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貴方の想い人
6.
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――ふぅ、と息を吐く。
楓さんに家まで送ってもらって帰宅した後、私はソファに深く沈んだまま、出会いから今日までのことを思い出していた。
気付くと頬には涙が流れていて。
「……っ、」
静かに流れ出した涙は止まることなく、次第に嗚咽混じりの涙へと変わる。
――苦しい。
こんなにも、好きなのに。
こんなにも、近くにいるのに。
心を寄せるあの人には、この想いを伝えることすら、叶わない。
想いを伝えてしまえば、きっとこの関係が終わってしまうから……。
こんな風につらい思いをすることは、同居を決めた時から分かっていたはずだ。
だから私がいまこんな風に涙を流すのは、間違っている。
でも……分かっていても、どうすることも出来ない。
理性と感情は時として別物で、理想と現実だって、当然のように同じではない。
言い訳でしか、無いけれど……。
しばらく泣いてふと時計を見ると、いつの間にか時計の針は9時過ぎを指し示していた。
泣きすぎて、きっと目が腫れてる。
こんな顔を見せたら、優しすぎる伊吹さんはきっと心配をするだろう。
とにかくお風呂に入って、……でもやっぱりまたお風呂で泣いて。
お風呂上がりの私の顔は案の定、とんでもない顔になっていた。
濡れタオルで目元を冷やして……腫れは少しだけマシになったけど、泣いたことはバレバレだろう。
目の前のスマホが、メッセージの着信を告げる。
【お店を出ました。あと15分ぐらいで着きます】
私は【お疲れ様でした。気をつけて帰ってきて下さいね】と返信をして、再び目元を冷やす。
あと15分……。
まだ完全に涙の引かない私の瞼は、15分経ってもきっと腫れたままだろう。
「あー、なんで涙、止まらないかなぁ」
目元に乗せた濡れタオルが落ちないように、上を向いたまま呟く。
15分なんて、こんな時ほど、あっという間。
諦め悪く冷やし続けていると、玄関から伊吹さんが帰宅した気配がする。
私は目元のタオルを慌てて外し、玄関へと急いで向かった。
「伊吹さん、おかえりなさい」
「ただいま」
どんなに仕事が大変でも、どんなに帰りが遅くても、伊吹さんの綺麗な顔はいつも変わらずに綺麗なままだ。
ふわりと微笑んだ後、その綺麗な顔がすぐに曇った。
そして、伊吹さんの大きな右手が、私の頬に優しく触れる。
「っ!?」
一緒に暮らし始めて、偽の恋人となって確かに私たちの距離は少し近づいたけど、今までこんな風に触れられることは一度もなくて、この不意打ちに私の心臓がドキリと音を立てた。
「どうしたの?」
「……えっ?」
「泣いた跡がある……」
「あ、えっと、」
「何か、あった?」
伊吹さんが帰ってきたことが嬉しくて一瞬忘れてたけど、そう言えば私の目、腫れてるんだった。
「ない、です」
嘘を答える私に、伊吹さんの瞳が困ったように揺れる。
「あの、ちょっと、スマホで映画を見ていて」
「……映画?」
「はい。すごく切ないストーリーだったから、泣いてしまって」
どうしても目元の腫れを隠せないから、お風呂で泣きながら考え出した、嘘の言い訳。
伊吹さんは私の嘘を信じたのか、「そう、それならいいけど……」と言った後、頬を捉えていた伊吹さんの手が不意に離れて。
そして、その手が私の髪を一束掬った。
「……髪、まだ少し濡れてる。風邪ひくよ? おいで」
伊吹さんは髪から手を離し、今度は私の手を取りそのまま洗面室へと歩いて行く。
ドライヤーを手に取った伊吹さんが、私の髪を丁寧に乾かし始めた。
暖かい風を、伊吹さんが無言で操る。
私は、優しい手つきで私の髪を乾かしてくれる伊吹さんを鏡越しにそっと窺った。
瞼が腫れた酷い顔の私とは真逆の、整っていて綺麗な顔の伊吹さん。
一緒に鏡に映るのが思わず恥ずかしくなるほどの差……。
何も言わずに髪を乾かしていた伊吹さんがドライヤーを止めて、鏡越しに私へと視線を向ける。
恥ずかしさで私が俯いてしまうまでの、ほんの一瞬だけ絡んだ視線に、私は胸が痛くなった。
「はい、乾いたよ」
「ありがとうございます……」
伊吹さんに触れられるのは、手を繋ぐこと以外は初めてで、しかも髪を乾かしてもらうなんて……。
「あの、お仕事で疲れてるのに、ごめんなさい……」
「気にしないで。役得だったから」
やく、とく……?
伊吹さんの言葉の真意が私には全然分からなくて、私は俯かせていた顔を少し上げて再び伊吹さんの表情を窺った。
伊吹さんの瞳は鏡の中の私をじっと捉えていて、静かに微笑んでいる。
ずっとずっと、心臓がうるさくて仕方がない。
こんなこと、だめだって分かってる。
伊吹さんには他にちゃんと好きな人がいて、私はただの同居人……いや、居候。
居候で部下の分際で、家主で上司に恋するとか、本当はダメなのに。
それなのに、私の心臓のドキドキは全く収まってくれそうになかった。
ねぇ、伊吹さん――。
諦めなきゃいけない恋だと分かってるけど、今はそっと心の中で想ってるだけなら、良いですか……?
