僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十八章

真山の相談、1

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 九月十八日、日曜日の午後一時。
「ワンマンショーを成功させるため、相談に乗ってくれないかな」
 とのメールを、僕は真山からもらった。よほどの予定がない限り、この頼みを断ってはならない。僕はすぐさま承諾の返信をした。
 その五分後、真山は神社に現れた。走ってきた様子はなく、AICAの気配もなかったから、真山は通学路の途中のベンチであのメールを出したのだろう。美鈴が部活でいない今、この男がこれほど焦る理由は一つしかない。挨拶もそこそこに、玄関で単刀直入に訊いた。
「ワンマンショーの計画、うまく行ってないの?」
「うん、うまく行ってないんだ」
 肩を落とす真山を自室に招き、詳細を教えてもらう。僕は、ホッと胸をなでおろした。そして、
「じゃあ、大離れで幾つか曲を聴いてみよう」
 父自慢のオーディオシステムのある大離れへ、真山を連れて行ったのだった。

 ワンマンショー計画が座礁している理由は、たった一つしかなかった。それは、真山の歌う曲。クラスの女の子たちが選んだ曲に、真山はどうしても興味を抱けなかったらしい。よって同性が選んだ曲なら、つまり僕の選曲なら違うかもしれないと思い、真山はここを訪れたそうなのである。親友に頼られ、奮い立たない訳がない。僕は近年の流行歌の中から真山に似合いそうなものを選出し、それらを聴いてもらった。でも、結果は芳しくなかった。
「ええっと、やっぱりピンと来なかった?」
「・・・ねえ眠留。俺はいったい、どんな曲が好きなのかな?」
 なんと真山は歌いたい曲どころか、自分の好きな曲すら知らなかったのである。ただこれに関しては、その後のやり取りを経て比較的すぐ判明した。
「ああなるほど。聴くのが好きな曲はあっても、歌いたい曲はないんだね」
「うん、そうなんだ」
 聴くのが好きな曲と、歌いたい曲。この二つが普通に一致する僕には不可解でも、人はそれぞれだから、真山のような人もきっと大勢いるのだろう。と素直に本心を告げると、真山はちょっぴり安心した顔をした。それがとても嬉しかった僕は、流れを変えるという大義名分をかかげて、真山を安心させまくる事にした。
「真山と替え歌コントを無数にしてきた相方として、断言するよ。真山は、歌が上手い!」
「小学校の音楽の授業でもよくそう言われたけど、眠留に太鼓判を押されるのは嬉しいね」
「真山は音感もリズム感もいいし、何より声が抜群にいい。僕は真山と替え歌コントをするのが、大好きなんだ」
「あはは、照れるね。でもありがとう」
「いやいや、それは僕の方こそだよ。真山は声域がメチャクチャ広くて、素人には難しい個所を代わりに歌ってくれるよね。しかもそれを、レパートリー泥棒的な、コントの一環にしてしまうんだよ。僕ら夕食会メンバーに替え歌ネタが多いのは、広い声域とお笑いセンスを併せ持つ、真山がいてくれるお陰なんだね」
 安心させるという当初の目標を忘れ、僕は真山を照れまくらせた。大離れに笑いが満ち、そしてそれが、良い方に転んだのだと思う。突破口になるかもしれない閃きが、脳裏に突如やって来てくれた。
「そういえば、真山は自分の声域を把握してる?」
「そういえば知らないかな」
「真山の声域をフルに使うような曲だったら、歌い甲斐があるかもよ」
「歌い甲斐か。それ、良いかもしれない!」
 真山のおもてに希望の光が初めて差した。嬉しくてならなかった僕はさっそく美夜さんに頼み、声域テストを始める。真山は立ち上がり腹式呼吸を数回したのち、
「ド~♪」
 これまで聞いた肉声の中でダントツに低い、ドの声を出した。しかもそれは凄まじく低いはずなのに艶やかさのある、
 ――男の色気
 としか表現し得ない声だったのである。無意識に腰をモゾモゾさせた僕をよそに、
「レ~ミ~ファ~♪」
 真山は1ヘルツの誤差もなく音階をなぞってゆく。テンポも気持ちよく上げていき、それに伴い僕の背筋もなぜか伸び、真っすぐを超えて背骨が弓ぞりになった時、
「ド~~~~♪」
 あろうことか大離れに、五回目のドが響いた。そう真山は一級の歌手に等しい、四オクターブの声域を持っていたのだ。それだけでもぶっ飛びモノなのに、四オクターブの声域すら序章にすぎなかった。美夜さんは真山の声について、真に驚愕すべきことを明かしたのである。
「ビブラートを日常的に用いて会話している真山さんは、それを歌唱に用いると、世界レベルの能力を発揮するのですね」

