川と海をまたにかけて

桜乃海月

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過去と現実の重なるところ

第3話

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 男の人がいつも来る時間の少し前。私とミソカはいつもの場所の近くの水辺で話していた。
「これから人間にするからね。後は上手くやって」
「人間にって……上手くって……私どうしたら……」
「難しく考えずに素直に話したらいいんじゃない? 早く、男がきちゃう」
 水の浅いところまで私を押しやって、ミソカは耳のピアス触れる。光りだしたピアスに共鳴するように私の耳にあるピアスも光りだす。
 光に包まれて体がどこまでも大きく伸びていくような感覚がした。怖くなって目をぎゅっとつむっても、どこまでも伸びていく感覚が鮮明になるだけだった。
 目を開けると世界は鮮明でどこまでも広い。上を見れば水色の中に緑がちらつく。
 水の外で私は立っていた。体は重く、見上げた拍子にバランスを崩す。
 水草の中に尻もちを着いて、今まで感じたことのない痛みを感じる。
「大丈夫ですか?」
 その声に振り向くといつも私が見上げていた顔があった。
「えっ、あっ、大丈夫です」
 心臓がうるさく騒ぐ。頭の中は真っ白で何をいえばいいのかわからない。
「とりあえず、立ったら?」
 そういって差し出された手を握ると引き寄せられて、その腕にすがってなんとか立ち上がる。
「かなり汚れてるね」
 後ろを見ると白い服のお尻には泥と水草が張り付いていた。
「ここら辺で見たことないけど、名前なんていうの?」
「コモチです」
 男の人は私を頭の先からつま先まで見つめる。素敵だと思っていた瞳が私に向けられている。それだけで夢見心地でふわふわとする。
「かわいいね。最近引越してきたのかな?」
 聞かれている意味はよくわからなかったが、男の人が次々としてくる質問に曖昧に答えて続けながら夢見た時間がゆっくりと過ぎるように祈った。
「家で服洗ってあげようか?」
 その言葉にも曖昧に頷くと、男の人の腕が腰に回って私を抱き寄せて歩き出す。
 今まで出たこともなかった川から、私は男の人に連れられて離れていく。

 人間の家に入ることがあるなんて思ったことなかった。
 ごちゃごちゃとものが多い。頭に入る情報が多くてくらくらする。
 促されるままに移動して、服を脱いで、丹精込めて育てた苔よりもふかふかな場所に寝かされて、男の人は私を抱きしめた。

「川の外はどうだった?」
 川に戻ると私の体は元に戻り、ミソカが声をかけてくる。
 まだふわふわと現実感がなく、体験してきたことを言葉にできない。
「すごかった。信じられない体験だったわ。また逢いに来るって」
 男の人のことを思い出しながらうっとりとミソカに話した。
「よかったじゃない」
 自分のことのように嬉しそうにいってくれたミソカは、私の手を握ってくるくると回る。

 男の人はそれから頻繁に私を求めて逢いに来てくれた。男の家に向かって求められるがまま肌を重ねる。人間にとってそれが当たり前のことなんだと思った。
 人間の世界のことをテレビというものや、男から聞くたびに憧れは減っていく。川の中よりもこの世界はずっと複雑で嫌なことも多いらしい。
 ふかふかのベッドの上で、何度も優しく抱きしめられて毎回幸せだったはずなのに、いつの間にか耐える時間になっていた。
 それでも、私を必要としてくれている。それに、たまに向けてくれる私が好きになった強い眼差しに惹きつけられてしまう。

 もう何度逢ったのかは数え切れなくなってきた頃。平和な川の中は私がいないからといっても変わりはなく、ミソカもいたから男の人が許す限り一緒に過ごしていた。
 男の人しか見えていなかった。
「俺今度引っ越すんだ」
 耐える時間が終わって、腕の中で温もりを感じている幸せな時間。
「どういうこと?」
 最初はわかったふりして返事をしていたけれど、素直にどういうことかと聞いた方が男の人は喜ぶことを知ってからはなんでも聞いている。
「今日でもう会えない。あの川のところに朝行ってたのは、仕事首になっていくとこなかったから。妻が出かけるまで身を隠してたんだ」
 もう逢えない。その言葉だけが私の頭の中を駆け巡り、暴れまわる。
「妻にばれて、妻の実家に行くことになった。だから、今日で最後。コモチだっていい思いしたんだから、すっきり別れてくれよ」
 頭に言葉が入ってこない。もう私はいらないってこと? なんで笑っているのだろう。私はこんなにも悲しいのに。
 男の人の顔はどこかすっきりとしたようで、その瞳に私はもう映ってなさそうだった。
「もう私は必要ない?」
 出てきた言葉はそれだけだった。
「必要か不必要かでいったら、ある意味必要だけど。実際コモチじゃなくてもいいっていうか。最近ひしひしと俺しか見えてない感じがして重いって感じてたんだよな。丁度よかったんだって」
 そういいながら私から離れて、落ちていた服を男の人は拾った。私の服も拾って投げてよこす。早く着ろ。いわれなくても伝わってくる。
 服を着た私の腰に腕を回して歩くと、初めてここに来た日を思い出した。
 家の外に出る最後の一歩は手で背中を押されて、バランスを崩す。
「今まで楽しかったよ、さよなら」
 背中にかけられた言葉に振り返ると、扉はばたんと音を立てて閉まった。

 元々現実感のなかった人間の世界の男から終わりを告げられ、状況が上手く飲み込めずに感情も追いつかないまま川へと帰る。
 そういえば、最後まで名前も聞けなかったな。
 本来の姿に戻ってミソカに逢うと、目から自然に涙が溢れ出す。
 人間の世界の関わり方はまだ理解していない。それでも、とてもひどい扱いを受けた気がした。自分をないがしろにされたと感じる。
 ミソカの胸の中で散々泣いた。その間ミソカは何も聞かずに、ただ優しく抱きしめてくれていた。
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