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1章 第二の始まり
人外の少年と怪物の少女
しおりを挟むルカに記憶の喪失を打ち明けた部屋から場所は移る。
あの部屋から長い廊下を抜け、広い中庭の回廊を通り、そうしていくつもの扉を抜けた。
暖炉のある広い部屋だ。全体的に木々の柔らかさを感じる木造の部屋で、高い天井についた天窓からは、自然の緑に染められた光が差し込んでいる。
天窓の分厚いガラスは敢えてのことか、少し歪んでいる。
窓越しの採光は、柔らかく部屋中を照らし、風にそよぐように揺蕩っていた。いや、実際に外では木々の葉が風にそよいで揺らいでいるのだろう。
部屋は豪華絢爛なわけじゃない。むしろ落ち着いた色合いの部屋で、置かれた家具も調度品も部屋の雰囲気に調和し切っていた。
ここにはつまり、嫌なものが何ひとつない。全てがしっかりと、そこにあるべくしてあり、違和感も感じさせず、見る者の無意識を納得させてしまう様な————そんな優しい部屋。
視線を正面に移すと、視界は大きな存在感に占拠される。部屋の中央に鎮座する、無垢の一枚板を用いた重厚なテーブル。
そこには2つのカップが上品なソーサーに置かれ、深みのある香りを漂わせている。強いわけでもしつこいものでもないのに、無性に深呼吸したくなるような香りだ。色を見て、たぶん紅茶なんだと思った。
2客のどちらもルミィナと呼ばれる女性が持ってきたものだ。
————が、オレの分はなかった。
目の前にはさぞや永い時を生きたであろうことを感じさせる杢目がある。綺麗だし面白い。
ついつい撫でてしまった風を装い、なぜかオレにだけカップが置かれていないテーブルの空間をアピールしてみる。
テーブルを撫でる手には、切り倒されて加工されてなお、生命の息吹のような迫力が感じられた。
————が、ルミィナは腰を上げる気配がないので、やはりオレの分はなかった。
彼女が忘れてしまったのか、はたまたオレという得体の知れない男を認めていないことの意思表示なのか。何となく後者な気がして、早くも暗雲が立ち込める気配を感じてしまう。
位置関係としてはオレの対面にルミィナとルカが座り、2人とオレの座るそれぞれのソファの間に重厚なテーブルが置かれている。だからオレを見落としたと言う訳では当然なかった。
テーブルが非庶民的なら、ソファもまた庶民的とはほど遠い逸品だった。木製の部分には細かな装飾が施され、クッションは柔らかいのに支えるべきところはしっかりと支えてくれる。まるでソファがオレに合わせてくれているようにすら感じられるくらいだった。
「————そう。記憶を失う……あり得ない話ではないわね」
ルミィナはそう言って頷くと、一度カップを摘み、優雅な所作で口へと誘った。ティーカップはああして摘むように持つらしい。
そうして紅茶を嚥下する様子を見ていると、ふと目覚めたときのあの一杯を口内が思い出される。
目覚めてすぐの、まだどこか重い身体をたった一杯で好調にしてしまったあれだ。
「………………」
なんだかやたらに飲み物が欲しくなってきた。
けど、深いコバルトブルーにシンプルな金彩が美しいティーカップはどう見ても高級品で、ソーサーに至っては、青が深すぎて“奥行き”すら錯覚するくらいの逸品だ。変に扱って壊したり傷を付けたら、オレには弁償する手段がない。無一文どころか多額の債務を負って過ごすなんて先が見えないにも程がある。
「いつまで拗ねてるのよ、ルカちゃん」
「む~~……アトラ、私のこと忘れた」
ルミィナの緋い視線の先では、膝を抱えてほおを膨らませる少女が、恨めしそうにこっちを睨んでいた。
ルカはあからさまに機嫌を損ねていた。オレが彼女を記憶していないのがダメらしい。そんなことを言われても困ってしまうが、まあ実際にオレの名前を知っていたし交友関係のあったらしい彼女を忘れたのは事実だ。視線を落とし、やはり杢目を眺めるしかない。
けどそれはそれとして、こうしてソファに腰掛けるルカの姿は、ソファの大きさとの対比もあって一層人形じみている。
汚れや傷と無縁な白磁の様な肌と、それとは対照的に黒く長い髪が目を惹く。着ている服もどう見ても一級品だ。
彼女自身が表情豊かだからいいものの、そうでなければ話しかけるのを躊躇する侵しがたさすら感じただろう。
そして驚いたことに、意識のないオレをあの村からここまで運んだのは、そんな華奢で人形の様な少女だということを、ここに案内されるまでに聞かされていた。
こんな線の細い体であり得ない……とは、流石に思わない。だって、目の前の少女がオレ以上の膂力を持っているかもしれないことを、オレは体を弄られた経験で知っているんだから。
