凪に落雷

碧碧

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 あの日の衝撃は今でも忘れていない。

 高校一年生の時の文化祭。一人の男子生徒が体育館のステージで爆音を奏でていた。聞き覚えのない曲。オリジナルだろうか。見たこともない速さでギターの弦が弾かれ、突き刺さるようなハイトーンボイスが鼓膜に突き刺さる。

「音デカすぎ!うっさい~」
「何言ってんのかわかんないね」

 周囲の反応など気にならない。その時、高坂こうさか大和やまとは、霧島きりしまてつの奏でる音楽に心を奪われていた。まるで恋に落ちるように。





「じゃあ次の曲合わせるぞー」

 ドラム担当の大川おおかわ慶太けいたが全員に声をかける。高坂はチューニングを確認し、それに応じた。ギター担当の松田まつだ晴斗はるとが「ちょっとペース早くない?!」とわあわあと騒いでいる。そんな中、ギターボーカルの綴がマイクに向かったのを見て全員が演奏の体制に入った。ブレスの音が聞こえ、透き通った声がスタジオに響く。全員の音が重なって一つになる。大和の体と頭は自然に揺れ、全身に心地よい振動が満ちた。

 曲を演奏し終わると、綴がメンバーに顔を向ける。前髪に深く覆われていてその表情はほとんど見えない。

「悪くない。慶太はイントロをもう少し小さめに。晴斗は後でサビの掛け合いを合わせよう。大和はBメロのところ、もっと大きく、目立たせて」

 言葉少なに指摘され、三人は小さく頷いた。言われたとおりにできるようそれぞれで練習を続ける。今回の新曲もたまらなくかっこいいのだがやはり難易度が高く、大和は難しいコーラスやパートを重点的に繰り返し練習した。





 文化祭で綴の音楽に一目惚れならぬ一耳惚れをしてから、大和はすぐに楽器屋に走った。綴の声とギターの音が耳に残って離れない。大和の鼓動は速くなり、自分の世界が綴の音楽で鮮やかに色づいた気がした。自分もあんな風に音楽を奏でてみたい。あの人と一緒に演奏したい。その熱情は、両親が楽器を買い与えてくれるほどだった。最初はあの人と同じようにギターを練習するつもりだったが、練習本の楽譜を見て心が折れてしまいベースに切り替えた。初心者用のベースを手に入れてからは入っていた運動部を辞め、毎日練習に励んだ。音楽は知れば知るほど奥が深い。大和は音楽とベースの世界に溺れた。

 文化祭が終わってから、あの人は霧島綴といって、音楽フリークで有名な三年の先輩なのだとクラスメイトに教えてもらった。三年生ということは今年いっぱいで卒業してしまう。そう思った次の瞬間には、大和は三年生のいる校舎に向かっていた。

「霧島先輩、いますか!」

 教室で叫ぶと、机に一人で座っていたその人がクラスメイトに呼ばれて鬱陶しそうに大和の方へ歩いてくる。

「君、誰。何の用」

 普段の声はそんなに高くないんだ。大和がぼうっと聞き惚れていると、「用がないなら戻る」と背中を向けられてしまった。

「あ、すみません!俺、一年の高坂大和って言います。文化祭で先輩の音楽を聞いて、めちゃくちゃかっけえなって思って、楽器買いました!」
「・・・そう。ギター?」
「いや、ベースです。ギターの譜面難しくて・・・」
「あっそ。それで用って何」
「俺、いつか先輩と一緒に音楽やりたいです。先輩、卒業後は大学行くんですか?」
「行けるように勉強してるけど」
「どこですか?!俺もそこに行って一緒にバンドやりたいです!」

 大和の熱意に押されたのか、霧島は目指す大学を教えてくれた。「下手な奴とバンド組む気はないけど」という一言を添えて。

 大学の合否発表の翌日、また教室まで結果を聞きにいき、無事に合格したと聞いて大和は飛び上がって喜んだ。「なんで俺より喜んでるんだ」と呆れながらも、霧島は少しだけ笑ってくれた。そこで連絡先を交換し、何度か一緒にスタジオ練習をするようになる。まだまだ下手な大和だったが、毎日の練習を欠かさず、ベースの技術は少しずつ上達していった。





