僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十三章

四千年の恋心、1

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 三年生になって二日目の、今日。僕と清水と大和さんと北里さんは昼食を共にしていた。清水が加わっていなかった一日目は春休み合宿の話題で盛り上がり、四人になった今日は何を話題にしようかとなったところ、左隣から「そう言えば猫将軍は、三年生准士の副長なんだってな」と話を振られた。不穏な気配を察知した僕は一年生入会希望者の面接官になったことを明かし、そうすることで話が不都合な方向にいかぬよう制御しようとしたのだけど、それは叶わなかった。僕が最も避けたかった話題を「そうそう知ってる?」と、北里さんが嬉々として提供したからだ。すかさず清水が「それって猫将軍副長就任大作戦のことか?」と飛びつき、続いて大和さんが「私が聞いたときはただの作戦だったけど、もう大作戦に成長したのね」とコロコロ笑い、それを受け北里さんが「産みの親の一人としては感慨深いなあ」と大喜びしたのを皮切りに、暴露話が始まったのである。もちろん第一段階の箇所は伏せられ、変態も女たらしに変更されていたけど、恥ずかしかったなあ。
 でも恥ずかしい想いをするのは慣れてるし、それにダンス部の北里さんはいつもリズムに合わせて踊っているからか話のテンポや抑揚がとても心地よく、聴いているだけで勉強になった。盛り上げ方も巧みで、ネタにされている本人が頻繁に笑っていたくらいだったから、北里さんは僕にとって、もう完全に友達なんだろうな。
 そうそう、今日初めて昼食を共にした清水とも、仲良くなれそうな気がビシバシした。大和さんを好きな時点でいいヤツ確定でも、男同士として気が合うかは、少し違うからね。
 とまあこんな具合に、三年生二日目のお昼は順調に過ぎて行った。続く掃除時間も五限目も特記すべきことは何もなく、そして遂に放課後を迎える。
 僕は気合いを入れて、待ち合わせ場所の昇降口外へ歩いて行った。

「眠留、待った?」
「待ってないよ、さあ行こう」
 待ってないことに嘘はなく、また出発が早いに越したことは無いのも事実だったが、僕は昴を置き去りにする勢いで歩き始めた。自分でも不思議なのだけど、一年ぶりに巡って来た昴と二人きりで過ごす時間が、なぜか非常に照れくさかったのである。
 僕の一組は、昇降口に近い学年有数のクラスと言える。ただ一組の下駄箱は昇降口の東端にあり、待ち合わせたのは昴の十一組から程近い昇降口外の西端だったので、待ち時間は一分もなかった。しかもその一分足らずを、面接官について考える時間に充てた事もあり、昴が現れるまでの体感時間はほぼゼロに等しかった。よって心理的にも実状としても急ぐ必要はさらさらなく、かつそこに幼馴染と過ごす一年ぶりの時間という要素が加わるのだから、歩調にゆとりを持たせ会話を楽しむのが普段の僕なのだろう。なのになぜ、こうも足早に歩いているのか。それは照れくさいからであり、それが今の偽らざる感情なのは確かなのだけど、ではなぜ照れくさいのかと自問しても、推測を思い付くことすら僕にはできなかった。でもそれはある意味、有難いことでもあった。照れくささを表に出さないためには何かを考察し気を逸らすのが一番で、そしてそのお題目に最も適しているのは、一周回って「なぜこんなに照れるのか?」だったからである。昴の足音を左斜め後ろに聞きながら、僕はそれについて懸命に考えていた。
 会話がないまま体育館横を通過し、第一グラウンドを見下ろす道路に出る。グラウンドに人影はなく、それは帰りのHRが終わってまだ間もないことを指し、ひるがえってそれは、早歩きをする必要のないことを僕に改めて教えてくれた。全国レベルの持久力を誇る昴が僕如きの早歩きに苦労するなど有り得ないが、それでも無意味な運動を強いていることに変わりはない。僕は大きく息を吐き、両手を顔の高さに上げて降参の仕草をした。そして歩調を落とし、歩きながら左斜め後ろに顔を向け、問いかけた。
「ねえ昴、僕は昴と一年ぶりに二人きりでいるのが照れくさくて仕方ないんだけど、昴は思い当たることあるかな?」
「恥ずかしさに耐えられず走り出すのが49%、頭を抱えてしゃがみ込むのが49%、それ以外が2%といった処かしら」
「訊くまでもないけど、一応確認させて。昴には思い当たることがあって、そしてそれを僕に話したとすると、僕は走り出すかしゃがみ込むかをほぼ半々の確率でする。ということで、合ってるよね」
 昴はそれに、微笑んで頷いた。顔をほんの少し持ち上げた場所にあるその微笑みに、この姉に抱いた四千年分の恋心を思い出した僕は、一世紀前の映画に出てくる超合金ロボットよろしく、四肢をガチャコンガチャコンと動かして歩いたのだった。
 
 思春期に入り背が急に伸び初め、姉との身長差が少なくなると、過去世の僕はいつも必ず姉を避けた。親に覚える煩わしさとは真逆の想いによってなされるそれを、姉はいつもおおらかに受け止め、そして互いが伴侶を得て大人として落ち着くと、仲良し姉弟に姉はあっけらかんと戻ってくれた。僕ら二人はそんな四千年を過ごし、そしてそれに特化した明瞭な記憶を、身長差がたった四センチになった昴の浮かべた微笑みにより、僕は思い出したのである。それはまこと、走り出すかしゃがみ込むかをしないと耐えられない、計り知れぬ恥ずかしさを胸にもたらした。が、
「凄い眠留、たった2%を勝ち取ったじゃない!」
 そう、僕はどうにかこうにか、それをガチャコンガチャコンでやり過ごすことができたのである。とは言うものの、それが僕に可能な精一杯の勝利。返事どころか頷き返すことすらできない僕に、昴は同じ微笑みを今一度浮かべて一人語りを始めた。
 それによると、僕が姉を避ける度合いは、親に反抗できるか否かで決まったと言う。親を煩わしく思う気持ちを表に出せる状況では姉をさほど避けず、それを抑圧するしかない状況では、姉を強く避けたそうなのである。それは、姉が親の代理を務めていたからに他ならず、そう明かされた僕のガチャコンは一層酷くなったのだけど、それはまだピークではなかったのだ。
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