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二十三章
初仕事は及第点、1
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「寝る子は育つっていうけど、そろそろ起きようか」
美夜さんの真似を僕はしてみた。すると数分前の僕をなぞるが如く「僕は赤ちゃんではありません!」などと颯太はムキになって否定し、お陰で意識が明瞭になってきたようだった。僕は同意の首肯をしたのち颯太の手元に小皿を差し出し、四の五の言わずこれを食べろと命令する。姉から自立しても、持って生まれた豆柴気質は変わらなかったらしい。了解ですと素直に応え、颯太は梅干を口に放り込んだ。
「うわっっスッパ!」「ほら種をここに出して」「はい、出しました」「では直ちに所用を済ませ、六時の夕食に間に合わせるように」「イエッサー!」
打って変わってキビキビ準備を始めた豆柴に頬を緩め、僕は大離れを後にした。
合宿終了後初となる食事は寂しいものになるかと危惧していたが、それは杞憂だった。渚さんと美鈴はすっかり仲良くなり年頃娘のオーラを燦々と放ちながらおしゃべりを楽しんでいたし、僕は僕で颯太の相談を熱心に聴いていたからである。颯太の相談事は、
―― 騎士会に入会すべきか否か
という僕しか答えられない事柄だったため、寂しさの要素など微塵もなく僕らは熱心に話し込んでいた。それによると颯太にとって、湖校入学と新忍道部入部は切っても切れない関係にあるが、それにほぼ比肩するものとして、
―― 騎士になりたい
との夢も颯太の中にはあるとの事だった。いや厳密には、
「研究学校生になりたいと思い研究学校について調べ始めてすぐ『騎士になりたい』と切実に願ったので、騎士の夢は四年越しになります。新忍道部入部の夢は一年未満ですから、長さだけなら騎士の夢は入部の夢の四倍になりますね」
との言葉どおり、長さという面において騎士は新忍道に勝っていたのである。
それでも颯太はこの春合宿に参加するまで、二つの夢は両立できると思っていた。騎士として働くのは二週間に一度なのだから、それ以外の十三日間を部活に費やせば、両者共倒れにはならないと考えていた。かくいう僕も、それに同意だった。二つの夢だけなら両立可能と、胸を張って主張することができた。しかし「この春合宿に参加するまで」と言及したように、合宿中に予期せぬ出来事が起き、そしてそれを経て、颯太の中には先の二つをも凌駕する三つ目の夢が芽生えてしまった。それこそが、
―― 剣道をしたい
という、今生と前世と前々を貫く夢だったのである。
ただ、颯太は幸運だった。三つの夢の詳細を話し終えた颯太が、
「眠留さん、僕は夢を諦めなければならない人生から、逃れられないのでしょうか」
そう言って背中を丸めたとしても、颯太は幸運と僕は断言できた。その前準備として、夢の序列の明確化を試みてみる。
「夕ご飯が始まってすぐ、相談に乗って欲しいと颯太は僕に頼み、そして最初に切り出したのが、騎士会に入会すべきか否かだったよね。否の可能性が含まれているってことは、騎士の夢は三番目ってことでいいのかな?」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、背中をもう一段丸めたのち、颯太はコクリと頷いた。僕には颯太の気持ちが痛いほど解った。颯太が騎士の存在を知った小学三年生は、男の子が正義に目覚める年齢でもある。正義のヒーローへの憧れだけならもっと早く目覚めていても、克己に基づき正義を選択できるようになる初めての年齢が、だいたいその頃なのだ。その頃の颯太にとって、騎士装に身を包み正義を行う騎士は、将来の理想の自分だったに違いない。その気持ちを仕事への誠実さに変えて、颯太は家業に従事してきたはずなのだ。その四年間の日々を「三番目」にしなければならない境遇に、颯太はもう一段背中を丸めずにはいられなかった。それが僕には、痛いほど解ったのである。
そして解った上で、僕は更に酷な問いを颯太へ放った。
「では、一番目はどっちなのかな?」
颯太の背中の丸みは益々強まり、頭が床へみるみる近づいてゆく。だが、もう勘弁してくださいと請う位置の、その一歩手前で颯太は踏みとどまった。ゆっくりゆっくり、頭が持ち上がってゆく。しかし背筋を伸ばすまでは至らず、顔を前に傾斜させたまま颯太は答えた。
