僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十一章

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 麗男子コンテストは、五票以上の獲得者を実名公開している。コンテストが初めて企画された時は一票でもゲットすれば公開する案もあったらしいが、「一票も得られなかった男子」を守るべく一票は廃案になり、また二票も「彼氏に投票した女が私以外にもう一人いる!」との戦慄すべき事態を避けるため廃案になったと伝えられている。五票になった理由にも彼女の意見が反映されていて、三票は「自分一人に相手二人は分が悪い」であり、四票は「向こうが三人だと仲間割れして一人はこっちに付きそうだけど、二対二というのも彼女として面白くない」との事だそうだ。しかし五票以上になると、「好きな人が人気者なのは彼女として誇らしい」系に想いが変化するそうだから、女心は不思議である。まあ男子の本音は不思議ではなく、
 ――女心は恐ろしい、
 なんだけどね。
 みたいな感じに落ち着いて考えられるようになったのは、皆とのメールを粗方済ませた午後八時五十分になった頃だった。一説によると、僕が毎晩九時に寝ているのを知らない二年生は、一人もいないと言う。恥ずかしいやら助かるやらだがやはり一番は、嬉しいなあ、で間違いなかった。
 就寝十分前にメールや電話を終らせるのが日常化していた事もあり、この十分の過ごし方にも大まかな傾向が生じていた。疲れていればすぐ寝て、そうでないなら一日をのんびり振り返るのが、ゆるい日常になっていたのである。なぜゆるいかと言うと、疲れていても気になる事があれば、それをくよくよ考えてしまう癖が僕にはあるからだ。これは僕の生まれ持っての性格なため、一生治らないのだろう。
 という訳で今夜も癖を発動させ、麗男子コンテストの九票について考え始めた。だが幾ら試みても二票目の推測で躓き、その先へ進むことができない。思いあぐねた僕は身を起こし、枕もとに置いていたハイ子を手に取って、ベッドの上に正座した。
「ミーサ、少しいいかな」
「少しならいいですよ、お兄ちゃん」
 ミーサが布団の上に正座して現れた。美鈴がプレゼントした、淡い赤色のふわふわサスペンダースカートを履いていても、「少しならいい」と大人の気遣いができる下の妹に応えるべく、僕はすぐさま切り出した。
「昴が帰りがけ、去年と今年のコンテストについて教えてくれた。去年は僕に投票したら五票を超える可能性が高かったから、しなかった。今年は自分が投票しなくても五票超えは確実だったこともあり、やはりしなかった。明言しなかったけど、昴は今年、北斗に投票したのだと思う。それは置くとして、去年の時点で五票になるってことは・・・」
 僕は俯き、ミーサから目を反らした。それでも僕を信頼し何も言わない妹へ、兄として無様な姿は見せられない。僕は攣るほど拳を握りしめ、言った。
「昴が僕に票を投じたら、輝夜さん、那須さん、白鳥さん、新里さんで、五票になるって事かな?」
 意識せぬよう、懸命に努めてきた。
 僕を好きになってくれても、僕はそれに決して応えられないのだから、那須さんと白鳥さんと新里さんの気持ちを、僕は必死で意識しないようにしてきた。
 それは卑怯だと心の奥底で解っていても、僕にはそれしか出来なかったのである。
「お兄ちゃんは、輝夜さんを好きになったことを心の中で認めるのにも、一か月近くかかっていましたよね。そんなお兄ちゃんをずっと見てきたから、お兄ちゃんを酷いだなんて私は思わない。まずはそれを、安心してね」
 こうも優しいミーサに、無様な姿は見せられないとの決意がみるみる固まってゆく。僕は姿勢を改め、顔を上げた。
「新里さんは僕に一度だけ、バレンタインチョコをくれた三人の女子の代表だって、恥ずかしそうに言ったことがある。女子は、男子には想像できない女子だけの社会を築いているから、輝夜さんと昴は去年の文化祭の時点で、新里さんと面識があったって事かな?」
「はい、ありました。お兄ちゃんがそれを尋ねてきたら真相を話す許可を、私は輝夜さんと昴さんに頂いています。骨の髄から知っていると思いますが、女は怖いってことを、絶対に忘れないでくださいね」
 みるみる固まっていたはずの決意が、打って変わって崩壊してゆく。霧散してしまう前に、僕は息せき切って尋ねた。
「輝夜さん、那須さん、白鳥さん、そこに新里さんたち三人が加わると、計六人になる。つまり残り三人が、兄ちゃんには判らないんだ。家庭料理教室で友達になった二人の女の子も、大和さんたち女子剣道部の三人も、僕に投票してくれた三人じゃないって感じるんだけど、どうかな?」
 ミーサは大きく息を吐くも、嘘ではない笑みを浮かべた。
「お兄ちゃんの直感は当たっています。ただ私が答えられるのは、法律的にも心情的にも時間的にも、これが限度ですね」
 大きく息を吐き嘘ではない笑みを浮かべたのは、今度は僕の方だった。崩壊しかけていた決意も、どうにか持ち堪えてくれたようだ。僕は表情を改めて、ミーサの手を握った。
「ミーサのお陰で気持ちよく眠れそうだ。ミーサ、いろいろ教えてくれてありがとう」
 これは僕の本心であり、ミーサも喜んでくれると思っていたのに、結果は全然違った。ミーサは、困惑顔になったのである。混乱した僕をよそに、ミーサは握られた手を目の高さまで持ってきて、手首を右に曲げたり左に捻ったりしている。ミーサの困惑顔は深刻さを益々増し、僕の混乱は天井知らずで増加していったのだけど、
「うん、私はお兄ちゃんの、妹ですね」
 至極普通なのか場違いの極致なのか定かでないことを言い、ミーサは天真爛漫に笑った。そして手を膝に戻し、呆然とするしかない僕にきつく言い渡した。
「虚像の手しか持たないことを忘れさせてくれるお兄ちゃんに手を握ってもらっても、私はエイミィとは異なり、恋心を抱きませんでした。私は妹だからいいけど、少女型AIの手を軽々しく握ってはいけませんからね、お兄ちゃん!」
 わかったよ、とゴニョゴニョ返事をするダメ兄にころころ笑い、ミーサは最後に、超大型爆弾を投下した。
「虚像の手を忘れさせてくれた、お礼をするね。麗男子コンテストのお兄ちゃんの票数は加速度的に増えていくから、早く覚悟を決めるんだよ」
「ちょっ、ちょっと待って。加速度? 覚悟? それに、決めるって何を??」
「じゃあ、お休み~~」
「待った、待って待ってミーサ、お願いだから消えないで~~!!」
 懇願虚しく、ミーサは光の粒になって消えてゆく。
 これが僕の、二年生文化祭における、最後のイベントとなったのだった。
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