僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十三章

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 二本目、清水は僕に近づいてこなかった。さっきは互いの切っ先が触れ合う寸前で僕が踏み込み、踏み込むと同時に清水の竹刀を掬い上げ、そのさい持ち上がった竹刀で籠手を打ったから、不用意に近づくことを清水は避けたのだろう。翔刀術的には、その判断は正しいと言える。剣道の試合を見学していて僕が最も不可解に思ったのは、互いの切っ先が触れ合うか、もしくはその寸前まで近づき、勝機を探り合うことだった。いかに一対一の戦いとはいえ、あんなに近くまでスタスタ歩いて行っても、
 ――この距離ならまだ安全
 と考えるのは気を抜き過ぎなのではないか? その正誤を知るべく僕はこの二本目、清水の歩幅と瞬きの間隔を計り、清水の対応が一番遅れる瞬間を見極めてから、陽動のすり足を開始した。陽動と付けた理由は、清水が慣れ親しんだ剣道のすり足をあえてした事と、切っ先の触れ合ういつもの場所で僕が一度足を止めそうにあえて歩いた事にある。この二つによって先ほどの「この距離ならまだ安全」との錯覚を清水に抱かせ、その錯覚を利用して踏み込み、最も近い打突場所の籠手を打つ作戦を僕は立てたのだ。繰り返しになるけど、この「打って跳ね上げる」という動作が僕にはとにかく難しい。魔想との戦闘では、狙った部位の切断を確信するまで猫丸を手前に滑らせることが必須になる。それと「棒をただ打ち付け、切断の確認もせず跳ね上げる」という動作は、違い過ぎてえらく難しいのだ。その他にも、躓きを誘発する凸凹が無数にある場所で合戦をしていた時代のすり足と、平らな板張りで行う剣道のすり足も異なり過ぎるのだけどそれは置いて、
「籠手!」
 清水の籠手を僕は再度打った。審判全員が赤の旗を上げ、二本目も制した僕の勝ちとなる。数十年前までは勝敗が決まっても三本目を行い、三本目は敗者に譲ることを剣道協会は推奨していたそうだが、今は廃止されたらしい。という訳で清水に視線と体を向けたまま開始線に戻り一礼し、そのまま後ずさり立ち礼の位置をまたいでから、翔刀術における残心、つまり戦闘意識を僕はといた。
 それ以降は見学に徹し、藤堂さんと清水の対戦をもって人生初の剣道体験は終了した。その最後を飾った試合は聴いていたとおり、藤堂さんと清水の実力差が如実に出た結果だった。俯瞰視力を有する藤堂さんに清水は手も足も出ず、ストレート負けしたのである。藤堂さんは去年の全中でベスト8入りしたのだから、順当なんだろうな。
 防具等の片付けに手間取るからか、剣道の授業は正規の時刻の五分前に終わった。更衣室に戻り、面と籠手をそれぞれの専用洗濯機に入れる。臭気センサーが洗濯の必要なしと判断した胴を消臭庫に仕舞い、制服に着替え終わった瞬間、
「眠留――ッッ!!」
 藤堂さんに関節技を掛けられた。いつも以上の力でグイグイ締めてくるその関節技に、清掃時間が始まるまでにどうか開放されますようにと、僕は心の中で祈らずにいられなかった。

 授業後の質問攻めは、男子更衣室と剣道場の双方で一回ずつの、計二回行われた。男子更衣室の床に二年生以上が車座になって座り質問と返答をしている最中、お弁当を取りに行ってくれていた一年生を代表し、
「女子の先輩方から伝言です」
 颯太が女子の意向を藤堂さんに伝えた。私達も質疑応答に加わりたいという女子の訴えを妥当と判断した藤堂さんの号令で、男子は速やかに更衣室を出て道場へ戻ってゆく。そして選択授業に出席していた女子生徒も交えて車座になり、お弁当を食べつつ質疑応答を再開した。
 藤堂さんの計らいにより、男子更衣室で最初にされた問いが繰り返された。全身を耳にする女子生徒達の視線に射抜かれながら問われたそれは、
 ――あれは縮地しゅくちか?
 だった。清水によって成されたそれを耳にした女子生徒と一年男子の反応が、二種類に分かれた。我が意を得たり系の表情になった集団と、意味が分かりません系の表情を浮かべた集団の、二つに分かれたのだ。それを受け清水は男子更衣室でしたように、後者の集団に対応すべく縮地の説明を始めた。
「中国には古くから仙人の伝説があり、縮地は仙人の技術の一つと伝えられている。超能力に分類される縮地の解釈は、目にも止まらぬ速度による移動と、テレポーテーションの二つに大別される。新忍道の一本角のサタンが空間を圧縮して成す超高速移動は、縮地の解釈の両方に当てはまると個人的には思うが、猫将軍はどうだ」
「うん、全面的に同意。一本角の疑似テレポーテーションの説明にある空間圧縮と、仙道の縮地には、どちらも『縮』の字が使われているからね」
 那須さんが挙手し、超能力で圧縮した地面を移動するから高速移動になるって事かな、と問うた。頷く清水に那須さんは納得するもそれは一時的にすぎず、「でも猫将軍君の試合にそんな高速移動あった?」と、意味が分かりません系の表情を再び浮かべた。複数の生徒が那須さんに同調し、清水を見つめる。そこへ、
「各自、お弁当の箸をなるべく止めないように」
 藤堂さんの声が響いた。藤堂さんの意を察した二年生以上の生徒達が素早く食事を再開し、それに釣られて一年生達も、疑問符を盛大に浮かべながらお弁当を食べ始めた。パワーランチを経験済みの二年生以上は議論と食事を両立できても、入学二日目の一年生はできなくて当然なので、藤堂さんは「箸をなるべく止めないように」との言葉をあえて添えたのである。藤堂さんの器の大きさに感動した僕は、
 ――いつでも話を引き継ぎます!
 と意思表示すべく、お弁当を猛然と食べ始めた。それは清水を始めとする剣道部員全員に共通し、そんな後輩達に頬をほころばせ藤堂さんは、那須さんの疑問へ朗らかに答えた。
「人は普段、体を上下に動かして歩いている。人は本能的にそれを知っているから、剣道等の格闘技はそれを逆手に取り、体を上下に動かさず対戦相手に近づいてゆく。その方が、接近を相手に察知され難いんだな」
 清水が立ち上がり、竹刀を中段に構える真似をした。そして体を上に持ち上げることを強調し、前方に一歩ゆっくり踏み出した。剣道部員達がやんやの歓声を上げ、それに応えた清水が腰を下ろすまでに、藤堂さんはお弁当を二口食べることが出来た。清水に感謝の首肯をし、藤堂さんは説明を再開する。
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