絶対に口に出したりしないから。
もう少ししたら、頑張って諦めるから。
だから、今だけ貴方に、恋、させて下さい。
もう少しだけ、貴方を好きでいさせて下さい――。
楓さんに家まで送ってもらって帰宅した後、私はソファに深く沈んだまま、出会いから今日までのことを思い出していた。
気付くと頬には涙が流れていて。
「……っ、」
静かに流れ出した涙は止まることなく、次第に嗚咽混じりの涙へと変わる。
――苦しい。
こんなにも、好きなのに。
こんなにも、近くにいるのに。
心を寄せるあの人には、この想いを伝えることすら、叶わない。
想いを伝えてしまえば、きっとこの関係が終わってしまうから……。
こんな風につらい思いをすることは、同居を決めた時から分かっていたはずだ。
だから私がいまこんな風に涙を流すのは、間違っている。
でも……分かっていても、どうすることも出来ない。
理性と感情は時として別物で、理想と現実だって、当然のように同じではない。
言い訳でしか、無いけれど……。
しばらく泣いてふと時計を見ると、いつの間にか時計の針は9時過ぎを指し示していた。
泣きすぎて、きっと目が腫れてる。
こんな顔を見せたら、優しすぎる伊吹さんはきっと心配をするだろう。
とにかくお風呂に入って、……でもやっぱりまたお風呂で泣いて。
お風呂上がりの私の顔は案の定、とんでもない顔になっていた。
濡れタオルで目元を冷やして……腫れは少しだけマシになったけど、泣いたことはバレバレだろう。
目の前のスマホが、メッセージの着信を告げる。
【お店を出ました。あと15分ぐらいで着きます】
私は【お疲れ様でした。気をつけて帰ってきて下さいね】と返信をして、再び目元を冷やす。
あと15分……。
まだ完全に涙の引かない私の瞼は、15分経ってもきっと腫れたままだろう。
「あー、なんで涙、止まらないかなぁ」
目元に乗せた濡れタオルが落ちないように、上を向いたまま呟く。
15分なんて、こんな時ほど、あっという間。
諦め悪く冷やし続けていると、玄関から伊吹さんが帰宅した気配がする。
私は目元のタオルを慌てて外し、玄関へと急いで向かった。
「伊吹さん、おかえりなさい」
「ただいま」
どんなに仕事が大変でも、どんなに帰りが遅くても、伊吹さんの綺麗な顔はいつも変わらずに綺麗なままだ。
ふわりと微笑んだ後、その綺麗な顔がすぐに曇った。
そして、伊吹さんの大きな右手が、私の頬に優しく触れる。
「っ!?」
一緒に暮らし始めて、偽の恋人となって確かに私たちの距離は少し近づいたけど、今までこんな風に触れられることは一度もなくて、この不意打ちに私の心臓がドキリと音を立てた。
「どうしたの?」
「……えっ?」
「泣いた跡がある……」
「あ、えっと、」
「何か、あった?」
伊吹さんが帰ってきたことが嬉しくて一瞬忘れてたけど、そう言えば私の目、腫れてるんだった。
「ない、です」
嘘を答える私に、伊吹さんの瞳が困ったように揺れる。
「あの、ちょっと、スマホで映画を見ていて」
「……映画?」
「はい。すごく切ないストーリーだったから、泣いてしまって」
どうしても目元の腫れを隠せないから、お風呂で泣きながら考え出した、嘘の言い訳。
伊吹さんは私の嘘を信じたのか、「そう、それならいいけど……」と言った後、頬を捉えていた伊吹さんの手が不意に離れて。
そして、その手が私の髪を一束掬った。
「……髪、まだ少し濡れてる。風邪ひくよ? おいで」
伊吹さんは髪から手を離し、今度は私の手を取りそのまま洗面室へと歩いて行く。
ドライヤーを手に取った伊吹さんが、私の髪を丁寧に乾かし始めた。
暖かい風を、伊吹さんが無言で操る。
私は、優しい手つきで私の髪を乾かしてくれる伊吹さんを鏡越しにそっと窺った。
瞼が腫れた酷い顔の私とは真逆の、整っていて綺麗な顔の伊吹さん。
一緒に鏡に映るのが思わず恥ずかしくなるほどの差……。
何も言わずに髪を乾かしていた伊吹さんがドライヤーを止めて、鏡越しに私へと視線を向ける。
恥ずかしさで私が俯いてしまうまでの、ほんの一瞬だけ絡んだ視線に、私は胸が痛くなった。
「はい、乾いたよ」
「ありがとうございます……」
伊吹さんに触れられるのは、手を繋ぐこと以外は初めてで、しかも髪を乾かしてもらうなんて……。
「あの、お仕事で疲れてるのに、ごめんなさい……」
「気にしないで。役得だったから」
やく、とく……?
伊吹さんの言葉の真意が私には全然分からなくて、私は俯かせていた顔を少し上げて再び伊吹さんの表情を窺った。
伊吹さんの瞳は鏡の中の私をじっと捉えていて、静かに微笑んでいる。
ずっとずっと、心臓がうるさくて仕方がない。
こんなこと、だめだって分かってる。
伊吹さんには他にちゃんと好きな人がいて、私はただの同居人……いや、居候。
居候で部下の分際で、家主で上司に恋するとか、本当はダメなのに。
それなのに、私の心臓のドキドキは全く収まってくれそうになかった。
ねぇ、伊吹さん――。
諦めなきゃいけない恋だと分かってるけど、今はそっと心の中で想ってるだけなら、良いですか……?
絶対に口に出したりしないから。
もう少ししたら、頑張って諦めるから。
だから、今だけ貴方に、恋、させて下さい。
もう少しだけ、貴方を好きでいさせて下さい――。
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