 一年五カ月前の湖校入学日、真山の自己紹介を聴いた瞬間、僕は思った。
 高い声と低い声が調和したような、不思議な音色の心地よい声だなあ、と。
 そう思いつつもあの日から今日まで、僕は真山の声について真剣に考察したことが無かった。その十七か月を振り返り、自分の薄情さに打ちのめされた僕は、脳を全速回転させつつ虚空を見上げた。
「美夜さん、僕は真山の声を聴くたび、高い声と低い声が調和した不思議な音色の心地よい声だなって思っていた。美夜さんが今教えてくれた事をそれに加味すると、こうなるのかな」
 僕は呼吸を整え、一気に言った。
「真山は僕が感じているより、低い声で話している。けどビブラートを効かせることで高音も同時に出していて、そしてその二つの音は、心地よい和音の関係にある。どうかな?」
「半分正解です。ですが残りの半分は、私の一存では話せません」
 僕は息を呑んだ。真山のプライベート情報を、当人抜きで話していた自分の非常識さにやっと思い至ったのである。絶句する僕に、真山はクスクス笑って問うた。
「さっきから眠留は美夜さんって呼びかけているけど、俺がそれを気にすると思うかい?」
 反射的に頭を抱えそうになった。HAIを美夜さんと呼んでいる事を、僕はこれまで誰にも明かさなかった。その例外は三人娘だけという、ある意味最高機密の一つだったのだけど、僕はなぜか今日、真山の前で美夜さんという名を使っていた。それにようやく気付き、頭を抱えそうになったのである。
 が、僕はそれを押し留めた。ここで頭を抱えたら、気にしないと言ってくれた真山の気遣いを、無視する事になってしまうからだ。それに何より、内面も外見も超絶イケメンの真山は、それを心底気にしていないって僕には解ったからね。だから、
「あはは、美夜さんって呼んでるのがバレちゃった」
 頭を抱えそうになった手で咄嗟に頭を掻きつつ、美夜さんという名前を考えた経緯を真山に説明した。翔猫の個所は無理でも、猫にちなんだ名前を付ける猫将軍家の風習は僕や美鈴と同じだったから、思いのほか普通に話せた。しかも予想どおり、美鈴の名前の由来を知った真山が大興奮したので、引け目なく頼むことができる。僕は真山に顔を向けた。
「ねえ真山。さっき美夜さんが言ってた残り半分を、僕にも教えてよ」
「もちろんいいさ。それと、俺も美夜さんって呼んでいいかな?」
「僕はいいよ、美夜さんは?」
「はい、そう呼んでもらえたら私も嬉しいです」
 極僅かな違いなのだけど、美夜さんは今の返答に、通常の量子AIではない特殊AIの声を用いた。その微細な違いを十全に理解し、
「ありがとうございます。眠留と美鈴さんの、お姉さん」
 真山は姿勢を正して礼を述べる。そんな真山の前に3Dで現れ、
「眠留が常々言っているように、美鈴を安心して任せられるのは真山さんだけね」
 妹の幸せを願う姉の表情で、美夜さんはしみじみそう言ったのだった。
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