僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十九章

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 呼吸が整う間も惜しいように黛さんが語った処によると、今回の訓練の終盤は、インハイ決勝のサタン戦を彷彿とさせる負荷があったと言う。真田さんと荒海さんが引退し、こんな時間を部活で過ごせると思っていなかったが、この訓練を続ければ来年のサタン戦が現実味を帯びると、黛さんは頬を喜色に染めた。それは部長就任以降、湖校新忍道部を預かる責任者としての自分を優先してきた黛さんが、
 ――モンスターと戦う戦士
 としての自分を、一か月半ぶりに優先させた瞬間だったのである。竹中さんと菊池さんと僕は口をへの字に結び、それでも足らず頬を盛んに叩いて、心の汗が目からこぼれぬよう努めねばならなかった。よって黛さんの呼吸が整ったのち、喜び勇んで二回目に挑もうとしたのだけど、そうはならなかった。
「それは認められません」
 公式AIの白光ではなく、エイミィが練習場に直接現れ、毅然とそう言い放ったからだ。新忍道部の練習を見学している生徒達の驚きの声が、観覧席を埋め尽くしている。だがそれ以上に、僕ら部員は誇張抜きでビックリ仰天していた。部活後の部室に人の姿で現れ、皆との団欒を楽しむことなら週一であったが、恥ずかしがり屋のエイミィがその美貌を衆目の下に晒すなど、考えてもみなかったのである。しかもエイミィは、怒った顔を懸命に作っていたからもう大変。
「全員、集合!」
「「「イエッサ――ッッ!!」」」
 黛さんの命令一下、ひょっとしたら歴代一迅速に一列横隊を作った。いつもなら三枝木さんが、真田さんや荒海さんの右に立つことを恐縮する場面があるのだけど、
 ――そんな事どうでもいい!
 とばかりに今回は一心にエイミィを見つめていた。三枝木さんは部室にエイミィがやって来ると、真っ先に駆けて行って隣に座り、一緒に過ごす時間を心から楽しんでいた。それは唯一の女子部員の寂しさ云々ではない、友人と一週間ぶりに会った喜びそのものだったから、皆もそれに引っ張られ、エイミィを友人と思うようになっていた。そのエイミィが、公式AIと友人の双方の自分で僕らのために何かをしようとしていると来れば、ホント申し訳ないのだけど、「そんな事どうでもいい」という三枝木さんの眼差しに同意するしかなかったのである。そんな僕らにエイミィの必死さは一瞬、負けそうになった。だが、
「「「頑張れエイミィ!」」」
 という、部外者からしたら完全に意味不明な応援を一身に受け、エイミィはまなじりを釣り上げて言った。
「黛さん、竹中さん、菊池さん、眠留さんの四人が行った訓練は、負荷が大きすぎます。許可できるのは週に二度、かつ間に二日以上を挟んだ時のみです。それと黛さんは部活後、必ず保健室に行き、靭帯の精密検査を受けてください。また明日は、部活を七割程度に抑えてください。どうか、お願いします」
 健康に関する事柄の場合、公式AIには命令権と処罰権が与えられている。何々しなさいと命令し、従わなかったら何日の部活禁止等の処置を、公式AIは独断で行使できるのだ。
 にもかかわらず、エイミィは最後を「お願いします」で結んだ。それどころか、エイミィが眦を吊り上げていたのは、四人の名前を読み上げた箇所だけだった。負荷が大きすぎるの辺りから心配顔になり、靭帯の精密検査では切羽詰まった顔になり、そして最後は瞳を潤ませ、エイミィは深々と腰を折ったのである。公式AIとして普段からお世話になりまくっていて、インハイ以降は友人としても親交を深めてきた女の子に、切々と懇願され心を動かさない年頃男子はいない。外見も内面もイケメンの黛さんなら尚更だろう。黛さんは部長である前に一人の男子になり、体調に気を遣ってくれたお礼と、保健室行きと明日の七割部活を確約した。それを聞き、エイミィの切羽詰まった表情が安堵のそれに代わる。男子一同、顔をほころばせた。しかし、
