僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十七章

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 そんなアレコレを経てようやく辿り着いた、境内北西の倉庫。
「たっ、宝の山だ~!」
 倉庫の横に積み上げられた丸太を一瞥するや、久保田は驚喜した。すると、
「参拝されている方々に失礼よ、大声は謹んで」
 秋吉さんがすぐさまたしなめの言葉を放った。ホント言うと久保田は抑制の効いた大声を出したにすぎず、また参拝客もお参りを済ませて石段を降りている最中だから失礼にはならないはずだけど、僕はそれらを口にせず軽く笑うだけに留めた。なぜって、
「猫将軍、秋吉さん、ごめん」
「ごめんね、猫将軍君」
 揃って腰を折る二人が、何ともお似合いだったからである。僕は空気変更も兼ね、積み上げられた丸太について説明した。
「ここにある四分の三は、年末年始のお焚き上げに使う針葉樹の丸太。煙が少なくなるよう、こうして水分を抜いているんだ。昔と違いお焚き上げは大晦日の夕方から二日の午前零時までしかせず、ここにある丸太の半分もあれば足りるんだけど、地域活動や小学校の行事とかで木材を求められる事がたまにあって、多めに用意している。クラス展示程度なら全然平気だから、安心して使ってね」
「猫将軍君、お焚き上げの日数を減らしたのは、二酸化炭素の自粛?」
「うん、自粛。二酸化炭素削減を頑張っている人達が世界中に大勢いるから、少なくとも自粛しないと人道に反するって、祖父の祖父が決めたんだ」
「御爺様の御爺様がお決めになったって、猫将軍君の神社はずいぶん先見的だったのね、さすがだわ」
 秋吉さんはゴミ軽減関連の技術者を目指しているらしく、その一環として二酸化炭素削減の歴史も調べていると言う。久保田の研究分野とは異なるそうだが、アイヌ人を先祖に持つからか久保田は自然保護に大層な情熱を燃やしており、それは秋吉さんも同様だったので、二人は丸太そっちのけで専門的な議論を始めた。僕はお邪魔虫にならぬよう、丸太を検分している演技をしつつ、ゴミ削減と並行世界の関係について考察した。
 水晶によると僕の住むこの世界は、成功例らしい。思い当たる節は確かにあり、チラリと見た別の並行世界は、暗い気配に覆われていた。その時なんとなくだけど、あの世界はゴミで溢れている気がした。2020年代に人類が大英断を下した、
 ――大量消費との決別
 を、あの世界は経験していない気がしたのである。
 その大英断を下したころ、人類は地球規模の感染症に悩まされていた。それを教訓とした各国政府は、国民を強力な監視下に置く国家への移行を唱えだした。当然ながら国民は猛反発し、無数のデモと多数の暴動を経て、移行は「監視するより教育する国家」に変更された。同じ人類として非常に恥ずべき事に、為政者は国民が馬鹿であることを望み、それを実行してきたのである。
 例えば、医療。予防医学の発達により、正しい知識に基づくちょっとした努力をすれば、健康を大幅に増進できることが証明された。だがそれを政策にすると病人が減り、医療関連が不況になって政治献金や天下り先も減る。よってその政策は実施せず、国民を馬鹿に留めよう。このような事を各国政府は行い、そのせいで世界的感染症が猛威を振るってしまったのだ。しかし幸い、このような事を繰り返してはならないと人々は気づき、国民を教育する国家へ移行した結果、人類は大量消費と決別した。大企業を儲けさせるためにまだ使える物をゴミとして破棄し、地球を汚染することを、人類は止めたのである。
 ただそれは僕の住むこの世界に限った事であって、あの並行世界では実現しなかったように感じる。水晶が言うには「あの世界の権力者達は善なる量子AIの誕生を阻止した」そうだから、あの世界の僕はきっと、不幸なんだろうなあ・・・
 と、考察が一段落した丁度そのとき、
「猫将軍スマン、話に夢中で待たせてしまった」
「猫将軍君、重ね重ねごめんね」
 二人は息ピッタリに腰を折った。そのお似合い振りが嬉しく、しかし茶々を入れるのは時期尚早と判断した僕は、
「いいっていいって。さあここからは力仕事だ、久保田頼むぞ」
 明るく流して久保田に筋肉労働を要請した。想いを寄せる女の子に力強さをアピールする機会を得た久保田は、
「任せろ!」
 と、腕まくりして応えたのだった。

 木彫りに適した、硬さと粘りを兼ね備える広葉樹は、重たいと考えて良い。一般的に広葉樹は針葉樹より目が詰まっており、その目の細かさが複雑な彫刻を可能にし、かつ美しい光沢をもたらしてくれるのだが、密度の高さと重さは比例するのが宇宙のことわりだからだ。つまりどういう事かと言うと、髪飾りの台座にする樟と欅の丸太は、安定性の観点から下の方に積まれているという事。僕と久保田は過酷な筋肉労働の結果、目当ての丸太を取り出すことに成功した。倉庫の壁に立てかけられていた折り畳み椅子に腰を下ろし、二人で休憩を取る。そんな僕らの耳に、
「広葉樹って、こんなに重いの!」
 秋吉さんの声が届いた。実は秋吉さん、地面に横たえた欅の丸太を持ち上げようとしたのだが、まるで歯が立たなかったのである。せめて重さを感じようと両手でゆすり、ショッピングモールの木材売り場で手に取った角材とはまったく違うと感想を述べた秋吉さんに、ああいう場所では元々軽い木を乾燥させて販売しているから驚くのも無理ないねと、久保田は楽しげに説明していた。だがそれを中断するかの如く、
「猫将軍、この柿色の蚊取り線香は、林業で使うプロ仕様なんじゃない?」
 久保田は僕に顔を向けた。その表情に、秋吉さんと会話するより僕を待たせないことを優先したのだと察した僕は、久保田の博識さを手放しで褒めたのち二人揃って立ち上がり、作業を再開した。樟と欅の丸太を検分し、台座用の二本を選出して、それ以外の二十本近い丸太を再び積み上げてゆく。そんな僕らに秋吉さんは幾度も「私も手伝う」と言いかけるも、その言葉が発せられる事はなかった。地面に置かれた丸太を持ち上げ、移動し、そして積み上げる作業を安全にこなすには筋力が決定的に足りないのだと、秋吉さんは直感的に理解していたのである。それは姐御肌の高身長な女の子に、屈辱に等しい感情を抱かせたのかもしれない。しかしそれでも、重量物を持ち上げる際の腰の使い方を知らない女性に、この作業をさせる訳にはいかなかった。また、腰の使用法を話題にすることもできなかった。なぜならそうすると、本日二度目の付け焼刃を指摘することになってしまうからだ。然るに僕と久保田はただ黙々と、やるべきことを成していった。
 作業を終え軍手を外し、椅子に腰を下ろした僕らに、
「私は、失礼極まる行動をしていたのかもしれない」
 秋吉さんが、しんみりそう言った。僕と久保田は顔を見合わせただけで、声を掛ける順番と役目を決定する。まずは僕が、
「せっかく用意したんだから、椅子に座ってください」
 そう呼びかけ、続いて久保田が、
「猫将軍の受け売りなんだけど」
 と前置きし、右隣に座った秋吉さんへ「自分を一番誤解しているのは自分」の話をした。けどまあ仕方なくはあるのだけど、秋吉さんへの恋心を伏せて語られたそれに詰めの甘さを感じた僕は、最後の一押しを独断で敢行した。
「秋吉さん、カレーライスは好き?」
「い、いきなりね。ええ、もちろん好きよ」
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