僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十二章

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 三人娘が声を出さず、一斉にキャーッとはしゃいだ。大切かつ驚愕すべき事なので繰り返すが、三人娘は声を出すことなく、極々自然にキャアキャアはしゃいでみせたのである。しかもそれを二秒足らずで止め、粛々と腰を折ったものだから、娘達が顔を上げる頃には、水晶は厳格さの欠片もない好々爺になっていた。わざとらしくコホンと咳をし、しかしわざとらしい厳格顔はもう止めて、水晶は話を続ける。
「翔家の血筋にない者が初めて翔人になる平均年数は、約二年。今回初めて翔人を目指す七ッ星北斗は、その二年を縮める要素と延ばす要素の両方を持っておる。縮める要素は、銃弾の軌道を自在に操る銃翔人となる可能性が高い事。この場合、武器の習得年数が短くなるのは、米国で魔想討伐を担う者達が実証済みじゃ。対して訓練期間を延ばす要素は、理論家である事。理論家ほど翔化にてこずる傾向があり、そして北斗は齢八百六十余年の儂すら初めて見る、極めつけの理論家なのじゃ。翔化できぬ苦悩は、北斗の健康を害するやもしれん。輝夜、美鈴。昴をくれぐれも頼むぞ」
「「かしこまりました」」
 輝夜さんと美鈴はそう即答し、かつそれを即実践した。水晶すら初めて見る理論家と北斗が評されるや、昴は正座を保つのが精一杯になっていたのだ。昴が中心になるよう座る位置をすぐさま替えた輝夜さんと美鈴に、心の中で「僕からもお願い」と頼み、顔を水晶へ戻す。すると不意に、ある可能性が脳裏をよぎった。
『この一年と四か月、昴が僕と二人だけにならぬよう心掛けてきたのは、北斗の件で昴がとことん参っても、「私には輝夜と美鈴ちゃんがいるから北斗をお願い」と、昴は僕にメッセージを送っていたのではないだろうか』
 いいや、と僕は頭を振り、言葉を濁すのを止める覚悟をして考察を再開した。
『北斗の苦悩は昴の恋心を目覚めさせる契機なのに、僕が昴に関わるとその邪魔をしてしまうのではないか。僕がそれに気づきやすい状況を昴は一年以上かけて構築し、またその日々は、昴のいない生活に僕が慣れるための準備期間でもあったのではないか』
 と、ここまで考察した僕の心に多層結晶化した記憶が飛来し、複数の前世における昴との別れを蘇らせていった。 
『江戸時代以前は十代半ばで他家へ嫁ぐのが珍しくなく、また一度嫁いだら親の葬式級の重大事でない限り再会は叶わなかった。よって十歳前後でしかない僕は昴がお嫁に行くたび、この世の終わりの如く落ち込んでいた』
 という複数の前世の光景を、多層結晶記憶が蘇らせたお陰で、正解にたどり着くことが出来た。
『この世の終わりの如く僕が落ち込んでいたのを、昴は僕より早く思い出していたから、その対策も兼ね、ダメ弟が独り立ちしやすいよう心を砕いてくれたんだ』
 僕は瞑目し、胸の中でたった一言伝える。
 ―― 任せろ昴
 頼もしく応えた僕の成長ぶりを、四千年分の昴が褒めてくれたような、そんな気がした。

 昴が落ち着くのを待ち水晶は話を再開したが、北斗と黒核の関係については、「黒核は人が創造し得るものではない」との説明のみに留めた。そして最後に、この場で話したことはくれぐれも他言無用と念押しして、他の十一匹の精霊猫と共に元の次元へ戻って行った。
 それ以降は、祖父母と簡単な打ち合わせをした。
「部活後そのまま北斗の家に行って、色々話してから神社に連れてこようと思っているんだけど、いいかな?」
「それで構わない。眠留、頼んだぞ」
「北斗君も夕ご飯を共にするでしょうから、お菓子はほどほどにするのですよ」 
 翔家翔人の秘密が北斗にバレた事。
 かつ北斗が、翔人を目指す事。
 この双方を、祖父母は前々から確信していたのだと手に取るように解った僕は、とめどなく湧きいずる感謝の気持ちの発散方法を見つけられず、少なからず困ったのだった。