 無事に大和も綴と同じ大学に入り、軽音サークルに所属することになった。そこで出会ったのが大和の一つ年上の晴斗と慶太である。二人は技術もさることながら、何よりもコミュニケーション能力に長けていた。人付き合いが得意ではない綴と上手に距離感を保ちながら接し、音楽について語り合うことができる。いつしか四人は自然とバンドを組み、ずっと一緒にいるようになった。綴が作った曲で学園祭に出たり、ライブイベントに出させてもらったり、みんなで金を出し合い自主制作でCDを作成したり。大学生活は充実していた。そして少しずつ自分たちの音楽を聴いてくれる人が増えてきた頃、綴の卒業の年になる。

「大学を卒業したら、音楽一本でやっていこうと思う。それで・・・俺はお前らとしか組みたくない、し、できればこの四人でやっていきたい、んだけど」

 珍しく照れくさそうにそう言った綴を、他の三人が拒むはずがなかった。感極まって号泣する大和に、「お前っていっつも俺より嬉しそうだよな」なんて綴に言われたのを覚えている。

 そこから早7年。この四人のバンド「なぎ落雷らくらい」は少しづつ人気を獲得し、全国ツアーを回ったりフェスでトリを任されたりするくらいになった。人気を獲得できた一番の理由は、やはり独創性と中毒性に満ちた綴の作る曲だと思う。歌詞は抽象的で難解だが、それが逆にコアなファンを生んでいると雑誌に書かれていた。とはいえ綴を支える晴斗と慶太も幼い頃からずっと楽器をやってきただけあって能力が高い。綴の表現したい世界を曲として表現できるのはこの二人がいるからだと言われていた。

 その点、楽器歴の浅い大和は三人についていくのに必死だった。新曲の譜面を渡される度、寝る間を惜しんで練習する日々。自分のこだわりでピックを使わず指で弾くと決めたせいで、毎日指の皮が破けそうになる。それでもこの四人で音楽をするのは楽しかった。こんな時間が永遠に続けばいいと思う。





「練習が終わった後、少し時間が欲しい。話したいことがある」

 晴斗との練習がひと段落したのか、綴が三人に向かって言う。大和は頷いて一口水を飲んだ。



「俺、ソロで活動してみようと思う」

 練習後、綴から放たれたその言葉に、大和が呆然とする。晴斗の顔からも笑顔が消えた。リーダーである慶太は知っていたのか目を閉じている。

「急にごめん。バンドを辞めるつもりはない。並行してやっていこうと思ってる」
「並行って・・・そんなことできんの?」

 晴斗が首を傾げると、綴が少し俯いた。

「正直、やってみないとわからないけど」
「ふーん。どうしてそういう話になったのか、理由は聞いていい?」
「・・・このバンドでは表現できない曲ができた」

 このバンドでは表現できない。
 その言葉が大和の真っ白な頭の中にじわりと染み込んだ。

「ま、バンドの方も同じ熱量で続けてくれんなら、俺はいいけど」

 晴斗がそう言い、綴の視線は大和に移る。慶太が小さく息を吐き、口を開いた。

「二人には黙っててごめん。俺は先に綴から相談を受けてたけど、俺は綴がしたいことを諦めるのは違うと思ってる。ソロ活動で音楽性の幅を広げてもらって、バンドに還元してくれたらそれでいいかなって。俺らのバンドでは表現できないって言われると正直複雑な気分だけど、そこまで言う綴の新しい音楽も聴いてみたいとも思う。問題は・・・」

 慶太が俯く大和を見遣る。

「問題は、綴命の大和だな」
「そういうわけじゃ・・・」

 綴の隣で音楽をするためだけに毎日練習を欠かさず、ストーカーの如く大学まで追ってきたわけで、綴命だと言われても強く否定できない。だが、何よりもこのバンドで表現できないと言われたのがショックだった。

「俺が、ついていけてない、から・・・ですか」
「は?」

 大和が呟くと、綴が一瞬驚いたような表情を浮かべる。

「晴斗さんと慶太さんは綴さんの音楽を完璧に表現できる。上手くできないのは俺だけです。だからですか」

 重ねた言葉に、徹の眉間に皺が深く刻まれた。

「何、それ」
「いや、いいです。ごめんなさい、ソロ活動の話ですよね。俺が反対できる話じゃないので、どうぞ好きにやってください。じゃあ俺先に帰ります」

 言いきって、静止する三人の声も聞かずスタジオを出た。いつもならこの後四人で飲みに行って、アパートの近い綴と一緒に帰るのに。一人になった途端涙が止まらない。いくら並行すると言っても、ソロ活動を始めたアーティストのバンド活動が減るのなんてよく聞く話だ。

