチボールという語彙が野球を離れて広く浸透している理由も、僕はおじいさんに教えてもらった。相手本位の投球と自分本位の投球を織り交ぜることにより、キャッチボールを楽しんでいる自分が相手に伝わり、相手が楽しんでいることも自分に伝わって、ボールと想いの両方をやり取りしてゆく。ボールの届く位置、ボールの速度、ゴロにフライにライナーなどの様々な場面を組み合わせることで、時には穏やかに時には激しく、そして意表を突くボールでたまにギャグをかましながら、僕はおじいさんとキャッチボールをした。よってそれを終えた時、
「楽しかった~」「汗だくだ~」「眠留君、風呂に入ろう!」「いいですね、お背中流します!」「「ギャハハハハ~~」」
 なんて感じの年齢を超えた友達のような、昔から仲の良かった親戚のような感覚を、僕らは抱いていたのだった。

 午後四時から四時半という夕方に属する時間でもそれが八月十四日の関東地方の場合、体感する暑さは真昼とほぼ変わらない。そんな時間に三十分も屋外でキャッチボールをしたのだから、僕とおじいさんは「ゲリラ豪雨に遭ったの?」的な状態になっていた。汗が衣服からポタポタと、絶え間なく滴り落ちていたのだ。にもかかわらず、キャッチボールの話に夢中なせいでそれに全く気づいていなかった僕とおじいさんは、
「二人ともストップ、裏口に回りなさい!」
 玄関前で仁王立ちするおばあさんに敷居をまたぐことを禁じられてしまった。自分達の現状をようやく知った僕らは恐縮し、家の裏へトボトボ向った。でも、
「おじいちゃん、眠留くん、はいどうぞ」
 裏口で輝夜さんからバスタオルを手渡されるや、二人揃って恐縮顔をニコニコ顔に変えた。そんな僕らに輝夜さんはクスクス笑い、
「服とタオルはここに入れてね」
 と屋外洗濯機の蓋を開け、ドアの向こうに去って行った。そうこの家の裏には、農作業で汚れた服をすぐ洗える屋外洗濯機があったのだ。加えてこの家は、森と畑に囲まれた一軒家。住宅街なら法に触れてもここなら問題ないとばかりに素っ裸になった僕らは、バスタオルで汗と泥を丁寧に拭き、そのバスタオルも洗濯機に入れて裏口をくぐった。
 真水のシャワーを直に浴び、体のほてりを取ってから湯船に浸かる。農作業で疲れた体を癒すためなのだろう、この家の浴槽はとても大きく、おじいさんと二人並んで浸かっても手足を折りたたむ必要がなかった。四肢をのびのび伸ばし、夢見心地でお風呂を楽しんでいると、独り言を呟くようにおじいさんが過去の話をしてくれた。
 野球漬けの少年時代を過ごし甲子園にも出場したおじいさんは、息子と野球をするのが夢だったと言う。それは叶わなかったが、娘の葉月さんがキャッチボールによく付き合ってくれて、おじいさんは嬉しくて堪らなかったらしい。ただそれでも、青春を野球に捧げた元甲子園球児としては、物足りなさを拭うことができなかった。葉月さんはインハイとインカレで個人戦七連覇を成した人だったから体の切れは申し分なくとも、目が捉えた体の切れと左手に伝わる球威のギャップに、男女の筋力の違いをどうしても感じたそうなのだ。しかしそれは誰にも告げず、男の子の孫が生まれてからの楽しみにおじいさんはしていたが、それも叶うことは無かった。よって夢を心の奥深くに封印し、近頃は思い出す事もなくなっていたのに、今日思いがけず長年の夢が叶った。ボールを介して会話でき、投球と捕球を純粋に楽しみ、鋭い動作で鋭いボールを投げ返してくる、若さみなぎる少年。同じ年齢だった半世紀以上昔、当たり前のように毎日聞いていた、スパーンと鳴るグローブ。それと同時にずっしり響く、左人差し指付け根の骨の痛み。全身をしなやかに使い捕球したボールを、全身の筋力を瞬時に絞り出して投げ、それをひたすら繰り返してゆく。そんな無心な時間を、今日は数十年ぶりに過ごすことが出来た。ありがとう眠留君と、おじいさんは話したのである。僕にできたのは湯船のお湯で顔をジャブジャブ洗い、
「お背中流します!」
 元気よくそう言うことだけだった。それでもおじいさんは、
「さすがは男の子、背中を力強く洗ってくれるわい」
 と、感謝の言葉を幾度もかけてくれたのだった。

