僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十二章

合宿場所変更、1

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 その後、三つの質問をして七ッ星家を辞した。一つ目の質問は、僕のハンドサインを北斗が見た仕組みについて。僕は500メートル離れた場所で九百圧を解いてから、「僕が見えるの?」のハンドサインをした。にもかかわらず北斗はそれをあっさり見て取り、適切なハンドサインを返してきた。その仕組みを、知っておきたかったのである。が、
「勘だ!」
 北斗は自信満々にそう答えてふんぞり返りやがった。カチンと来たので腹癒せに捨てられた子犬の眼差しを向けると、北斗にしては歯切れ悪く、こんな話をした。
「勘なのは嘘ではない。ただ眠留が地上に降りて来る最中、あの勘をなぜああも信じられたのかと、自問せずにはいられなかったのは事実だな」
 その自問へある程度の答を北斗は既に得ていると僕の勘が断言していたが、今は追及せず、二つ目の問いを放った。
「僕はいいとして、地上に降りて来たのが末吉だって分かった理由は?」
「それについては不思議などなにも無いぞ。眠留の背格好に合致した淡い光の隣に、末吉の背格好と動作にピッタリ合致した淡い光があって、語尾に『にゃ』を付けて話しかけて来たのだから、間違うわけ無いだろ」
 確かに間違うわけ無いと納得した僕はいたずら心が芽生え、小吉や中吉や大吉だったらどんな動作になっていたかを訊いてみた。すると「小吉は気品があり、中吉は気品に気っ風が加わり、大吉は更に威厳が上乗せされる」と、北斗はさらさら答えた。その的確さに、北斗が四匹の猫と結んだ絆の深さを知れた気がして、僕は満面の笑みで最後の質問をした。
「今日の午後に予定はあるかな? 話したいことが色々あるんだよね」
「予定はない、部活後にこの部屋で話そう。あと、末吉の好物を教えてくれ。部活から帰って来るまでに、用意できればいいんだが」
 部活後に末吉を加えた三人で語り合うのは、北斗の中で確定事項になっているらしい。僕は喜んで末吉の好物を伝えて、七ッ星家を後にした。

 自室に戻り、翔体を肉体に重ねる。翔体での戦闘経験が肉体に馴染むのを待ち、上体を起き上がらせる。数秒待っても水晶の現れる兆候が掛け布団の上に生じなかったので、僕はベッドを降り、対魔邸訓練用の服装に着替えて部屋を後にした。
 時刻は午前五時半。僕は北斗の部屋で一時間近く過ごしていたようだ。この時間から普段どおりの稽古をしたら睡眠時間は三十分がせいぜいだろうが、熟睡術を駆使すれば屁でもない。準備運動をしつつ、僕は道場を目指した。
 道場での訓練は、いつもと全く変わらず始まった。水晶を始めとする十二匹の精霊猫が現れても、北斗にバレてしまった事やあの特殊な悲想について何も訊かれなかったのだ。なればこそ命懸けで訓練に臨んでみせようと、僕は極限まで気を引き締めて猫丸を構えた。
 それが活きた。
 5メートル前方に例の特殊悲想が出現したのを感覚体が知覚するや、霞が消えて中心核がむき出しになり、そしてその中心から、
 シュバッッ!!
 直径1ミリの黒核が凄まじい速度でこちらに向かって来たのである。霞が消えると同時に発動していた九百圧でもって、渾身の稲穂斬りを黒核に浴びせる。しかし、まあ予想していたように黒核を両断しても、何とも表現しえないあの「にゅら・・・」の感触は猫丸に伝わってこなかった。精霊猫が作った疑似魔想だから、当然と言えばそれまでなんだけどね。
 という、心の片隅で行っていた思考とは別の思考を心の別の隅に形成し、それに生命力回復を任せて周囲を警戒する。それが活き、それから三度みたび襲って来た黒核を、僕は両断することに成功した。まずは左、続いて後方、最後に床の下から襲ってきた黒核に稲穂斬りを振るい、その都度生命力を回復し、そして疲労を押さえるための追加生命力を心身の隅々に行き渡らせたところで、
「訓練休止」
 水晶の声が道場に響いた。僕は猫丸を鞘に納め、一つ深呼吸する。その様子を、福神様の面持ちで見守っていた水晶が道場の入口へ顔を向け、「全員入っておいで」と声を掛けた。祖父母と三人娘と四匹の翔猫が入り口をまたいだ事に、皆の気配を欠片も知覚できなかった自分を、僕は大いに恥じたのだった。

