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二十三章
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結果的に、この作戦は超大正解だった。事前に予想していたとおり祖父母は当初、神社の掃除に難色を示した。だが胸に溢れる想いをすべて伝えるや祖父母は深く共感し、掃除を許可してくれたのである。
といってもそれで終わっていれば、超大正解の二歩手前の正解が妥当と思う。しかし掃除後「せっかくだから、お昼ご飯も食べていきなさい」との祖父母の促しによって再び囲んだ食事の席で、渚さんが宣言したのだ。
「私は高校生になったら運動系の部に入部し、マネージャーになります」と。
旅館の跡取り娘であり、かつ優秀な従業員でもある渚さんは、進学する高校も旅館を第一に選んだ。高校の特色や校風ではなく、徒歩十分足らずで着くというそれだけの理由で、渚さんは高校を決めていた。そんな渚さんに家族は顔を曇らせるも、その高校の評判がとても良かった事と、遠くの高校へ苦労して通学するより近場がやはり安心との理由により、腹を割って話し合うことは無かった。家族は渚さんに学校生活をもっと楽しんで欲しいと願い、渚さん自身もそれを知っていたが、小学校と中学校の九年間でその楽しさを見つけられなかった渚さんとしては、家族の願いを叶えようにも叶えることができなかったのである。
しかし湖校新忍道部の春合宿が、それを変えた。マネージャーの仕事を、渚さんは楽しんでいた。それも、心から楽しんでいた。持って生まれた性格と育った環境がマネージャー業務にピッタリ沿ったのはもちろん、本当はずっと憧れていた、
―― 仲間との友情
もその仕事はもたらしてくれたからである。渚さんはマネージャーの仕事をこなすにつれ、部の一員として学校生活を楽しむ自分を夢見るようになっていったと言う。
けどそれは、夢でしかなかった。目標としての夢ではなく、現実から離れた空想としての夢でしかなかった。渚さんにとって現実はあくまで旅館であり、それを妨げる可能性のあるすべては、虚しい空想にすぎなかったのである。
だが、それを変える出来事が起きた。しかも、間を置かず二つ連続して起きた。一つ目は、颯太の自立だった。渚さんにとって颯太は、自分の人生を犠牲にしても少しも悔いのない、どこまでも守り通すことのできる弟だった。けれどもその弟が、姉の庇護を離れた。自らの選んだ道を自らの足で歩いてゆく、自立した存在になったのだ。それは幾ばくの寂しさと、それより若干多い嬉しさと、そして圧倒的に多い焦りを渚さんにもたらした。弟を守ることが自分の人生だった時期は、終わった。弟がそうしたように、私も自分の人生を歩まなければ弟に置いてゆかれ、私は遠からず弟の姉でいられなくなるに違いない。そんな焦りに、渚さんは見舞われたのである。
しかし立て続けに、二つ目が起きた。それは、渚さんの胸中を理解し背中を押してくれる友人達と、話し合えた事だった。しかもその話し合いは、心の垣根を取り外しやすい夜に行われた。渚さんは生まれて初めて真情を打ち明け、うろたえ、思うままに泣き、慰められ、そして新たな道へ足を踏み出す勇気を、友人達からもらえたのだ。よってその翌日の昼食中、
「私は高校生になったら運動系の部に入部し、マネージャーになります」
と、渚さんは自分の目標を堂々と宣言することができたのである。皆は渚さんにこぞって賛成し、励ましの言葉で台所は満たされたが、一人だけ例外がいた。それは、颯太だった。颯太だけは目と口を固く閉じ、終始無言を貫いていた。それは言及するまでもなく、爆発する感情をどうにか抑えようと努力する姿であり、そして再度言及するまでもなく、颯太のその努力を理解しない者は台所に一人もいなかった。皆が颯太の背中を叩き、頭を撫でてゆく。それに助けられたのだろう、颯太の目元と口元から硬さが取れ、俯き加減だった姿勢も元に戻り、景気づけに頬を小気味よく叩いてから颯太は瞼を開けた。ずっと目を閉じていたにもかかわらず、双眸の焦点は姉にくっきり定まっており、そしてそれに負けないくっきりした口調で颯太は朗々と述べた。