「眠留さんが教えてくれるなら、剣道が一番。教えてくれないなら、新忍道が一番です」
「うん、真情をよくぞ晒してくれた。颯太、覚えておきなさい。何かを得るには、何かを手放さねばならない。今もし颯太が真情を晒さなかったら、つまり真情を直視したくないという想いを手放さなかったら、僕は颯太を準備の整っていない者と判断し、機会を差し出すことは無かったのだと」
その途端、颯太は豆柴化して弾けるように顔を上げるも、
―― 機会を差し出す
との言葉が、心に届いたのだと思う。颯太は豆柴を脱ぎ捨て、チャンスを提示された者に相応しい姿勢を素早く作り上げた。とはいえ尻尾は、ブンブン振られていたんだけどね。
けどまあこれこそが、虚飾の一切ない今の颯太なのだろう。ならば僕も、それに相応しい僕にならねば男が廃る。軍人だった颯太に翔刀術の型を見せていた頃を思い出し、その自分になって、僕は先を続けた。
「まずは、ポジティブに考えて欲しい。軍人だった颯太に僕が刀術の型を初めて見せた時、颯太は四十歳だった。一方、今生で見せたのは昨日だから、颯太は十二歳。二十八歳若いのは充分喜ぶべきことと思うけど、どうかな?」
豆柴を脱ぎ捨てていた時間が十数秒しかなかったのは、吉と出るのか、それとも凶と出るのか。まあそれはおいおい判るから脇に置くとして、豆柴になり切り「喜ぶべきことです!」と答えた颯太へ、続いてネガティブ情報を伝える。
「僕の見立てでは、人生一回分のブランクがある今の颯太は、前々世の千分の一もあの型を再現できないと思う。どうかな?」
豆柴を脱ぎ捨てていた時間が十秒ほどしかなかったのは、どうも吉だったらしい。未来への希望にはち切れんばかりの豆柴にとって、未来とは、努力次第で絶対獲得できるものなのかもしれない。
「二十八年早いのですから、その時間があれば千分の一を覆し、あのとき以上に上手くなってみせます!」
と、その未来が眼前にあるかのように颯太は述べたのである。いやおそらく僕は今、人が未来を観たときの脳の状態を、翔化視力でつぶさに観察しているのだろう。脳の視覚野は後頭部にあるから、何かを凝視するさい、目と後頭部の両方が活性化する。それに対し颯太は今、前頭葉が活性化していたのだ。
美夜さんの真似を僕はしてみた。すると数分前の僕をなぞるが如く「僕は赤ちゃんではありません!」などと颯太はムキになって否定し、お陰で意識が明瞭になってきたようだった。僕は同意の首肯をしたのち颯太の手元に小皿を差し出し、四の五の言わずこれを食べろと命令する。姉から自立しても、持って生まれた豆柴気質は変わらなかったらしい。了解ですと素直に応え、颯太は梅干を口に放り込んだ。
「うわっっスッパ!」「ほら種をここに出して」「はい、出しました」「では直ちに所用を済ませ、六時の夕食に間に合わせるように」「イエッサー!」
打って変わってキビキビ準備を始めた豆柴に頬を緩め、僕は大離れを後にした。
合宿終了後初となる食事は寂しいものになるかと危惧していたが、それは杞憂だった。渚さんと美鈴はすっかり仲良くなり年頃娘のオーラを燦々と放ちながらおしゃべりを楽しんでいたし、僕は僕で颯太の相談を熱心に聴いていたからである。颯太の相談事は、
―― 騎士会に入会すべきか否か
という僕しか答えられない事柄だったため、寂しさの要素など微塵もなく僕らは熱心に話し込んでいた。それによると颯太にとって、湖校入学と新忍道部入部は切っても切れない関係にあるが、それにほぼ比肩するものとして、
―― 騎士になりたい
との夢も颯太の中にはあるとの事だった。いや厳密には、
「研究学校生になりたいと思い研究学校について調べ始めてすぐ『騎士になりたい』と切実に願ったので、騎士の夢は四年越しになります。新忍道部入部の夢は一年未満ですから、長さだけなら騎士の夢は入部の夢の四倍になりますね」
との言葉どおり、長さという面において騎士は新忍道に勝っていたのである。
それでも颯太はこの春合宿に参加するまで、二つの夢は両立できると思っていた。騎士として働くのは二週間に一度なのだから、それ以外の十三日間を部活に費やせば、両者共倒れにはならないと考えていた。かくいう僕も、それに同意だった。二つの夢だけなら両立可能と、胸を張って主張することができた。しかし「この春合宿に参加するまで」と言及したように、合宿中に予期せぬ出来事が起き、そしてそれを経て、颯太の中には先の二つをも凌駕する三つ目の夢が芽生えてしまった。それこそが、