 水晶はその後、全員が床に座るのを待ってから、黒核についての説明を始めた。驚愕のあまりポカンと開いてしまいそうになる口を閉じておくことに大層苦労したけど、僕が勝手に呼んでいた黒核という名は、どうやら正式名称だったようだ。それどころか、
「眠留よ、そなたは黒核へ、非常に穿った表現をしておったの。それをここで言ってごらん」
 福神様を絶賛継続中の水晶に、そう促されたのである。穿った表現に推測は一応付けられたが確証を得るまでの時間稼ぎを兼ね、口元を両手でゴシゴシこすって僕は応えた。
「僕は黒核へ、万物の逆位相という印象を抱きました」
「うむ、まこと的を射た表現じゃ。早急に伊勢総本家へ赴き、儂ら陽晶も現代科学を学ぶ必要性を、議論せねばならぬの」
 可決されたら儂は八百六十余歳の新一年生になるのじゃの、と笑いを取り場を和ませてから、水晶は魔想討伐への概念を一新する話を始めた。
 それによると翔人は魔想を、本当の意味で葬ることは不可能なのだと言う。白状すると僕はそれへ、徒労という言葉を連想したのだけど、
「肉体を失った人が、赤子へ転生するのと同じじゃな」
 水晶がそう続けたため徒労という言葉を蹴飛ばすことができた。水晶が息継ぎする僅かな時間を使い、僕は願った。転生することで闇属性の独立意識生命体が、ほんの少しでも光属性に近づいて行けますように、と。
 そしてそれは、あながち間違っていなかったらしい。人は転生に際し、僅かとはいえ自動的に浄化してもらえるそうなのである。その仕組みを宇宙に設けた創造主へ、水晶が息継ぎする時間を使い、僕は感謝の祈りをささげた。それが終わると同時に、
「儂がこれから話すことは、儂の許可があるまで他言無用を命ずる。良いかの」
 水晶は福神顔を急遽止め、厳格な面持ちになった。僕らは一斉に、他言無用を約束する。頷いた水晶は空中に、神社の台所で皆と食事する北斗を映し出し、この道場にいる者達と北斗の違いを明かした。
「今この道場にいる翔人及び翔猫は前世も翔人及び翔猫であったか、もしくは創造主の意思を助ける者として、翔人及び翔猫と同種の働きを前世でも行っていた。眠留と末吉は大層驚いているようじゃが、そなたらも今の話に、含まれているからの」
 僕と末吉は、額を床にただただこすり付けた。その後頭部に水晶の哄笑が降り注ぎ、二人揃っておそるおそる頭を上げる。僕ら四つの瞳に、厳格顔を僅かに緩めた水晶が映った。
「猫将軍家に連なる翔人の岬静香は、二つ前の前世で初めて翔人となった。一つ前の前世も翔人となり、それらの記憶が心の奥底にあった故、この神社に通うことなく一年で翔人になれたのじゃ。前世もその前もあの子はたいそうな頑張り屋で、また長寿にも恵まれ、百余歳まで魔想討伐を行っていた。ここだけの秘密じゃが、前世の静は狼嵐家の翔人での。狼嵐鋼との縁はその時に生まれ、あの二人は前世でも、仲の良い夫婦じゃったのう」
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