 入浴後は縁側でおじいさんと将棋を指し、午後五時半から夕ご飯をいただいた。十匹の頭猫は帰宅していたが長老猫は食事の席にいて、せっかくなので数日間滞在させてもらう事になったと話していた。人の手が入っていない山や森は猫の本能をくすぐるらしく、散策しているだけで若返る気がするのだそうだ。狭山湖と多摩湖の水源となる場所は柵を設けられていて、開発禁止かつ立ち入り禁止が百三十年続いている事もあり、原生林と呼んで差し支えない森が湖を取り囲んでいるのは事実と言えよう。だが、
「いっそ引退なさって我が家を隠居宅にされたらいかがですか」
「太母どのの魚料理にメロメロの、儂を誘惑せんでくだされ」
 なんて会話をしつつ恍惚の表情で鰹のタタキを頬張っている様子を見れば、山や森より魚料理から離れがたく思っているのが一目瞭然の、長老猫なのだった。
 もちろん僕と末吉も、おばあさんお手製の美味しい料理にメロメロだった。そんな夕飯の光景におじいさんは上機嫌になり、年に三回のみと決めている晩酌の最後の一回を敢行した。お猪口をクイッと煽るその姿が祖父と重なったので何気なくお酌をしに行くと、逃がすものかと捕まえられ、キャッチボールを散々褒められる事となった。さっきの裸の付き合いでおじいさんの胸の内を明かしてもらっていたからそれは全然かまわなかったのだけど、おじいさんは泣き上戸だったらしく、
「輝夜に釣り合う男がこの世にいるとは思えず心配でならなかったが、眠留なら安心だ」
 とオイオイ泣き出したのは困った。しかも酔っ払いは際限なくエスカレートしてゆくものなので「眠留と言えど若さに任せた行動は許さん!」に始まり、「だから早く結婚しろ」や「とりあえず結納だけでも済ませるか」や「婚約者なら儂も煩いことは言わなくもないぞ」などと宣い始めたため、僕は涙目になってしまった。まあでもその程度は、目に入れても痛くない孫娘には、お茶の子さいさいだったのだろう。
「おじいちゃん。私はまだ、おじいちゃんのそばにいたいな」
 輝夜さんにそう言われたおじいさんは泣くことしかできなくなり、おばあさんと輝夜さんに付き添われて退場する運びとなった。だが去り際、
「眠留、今日はありがとう」
 その一言を伝えるべく酔いを一瞬で吹き飛ばしたおじいさんに、僕は同じ男として、深々と頭を下げたのだった。

 午後七時、僕と末吉は輝夜さんの祖父母宅をお暇した。先程のおじいさんの振る舞いを詫びるおばあさんに、お風呂場で夢についてお聞きしましたから大丈夫ですと答えると、育ち盛りの男の子にご飯をいっぱい食べてもらって私も夢が叶ったと、満面の笑顔で返してもらえた。暇乞いをするのが僕だけだったら、僕は玄関を湿っぽい場にしてしまっただろう。でも、
「おばあさん、来月また来ますにゃ」
 末吉の絶妙なフォローのお陰で、カラッと爽やかな別れの場となった。
「楽しみだわ、首を長くして待っているね」
「眠留くん、末吉君、また明日」
「また明日」
「お休みなさいにゃ~」
「「「お休み~」」」
 こうして僕と末吉は、九時間滞在しただけとは到底思えない素晴らしい想い出がたくさん詰まったこの家を、後にしたのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ママはヤンママ女子高生! ラン&ジュリー!!

オズ研究所《横須賀ストーリー紅白へ》
キャラ文芸
神崎ランの父親の再婚相手は幼馴染みで女子高生の高原ジュリーだった。 ジュリーは金髪美少女だが、地元では『ワイルドビーナス』の異名を取る有名なヤンキーだった。 学校ではジュリーは、ランを使いっ走りにしていた。 当然のようにアゴで使われたが、ジュリーは十八歳になったら結婚する事を告白した。 同級生のジュリーが結婚するなんて信じられない。 ランは密かにジュリーの事を憧れていたので、失恋した気分だ。 そう言えば、昨夜、ランの父親も再婚すると言っていた。 まさかとは思ったが、ランはジュリーに結婚相手を聞くと、ランの父親だと判明した。  その夜、改めて父親とジュリーのふたりは結婚すると報告された。 こうしてジュリーとの同居が決まった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

痩せる為に不人気のゴブリン狩りを始めたら人生が変わりすぎた件~痩せたらお金もハーレムも色々手に入りました~

ぐうのすけ
ファンタジー
主人公(太田太志)は高校デビューと同時に体重130キロに到達した。 食事制限とハザマ(ダンジョン)ダイエットを勧めれるが、太志は食事制限を後回しにし、ハザマダイエットを開始する。 最初は甘えていた大志だったが、人とのかかわりによって徐々に考えや行動を変えていく。 それによりスキルや人間関係が変化していき、ヒロインとの関係も変わっていくのだった。 ※最初は成長メインで描かれますが、徐々にヒロインの展開が多めになっていく……予定です。 カクヨムで先行投稿中!

転移したらダンジョンの下層だった

Gai
ファンタジー
交通事故で死んでしまった坂崎総助は本来なら自分が生きていた世界とは別世界の一般家庭に転生できるはずだったが神側の都合により異世界にあるダンジョンの下層に飛ばされることになった。 もちろん総助を転生させる転生神は出来る限りの援助をした。 そして総助は援助を受け取るとダンジョンの下層に転移してそこからとりあえずダンジョンを冒険して地上を目指すといった物語です。

スティールスキルが進化したら魔物の天敵になりました

東束末木
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞、いただきました!! スティールスキル。 皆さん、どんなイメージを持ってますか? 使うのが敵であっても主人公であっても、あまりいい印象は持たれない……そんなスキル。 でもこの物語のスティールスキルはちょっと違います。 スティールスキルが一人の少年の人生を救い、やがて世界を変えてゆく。 楽しくも心温まるそんなスティールの物語をお楽しみください。 それでは「スティールスキルが進化したら魔物の天敵になりました」、開幕です。 2025/12/7 一話あたりの文字数が多くなってしまったため、第31話から1回2~3千文字となるよう分割掲載となっています。

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

現代ダンジョン奮闘記

だっち
ファンタジー
15年前に突如としてダンジョンが登場した現代の地球。 誰が何のために。 未だに解明されていないが、モンスターが落とす魔石はすべてのエネルギー源を代替できる物質だった。 しかも、ダンジョンでは痛みがあるが死なない。 金も稼げる危険な遊び場。それが一般市民が持っているダンジョンの認識だ。 そんな世界でバイトの代わりに何となくダンジョンに潜る一人の少年。 探索者人口4億人と言われているこの時代で、何を成していくのか。 少年の物語が始まる。

処理中です...