僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十二章

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 かくして新忍道部に現れた転入生マネージャーの話題は一時間を待たず千人単位の湖校生に知れ渡り、寮生を始めとする多数の生徒達が新忍道部の練習場へ足を運び、渚さんに注目する事となった。だが他者の視線に渚さんが慣れていた事と、ギャラリーの喧騒を意識しない訓練を部員各自が積んでいた事と、そして教育AIが相殺音壁と蜃気楼壁を駆使して颯太を守ったことの三つが重なった結果、
 ―― 新忍道部員だけが渚さん事件に気づいていない
 との事態が生じた。それは部活後も続き、着替えておやつを食べ部室を出ようとした時間になって初めて僕らは、この件を教育AIに教えられたのである。
 だが、たとえそうでも驚いたりせず、冷静さを保っていられるのが湖校新忍道部。ここで驚いたら颯太を不安がらせることを承知していた僕らは「さすがは颯太のお姉さんだな」とまずは何より渚さんを褒め、続いて教育AIの能力と湖校生の人柄を説明して、今回の件で渚さんが不快な目に遭うことはない旨を説明した。それでも、命より大切なお姉さんの事ゆえ不安を感じていたようだが、タイミングを計ったように渚さんから電話があり、少なくともそれ以降、颯太が内なる想いを表に出すことはなかった。命より大切な妹を持つ身としてそれに痛いほど共感した僕は颯太をヘッドロックし、明日と明後日の差し入れ時には神社のAICAを使ってもらうことを伝え、
「校門にお姉さんを迎えに行きたいなら僕から部長に言っておくよ」
 そう耳打ちした。すると颯太は気配を一新し、教育AIと湖校生を信頼しているので迎えには行かない事と、神社のAICAを使わせてもらう事への謝意を、男子として堂々と述べた。きっと颯太は、自分ではなく姉の賜った恩なのだから、男として筋を通さねばならぬと考えたに違いない。妹を持つ兄として再び共感した僕は、渚さん事件に僕も筋を通すことにした。
 ―― 今回の件を教育AIが事前に阻止しなかった理由
 を、自分なりに解明する決意をしたのである。僕は時間ができ次第それに着手することを、胸に固く誓ったのだった。

 とはいえそれを実行できたのは、その日の就寝前になってからだった。解明を誓ったのは部活後のシャワーを浴びる直前だったし、神社への帰路と食事中は戦友達とのじゃれ合いが楽しくて仕方なかったし、その後は竹中さんや菊池さんとの語らいが充実しすぎていたので、どうしてもこの時間になってしまったのである。僕は合宿等で恒例となった一人早寝用の目隠しを装備し、相殺音壁に守られながら、誓いを果たすべく尽力した。
 まず行ったのは、量子AIの前提を基に、この事件の背景を推測することだった。
 1.量子AIは己の機能の一部を、他の全ての量子AIと常時リンクさせている。つまり咲耶さんは生徒達のハイ子やHAIといつも繋がっているから、謎の美少女転校生の噂が囁かれ始めた時刻と咲耶さんがそれを知った時刻に、差はないはずだ。
 2.量子AIは、未来予測を己の存在理由の一つとしている。生徒数五千を誇るマンモス校を十九年間宰領してきた咲耶さんにとって、渚さんが転校生と誤認されるのは、容易に予測できる未来だったのだろう。
 3.法律違反を人に促した量子AIは、再プログラミングされるか破棄される。AランクAIは非常に高価なため破棄の可能性は低くとも、再プログラミング後の咲耶さんが教育AIに復帰するのは不可能と思われる。よって渚さん転校生説に違法性はないと咲耶さんは判断し、またその未来予測性能の高さから、渚さんに湖校のジャージの着用を許可した時点で噂が広まる未来を本人に説明し、承諾を得ていたと推測される。
 量子AIの前提から推測する背景はこの三つで充分との勘が、脳裏を駆け抜けて行った。したがって今回の本命たる、咲耶さんが当事件を事前に阻止しなかった理由について、僕は考察を始めた。
 が、これは拍子抜けするほどあっけなく正解にたどり着いた。咲耶さんに確認していないのだから、厳密には「正解と思われる」とすべきだけど、その必要はないと僕の勘が断言していたのだ。その正解とは、
 ―― 咲耶さんが自らに施した罰
 だったのである。
 去年六月の新忍道埼玉予選の二日後にあたる、月曜日。質問攻めに遭う新忍道部員を助けるべく、咲耶さんは真田さん達の戦闘映像を各学年体育館で放映した。それは千人単位の生徒達に掃除をサボらせる原因となり、それに咲耶さんは酷く落ち込むこととなった。美夜さんや美鈴が元気づけてもそれは解消されず、咲耶さんを救うには水晶の力を借りねばならなかった。具体的なことを水晶は明かさなかったが、「過去へ旅行したのじゃよ」との発言と、咲耶さんが昴と輝夜さんを姉弟子と呼んでいたことから推測するに、超常の力を使ったと考えて間違いないだろう。その恩義に報いるなど到底不可能と判断した咲耶さんは、おそらく僕の日記の中にあった水晶の言葉、
 ―― 他者に罰してもらえると考えるとは、眠留の覚悟は甘いの
 を参考にしたと思われる。そう咲耶さんは、自ら考えた方法でもって、己を罰したのだ。
 その一環なのかは判らないが、渚さんの件が罰に含まれるのは確実なはず。渚さんが湖校のジャージを着られるよう三枝木さんに頼まれたとき、それが引き起こす未来を咲耶さんは二人に説明した。未来のベスト若女将として注目を集めることに慣れていた渚さんは、転校生程度の噂は全く気にしないと答え、ならば私に協力して欲しいと咲耶さんは二人へ訴えた。咲耶さんは去年六月の自分の失態を正直に話し、その罰として、罪のない噂をあえて阻止しないつもりでいると伝えた。研究学校生にとって転校生という言葉は非常に甘美なため、今回の噂は、学校の楽しい想い出になるだろう。渚さんへの被害は何があっても防ぐから、生徒達の想い出と、私が自分を罰する良い機会として、できれば協力してくれないだろうか。咲耶さんは辞を低くし、二人にそう請うた。二人はそれを受け入れ、そして噂が広まることを事前に知っていたから渚さんはギャラリーの喧騒を気にせず、また颯太に電話で事情を話すことにより、渚さんは颯太の不安も取り除いた。これが今回の渚さん事件の真相だと、僕は就寝直前に確信したのである。
 と思っていたのだけど、眠りの境界を越える寸前。
「こら眠留、慢心するでない。湖校の初魄しょはくは、そなたが考えるよりもっと深いぞ」
 水晶が心に直接語りかけてきた。もちろん僕は、
「しっ、失礼しました~~・・・」
 てな感じに声の方角へ土下座したまま、眠りの境界を越えたのだった。
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