僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十八章

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 という想いが、指先から伝わったのだと思う。どうかしたのと問われたので、蕾は赤く花は白い山の木について尋ねてみた。すぐさま写真がアップされ、そうこれですと答えると、
 ――姫林檎の花ね
 千家さんはそう綴った。何も書き込めないでいる僕に「今夜ゆっくり聴くから」と、睡蓮の君は昨夜と同じく数百年前の家族に戻ってくれた。
 それ以降は塗装の講義について真面目なやり取りをし、五限の再会を約束して通信を切った。会議も最後の議題の、久保田による木製台座制作の進捗報告が丁度終わったところだったので、那須さんに感謝を述べ、今日の講義に関する最重要事項を発表した。
「千家先生は、周囲の人達に地味な印象を与えるための化粧を、湖校入学前からしてきました。信じ難いかもしれませんが、先程の3D映像は、その特殊な化粧を半分に抑えたものでしかありません。千家先生は今日、十数年ぶりに、素顔の自分で同じ学校の生徒達と係わる決断をしたのです。どうかみなさん」
 ここで立ち上がり、
「新開発の塗装技術を無償で教えて下さるあの方へ、技術者の卵としての矜持を胸に、接してください」
 僕は現時点における最高の所作でもって腰を折った。それを受け、那須さんが真っ先に礼を返す。一拍置き皆も返礼してくれて僕は安堵したけど、僕と那須さんを除く十三人は、特に女の子たちは深刻な顔で話し合っていた。
「フィニッシングスクールの授業、取らなきゃ」と。

 パワーランチはその後、いつもより十五分早く終了した。掃除を早く始めて、講義前に準備の時間を設けることになったのである。そして迎えた、五限開始十分前。実技棟唯一の、講義室も兼ねる二十人用の実習室の扉を開けた途端、那須さんに礼法を教わっている十三人のクラスメイトの姿が視界に飛び込んできた。さっき皆に頼んだ、技術者の卵としての矜持がそうさせているなら、これほど嬉しいことはそう無い。僕は一人静かに、椅子とテーブルをチェックしていった。
 誰かが掃除と整理整頓をしてくれたのだろう、二十脚の椅子は定規で計ったように整えられ、テーブルの上には塵一つ落ちていなかった。ここまでされたからには、全力を尽くさねば男が廃るというもの。精霊猫の白に教えてもらった空気の浄化を僕は始めた。白の十分の一ほどではあったが、実習室に高峰の頂の気配がそっと降りてくれた。
 皆の邪魔をせぬよう部屋の隅に移動し、十四人の様子をさりげなく窺った。一年時のフィニッシングスクールで主席を貫き、通常三年かかる授業を一年で終えた那須さんの所作は、さすがの一言に尽きた。二番手をゆくのは、未だ打ち明けられていないがおそらく香取神宮の縁者に違いない、香取さんだった。その作法には、年齢にほぼ等しい年季が感じられた。僅差の三番手は、久保田だった。先日聞いた、子供の頃から近所の神社で弓を使う神事の手伝いをしていたという話は、随分控えめな表現だったらしい。久保田の目線や息遣いや纏う空気には、長年の研鑽の成果がはっきり刻まれていた。
 残り十一人はみんな横並びでも、やる気の飛びぬけた人が二人いた。智樹と秋吉さんが、その二人だ。智樹については、香取さんの麗しい所作に奮い立ったことが容易に想像できても、秋吉さんの胸の内を僕は量りかねた。どうも秋吉さんは、上下関係の明瞭化を主目的とする前時代の階級社会的礼儀作法と、互いが自由になる手順としての礼儀作法を、まだ区別できていないように感じる。よって那須さんや香取さんのたおやかな所作を真似ても、どこかちぐはぐな気配が立ち、それをやる気の原動力にしているなら納得できるのだけど、そうではない気がする。秋吉さんの胸中には、それとは異なる想いがあると僕には思えたのだ。しかし、僕が秋吉さんにそんな感想を抱いているのは、誰にも悟られてはならないはず。幸い、階段を上ってくる良家の御令嬢の足音が耳に届いたので、僕は令嬢を迎えるべく実習室を出て、ドアの前に待機した。
 階段の方角から現れた千家さんの第一声は、
「私が階段を上って来ているって、なぜ判ったの?」
 という、まったく予想していないものだった。意味を測りかね、
「良家の御令嬢に共通する足音を聞いたからですが」
 僕はありのままを告げた。すると、
「私はよく親に、足音をさせ過ぎないのも失礼ですよって叱られるけど、あなたが規格外なのか、それともあなたの周囲の御令嬢たちが規格外なのか」
 千家さんはそう言って、さも楽しげに笑った。それが何とも自然で僕も釣られて笑っているのを、きっと察知したのだと思う。実習室内の十四人の気配が和らいだのを、ドア越しにはっきり感じた。驚く僕に、
「みんな気持ちが楽になったようね」
 千家さんは柔らかな笑みを零した。僕は息を呑まずにはいられなかった。あろうことかこの女神様はここまで見越して、階段から続く一連のやり取りをしていたのである。
「一本じゃなく十本取られました」
 完敗を潔く認めて頭をペシリと叩く。僕は溢れんばかりの敬意と賞賛と、そして底抜けの親しみを込めて、
 トントン
 とドアをノックし、女神様の露払いを務めたのだった。

 千家さんの授業は、八色の塗装サンプルを手に取って触ることから始まった。直径3センチの球体に千家さんの塗装を施したサンプルを手に乗せた皆は、一様に首を傾げた。表面だけを塗装しているのではなく、
 ――中心までこの色
 に類する感触が、掌に伝わって来たのである。千家さんによると、それは脳の錯覚らしい。その仕組みを、千家さんはこう説明した。
「生命力に溢れる瑞々しい色を目にすると、脳はそれを『天然の色』として無意識に処理します。そのたまは岩石を連想させる重さにしているから、中心までこの色の天然石と掌は錯覚するのね」
 そう種明かしをされても、両手の中に納まる球へ目をやるや、「これは素晴らしい色を放つ貴重な鉱物に違いない!」と皆は感じるのだろう。その感覚を皆は興奮して語り合い、そしてそれが、
 ――想いを共有する喜び
 に変化した機を逃さず、千家さんは球に負けない瑞々しい声を放った。
「さあみんな、その感覚をお客様にも抱いてもらえるよう、塗装について学びましょう」
「「「「はい!」」」」
 やる気を漲らせた全員の声が実習室に響いた。それはクラス展示を成功させるべく全員で踏み出した巨大な一歩だったから、それだけでも僕らは嬉しさを噛みしめていたのだけど、千家さんはなんと更なる奥の手を隠し持っていたのである。今日の講義をすべて終えた、五限終了の一分前。
「は~い、注目」
 軽やかに呼びかけたのち、千家さんは爆弾を投下した。
「研究学校生が開発した新技術を研究学校生と分かち合う場合、学校から補助金が出ます。教育AIは、この講義をそれに該当すると認めてくれました。えだの付いた一枚の葉の塗装費を、十六枚ぶん出すと、教育AIは約束してくれましたね」
 予算のやりくりに四苦八苦している研究者の卵にとって、それは宝くじに当たったようなもの。 
「「「「えっ!!」」」」
 僕らは一斉に驚愕した。と同時に、
 キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン♪
 五限終了のチャイムが鳴る。ハッとした後輩十五人はこうしちゃおられんと立ち上がり、
「千家先生、ありがとうございます!」
「「「「ありがとうございます!」」」」
 偉大な先輩へ、一糸乱れず頭を下げたのだった。
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