 幸いその発散方法は、新忍道部の部室を訪れたとたん判明した。京馬が大興奮で教えてくれたところによると、颯太君が新忍道部の合宿に参加することへ、教育AIが許可を出したそうなのである。本来それはかなり難しいことなのだけど、湖校新忍道部と出会った去年の夏以降の颯太君の成長が目覚ましかったため、特例として認められたとの事だった。喜びのあまり僕は思わず飛び上がり、待ってましたと北斗と京馬と一年生トリオもそれに加わり、そしてそれは瞬く間に、滞空時間を競う勝負へと替わった。宙に浮いている時間の長さはそのまま、颯太君が合宿に加わる喜びと教育AIへの感謝を表しているように感じた僕らは、負けん気も手伝い、先輩方に叱られるまでおバカな垂直跳び競争を繰り広げてしまったのである。先輩方スミマセン、反省してます。
 そんなこんながあったので、部活直前のイメトレの時間になってようやく、北斗との今朝の出来事を僕は思い出した。イメトレに励んでいる振りをしつつ、さっきの垂直跳び競争の光景を脳裏に呼び覚ましてみる。表情やジャンプの様子に、北斗が深刻な何かを抱えている気配は感じられなかった。けど人の心は、他者には分からぬもの。気持ちの切り替えの巧さに定評のある北斗とは言え、あの出来事から三時間ちょっとしか経過していないと来れば、さり気なく注意を払うに越したことは無いだろう。しかしアイツのことだから僕の企みをたちまち察知し、対策を施してしまうかもしれない。よって僕は北斗ではなく京馬に、「気づいたことがあったら何でも言ってね」と心の中で語り掛けた。京馬はこういうの、超人級に敏感だからね。
 そしてそれは、どうやら正しかったらしい。部活が始まってすぐ、
「おい北斗、何かいいことあったみたいだな。京馬様に暴露しやがれ!」
 と、京馬が嬉しくて仕方ない声で北斗を脅したのである。準備運動の最中であることを掲げて北斗は誤魔化そうとするも、部長の黛さんに、
「北斗の動作に普段以上のキレがあると、俺も感じていた。良かったな、北斗」
 そう背中を叩かれたら白旗を上げるしかなかった。
「子細は話せませんが、胸の中にある嬉しさを新忍道への熱意に換えて、部活に励みます!」
 なんて可愛い宣言を、北斗はしたのである。すかさず僕らは北斗を揉みくちゃにし、そしてそのせいで、
「部長まで何してるんですか! さっさと準備運動を再開してください!!」
 黛さんを始めとする男子十二人は、三枝木さんにこっぴどく叱られてしまった。まあ三枝木さんも怒っている演技をしてただけだったし、その後はいつも以上に心を一つにしてみんな部活に励んでいたから、全然いいんだけどね。
 そうこうするうちモンスターとの実戦訓練も終わり、整理体操の時間になった。整理体操は体をほぐすだけでなく、モンスターとの戦闘で緊張しきった神経をほぐす目的もあると、湖校新忍道部では定義している。賛同できるその定義になるべく沿うよう努力しているが、神経をほぐすと心もほぐれ、それが油断を生み、恥ずかしい想いをした事がこれまで数回あった。だから僕にとって最後の整理体操は、神経をゆるめつつ心を引き締める訓練でもあり、最近それにようやく長けてきたと考えていたのだけど、今日は失敗した。
「あっ!」
 皆が心身をほぐしている最中、あることに思い至った僕は、大声を上げてしまったのである。失礼しましたと赤面して述べた僕へ、黛さんが優しく語りかけた。
「眠留、だいたい想像つくよ。お弁当を食べながら話してくれるかな」
「了解しました、部長」
 頭を下げながら僕はしみじみ思った。「黛さんは近ごろ、急速に頼もしくなっている。真田さんと荒海さんが卒業して、いろいろ思うところがあるのかな。無理してなければいいんだけどなあ」と。
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