僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十三章

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 まあ、それはさて置き。
 新忍道における無音停止のコツは、体を進行方向の反対側に傾けつつ身を沈める事にある。これが巧くいくと準全速も三歩で確実に止まり、また身を沈めているため次の行動に素早く移ることもできる。とは言え無理に止まろうとすると膝に悪いので、歩数つまり停止センスより無音を重視する点数配分を採用していた。
 試験中は基本的に私語禁止だが、休憩時間は例外とした。また荒い呼吸も、一次試験に限り例外とした。私語も荒い呼吸もモンスターとの実戦中は致命的なのだけど、入学三日目の一年生にそこまで求めるのも、間違っている気がしたのである。
 休憩時間は例外とするという指示をしっかり聴いていたのだろう、一回目の一分間休憩では会話を楽しむ一年生がそれなりにいた。続く二回目も、数は減ったとはいえゼロでは無かった。だが最初の三分間休憩を迎えた今、そんな余裕のある一年生は一人もいなかった。誰もかれもが口を閉ざし、体力回復に努めていたのだ。体調の悪い一年生はまだいないようだが、二度目の三分間休憩では試験の辞退を勧めねばならぬ一年生が現れるかもしれない。生命力の具合からその可能性のある一年生は三人いて、マネージャーの三枝木さんへ目を向けたところ、手元のボードの裏にまるが三つ描かれていた。あれは三枝木さんが見立てた辞退率の高い一年生の人数を、暗号化したもの。部員の健康状態を一年間見守り続けて来た三枝木さんは、翔人に匹敵する視力を獲得していたのである。三枝木さんへの尊敬の念が、僕は益々募っていった。
 ただなんと言うか、今年もマネージャー希望の女の子は現れなかった。これは男子部員全員が凄まじく気にしている問題であり、緑川さんと森口さんが昨夜、同じ寮生として颯太にさりげなく訊いてくれたらしい。それによると、インハイのサタン戦における質疑応答に、
 ―― 気後れする空気
 が一年女子の間にあるとの事だった。今朝そのメールを読むや、僕は頭を抱えた。三枝木さんが湖校新忍道部にとっていかに欠くべからざる存在なのかを、サタン戦後の質疑応答で語ったことが、裏目に出てしまったからだ。正直言うと僕はその事にかなり凹み、朝食のテーブルで三人娘に不安を抱かせてしまった。慌てて理由を説明したところ、一年女子の本音を知るべく昴が桃井さんにメールを出してくれた。その三分後、顔を俯かせていない者は台所に一人もいなかった。なぜなら桃井さんの返信には、一年女子を覆う気後れする空気に、渚さんも関わっている事が綴られていたからである。
 春合宿で三枝木さんを手伝い、事実上のマネージャーとして働いていた渚さんは当初、美少女転校生と誤解されていた。ほどなく誤解は解けたが、それは一年の女子達にこのような危惧を抱かせたという。
『あの美少女の代わりに入った一年生マネージャーはずいぶん見劣りするって、陰口を叩かれたりしないかな』
 男として白状すると、これと同種の話を仲間内でこっそりする男子は、絶対いると言わざるを得ない。思春期の子猿は、そういう生き物なのである。
 仮に、そんな陰口を跳ね除けられる賢い女の子がいたなら、その子は賢いが故に別の危惧を抱える事になる。それは、これだ。
『マネージャーとして優れていれば容姿なんて関係ないのは事実でも、三枝木さんは優秀すぎる。部員の健康状態を見守り続け、それがサタンの疲労の目視として開花した三枝木さんと同じことを、私もできるだろうか。三枝木さんの引退後、同じ役目を私は担えるだろうか』
 一つ目の危惧は渚さんに直接関わり、また二つ目の危惧も、渚さんが間接的に係わっていると言える。この二つが件の空気を形成したと桃井さんはメールに書いていて、そしてそれが、台所にいた全員を俯かせる事になったのである。颯太が遠からずこれら一連のことを知るのは確実でも、入部審査のある今日だけは、どうかその日ではありませんように。台所にいた全員はそう祈り、朝食を終えたのだった。
 というのが、今朝の話。
 そして今、一次試験を受ける颯太を見るに、
 ―― 渚さんの件はまだ知らないようだな
 と僕は感じた。無論それはただの勘にすぎずとも、一次試験を受ける颯太に身体能力の低下が見られないのは事実。むしろ颯太は元気溌剌としていて、そこが微妙に気になるのが正直なところだけど、それを顔に出したら藪蛇になりかねない。嬉々として試験をこなす颯太が二次試験へ駒を進めるのは確実なのだから、今はそれで良しとしよう。そう自分に言い聞かせ、試験官の仕事に僕は集中した。
 三分間休憩の直前、三枝木さんへ目を向けると、ボードの裏にKBという暗号が書かれていた。Kは、可能と思われるの意味。Bは、部長の指示を仰ぐの意味だ。因みに不可能はH、また部長ではなくAIの指示を仰ぐ場合はAで、特にAは疲労が深刻な際の暗号になっていたから、KBの文字を見た部員達は一様に安堵した。言うまでもなく最も安堵したのは部長であり、黛さんはクーラーボックスから冷えたタオルを三つ取り出して、竹中さんと菊池さんに一つずつ渡した。黛さん達は三分間休憩が始まるや一年生達のもとへ向かい、疲労が激しく地に横たわる三人の一年生の横にそれぞれ片膝付き、何かを話しかけた。三人の一年生は非常に驚き身を起そうとするも、その必要はないと諭されタオルを受け取り、二言三言話し合っていた。三人の一年生が冷えたタオルを心臓に当て、目を両手で覆う。その一年生の両側の一年生に黛さん達は話しかけ、両側の一年生が頷いたのを確認してから、黛さん達は元の場所へ戻って行った。
 三分間休憩が終わる直前、二年の松竹梅が一年生達のもとへ向かい、タオルを回収した。そして黛さんへ体を向け、両腕を掲げて大きな丸を作ってみせた。三つの丸に力強く頷いた黛さんは、今日初めて、一年生全員へ指示を出した。
「今この瞬間、ここにいる全員は新忍道の仲間だ。仲間全員で、試験を乗り切るそ!」
「「「「「ハイッッ!!」」」」」
 一斉に返事をした一年生達が、残すところ僅かとなった一次試験をこなしてゆく。そこに先ほどまでは無かった、
 ――周囲の仲間達への気遣いと連携
 を見て取った僕は、霞もうとする視界を押しとどめることに、全力を費やさねばならなかったのだった。
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