僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十一章

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 そんな感じで前置きが長くなったが、今現在。
「真田さん、杠葉さん、ようこそお出でくださいました。ご案内します」
 一点の曇りもない祝福の心でそう挨拶した僕に、お二人も一点の曇りもない笑顔を返してくれた。お二人をそれぞれの更衣室へ招き、新郎新婦の写真を撮る準備に入る。写真撮影時に最も重要なのは、リラックスしている事。ウエットティッシュでさっぱりしてもらい、氷水の用意がある旨を伝えると、真田さんは「助かる」と顔をほころばせた。対して僕は見落としに気づき、心の中で「しまった」と叫んだ。六年生校舎から二年生の校門まで歩いてきて、鋼さんと岬さんに無我夢中で拍手したとくれば、喉が渇いて当然。しかもそれは、六年生のお客様全員に共通する事だったのである。との気づきを、僕ら男子スタッフ三人は同時に得た。不測の事態に対応する一人が残り二人にくっきり頷き、お店を静かに出てゆく。新郎担当スタッフの必須最小人数は二人なので、「食堂に赴き追加の氷水を速やかに持って来る」という突発的仕事は、僕ら男子の役目だったのだ。そのための意思疎通を、目配せのみで成せるなんて、二十組はなんて素晴らしいクラスなのか。僕は心を浮き立たせ、グラスとピッチャーの乗ったカートを真田さんの元に運んだ。そんな僕へ、
「どうした眠留、やけに嬉しそうだな」
 氷水を美味しそうに飲みつつ真田さんが問いかけた。時間稼ぎの必要性を忘れて僕は純粋な喜びを胸に、たった今成した男子スタッフ三人の連携について説明した。真田さんは大層感心し、三人の連携を褒めそやした。真田さんがインハイで、
 ―― 連携は基礎中の基礎であると共に、奥義でもある
 と語ったことを知らぬ男子生徒など、湖校にいやしない。同僚は顔をくしゃくしゃにして喜び、更衣室に和やかな空気が広がる。お客様なのに、僕ら店舗スタッフの緊張を和らげてくれるこの方は、なんて偉大な先輩なのだろう。僕らはもてなしの心に益々磨きをかけ、真田さんを接客した。
 とはいうものの、新郎担当スタッフの仕事量は新婦担当スタッフの仕事量の、半分しかない。かつ杠葉さん以上に、「準備時間は美人ほど短い」が強く作用する女性もそういないだろう。氷水を飲み談笑したこともあり、燕尾服の色と背景画像を確認するや、新婦の準備が整ったとの表示が壁に映し出された。新郎新婦になる六年の先輩方には、昨日までの接客の時間配分が、通用しないかもしれない。頭の隅でそう考えながら、新郎を所定の場所へ案内した。
 真田さんの選んだ燕尾服の色は、太陽を想起させる黄色味がかった白。背景画像は、長野の高原だった。この二つには杠葉さんの希望が反映しており、「高校総体決勝の徹が目に焼き付いて離れないの」との事だそうだ。服の色と背景の確認のさい、時間稼ぎの大義名分を掲げてこれをネタにするつもりだったけど、それは叶わなかった。う~ん、惜しい事をしたなあ。
 なんてあれこれ考える余裕があったのは、真田さんが非常に落ち着いていたからだ。さすがと言えばそれまでだが、鋼さんも真田さん同様、とても落ち着いていた。ひょっとすると、正式な婚約を済ませた新郎の胸には、僕如きには窺い知れない何かが芽生えるのかもしれない。いずれにせよ、新郎が心の平穏を保っているのは喜ばしい事。新郎新婦の対面の様子は、二年生校舎の十カ所近くでライブ上映されているからね。
 所定の位置に着き、壁に映る自分の映像を一瞥した真田さんが、僕に顔を向け頷いた。この仕草も鋼さんとピッタリ重なり、僕は安心して指を鳴らす。結婚式の定番曲が流れ、壁が光の粒となって消えてゆく。ほどなく、アルプスの山々に囲まれた高原が現れ、そしてそこに、冠を抱いた純白の妖精姫が降臨した。半ば伏せた瞼を開き、妖精姫が真田さんを見つめる。真田さんは雄々しく歩を進め、世界を優しく包むような、深く豊かな声で請うた。
「琴乃、俺と共に生きてくれ」
「はい、あなた」
 最大出力の相殺音壁でも消しきれない地響きのような歓声が、二年生校舎に轟いたのだった。

 後に聞いたところによると、俺と共に生きてくれという科白は、完全な無意識下で発せられたと言う。無意識状態になったのは杠葉さんのウエディングドレス姿を捉えた瞬間だったらしく、「背景担当の眠留の級友には悪いが、ウエディングドレス姿の琴乃以外は一切目に入らなかった」と真田さんは申し訳なさげに話していた。背景はフリー画像を使ったことを伝えると真田さんは胸をなでおろし、そして杠葉さんと一緒に改めてお礼を言ってくれた。白状すると、僕はその返礼ができなかった。妖精姫のままの杠葉さんに、意識を持っていかれてしまったのである。幸いそれは僕に限った現象ではなく、咲耶さんによると、数十人の男子が同じ状態に陥ったそうだ。またそれは杠葉さんに限った現象でもなく、新婦になった六年生の先輩方全員が新郎新婦対面時に神秘的な美を纏い、そしてその美しさを一時間近く保持していたと咲耶さんは語っていた。水晶や武蔵野姫を始めとする超常の方々が関わっているような気が、何となくした。
 それは帰宅後に訊くとして、ウエディングドレスを着た先輩方が神秘的な美しさに包まれたことは、ギャラリーを大いに盛り上げた。十時十分に僕のシフトが終わったときも渡り廊下は沸き立っており、それに釣られて写真撮影を終えた先輩方も自然とそこに残り、同級生達を祝福していた。お陰で真田さんと妖精姫に、もとい杠葉さんにご挨拶できたのだから、やはり水晶に事の真相を尋ねておかねばなるまいな!
 お二人に暇乞いをし、二年八組へ足を向ける。輝夜さんと一緒に校舎横断ウルトラクイズに参加する約束をしているのだ。ウルトラクイズの所要時間は四十分らしいが、校舎の端々に隠された中継ポイントを探しながらクイズを解いてゆく形式なので、真山ライブと重なっても支障は出ない。制限時間も無いから、中継ポイントの探索中にクラス展示を満喫することも出来る。その自由さが当たり、予想の五割増しの参加人数になりそうだと、猛は昨日ほくほく顔で話していた。良かったな、猛!
 そうこうするうち、いつもの五倍の時間を消費して二年八組に着いた。渡り廊下の正面にある八組へは普段なら十秒ちょいしか掛からないが、廊下にひしめくギャラリーの皆さんに声を沢山かけて頂いたため、五倍の時間を要したのである。ただ五倍と言っても一分未満なので輝夜さんを待たせなかったはずだし、かけて頂いたのも「写真館の企画イイね!」「白薔薇姫や先輩方に代わってお礼を言わせてくれ」「来年もぜひしてね!」系のお褒めの言葉ばかりだったとくれば、目頭が熱くなるというもの。おでこの汗を拭く振りをして顔の上半分をハンカチでぬぐい、窓ガラスを利用し蝶ネクタイを整えて、目頭の熱の放出にしばし努めた。準備万端整い、お客様の邪魔にならないタイミングを計って、輝夜さんのクラスの出入口前に立つ。その途端、
「白銀さ~ん、旦那さんが迎えに来たよ。仕事あがって~~!」
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