嘘は溺愛のはじまり

海棠桔梗

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あの時も、いまも

6.

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 谷川部長が、私が着ているジャケットのボタンに手をかけた。
 首を左右に振って拒絶の意思を示すが、いやらしく笑うばかりで全く聞き入れてもらえそうにないどころか、乱暴な手つきでジャケットのボタンを外し、今度はブラウスのボタンに手をかけた。

 しかしジャケットとは違い、ブラウスのそれは小さくて繊細な飾りボタンだ。
 男の人の太い指でそれを外すのは容易でないらしい。

 ああ、このブラウスで良かった、と思ったのも束の間――イライラした唸り声が頭上から聞こえ、ブチブチッと音を立てて引きちぎられたボタンがどこかへはじけ飛んだ。

「……っ!?」

 ボタンが床を転がって行き、見えなくなる。
 綴じ合わせる手立てを無くしたブラウスはもう私の胸元を隠してはくれず、下着が完全に顔を覗かせていた。

「ふぅん……、僕を誘ってくるぐらいだから、もっといやらしい感じの下着かと思ったけど。まぁこう言う清楚っぽいのも、逆にそそるけど、ねぇ?」

 羞恥と屈辱で、思わず涙がじわりと滲む。

 誘ってなんか、いない……!!
 そんなことするわけがない……!!

 声は、喉の奥でつかえて、出てこなかった。
 私は相変わらずどこまでも役立たずで、意気地無しで、どうしようもなくて、本当に情けなくなる。

 馬乗りに跨がったままの谷川部長が、再び私に顔を近づける。
 何をされるかもう分かりきっていたから、私は出来る限り顔を横に背けた。
 だけどそんなことはただの無駄な抵抗。
 強い力で顎を掴んだ手によって正面へと戻され、再び唇を奪われた。
 生暖かい舌で舐め回されて、もう死んでしまいたい気分になる。

 ――ああそうだ、ここで、自分の舌をかみ切ってやればいいんだ……。
 “あのとき”だって、私は真剣に、そう思ったんだ――。

 だけど、執拗に絡みつく谷川部長の舌が、それを許さない。

 私、ここで、この人に犯されるのか……

 そう諦めかけた瞬間だった。


「……うわぁっ!?」


 谷川部長の短い悲鳴が聞こえ、突然私の上から消え去った。
 何が起こったのか分からずあたりを見回すと、谷川部長は床にたたきつけられていて……。

「若月っ、大丈夫か!?」
「……っ」

 身体を強く床に打ち付けてのたうち回る谷川部長を冷たく見下ろしていたのは、奥瀬くんだった。
 そしてすぐにバタバタと誰かの足音がして……。
 起き上がろうとする私を優しく抱き起こしてくれたのは、伊吹さんだった。

 伊吹さんに、ギュッと抱き締められる。

「結麻さん……、結麻さんっ」
「い、ぶき、さん……? あ、……どう、して、」

 声が掠れたがなんとか絞り出して問うと、奥瀬くんが「俺に内線かけただろ?」と首から提げて胸ポケットに入れてある内線専用の携帯電話を指先でトントンと叩いた。

「谷川部長がいないし、変だと思って野村さんに聞いたら総務の用事で書庫に行ったって言うし……。マジで焦った」

 あんなたったひと言だけの電話で私だと気付いてくれて、しかも他の色々に気付いてくれたことに、私は心の底から感謝をする。

 伊吹さんは着ていた自身のジャケットを脱ぎ、私の肩にかけてくれた。
 ボタンを失ったブラウスはもう私の身体を覆い隠してはくれない。

 私はガタガタと震える唇をなんとか動かして「あり、がとう、ございます……」と小さく口ずさみ、伊吹さんのジャケットの前をかき寄せた。
 ぎゅうと抱き締められ、伊吹さんの匂いに、暖かさに、やっと助かったんだと実感して、安堵の涙が零れ出た。

「はいはい、逃げないで下さいね、谷川部長。あんたがやった事は全部俺と篠宮専務が見てますから」
「いっ、いててててっ!!!」

 見ると、谷川部長が逃げだそうとして、奥瀬くんに腕を捻り上げられていた。

「ち、ちがうっ! 私は、何も悪くないっ! この、この女がっ、この女が誘ってきたんだっ!!」

 私は伊吹さんに抱き締められたまま、首を左右に振る。

 違う。
 違う、私は、そんなことしてない!

 だけど、こう言う時に周りの人たちに信じられるのは、いつも、相手の言い分だ――。


 ――だって、“あの時”も、そうだったから。
 私の言い分は、なにひとつ拾ってもらえなくて。
 だから、だから私は――



『その淫乱な女が誘ってきたんだ、俺は何も悪くない! 子供のくせに、このあばずれめ!!』



 過去の言葉と、谷川部長の言葉が、重なる――。
 あの時と同じ光景が、いままた、私の目の前にある――。

 ねぇ、どうして……?
 どうして男の人はみんな、そんなことを言うの……?
 どうして、私の言い分は、誰も信じてくれないの……?
 違う、私は誘ったりなんか、していない。

 私は、
 私は…………!


「結麻さん……? 結麻さんっ、大丈夫!?」


 涙が頬を止めどなく濡らし、視界がぐにゃぐにゃになる。

 もともと苦しかった呼吸が更に苦しくなって、ぐにゃぐにゃだった目の前が、今度は真っ暗になった――。



 ――――悪いのは、いつも、“私”。
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