「姉ちゃん、おめでとう!」
渚さんは颯太に、
「颯、ありがとう」
そう返答したかったのだろうが、その言葉が紡がれることはなかった。唇だけがかろうじて動かされたに留まり、渚さんは顔を両手で覆って泣き始めたのだ。しかし泣いても、泣き崩れることはなかった。なぜなら渚さんの周囲には、自分を支えてくれる三枝木さんと輝夜さんと昴と美鈴がいたからである。その光景を胸に焼き付けるように見つめたのち、颯太は体ごと僕に向けて言った。
「姉ちゃんに支えてもらってきた恩は、皆を支えられる人間になることで返します。それが湖校生なんですよね、師匠」
「ああそうだ、そのとおりだ颯太」
約一世紀ぶりに再会した弟子へ僕はくっきり頷き、そう断言したのだった。
昼食の後片付けをもって、湖校新忍道部の春合宿は終わった。皆は幾度も腰を直角に折ったのち、それぞれの場所へ帰って行った。
僕自身は覚えていないのだけど美夜さんによると、皆を見送った五分後には、僕は自室で泥のように眠っていたという。玄関からトイレに向かったことを朧げに覚えているだけだから、そのとき既に半ば以上、僕は眠っていたのかもしれない。
また美夜さんは、颯太も僕と同等の昼寝っぷりを見せたと話していた。
「寝る子は育つって言うから、二人の寝顔を見ているだけで幸せな気持ちになったわ」「美夜さんの優しさは嬉しいけど、僕も颯太も『寝る子は育つ』の適用年齢じゃ、もうないと思うよ」「あらそうなの?」「意外や意外みたいな顔をしないでよ美夜さん!」
なんてやり取りを経てやっと頭が回り始めたのが午後五時半過ぎだったから、変な表現だけど僕は全身全霊で昼寝をしていたのだろう。ならそれは、颯太も同じという事。僕は素早くベッドを離れ、手早く着替えて台所へ行き、小皿に梅干しを一つ乗せる。そしてそれを手に、大離れに歩を進めた。
颯太は案の定、布団の上にどうにかこうにか身を起こしたものの、それ以上の行動が取れない状況にいた。そんな颯太にいたずら心が芽生え、
「寝る子は育つっていうけど、そろそろ起きようか」
といってもそれで終わっていれば、超大正解の二歩手前の正解が妥当と思う。しかし掃除後「せっかくだから、お昼ご飯も食べていきなさい」との祖父母の促しによって再び囲んだ食事の席で、渚さんが宣言したのだ。
「私は高校生になったら運動系の部に入部し、マネージャーになります」と。
旅館の跡取り娘であり、かつ優秀な従業員でもある渚さんは、進学する高校も旅館を第一に選んだ。高校の特色や校風ではなく、徒歩十分足らずで着くというそれだけの理由で、渚さんは高校を決めていた。そんな渚さんに家族は顔を曇らせるも、その高校の評判がとても良かった事と、遠くの高校へ苦労して通学するより近場がやはり安心との理由により、腹を割って話し合うことは無かった。家族は渚さんに学校生活をもっと楽しんで欲しいと願い、渚さん自身もそれを知っていたが、小学校と中学校の九年間でその楽しさを見つけられなかった渚さんとしては、家族の願いを叶えようにも叶えることができなかったのである。
しかし湖校新忍道部の春合宿が、それを変えた。マネージャーの仕事を、渚さんは楽しんでいた。それも、心から楽しんでいた。持って生まれた性格と育った環境がマネージャー業務にピッタリ沿ったのはもちろん、本当はずっと憧れていた、
―― 仲間との友情
もその仕事はもたらしてくれたからである。渚さんはマネージャーの仕事をこなすにつれ、部の一員として学校生活を楽しむ自分を夢見るようになっていったと言う。
けどそれは、夢でしかなかった。目標としての夢ではなく、現実から離れた空想としての夢でしかなかった。渚さんにとって現実はあくまで旅館であり、それを妨げる可能性のあるすべては、虚しい空想にすぎなかったのである。
