嘘は溺愛のはじまり

海棠桔梗

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【番外編】伊吹 side

4.

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「こん、ばんは、」

 駅から走ってきたのだろうか、少し息が切れているようだ。

「こんばんは。お呼び立てして申し訳ありません」

 和樹さんが彼女に優しく話しかける。

「早速ですけど、結麻さん。昨日言っていた、お仕事の件ですけどね」

 そう言って、和樹さんが彼女に説明を始めたのが聞こえてくる。

 断られたりしないだろうか……。
 いや、仕事の方の条件は問題ないはずだ、むしろ小さな印刷会社よりはずっと待遇もいい。

 ただ……問題は、住むところだ。これに関しては、断られてしまう可能性が高い。
 叔父には完全に呆れられたけど……それでもこれは滅多にないチャンスだ、それを棒に振るほど俺もバカではない。

 和樹さんが俺に合図を送ってきた。
 ゆっくりと立ち上がり、なるべく威圧感を与えないように気をつけて、彼女の元へ向かう。

「こんばんは。はじめまして」

 俺の挨拶に、驚いたように目を丸くして「こん、ばんは……」と、たどたどしく答える。

「篠宮伊吹と言います」

 名乗りながら名刺を差し出すと、彼女は少しだけ震える指でそれを受け取った。
 緊張しているのがこちらまで伝わってくる。
 しかしそんな様さえ愛らしいと思ってしまう。

 簡単に仕事の説明をして、次に問題の住む場所の話だ。
 いま住んでいるマンションの下の階に空きが出そうだ、と言うのは、本当は真っ赤な嘘だった。
 あのマンションは完全に分譲で、もし空きが出てそこへ入りたいとなったら、買い取るしかない。
 彼女に払える額ではないのは分かりきっていた。
 分かっていてわざと提案したことは、彼女には気づかれていない。

 少し不安そうにしていたが、秘書課での仕事を引き受けてくれることになった。
 住む場所の話も、彼女に首を縦に振らせることに成功した。

 あまり良くないことをしている自覚はある。
 それでも、この機会を逃すことだけは絶対に出来なかった――。


 それから一ヶ月後。
 彼女のアパートの退去直前に、たたみ掛けるように、俺は次の提案をする。

「部屋が余っているので、下の階が入居できる状態になるまでの仮住まいに使って下さっても結構ですよ?」

 この言葉の意味するところに彼女が気づき、慌てる様が可愛らしくて堪らない。
 真っ赤になって俯いてしまった。
 うん、悪い反応ではない。
 少なくとも、怖がらせてはいないだろう。

 男性恐怖症ではないかと叔父は言っていたが、それほど重症でもなさそうに見える。
 もちろん最低限の心配りはしているつもりだし、これからもずっと気をつけるつもりではいる。

 叔父からは『彼女を泣かせるな』と何度も念を押された、もちろん俺だって彼女を絶対に泣かせたくないし怖がらせたくもない。
 むしろ、目一杯可愛がりたいのであって……。

 交渉の結果、なんとか同居へと持ち込むことが出来た。
 俺がこの手の交渉ごとで勝てないわけがない。
 彼女も、まさかこんな汚い手を使ってまで同居を迫られているとは思ってもみないことだろう。
 ほんの少し良心の呵責を感じるが、無視をすることに決めた。
 どうしたって俺は彼女を手放す気はない。

 かくして、彼女との同居が始まったのだった――。
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