「えー…………そう、オレの記憶がなくなったのがあり得ることって、どういうことですか?」
居心地の悪いルカの視線から逃れたくて、ルミィナへと質問を投げた。オレの状態について、ルカよりも何となく詳しそうな雰囲気を感じるし、今は何を言ってもルカの機嫌を損ねそうでもあったのだ。
「あ、それは——」
「ルカちゃん。坊やには正しく現状を認識させる必要があるの。少しだけ私に任せてもらえる? ごめんなさい」
「…………うん、分かった。ルミィナに任せるね」
意外にも、オレの問いに対してルカは嬉々として応えようとしてくれた。そんなルカを、ルミィナが制する。それに少し不満そうにしながらも、しかし抵抗することなく従う様は、なんとなく母と娘の関係を思わせた。
ただ、ルカに向けられていた慈愛のこもった視線は、オレに向けられるまでにすっかり冷めて、ルミィナの視界の中央に入る頃には、その視線は他人へ向けるにしてもややキツいものに戻ってしまう。
好感のカケラも感じられない。ルカは不機嫌で、ルミィナはよく知らないし、状況は依然として不明。
帰る場所もないのに、早くも帰りたかった。
「まず、坊やが目覚めた村。どうやら盗賊に襲われたみたいね」
「はい……」
オレについて訊いたのに、第一声で無視されている気がする。自分が何か失礼を働いたのではないかと考えて、記憶もないのに礼儀作法なんて分かりっこないと諦める。
ため息を飲み込んだ。とにかく、せっかく村についての話題になっているらしいし、乗っかるほかないんだろう。
「オレ、どうしてあの村にいたのか分かってないんです……もしかして、オレはあの村で暮らしてたんですか?」
「ええ。ルカちゃんの言によると、坊やはあの村の住民だったそうよ。どんな生活をしていたのかまでは知らなかったみたいだけれど」
「ルカ? どうしてルカがそんなこと知ってるんだ? この家で暮らしてたんじゃないのか?」
意外な言葉に、視線をルカに投げた。実のところ、ルカのこともハッキリと分かってはいない。考えてみれば、ルカがオレについてどこまで知っていて、なぜそれを知ったのかも不明だ。とりあえず、あの村の住民ではなかったらしいことはそれとなく分かるものの、本当にそれだけ。
色々な疑問がまぜこぜになって、ともかくルカからの説明が欲しかった。しかし、回答したのはルミィナだった。
「ルカちゃんと坊やは以前から面識があったそうよ。私も今日知ったわ。森で迷った坊やを助けたのをキッカケに、以降は偶に森で会って話すようになった————そうだったわね、ルカちゃん?」
「うん。でもアトラが最近来なくなって、こっそり見に行ったら……」
どことなく自信のない様子。ルカは最後まで言い切らない。
「村が……襲われていた……?」
首肯される。
なるほど、言いづらかったのか。一応はオレはあの村の住民で、その村が襲われた話だ。楽しい話題じゃない。
「そこで急いで村に近づいてみると、死に掛けの坊やがいた。ルカちゃんによると、その時の坊やは酷い状態だったみたいね。顔は陥没するほど殴られて、手足は踏み折られていた。その上、腹部は刃物でグチャグチャにされるまで刺されていたそうじゃない。坊やの記憶が無いのはその時の影響もあるでしょうね。
———ここまでされるなんて余程の恨みを買っていたんじゃない?」
「そん、なの……………………」
嗜虐的な笑みで、揶揄うように女は言う。少し不快だ。
不快で言うなら、今の説明にあったオレの状態もそう。頭の中で、発見された当時の状態を想像して、一気に気分が悪くなる。厄介なのは、その時の記憶に限って僅かに思い出せるということだ。
腹部に、疼くような痛みを覚える。分かってる。記憶による錯覚だ。頭は忘れても、身体は覚えているということなのか。誰かの哄笑。歪んだ顔。優越と興奮、そして憎しみを含んだものだったと思う。悲鳴と絶叫は、確かにオレを案じたもので————
————微かに吐き気を感じた。オレを案じた人がいたなら、その人はどうなったのか。
どこにちらかされていたのか………………オレは、そんな人の亡骸を、無自覚に足蹴にしてはいなかっただろうか。
意味のない仮定と、そこから来る自己嫌悪を振り払うのは難しい。
ただ、ひとつ疑問が残る。
話に聞く限り、オレの受けた傷は完全に致命傷だ。そんな傷は到底助かるものじゃない。即死してたっておかしくなくて、しかしルカが来るまでに死に切れなかったということは、ワザとトドメを刺さなかったのか……。
けどそれにしたって死を免れる傷ではなかっただろう。治す手立てなんて思い浮かばない。
それとも、オレはその時から人間ではなかったのだろうか?
