僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十章

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 だが、美しさを主軸に据えた実技棟のクラス展示は気を抜いたとたん、
 ―― 序列戦争
 を招きかねないと考えるべきなのだろう。それへの有効な対策を今の僕は思いつけないが、那須さんに影響を及ぼした素敵なお姉さん達は、女性特有の競争心を和らげる技術を獲得しているように感じる。しかしそれは、昨日のフランス料理店のウエイトレスさんに代表される本物のプロのみに可能なのであって、素人かつ子供の僕らには、使いこなせない高等技術だとも僕はひしひしと感じていたのだ。その焦りと恐怖を赤裸々に綴り送ってみたところ、
『心を晒してくれてありがとう』
 千家さんはすぐさま、そう返信してくれた。我慢できなくなった僕はチャットを申し込み、受諾されるなり「千家さんはマジ女神様ですね」と本心を晒した。だが返って来たのは「そんなこと無い」などという、事実無根も甚だしい言葉だったので、真実を知ってもらうべく、荒海さんの話題を振って可愛い女神様に降臨してもらう事にした。
「そうは言っても先日の睡蓮の髪飾り、おべっかではなく女神様のように似合ってましたよ」「そ、そうかな」「はい、間違いありません。それに伴い荒海さんの株も、鰻登り状態です。さすが荒海さんだって」「それは手放しで嬉しい!」「そうそう、荒海さんが出雲で着てたスーツも、すごく評判良いですよ。ひょっとしてあれ、千家さんの見立てとか?」「うんそうなの、聞いて聞いて仁君ったらね!」
 てな具合にそれから三限が終わるまで、チャットは荒海さんに関するノロケ話に終始した。でもまったく苦にならなかったし、貴重なネタも沢山仕入れられたし、それに目的どおり可愛い女神様に降臨して頂けたので、僕は大満足だった。けど、
『接客教育に行き詰まったら、私にすぐ相談するのよ』
 千家さんは最後の最後で優しく賢いお姉さんに戻り、チャットルームを去って行ったのである。四歳も年上の女性なのだから、当然と言えばそれまでなのだろう。しかしそれでも、
 ――お世話になりっぱなしですみません
 三限終了のチャイムのあいだ中、僕はチャット画面に手を合わせていた。
 続く休憩時間は何も起きなかった。トイレに行き戻って来て心身を休めるだけで、二十組を構成する四十二人全員が休憩時間を消費したのである。僕らは満を持し、四限に開催される「後期委員選出HR」に臨んだのだった。

 後期初日となる今日、後期委員を選出するための臨時HRを四限に開くことは、湖校の全学年に共通する行事だった。けど僕ら二年生に限っては、事情が大いに異なった。北斗ファンクラブと真山ファンクラブの子たちが行った、前期後期委員牛耳り作戦のツケを、払わねばならなかったのである。
 幸い二十組は、一カ月前の夏休み明けに暫定合意を得ていた事もあり、比較的スムーズなHRになると予想されていた。とはいえ一か月も前の話であることと、暫定合意でしかなかったことを忘れてはならない。クリスマス委員とプレゼン委員の申請予定人数から、前期委員がそのまま後期委員になれる算段を付けたものの、あれから一カ月が過ぎた今もそれが通るなどと、楽観してはならないのである。そしてそれは、まさしく的を射た見通しだったらしい。四限開始のチャイムが鳴り、二十組の前期委員代表を務める東條さんが教壇に現れるや、張り詰めた空気が教室を覆ったのだ。その空気に、僕はある覚悟をせねばならなかった。それは「文化祭委員と小池と遠山さんの十二人で立てた計画を、捨てざるを得ない可能性もある」との覚悟だった。それを裏付けるが如く、
「後期委員選出臨時HRを、開始します」
 チャイムが鳴り終わると同時に耳に届いた東條さんの声には、感情を押さえつける人特有の硬さが如実に現れていた。仮にそれが、糾弾の場に再び立つ恐怖を抑え込むための硬さだったならば、どんな事をしてでも東條さんを守ってみせよう。僕は左右の拳を握りしめ、胸の中でそう誓った。のだけど、
「その前に、前期委員二十組代表の権限を行使することを宣言します。文化祭実行委員と小池君と遠山さんの、十二人!」
 正直、呆然とするしかなかった。東條さんの言葉が、想定外すぎたのである。その虚を突き、東條さんはあろうことか僕をビシッと指さす。そして訳がわからず慌てる僕に、怒気も露わにこう命令した。
「自分達だけで楽しまず、私達もまぜなさい!!」
「ヒエエッ、ごめんなさい~~ッッ!!」
 僕は己が技術の粋を尽くし、椅子に座った状態で行う土下座を、ひたすら繰り返さなければならなかったのだった。

 それからの五十分は、僕の十四年の人生における、予想が最も外れた五十分だった。糾弾される者と予想していたのは東條さんを始めとする前期委員だったが、実際に糾弾されたのは僕を始めとする文化祭委員だったし、後期委員の選出は荒れると思っていたのに、実際は代表決定も含めて三十秒とかからず終わってしまったからである。その怒涛の五十分は、
「待ってくれ、眠留には情状酌量の余地が充分あるんだ、みんな聞いてくれ」
 僕を擁護する智樹の挙手から始まった。まあこの、僕が二十組で窮地に陥ったら智樹が真っ先に行動を起こしてくれる事だけは、今回に限らず前々から分かっていた事なんだけどね。それはさて置き、
「福井君の発言を認めます」
 東條さんの許可を得た智樹は、土下座する僕に目をやり鋭く頷いた。そして、
「事の発端は、千家先生への感謝の気持ちだったんだ」
 実技棟のトイレで僕が行った三段構えの事情説明を丁寧かつ情熱的になぞり、智樹は僕を減刑すべく皆に語りかけていった。
 智樹はこれまで、持って生まれた本来の能力を周囲に正しく認識してもらえないという、薄幸の人生を送ってきた。いや正確には、自分の能力を低く見積もる性格的傾向を、智樹は持っていると言うべきなのだろう。周囲が智樹を低く見積もるのではなく、智樹自身が自分を低く認識していて、それが呪いのごとく智樹の行動に制限をかけるという、厄介な状況に陥っていたのだ。それは、宗教に洗脳された両親が智樹に植え付けた、負の遺産なのだと僕は考えている。
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