嘘は溺愛のはじまり

海棠桔梗

文字の大きさ
25 / 75
貴方のいない部屋で

2.

しおりを挟む
「……あの、」
「若月。今日この後、何か用事ある?」
「えっ。いえ、ないです、けど、」
「ちょっと話したいことがある」
「え? あ、はい、えっと……」
「専務は、今日は……?」
「あ、明後日までシンガポールに出張で……」
「じゃあ食事に行こう。下で待ってる」
「え、ええっ?」

 突然の食事の誘いを受けて私がオロオロしている間に、奥瀬くんはエレベーターの扉奥へと消えて行ってしまった。

「ええ……っ?」

 今日は伊吹さんもお留守だし、確かにひとりなんだけど……。
 奥瀬くんは返事を聞かずに降りて行ってしまった。
 ……どうしよう。話があるって言ってたし、仕方ない、かな……。

 私は手元の書類を片付けてパソコンの電源を落とし、帰り支度をした。

 エレベーターを降りてゲートをくぐると、さっきの言葉通り、奥瀬くんが待っていた。
 私を見つけた奥瀬くんの口元に緩い笑みが浮かぶ。

「あの、」
「行こう、ここだと目立つ」

 私が何かを言う前に、奥瀬くんはサッと身を翻してエントランスの外へと向かい始めた。
 ノー残業デーだからか、夕方6時前の会社のエントランスは退社する社員が次々とゲートからはき出されるように流れ出てくる。

 確かにこんなところに立っていると、通る社員全員にもれなくじろじろと見られそうだった。
 奥瀬くんの背中を追って、私もエントランスをくぐって外へ足を向けた。

 会社を出ても私は奥瀬くんの隣に並ぶことはせず、私は少し斜め後ろから彼を追いかけるように歩いて行く。
 奥瀬くんは時々私がいるかどうかを確認するように視線を向けるけれど、隣に並ぼうとしない私を気に留める様子は無い。
 高校時代の私を知っているからなんだろうな、と思うと、少し胸の奥がざわつく。

 高校を卒業して、全てを断ち切るようにして地元を離れ、大学へ進学して、就職して……。

 ここでは誰も、私を知らない。
 私がどんな人間なのか。
 どんな人間だったのか。

 それなのに、今またこうして、あの頃の私を知っている人が目の前にいる――。

 私たちは駅近くにある小綺麗な居酒屋に入り、まずはビールで乾杯をした。

「お疲れ様」
「お疲れ様、です」

 ビールジョッキを控えめにカチリと合わせ、ゴクゴクとビールを喉に流し込む奥瀬くんを見ながら、私も少しだけ黄金色の飲み物を飲み込む。
 ビールを飲むのは久しぶりで……と言うか、アルコール自体とても久しぶりで、ほんの少しだけでも酔いそうな気がしてしまう。

「敬語」
「……え?」
「会社ではともかく、外では敬語いらないだろ」
「あ、うん……」

 同級生に敬語を使うのは、確かに変だ。
 でも会社での奥瀬くんは先輩だし、それに……。

「社外で俺に敬語で話したら、罰ゲームにしようかな」
「ええ?」
「嫌なら普通に話せばいいんじゃない?」
「う、ん……分かった」

 不敵に微笑む奥瀬くんが憎らしい。
 ……うっかり敬語で話してしまったら、どんな罰ゲームをさせられるんだろう。

「仕事は順調?」
「あ、うん、なんとか。細かい仕事が多くて、野村さんの仕事っぷりに驚かされてばっかり」
「あの人は超人だよ。営業部も狙ってるって話もあるぐらいだから」
「営業部……。野村さんならすぐにトップに上り詰めそう、だね」
「……いま、敬語出そうになった?」

 私の語尾に違和感を抱いた奥瀬くんが、笑いながら意地悪そうな顔で私を見ている。

「……出なかったもん」
「あはは、出なかったな。残念」
「……意地悪」
「敬語にならなきゃいいだけだろ?」
「そうだけど……」

 どこまで私のことを知っていて、こんなことを言い出したのか……。
 心の奥がざわめいて、落ち着かない気分になる。

「あの……、話があるって言ってたよね……?」
「ああ、うん」
「なに……?」
「この時期いつも高校の同窓会みたいなのをやってるんだけどさ。若月も参加しないかなーって」
「同窓会……?」
「……橋本とか遠藤たちが一緒だったら若月も同窓会に来たり、しない?」

