僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十八章

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 美鈴を任せられる云々に真山が慌てふためき、それをネタに盛り上がった数分を経て、美夜さんは残り半分の説明を始めた。
「真山さんの声の秘密を説明します。まずはこちらの、CG映像をご覧ください」
 それは、鼻から吸った空気と、口から食べた食事が、喉で合流するCG映像だった。喉を過ぎると空気と食事は二方向に分けられ、空気は肺と繋がる気管へ、食事は胃と繋がる食道へ、それぞれ運ばれていた。美夜さんは気管の、入り口付近を指さした。
「声帯は、気管の入り口付近にあります。声帯の位置は広く知られていますから、二人は驚かなかったでしょう。でも次の映像は、そうはいかないと思います」
 美夜さんの予想は正しかった。次に映し出された映像が、グロテスクだったのである。それはCGではない、人の声帯を実際に撮影した映像だった。声帯は、縦にした口の上半分に似た形をしていて、開いたり閉じたりしていた。
「この開閉している部分の唇に相当する個所が、声帯です。日本人の声帯の平均的長さは、男性が約12ミリ、女性が約9ミリ。短い声帯の方が声は高く、これは女性の声が男性より高い理由でもありますね」
 声帯を縦に引っ張ると、開閉部がせばまり声が高くなる。反対に声帯を緩めると、開閉部が広がり声が低くなる。声帯を引っ張ったり緩めたりすると、声帯の硬さも変化し、それも声の高低に関係しているらしい。声帯は引っ張ると硬くなり、小刻みに高速振動するようになって声が高くなる。反対に緩めると声帯は柔らかくなり、ゆっくり大きく振動するようになって声が低くなるそうなのだ。輪ゴムを引っ張ると硬くなり、振幅が狭まるのと同じだな、などと思考が若干逸れた僕を置き去りにして、美夜さんは説明をサクサク進めていった。
「ビブラートには顎を用いるものと、横隔膜を用いるものと、声帯を用いるものの三種類があります。真山さんが日常的に使っているビブラートは声帯を用いるものに分類されますが、厳密には異なります。一般的なビブラートが声帯を震わせるのに対し、真山さんは声帯と仮声帯かせいたいの両方を震わせているからです」
 美夜さんはグロテスクな映像を静止画にして拡大し、左右の声帯の脇に、仮声帯という新たな名称を書き入れた。そして遂に、話は核心へ至る。
「本来この仮声帯に、発声能力はありません。しかしここを利用できる人が極々僅かいて、それらの人々は不思議な声を世に響かせます。真山さんは生来の魅力的な声でそれを成し、しかも音感とリズム感も抜群という、稀有な歌唱力を有する人なのです」
 美夜さんによると、真山はリズム感もずば抜けているらしい。なんと真山は、さっき行った声域調査の音階のテンポを、サイクロイド曲線に沿って上げたそうなのだ。サイクロイド曲線は、走行中の自転車の空気を入れる部分が描く曲線で、面白い特性を複数持っている。例えば、机と床を繋ぐ斜面をサイクロイド曲線にすると、真っすぐな斜面より、ボールは早く床に着く。曲線の方が距離は長いのに、真っすぐな斜面よりボールの速度が増して、床に早く着くのだ。そんな不思議な曲線に沿い、ドレミファソラシドのテンポを上げていったと言うのだから驚くしかない。よって、
「ヒューヒュー」「すご~い!」
 僕と美夜さんはやんやの喝采をあげたのだけど、真山は浮世離れの王子様モードを発動して喝采を回避するという、小癪な手を使いやがった。少々ムカッと来た僕は美夜さんに頼み、拍手する美鈴の3D映像を出してもらう。先日の「三頭身ダンシング眠留」の復讐をすべく、美鈴の等身大3Dを任意に使える許可を、美鈴にもらっていたのだ。美夜さんもノリノリになり、美鈴の等身大3Dを三体横に並べて、「「「真山さ~ん!!」」」と声を揃えさせたものだから堪らない。通常の三倍の美鈴ショックに見舞われた真山は、