いや、ならそもそも殴られても踏み締められても問題にならなかったはずだ。あの盗賊たちと戦った時の記憶。それによれば、そうそう好きにやられたとは思えない。
ならやっぱりオレは人間なのか? アレは夢や幻? けどそれなら今頃は死んでいるはずだ。
混乱してくる思考は膨張し、行き場をなくして口から漏れていた。
「でも……オレは生きてる……そんな状態だったのに、今は別になんともない…………」
「そう。ルカちゃんに感謝なさい。坊やが生きているのは、その場に駆け付けたのがルカちゃんだったからよ。他の誰が来ても、その時の坊やは助けられなかったはず」
「ルカが——?」
つい、その少女を凝視する。
つまりルカは、死に掛けの人間を治癒する手段を持っていた。他の誰でも、オレを救えなかったとルミィナは言う。なら目の前の少女は、実はものすごい人なんじゃ……。
大魔法使い!……みたいな。
「ルカが……なのか?」
「うん……そうなの……」
だが当の本人の様子はおかしい。どこか浮かない表情を浮かべているというか、怒られるのを待つ子どもの様に、その肩は震えていた。
ここまでの少ない時間でも、なんとなくルカのことは理解しつつある気がしていた。そんなオレの理解によれば、ここはルカが胸を張って、誇らしい表情を浮かべていいはずだった。
「そう。その致命傷の坊やを助けた方法が、坊やが記憶を失った主たる原因であり——坊やが人間でなくなった理由でもあるわ」
「————え?」
ルミィナの言葉をあまりに無防備に受けて、思考は漂白され、身体は固まった。
視線はルミィナの緋色の目に捕らわれて、蛇に睨まれた様に動けない。
「なん……で、それを…………」
オレはまだ、自分がおそらく人外の存在であると告げていない。なのに、なぜ人間でなくなったなんて……!
いや、違う。今ルミィナは何と言ったか思い出せ! 人間でなくなった原因……それが、ルカによる治癒にあるというようなことを言っていなかったか……?
つまり、ルミィナは知っていたのだ。おそらくはルカから聞かされて、オレがあの部屋で目覚めたときにはすでに知っていたのだ。
「あら? まさか、気付いていなかったの?」
クスクスと、緋色の瞳が愉悦に揺れる。
その問いかけは、オレが未だに人間を装っていたことを嘲笑うものに思えた。
だが、実際は違う。
その嗤いは別のことに向けられていたことを、続くルミィナの言葉で思い知った。
「坊やに出した霊薬————ああ、目覚めたアナタに渡したものよ————あのカップに入っていた液体だけれど、少し赤くはなかった?」
まだ衝撃から立ち直れていない中、印象的だったあの飲み物を思い出す。
そうだ、たしかあの飲み物はカップの底に塗られていた赤いものが溶けて……少しだけ赤かった。
でも、それがなんだと言うのか。
あんなにも安らぐ香りと豊かな味わい、そして体に沁み渡り、活力を与えてくれたあれが、なんだというのか。
そんなかまととぶる思考を、どこか冷静な自分すらが嘲笑していた。
「あれね、血なのよ」
「————————」
………………………………嘘だ。
「あの霊薬は味が独特なのよね。坊やには合わないと思って、親切心で底に血を塗っておいたのだけれど————フフ、美味しかった?」
「おいしい、わけ……」
その瞬間、舌の記憶が蘇る。
あの甘露のような味わい、身体に染み渡る感覚。
それが血だったという事実に、胃の奥が熱くなる。
——吐き気ではない。もっと別の、認めたくない何か。認めてはならないソレを必死に抑え込む。
ルミィナは全てを見透かしている様な目を向け、まるで戸惑っている様を愉しむようにまたそれを細めた。
それは告げられる事実に耳を塞ぎ、「違う」と、「オレは人間なんだ」と叫び、駄々をこねるオレの内面すらも滑稽だとでも言うようで……。
「その様子だと、坊やは自分が人間じゃないのは分かっていても自分の種族までは分かっていないのね」
「オレの、種族……?」
「ええそう。興味、あるわよね」