だが、それを変える出来事が起きた。しかも、間を置かず二つ連続して起きた。一つ目は、颯太の自立だった。渚さんにとって颯太は、自分の人生を犠牲にしても少しも悔いのない、どこまでも守り通すことのできる弟だった。けれどもその弟が、姉の庇護を離れた。自らの選んだ道を自らの足で歩いてゆく、自立した存在になったのだ。それは幾ばくの寂しさと、それより若干多い嬉しさと、そして圧倒的に多い焦りを渚さんにもたらした。弟を守ることが自分の人生だった時期は、終わった。弟がそうしたように、私も自分の人生を歩まなければ弟に置いてゆかれ、私は遠からず弟の姉でいられなくなるに違いない。そんな焦りに、渚さんは見舞われたのである。
しかし立て続けに、二つ目が起きた。それは、渚さんの胸中を理解し背中を押してくれる友人達と、話し合えた事だった。しかもその話し合いは、心の垣根を取り外しやすい夜に行われた。渚さんは生まれて初めて真情を打ち明け、うろたえ、思うままに泣き、慰められ、そして新たな道へ足を踏み出す勇気を、友人達からもらえたのだ。よってその翌日の昼食中、
「私は高校生になったら運動系の部に入部し、マネージャーになります」
と、渚さんは自分の目標を堂々と宣言することができたのである。皆は渚さんにこぞって賛成し、励ましの言葉で台所は満たされたが、一人だけ例外がいた。それは、颯太だった。颯太だけは目と口を固く閉じ、終始無言を貫いていた。それは言及するまでもなく、爆発する感情をどうにか抑えようと努力する姿であり、そして再度言及するまでもなく、颯太のその努力を理解しない者は台所に一人もいなかった。皆が颯太の背中を叩き、頭を撫でてゆく。それに助けられたのだろう、颯太の目元と口元から硬さが取れ、俯き加減だった姿勢も元に戻り、景気づけに頬を小気味よく叩いてから颯太は瞼を開けた。ずっと目を閉じていたにもかかわらず、双眸の焦点は姉にくっきり定まっており、そしてそれに負けないくっきりした口調で颯太は朗々と述べた。
「姉ちゃん、おめでとう!」
渚さんは颯太に、
「颯、ありがとう」
そう返答したかったのだろうが、その言葉が紡がれることはなかった。唇だけがかろうじて動かされたに留まり、渚さんは顔を両手で覆って泣き始めたのだ。しかし泣いても、泣き崩れることはなかった。なぜなら渚さんの周囲には、自分を支えてくれる三枝木さんと輝夜さんと昴と美鈴がいたからである。その光景を胸に焼き付けるように見つめたのち、颯太は体ごと僕に向けて言った。
「姉ちゃんに支えてもらってきた恩は、皆を支えられる人間になることで返します。それが湖校生なんですよね、師匠」
「ああそうだ、そのとおりだ颯太」
約一世紀ぶりに再会した弟子へ僕はくっきり頷き、そう断言したのだった。
昼食の後片付けをもって、湖校新忍道部の春合宿は終わった。皆は幾度も腰を直角に折ったのち、それぞれの場所へ帰って行った。
僕自身は覚えていないのだけど美夜さんによると、皆を見送った五分後には、僕は自室で泥のように眠っていたという。玄関からトイレに向かったことを朧げに覚えているだけだから、そのとき既に半ば以上、僕は眠っていたのかもしれない。
また美夜さんは、颯太も僕と同等の昼寝っぷりを見せたと話していた。
「寝る子は育つって言うから、二人の寝顔を見ているだけで幸せな気持ちになったわ」「美夜さんの優しさは嬉しいけど、僕も颯太も『寝る子は育つ』の適用年齢じゃ、もうないと思うよ」「あらそうなの?」「意外や意外みたいな顔をしないでよ美夜さん!」
なんてやり取りを経てやっと頭が回り始めたのが午後五時半過ぎだったから、変な表現だけど僕は全身全霊で昼寝をしていたのだろう。ならそれは、颯太も同じという事。僕は素早くベッドを離れ、手早く着替えて台所へ行き、小皿に梅干しを一つ乗せる。そしてそれを手に、大離れに歩を進めた。
颯太は案の定、布団の上にどうにかこうにか身を起こしたものの、それ以上の行動が取れない状況にいた。そんな颯太にいたずら心が芽生え、
「寝る子は育つっていうけど、そろそろ起きようか」
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