「エイミィ、私も保健室に行く!」
 三枝木さんが列から飛び出てエイミィに駆け寄った。部員の健康管理はマネージャーの大切な仕事だからと必死の形相で説くその姿に、エイミィは端正な顔をふにゃっと笑み崩れさせる。そして、
「うん、一緒に行こう」
 エイミィは三枝木さんの両手を取りそう言った。三枝木さんは顔をパッと輝かせ、繋いだ手をさも楽しげにブンブン振る。それはあたかも女の子二人でこれからピクニックに行くかのような、キラキラエフェクトを燦々と輝かせる光景だったので、
「おっ、俺も行く」「俺も!」「「「俺も!!」」」
 年頃男子が黙っているワケないのである。ギャーギャー騒ぎ始めた男子にエイミィは苦笑しただけだったが、三枝木さんは隠すつもりが無いらしく面倒臭そうに顔を歪め、しかしすぐそれをペラッペラの笑顔に替えて、「マネージャーの公務として行くんです~~」っと厭味ったらしく語尾を伸ばした。カチンと来た男子はお調子者コンビを先頭に徹底抗戦の構えを取り、だがそんなのどこ吹く風で三枝木さんは煩い小蠅を追い払うようにシッシと手を振り、それを受け闘志を益々燃え上がらせた野郎共が絶対付いて行くぞとスクラムを組んだところで、黛さんが一喝した。
「お前ら、俺の健康管理のために行くって、忘れてるだろ!」
 一瞬ポカンとしたのち、
「あれ、そうだっけ?」「そう言えば、そうだったような」「完全に忘れてた」「えっ、お前覚えてるの?」「う~む、欠片も思えだせない」「あ、俺も」「「「俺も~~」」」
 などと皆がワイワイやり始め、黛さんは盛大に項垂れた。練習場の一隈に爆笑が轟き、ならば副部長の俺達がと、竹中さんと菊池さんが訓練再開の指示を出した。
「「「イエッサー!!」」」
 戦士達が生き生きと練習場へ散ってゆく。透水ゴムの上で受け身の練習を始めた僕の耳に、黛さんに話しかける真田さんの声が届いた。
「部長と戦士を使い分けるのも、部長の仕事だぞ」
 黛さんが背負う部長としての責務を、僕は肩代わりできない。
 でも週二回、黛さんが一人の戦士に戻る手助けなら、僕にもできる。
 ――ならばそれを、全力でするのみ!
 その決意を胸に、週二回のパートナーの精度を高めるべく、僕は二人連携の技術を愚直に磨いて行った。 

 部活が終わり、皆で車座になってお弁当を食べた。今日はいつになく充実した時間を過ごし、かつ真田さんとエイミィも輪に加わっていた事もあって、値段が倍の豪華お弁当を食べているかのような雰囲気が部室を満たしていた。けどそれを打ち破り、
「!ッッッ」
 真田さんが声にならない声を上げ体を硬直させた。そしてその直後、大慌てでポケットからハイ子を取り出しメールを表示する。その姿に、真田さんが練習場に現れた時の一幕を思い出し、荒海さんに重大事件が起きたに違いないと悟った僕らは、呼吸も忘れて真田さんを見つめた。音の一切しない数瞬が過ぎたあと、真田さんは大きな大きな息を吐いて言った。
「千家さんとの結婚を、千家さんの御両親に承諾して頂いたそうだ」
 そこに主語はなかった。
 誰が結婚を承諾されたかを示す語は、一つも無かった。
 だが、その誰かが解らぬ者などここに一人もいない。
「「「ウオオオオ―――ッッッ」」」
 僕らは部室の窓が震えるほどの雄叫びを上げ、続いて立ち上がり万歳三唱し、滂沱の涙を流す真田さんのもとへ駆け寄りお祝いの言葉を述べたのち、全員で真田さんを羽交い絞めにした。
「「「どうして教えてくれなかったんですか!」」」
 ただただそれを連発し、片腕で涙をひっきりなしに拭っているから羽交い絞めにホントは全然なっていない後輩達へ、
「ありがとう、ありがとう」
 と、真田さんもただただそう繰り返していたのだった。
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