 嫌だ。綴の隣でずっと音楽をしたい。一番近くで声を、音を聴いていたい。綴の作る曲のベースの音は、自分だけが奏でたかった。どうして俺じゃ駄目なんだ。どうして、どうして。

 無力感と汚い独占欲がとめどなくあふれてくる。一通り吐き出して、大和は拳に力を込めた。もっと練習しなければいけない。また綴がバンドで音楽をやりたいと思ってくれるように。



「何言ってんだ、大和のやつ。今あいつより上手いベーシストなんて、日本にそうそういねえじゃん」
「自分のことはわかんないもんだな」

 晴斗と慶太がスタジオの出口を見ながら言う。

「大和が人一倍どころじゃない努力してるのを知ってんだから、なんでちゃんとフォローしないんだよ」
「そうそう。ほんと、綴ってば歌以外じゃ言葉にするの下手だよね」
「歌でもかなりわかりにくいけどな」
「うるさい」

 揶揄うような晴斗と慶太の言い様に、綴が顔を顰めた。自分の作る曲は演奏難易度が高く、大和がどれだけ練習しているかなんて言われなくてもわかっている。大和の技術の高さも、綴の音楽に対する想いもちゃんとわかっている。大和の能力が低いわけがない。

「大和はお前と音楽やるためだけに生きてるようなもんなんだから、やるなら本気で成功しろよ。バンドじゃなくてソロじゃないと表現できない音楽だったってちゃんとわからせてやらないと、あいつピーピー泣いて使いもんにならなくなる」
「・・・わかってる」

 慶太に背中を叩かれた綴が小さく返事をした。




 その日から大和は鬼気迫る様子で日々の練習を積み重ねた。血が滲んでも、指の皮膚が硬くなっても、時間を惜しんでベースを弾き、喉が枯れる直前までコーラスの練習をする。新曲も、これまでの曲も、全て。

 新曲を引っ提げたツアーを前にして、綴がスタジオ練習に来るのは三回に一回になった。それでも演奏する曲のクオリティは維持されるどころか上がり、問題なくツアーは決行された。ライブの途中、綴がソロ活動を始めることを伝えると、応援する歓声と落胆の声が入り混じる。その様子に大和がハッと目を見開いた。

「ソロ活動って聞くと、もうバンドはやらないんじゃないか、バンド活動が減っちゃうんじゃないかって、不安になる人もいるかもしれません。でも、ソロばっかりにはしない、並行してバンドもやるって綴が言ってくれました。何より、俺達バンドメンバーが綴のファンなので、綴と一緒に音楽ができないのは耐えられません!ソロばっかりは許しません!」

 そう言った大和に会場のファン達から歓声が上がる。

「大和が一番のファンだもんね。ガチ勢だもん」
「ちょっと引く時あるもんな」
「晴斗も慶太もうるさい!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ三人に綴がクスリと笑った。

「ソロ活動させてもらう分、そこで得たものを必ずバンドに持って帰ってきます。この四人でしか表現できない音楽もたくさんあるので、欲張らせてください」

 ライブハウスに凛とした綴の声が響く。一瞬の静寂の後、わーっと歓声が巻き起こった。



「ツアー完遂を祝して、乾杯!」

 カチャン、とジョッキの合わさる音がそこらじゅうで響く。全国ツアーは大成功で幕を閉じた。大和もほっと息を吐き、乾いた体にビールを流し込む。

「それにしてもあんな凹んでた大和が熱いMCしちゃってさ」
「あれで会場の空気が一気に変わったもんな」
「な、別に凹んでないし!熱いとかじゃないし!」
「大和、ありがとうな」
「綴さんまで!ああもうこの話終わり終わり!」

 ぐびぐびとビールを飲んで赤くなった顔を誤魔化した。お礼を言いたいのは大和の方だ。

『この四人でしか表現できない音楽がある』。

 それは、今一番大和が欲していた言葉だった。じんわりと胸が暖かくなる。もっと綴に認めて欲しい。やっぱり自分の曲でベースを弾くのは大和だけがいいと、そう言って欲しかった。



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