不思議と、それを考えていなかった。
自分が人間でないことは、もう知っている。嫌というほどに思い知って、それでも飲み下せない苦味に苦しんでいる。抗えない事実と知りながら、今ですら目を逸らす機会ばかりを伺っているんだから。
けど、その種族までは考えなかった。
それが単に思い至らなかっただけなのか、それとも考えたくなかったのか……それはオレ自身にも分からない。
それでも、これから生きていく為には向き合わなければならないことだけは、間違いのない事実だろう。
戸惑うのも混乱するのも、きっと後だ。今は、今だけは向き合わないといけない。
今さら、『これからしようとする返答は、自分が人外と認めるものだぞ』と訴える自分がいる。それをありったけの精神力で黙らせた。
「……心の準備はできたみたいね」
「はい。教えてください……オレの、正体を」
決意を込めた視線を受けて、ルミィナはクスリと笑った。
「坊やの種族はね、“吸血鬼”と呼ばれるものよ。他者の血を取り込むことで活動する吸血種。その中でも最上位に位置する種族ね」
「吸血鬼……」
なんとなく聞いたことがある気がする。
うまく思い出せないけど、自分はそれをどこかで聞いたはずだ。
…………思い出せない。ただ、頭の隅にいるもう1人の自分が、それがとんでもないことであると警鐘を掻き鳴らす。それが確かな怖気となって背筋を這い上がるのを感じた。
取り返しのつかないことになったと判断した身体が、バカみたいな量の冷や汗を吹き出させる。
「この吸血鬼には二種類あるわ。一つが、元から吸血鬼として生まれた者。これが“真祖”。もう一つが、“真祖”の血を与えられることで吸血鬼へ生まれ変わった者。これは“赫徒”と呼ばれているわね」
“真祖”は生まれながらの吸血鬼。
“赫徒”は生まれ変わりの吸血鬼。
オレの場合は人間から吸血鬼になったから、つまり“赫徒”だ。
しかし、これではっきりした。
やはりどうやっても、オレは人間ではないんだ。それを他人から宣告されて、ようやく未練にトドメが刺される。なのに、どうしてかオレは…………安堵していた。
「あ……」
ルカの驚いた声。
それで、自分が涙を流しているのに気付いた。
オレは、人間だった。過去形だとしても、ちゃんと人だったということが、どうしようもなく嬉しくて、安心した。けれど同時に、そうでなくなったという事実がたまらなく孤独だった。人間であった安堵と、大切なものと決別したような喪失感。それらが同時に迫り、混ざり合って滴となってこぼれ落ちた。
「アトラ」
いつの間にか、ルカは隣にいた。震える手を、ルカの両手が包み込む。不思議と、それだけで感情の波は落ち着いてくれた。
「ごめん……はは、もう大丈夫。ありがとう、ルカ」
不安に揺れる瞳に、オレはできる限りの笑顔で言った。ルカは数秒、オレの顔色を観察してから、覗き込むようにしていた顔を離す。隣から移動する気はないらしい。
そんなルカの様子を見て、唐突に、あることに思い至った。
「ルミィナさん…………オレが“赫徒”ってことは、オレは“真祖”の血を……」
「そうね。坊やが“赫徒”として吸血鬼になったのなら、坊やに血を与えて眷属とした者——“真祖”がいるはずよね」
そう、アトラという人間が“赫徒”としてここにいる以上、オレをそうした存在がいる。
そして、オレを助けたのはルカであるとも言われた。
なら、一体どう助けたのか。助けるとは、何をさすのか。
「簡単なことよ」
ルミィナの視線が、オレの隣へと移動する。ルカは俯いていた。
「言ったじゃない。坊やはルカちゃんに救われた。それが人間でなくなった理由だって。人間なら助からない傷だもの。救うなら、人間でなくすしかないでしょう? だからそうした。それだけよ」
理路整然と、ルミィナはなんでもないことを告げるように、当然のこととして口にした。
「ル……カ…………」
声が震える。どんな感情がそうさせるのかは、オレにも分からなかった。ただ、ルカはそれを怒りと受け取ったようだった。