―― 剣道をしたい
という、今生と前世と前々を貫く夢だったのである。
ただ、颯太は幸運だった。三つの夢の詳細を話し終えた颯太が、
「眠留さん、僕は夢を諦めなければならない人生から、逃れられないのでしょうか」
そう言って背中を丸めたとしても、颯太は幸運と僕は断言できた。その前準備として、夢の序列の明確化を試みてみる。
「夕ご飯が始まってすぐ、相談に乗って欲しいと颯太は僕に頼み、そして最初に切り出したのが、騎士会に入会すべきか否かだったよね。否の可能性が含まれているってことは、騎士の夢は三番目ってことでいいのかな?」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、背中をもう一段丸めたのち、颯太はコクリと頷いた。僕には颯太の気持ちが痛いほど解った。颯太が騎士の存在を知った小学三年生は、男の子が正義に目覚める年齢でもある。正義のヒーローへの憧れだけならもっと早く目覚めていても、克己に基づき正義を選択できるようになる初めての年齢が、だいたいその頃なのだ。その頃の颯太にとって、騎士装に身を包み正義を行う騎士は、将来の理想の自分だったに違いない。その気持ちを仕事への誠実さに変えて、颯太は家業に従事してきたはずなのだ。その四年間の日々を「三番目」にしなければならない境遇に、颯太はもう一段背中を丸めずにはいられなかった。それが僕には、痛いほど解ったのである。
そして解った上で、僕は更に酷な問いを颯太へ放った。
「では、一番目はどっちなのかな?」
颯太の背中の丸みは益々強まり、頭が床へみるみる近づいてゆく。だが、もう勘弁してくださいと請う位置の、その一歩手前で颯太は踏みとどまった。ゆっくりゆっくり、頭が持ち上がってゆく。しかし背筋を伸ばすまでは至らず、顔を前に傾斜させたまま颯太は答えた。
「眠留さんが教えてくれるなら、剣道が一番。教えてくれないなら、新忍道が一番です」
「うん、真情をよくぞ晒してくれた。颯太、覚えておきなさい。何かを得るには、何かを手放さねばならない。今もし颯太が真情を晒さなかったら、つまり真情を直視したくないという想いを手放さなかったら、僕は颯太を準備の整っていない者と判断し、機会を差し出すことは無かったのだと」
その途端、颯太は豆柴化して弾けるように顔を上げるも、
―― 機会を差し出す
との言葉が、心に届いたのだと思う。颯太は豆柴を脱ぎ捨て、チャンスを提示された者に相応しい姿勢を素早く作り上げた。とはいえ尻尾は、ブンブン振られていたんだけどね。
けどまあこれこそが、虚飾の一切ない今の颯太なのだろう。ならば僕も、それに相応しい僕にならねば男が廃る。軍人だった颯太に翔刀術の型を見せていた頃を思い出し、その自分になって、僕は先を続けた。
「まずは、ポジティブに考えて欲しい。軍人だった颯太に僕が刀術の型を初めて見せた時、颯太は四十歳だった。一方、今生で見せたのは昨日だから、颯太は十二歳。二十八歳若いのは充分喜ぶべきことと思うけど、どうかな?」
豆柴を脱ぎ捨てていた時間が十数秒しかなかったのは、吉と出るのか、それとも凶と出るのか。まあそれはおいおい判るから脇に置くとして、豆柴になり切り「喜ぶべきことです!」と答えた颯太へ、続いてネガティブ情報を伝える。
「僕の見立てでは、人生一回分のブランクがある今の颯太は、前々世の千分の一もあの型を再現できないと思う。どうかな?」
豆柴を脱ぎ捨てていた時間が十秒ほどしかなかったのは、どうも吉だったらしい。未来への希望にはち切れんばかりの豆柴にとって、未来とは、努力次第で絶対獲得できるものなのかもしれない。
「二十八年早いのですから、その時間があれば千分の一を覆し、あのとき以上に上手くなってみせます!」
と、その未来が眼前にあるかのように颯太は述べたのである。いやおそらく僕は今、人が未来を観たときの脳の状態を、翔化視力でつぶさに観察しているのだろう。脳の視覚野は後頭部にあるから、何かを凝視するさい、目と後頭部の両方が活性化する。それに対し颯太は今、前頭葉が活性化していたのだ。
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