「勘弁してくださいっっ!!」
 と、恥も外聞も捨てて美夜さんに土下座していた。その光景に何となく思った。教育AIは真山に惚れてるという猛の主張は、真山の言葉どおり、間違いなんじゃないかな・・・
 それはさて置き、美夜さんは説明のまとめに入った。
「背が高く声帯の長い真山さんは、男性特有の低い声をしています。また真山さんは仮声帯を用いることで、高音から中音に至るビブラートを容易に作り出せます。これが真山さんの、低音と中音と高音の調和した豊かで魅力的な声の、秘密ですね」
 さっきの二倍騒がしい、やんやの歓声があがった。今回は前回より真山を称える度合いが大きかったし、美鈴の等身大3Dが初めから加わっていたので、二倍の騒ぎになったのである。しかし真山の喜びようは二倍を遥かに超えており、そしてそうなった理由の全てが美鈴の3Dにある事は、親友としてちょっぴり寂しい僕だった。

 それから暫しの休憩を挟み、ワンマンショーの曲選びの後半が始まった。いや、選ぶという語彙を用いるのは事実に反するだろう。なぜなら美夜さんが推薦した最初の曲を聴き終えるなり、
「これだ!」
 真山はそう叫んだからだ。それはほぼ一世紀前に活躍した、女王陛下の名を冠する英国のロックバンドの、伝説的名曲だったのである。曲をリピートして聴きまくる真山の邪魔にならぬよう、小声で美夜さんに尋ねた。
「九十年近く昔の曲を、なぜ推薦したの?」
「眠留は、耳がとても良いわよね」
「へ? うん、まあ良いかな」
「真山さんがこの神社で過ごしてきた様子から、真山さんも眠留並みに耳が良いと私は判断したわ。そこで眠留に思い出してもらいたい事があるの。眠留のお父さんが、コンサート会場でピアノ越しにフルートの独奏を聴いた時の話、覚えてる?」
 美夜さんの意図は解らずとも、美夜さんに絶対的信頼を寄せている僕は、該当する記憶を呼び覚ました。それは、こんな話だった。
『クラシック音楽が大好きな父は、オーディオでは決して味わえない生演奏を堪能すべく、コンサート会場にしばしば足を運んでいた。ある日、最前列から四列目のど真ん中という最高の席を入手した父は、ピアノ協奏曲の生演奏の素晴らしさを目を閉じて味わっていた。しかしフルートの独奏が始まるや、驚きに目を開いた。父のいる場所とフルート奏者の間にはピアノが置かれていて、そのピアノ越しに聴いたフルートの音が、オーディオの音に聞こえたそうなのだ。オーケストラの録音マイクはだいたい指揮者の頭上に吊るされており、楽器とマイクの間に障害物はないはずなのに、「オーディオの音は生演奏を障害物越しに聴いたような音」との感想を父は抱いたのである。その日の夜、流行りの歌謡曲をオーディオで複数聴いた父は、クラシック音楽が好きな理由の一端を知ったと言う。それは・・・』
 僕は父の言葉を思い出し、頭の中で整理している内に、美夜さんの意図を理解することができた。
「父さんはあの時、クラシック音楽ばかりを聴く理由をこう説明した。歌謡曲は生演奏に聞こえるよう、音を不自然にいじっているものが多く、あまり好きになれないって」
「感性に関わることだから一概には言えないけど、眠留のお父さんは耳がとても良かったの。お父さんはデジタル処理していない音源を探して、気に入った曲を沢山購入していたわ。その中から真山さんの好みに合いそうな曲を、さっちゃんに手伝ってもらって選んだら、大正解したのね」
 感性に関わるため子細は語らなかったが、多分こういう事なのだろう。
 ――最近の歌謡曲に真山が興味を抱けない理由の一つは、過度のデジタル処理にある。然るに同じ理由で歌謡曲を好まなかった父さんの所蔵曲の中から、真山の好みに合いそうなものを、咲耶さんの協力を得て選んだ―― 
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