 橋本香織と遠藤由里奈は、私が高校三年生の時に特に仲が良かった友達だ。
 あの頃の私は、常に彼女たちと一緒にいた。
 とても、とてもお世話になった大切な友達だ。

 大学の頃は時々会ってたけど、お互い社会人になって、忙しくなって……連絡だけは時々してるけど、しばらく会えていなかった。
 会いたいけど、でも……。

「ごめん、同窓会とかそう言うのは、私はちょっと……」
「うん、だよな。そう言うと思った」
「……ごめん」
「いや、全然謝る必要ないから」

 本当に気にしていなさそうにカラッと笑って、ビールを喉に流し込む奥瀬くん。

 私の中では奥瀬くんはまだ高校三年生のままで止まっていて、そんな彼がビールなんて言う大人の飲み物を普通に美味しそうに飲んでいることが、なんだか違和感でしかない。
 私もそんな風に見えていたり、するんだろうか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜

四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」 度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。 事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。 しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。 楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。 その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。 ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。 その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。 敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。 それから、3年が経ったある日。 日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。 「私は若佐先生の事を何も知らない」 このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。 目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。 ❄︎ ※他サイトにも掲載しています。

夜の帝王の一途な愛

ラヴ KAZU
恋愛
彼氏ナシ・子供ナシ・仕事ナシ……、ないない尽くしで人生に焦りを感じているアラフォー女性の前に、ある日突然、白馬の王子様が現れた! ピュアな主人公が待ちに待った〝白馬の王子様"の正体は、若くしてホストクラブを経営するカリスマNO.1ホスト。「俺と一緒に暮らさないか」突然のプロポーズと思いきや、契約結婚の申し出だった。 ところが、イケメンホスト麻生凌はたっぷりの愛情を濯ぐ。 翻弄される結城あゆみ。 そんな凌には誰にも言えない秘密があった。 あゆみの運命は……

思い出のチョコレートエッグ

ライヒェル
恋愛
失恋傷心旅行に出た花音は、思い出の地、オランダでの出会いをきっかけに、ワーキングホリデー制度を利用し、ドイツの首都、ベルリンに1年限定で住むことを決意する。 慣れない海外生活に戸惑い、異国ならではの苦労もするが、やがて、日々の生活がリズムに乗り始めたころ、とてつもなく魅力的な男性と出会う。 秘密の多い彼との恋愛、彼を取り巻く複雑な人間関係、初めて経験するセレブの世界。 主人公、花音の人生パズルが、紆余曲折を経て、ついに最後のピースがぴったりはまり完成するまでを追う、胸キュン&溺愛系ラブストーリーです。 * ドイツ在住の作者がお届けする、ヨーロッパを舞台にした、喜怒哀楽満載のラブストーリー。 * 外国での生活や、外国人との恋愛の様子をリアルに感じて、主人公の日々を間近に見ているような気分になれる内容となっています。 * 実在する場所と人物を一部モデルにした、リアリティ感の溢れる長編小説です。

ホウセンカ

えむら若奈
恋愛
☆面倒な女×クセ強男の不器用で真っ直ぐな純愛ラブストーリー! 誰もが振り返る美しい容姿を持つ姫野 愛茉(ひめの えま)は、常に“本当の自分”を隠して生きていた。 そして“理想の自分”を“本当の自分”にするため地元を離れた大学に進学し、初めて参加した合コンで浅尾 桔平(あさお きっぺい)と出会う。 目つきが鋭くぶっきらぼうではあるものの、不思議な魅力を持つ桔平に惹かれていく愛茉。桔平も愛茉を気に入り2人は急接近するが、愛茉は常に「嫌われるのでは」と不安を抱えていた。 「明確な理由がないと、不安?」 桔平の言葉のひとつひとつに揺さぶられる愛茉が、不安を払拭するために取った行動とは―― ※本作品はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。 ※イラストは自作です。転載禁止。

私が素直になったとき……君の甘過ぎる溺愛が止まらない

朝陽七彩
恋愛
十五年ぶりに君に再開して。 止まっていた時が。 再び、動き出す―――。 *◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦* 衣川遥稀(いがわ はるき) 好きな人に素直になることができない 松尾聖志(まつお さとし) イケメンで人気者 *◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

契約結婚!一発逆転マニュアル♡

伊吹美香
恋愛
『愛妻家になりたい男』と『今の状況から抜け出したい女』が利害一致の契約結婚⁉ 全てを失い現実の中で藻掻く女 緒方 依舞稀(24) ✖ なんとしてでも愛妻家にならねばならない男 桐ケ谷 遥翔(30) 『一発逆転』と『打算』のために 二人の契約結婚生活が始まる……。

処理中です...