僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十二章

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「オラア颯太、どんどん食え!」
 八宝菜やら肉団子やらを取り皿にどんどんつぎ、手元にずらりと並べていった。颯太君は涙をぬぐい笑顔になって、料理をがっついてゆく。おそらくだけど、二人の兄に可愛がられて育った京馬は自分がそうしてもらったように、弟分を可愛がりたいと思っているのだろう。それがいかにも京馬らしくて、
「優しくて気の回るお前の長所を、翔子姉さんに見てもらえてよかったな」
 僕はそう耳打ちした。そのとたん京馬は時間が止まったように硬直し、と思いきや、目だけを翔子姉さんの方へゆっくり向けていった。そして二人の視線が合ったタイミングで、翔子姉さんが女神様顔負けの笑みを零す。僕はそのとき生まれて初めて、僕以外の誰かが失神しかけるのを、この目でとくと見たのだった。
 なんて一幕の最中も、食欲魔人たちは絶品料理を嵐のごとく食べまくっていた。そして気づくと、二年生トリオ以外の男子新忍道部員達は、膨らみ切ったお腹を抱えて床に転がっていた。昴の料理に慣れている僕と北斗と京馬はペース配分が可能でも、皆には無理だったのである。その旨を黛さんに伝えると、黛さんは苦しげにお腹を抱えて床に座り、
「明日から始まる合宿の重要事項に、食事のペース配分を加えるように」
 皆へそう命じた。返事をするのが精一杯の皆に、一年生の夏休みに初めて開いた夕食会の記憶が蘇ってくる。北斗と京馬も、きっと同じだったのだろう。
「さて、片付けを始めますか」「だな」「了解だぜ」
 あの日から磨いてきた連携プレーを普段以上に発揮し、僕ら二年生トリオは食器類を手際よく洗ってゆく。
 それが何とも、僕は嬉しかった。

 お腹を抱えて床に転がるしかない状態になっても、食べ盛りは消化盛りでもある。十五分もすると皆の顔から苦痛が消え、更に十五分が過ぎると、みんな床に座れるようになっていた。その後の三十分を食休みを兼ねた歓談に充て、そして祖父母と料理を作ってくれた女性達に腰を直角に折ってから、皆はそれぞれの場所へ帰って行った。
 続いて翔子姉さんが帰宅し、輝夜さんと昴も帰り支度を始めると、渚さんが寂しそうな顔をした。輝夜さんと昴は、今夜は無理だけど渚さんがいるうちに必ず泊まりに来ることを約束する。このとき初めてある可能性に気づいた僕は、
「颯太、風呂に入ろう」
 瞳を湿らす豆柴を風呂に誘った。何気にこれは、僕がこの後輩の名前を呼び捨てにした初めての瞬間であり、小笠原姉弟はそれを非常に喜んでくれた。それを機に渚さんは寂しそうな気配を収め、僕は輝夜さんと昴からお褒めの言葉を賜わる事になった。台所の豆柴が二匹に増えたのは言うまでもない。渚さんは一層明るくなり、これならもう大丈夫と安心した僕と颯太は、連れ立って母屋の風呂場へ向かった。

 今夜は久しぶりに、母屋の浴槽にお湯を張った。小離れの風呂は小笠原姉弟が旅の疲れを癒すには狭く、中離れは適度な広さでも、翔人専用風呂なので使わせてあげられない。かといって大離れでは大きすぎるとの理由により、母屋の風呂が正月以来の登場となったのである。機械は使わない期間が長いと故障しやすくなるから、丁度良かったのだろう。
 風呂と言うものは同性でも最初は多少の恥ずかしさを覚えるものなのだが、颯太にはそれがまったく見られなかった。不思議に思い考察したところ、残念脳味噌にしては解答がすぐやって来た。ただ残念さはぬぐい切れず、
「ああそう言えば、颯太の旅館には温泉があったな」
 脳裏に浮かんだ解答を僕はそのまま口にしてしまった。けどそれを、
「眠留さん、話のきっかけを作ってくださり、ありがとうございます」
 僕を過大評価しているこの豆柴は、良い方に解釈したらしい。ちなみに颯太も湯船に並んで浸かっているうち、僕を名前で呼ぶようになった。う~む、裸の付き合いって偉大だなあ。
 颯太によると、旅館を合宿の宿泊所にした体育会系男子達と一緒に、颯太は小さい頃から温泉に入っていたと言う。ちっこい自分とは何もかも違う筋骨隆々の男達が、しかしひとたび湯船に浸かると自分を子供扱いせず、対等な男として話を聴いてくれることが、颯太は嬉しかったそうだ。
 よって当然の結果として、颯太は中学生になったら体育会系部活に入り、あの男達の一員になることを夢見るようになった。家族もそれに賛同し、特に渚さんの賛同振りは凄かったと言う。小学六年生だった渚さんは中学校へ単独赴き、教師たちに直談判して、姉弟そろって部活を見学できるよう取り計らってくれたらしいのだ。「姉ちゃんはあの時すでに」 颯太はそこで言葉を切り、お風呂のお湯で顔をバシャバシャ洗ってから、話を再開した。
 渚さんと一緒に訪れた中学校の部活は、颯太を失望させた。小学三年生という年齢もあり、どこにどう失望したのかを言語化することはできなかったが、渚さんは「私も同じだから安心しなさい」と、颯太の頭を撫でたそうだ。
 地元の小学校で歴代一の美少女兼才女として名高かった渚さんは、長野の研究学校の教育AIにメールを送り、部活見学の許可をもらってくれた。それは颯太の目の前で成され、教育AIとのやり取りを終えた渚さんは颯太に向き直り、「中学校の教師より遥かに心地よかった」と笑みを浮かべたらしい。その時の姉の笑顔を、颯太は昨日のことのように覚えていると言う。
 姉と一緒に訪れた研究学校の部活は、颯太を喜ばせた。また研究学校の部活風景は、中学校の部活に失望した理由も教えてくれたそうだ。颯太は遠い目をして、独り言のように呟いた。
「僕が憧れたのは皆でお風呂に入っている最中の、分け隔てない雰囲気でした。中学校の部活にはそれが無く、あったのは厳格な上下関係だけでした。でも研究学校の部活には、憧れていたそれがありました。それは、姉ちゃんと僕の関係に似ていました。姉ちゃんは完璧な人ですからいつも僕の上にいましたが、姉ちゃんは僕を見下したことがありません。三歳年上の姉という明確な上下はあっても、それは対等な人間としての敬意を土台にした上下でした。僕はそれを、研究学校の部活に感じたのです」
 去年のインハイで長野の研究学校生と交流する機会はなかったが、決勝に残った四校すべてが研究学校で、そのどれもに湖校と同種の気配を感じたから、それは研究学校共通の校風と考えて良いのだろう。ならば小学校を卒業した颯太が幸せな学校生活を送れるのは研究学校以外なく、そして颯太がどうしても口に出せないでいるように、
 ―― それは渚さんも同じだった
 のである。
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