嘘は溺愛のはじまり

海棠桔梗

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貴方の想い人

7.

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 それから二週間ほど経った、ある朝のこと――。

 いつも通りの時間に起きて、お弁当を作って、朝食の用意をする。
 伊吹さんが起きてきて、一緒に朝食を食べる。
 同居を始めてからの、私の朝の日常――、今日もいつも通りの朝だ。

「では、行ってきます」

 出勤するのは、いつも私の方が少しだけ先。

「あぁ、結麻さん。急で申し訳ないですけど、今日は夕飯は必要ないです」
「分かりました」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
「はい、行ってきます」

 ――いつも通りの朝。
 そして、今日もいつも通りの夜を迎え、一日を終える。


 ……はず、だった。


「結麻さん、ただいま」

 帰宅した伊吹さんを玄関まで迎えに行くと、伊吹さんは優しい笑顔で佇んでいた。

「おかえりなさい」

 伊吹さんの表情が、いつもよりずっと嬉しそうに微笑んでいるように見えるのは、気のせいだろうか。
 いや、いつ見ても、とっても綺麗な顔なのには変わりはないのだけど。

「結麻さん、これ……」

 そう言いながら、手にしていた大きな紙袋から取り出したものを、私へと差し出した。
 それは、とても綺麗な花々で作られた花束で……。

「一ヶ月の記念に」
「一ヶ月……?」
「仕事も、同居も、今日でちょうど一ヶ月だから」
「……ああ、そう、言えば、そうでしたね」

 いつも通り、だと思っていた。
 特に何も変わらない一日だと。
 私は、とんだ勘違いをしていた。

 差し出された花束を、手が震えていることに気付かれないように、そっと受け取る。

「綺麗、です。……これを、私に……?」
「もちろん、結麻さんに」
「ありがとうございます、……うれしい、です」

 お互いのことを教えあった時に、たしかに、好きな色の話をした。
 昔は水色が好きだったけど、大人になったいまはオレンジや黄色などの明るい色の方が好きになった、と言ったはずだ。
 それを覚えていてくれたのだろう、手渡された花束は、私の好きな明るいビタミンカラーの花で彩られている。

「えっと、お花が元気なうちに、生けてきますね」

 じわりと涙が滲んでくるのをなんとか零さないように堪え、努めて笑顔でそう言えば、伊吹さんは優しく頷いた。

 ……私は、うまく取り繕えただろうか。
 うれし涙――そう、捉えて貰えただろうか……。

 ぽろり、こぼれ落ちる涙が、明るく咲き誇る可愛い花びらに、ぽたりと落ちる。

 好きな男性から花を貰うなんて、女性にとっては嬉しいことに決まってる。
 それなのに、こんなにも胸が苦しくなるなんて、誰が想像できるだろう?

 だって……。


『――結麻さん、今日は夕飯は必要ないです』


 思い出されるのは、今朝、玄関先で交わした会話だ。
 この言葉の意味を、私は正しく理解していなかった。
 取引先かご友人、どなたかとの会食があるのだろう、ぐらいにしか思っていなかった。
 もし、朝から覚悟していれば、私はいま泣かずに耐えられただろうか……?

 ――伊吹さんの手にしていた紙袋のロゴに、見覚えがあった。
 あのロゴは、『infinity』の向かいの、あの花屋のもの――。

「……っ、」

 泣きたくない。
 “うれし涙以上”に泣いてしまったら、伊吹さんが不審に思う、きっと。

 花瓶に花を生けて、そっと涙を拭う。
 ……よし、大丈夫、少し目が赤いけど、不審に思われるほどではない、はず。
 私は意を決して、伊吹さんが待っているであろうリビングへと、花瓶を手に足を踏み出す。

 スーツのジャケットを脱いでネクタイを外した伊吹さんが、スマホを片手に立っている。
 誰かと連絡でも取っていたのだろうか。
 “誰か”、だなんて、そんなのは分かりきっているけれど、精一杯、知らないふりをする。

「お花、とても綺麗ですね。ここに、飾っておきますね」

 ダイニングテーブルに花瓶を置く。
 本当に、とっても綺麗だ。
 私の好きな色で溢れている。

 この場所に置いて、自分を戒めよう。
 身の程知らずの、自分を……。

 伊吹さんも、随分と罪な人だ。

 いや、伊吹さんは何も悪くない、もし悪いとすれば、それは間違いなく、私だ。
 恋人がいる人に横恋慕してしまった挙げ句、自分の感情を優先し、そ知らぬ顔して傍にあり続けようとする、醜い心の私が悪いのだ。

 あの女性とディナーにでも行ったのだろうか。
 この花束はあの女性に作って貰った花束に違いない。
 思わずふたりが仲良くデートをしている様子を想像してしまい、また涙が溢れそうになるのを必死に堪える。

「……結麻さん?」

 花を見つめたまま黙り込んでしまった私に、伊吹さんが優しく声を掛けた。
 気付かれないように小さく息を吐いて、笑顔を顔に貼り付ける。

 私はちゃんと、笑えてるだろうか……?

「私の、好きな色です。ありがとうございます」

 この言葉に嘘はない、好きな色が詰まった、本当に綺麗な花束だ。
 伊吹さんのこの優しさが、あまりにも悲しい。
 きっと私の好きな色をあの女性に告げて、一緒に選んでくれたんだろう。

 彼女は自分の恋人が仕事も家も無くした女の世話をしていることを、どう思っているんだろう……?
 可哀想な子だと思ったりしているのだろうか。
 だとしたら、彼女は伊吹さんと同じぐらい優しい人なのだろう。
 伊吹さんが心を寄せる人だ、きっととても優しくて素敵な人なんだと思う。

 よろこんでくれたなら良かったです、と微笑む伊吹さんは、やっぱり今日も完璧に美しい。

 もう少しだけ……、どうかあともう少しだけでいいから、傍にいさせて下さい――。
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