川と海をまたにかけて

桜乃海月

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過去と現実の重なるところ

第2話

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 川はいつものように平穏で、ミソカがいる生活にも慣れた頃。私は久しぶりに男の人をゆっくりと待っていた。この場所にはちょくちょくきていたし、何度か見かけることもできていたけれど、ミソカが気になってここでゆっくり過ごす時間は久しく取れなかったのだ。
 やがて現れた男の人はいつもの場所でじっと私のことを見つめる。
「ねぇ、何しているの?」
 突然の声にびくりと震えた。振り返るとミソカが不思議そうに私を見てから上を見上げた。
「人間の男じゃん。やけに思い詰めたような顔してんね。でもちょっとかっこいいかも。この男を見に出かけてたのか」
 納得したといった顔で、ミソカは私をにやりと見つめる。
「好きなの?」
 その言葉に頬がかっと熱くなる。
 人間に恋心なんてここでは考えられないことだった。それなのに、ミソカは相手が同じ精霊かのように当たり前に好きかと聞いてくる。だから、思わず頷いてしまった。
 好きでもいい。ミソカは受け入れてくれるのか。
「それなら私に力にならせてよ」
 いきなり手を握られてそういわれた。
「助けてくれた恩返しをずっとしたいって思ってたの。コモチがあの男と話したいっていうなら、そうできる力が私にはあるんだよ? コモチの願いを教えて?」
 あの人と話せる。あの瞳に見つめてもらうことを何度夢見ただろう。でも、本当にそんな力がミソカにあるんだろうか。それでも物は試しと私は願いを口にすることにした。
「あの人に見つめられたいの。できるなら話しだってしたいわ」
「任せて。明日コモチをあの男に会わせてあげる」
 ミソカとそんな話しをしている間に男は立ち上がって行ってしまう。
 それを見たミソカは私の手を取って家へと向かって泳ぎだす。
「本当はいけないことなんだけど、コモチなら大丈夫だと思うの。このピアスを耳につけて」
 家に着いてからミソカはいつもと違い、真剣に声のトーンを落として秘密を打ち明けるように話した。
 片耳のピアスを外して、私にそっと手渡したミソカ。手の平に乗る小さなピアスを見つめる。
 いつも大事に身に着け、たまにそこにあるか確認するように触れていた。
「これ、大事なものなんでしょ?」
 言葉と同時にミソカにピアスの乗った手を差し出す。その手の指を包みながら押し返される。
「とっても大事なもの。でも、コモチの願いを叶えるにはこの方法しかないし、私はコモチを信じているから。このピアスをして体になじませておいて」
 ミソカにいわれるまま、私はピアスを耳に刺す。ちくっと一瞬痛んだが、少しすれば着けていることを忘れてしまうくらいに違和感はなくなった。

「ねぇ、コモチ。恋ってどんな感じ?」
 私とミソカは夜、並んで眠る。お休みといったミソカはいつもすぐ寝息をたてだすのに、今日は聞こえないなと思っていたところだった。
「ふわふわする感じかしら。気づいたらあの男の人のことを考えていて、会いたくなって。全部捨ててここから飛び出して、隣に座れたらどんなに素敵だろうって思うこともあるわ」
 初めて話す気持ちはどこまでしゃべればいいものかわからず、ただ溢れ出す。
「そっかぁ。なんかいいなぁ」
 らしくない声音に私は不思議に思う。
「どうしてそんなこと聞くの?」
 しばらくミソカから言葉は返ってこない。寝ちゃったのかな? そう思った時だった。
「私ね、好きになるってまだわからなくて。私の家は決められた人と結婚するのが決まりだし、好きを知らなくてもいいんだけどさ、ある話に憧れてるの。聞いてくれる?」
 あまり自分のことやここに来る前のことを話さないミソカが、自分から話してくれるのを嬉しく思って、私は「うん、いいよ」となるべくさりげなさを装って話しを促す。
「人間に恋をした人魚の話しなの。人魚は海から出て人間と暮らす。でも、その恋は実らず泡となって消える運命が決まる。そこに男の命と引き換えに助かることができるといわれるんだけど、結局男を殺せず身を投げるの」
 私はただ黙って聞いていた。
「そこまで誰かを大切に思えたら素敵だなって思ったの。私は今まで誰かをそこまで大事に思ったことがなくて、なのに水の中に生きるもの全てを愛し守りなさいなんて、無理なこと吹っ掛けられるんだもん。逃げたくもなるって」
 海ではそんなことをいわれるのかと眠りにつこうとぼんやりする頭で思っていた。
「だから、コモチの恋を応援している内に何かわかるかなとか思ってるとこもあるんだよね」
 ミソカの声が遠くに聞こえる。私はいつの間にか瞼が重く閉じていく。
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