俯いていたルカは、オレの声に一瞬ビクリとすると、
「うん……。私が、アトラを眷属に……“赫徒”にしたの」
そんな罪を、告白した。
そう、その様は本当に罪の告白そのもので、断罪に怯える咎人を連想させた。
「ルカが……吸血鬼?」
我ながら、なんて白々しい。
ついさっき、おそらくそうだろうと予感はしていたはずだ。オレが眷属であるという時点で、いったい誰の眷属となったかは明白なことで、つまり彼女が何かもまた自明。
ただ、そんな白々しさを糾弾する自分がいる一方で、しかし本心からの反応でもあったのだ。
だって目の前にいる少女は、およそ吸血鬼らしさを感じない。吸血鬼について詳しくはないが、本で調べるまでもない。オレが吸血鬼なら、あの村でのオレ自身を思い出せばいい。
悍ましく、浅ましかった。殺した男の吐いた血を、飢えた野犬のように這いつくばって舌を出し、地面の砂や土と共に舐めとった。
あれが吸血鬼だ。あれがオレなんだ。なんて穢らわしい存在なのかと虫唾の走るほどの醜悪さ。それがオレだ。
しかし、あの姿をルカに重ねることはできない。似ているところなんて皆無で、獣性のカケラも感じない。それどころか、いっそ人間よりもずっと人らしいじゃないか。
「うん……あのね? あの……あの時のアトラ、すごい傷で……見た瞬間に死んじゃうんだって分かったの……」
いつまでも来ないオレを心配して様子を伺いに来たルカが見たのは、見るも無残な姿だったはずだ。
友人がそんな状態で倒れているのを見た時のルカの気持ちは……オレには想像できない。
けど、ルカの目にあるのはそれを思い出した悲しみだけじゃない気がする。
助けてくれたのになんで、なんでそんなに苦しそうなんだ……。その目に罪悪感を宿すのは、何故なんだ。
「だから、私の血をあげて……眷属にしちゃった。アトラを……人間じゃ無くしちゃったんだ。……ごめんね」
「あ————」
迂闊……だった。
元々は人間だったオレを、助けるためとはいえ人外に変えた。それをまったく気にしないでいられる訳がないじゃないか……。
重ねて、さっきからオレは“人間”にこだわって…………目の前でそれを見せられる続けているルカは、一体どんな気持ちでオレを眺めていたのか…………。
「————————」
心臓が動いてないと知った時の感情を覚えてる。
あの時オレの中にあったのは…………絶望だった。
心臓が止まっていて、なのに生きていて……あの時抱いた絶望は、何に対してのものだったか。
死んでいると思ったわけじゃない。
むしろ、生きていることに絶望した。
何か、大切な約束を破った気がして。
何か、大切な夢が砕けて消えたと分かって。
それが何なのか、記憶のない身では分からない。
それでもオレは、助けられたんだ。
どんな事情はあれ、助けてくれた人にこんな表情をさせていい訳はない。
なら当然、言うべきことは決まっていた。
「……………………」
ルカは不安そうな目でオレを見ている。
オレは——
「ありがとう、ルカ」
「え——?」
ありったけの想いを込めて伝えた。
ルカは変な顔で固まっている。
だからもう一度伝えた。
「ありがとう。ルカのおかげで助かった。こうして生きてるのには本当に……感謝してるから」
「え、あ、アトラは、怒ってない……の? 勝手に眷属にしちゃったし……これからすごく、大変になっちゃうけど……イヤじゃ、ないの?」
きっと、人間の頃の記憶があれば違ったのかもしれない。以前の自分と、変わり果てた自分。それを比較できない今ですら、これだけの衝撃を受けている。それが、もし記憶があればどうなるか。そのときのオレは、それを恨まなかったか。嘆かなかったか。
それはあくまで仮定の話だが、どうなるかは分からなかった。けど、それでもハッキリしていることがある。それは、オレは生きていて、生きているのはルカのおかげで、そんな命の恩人に恨みを向ける理由は皆無ってことだ。
「今のオレはルカのおかげで生きてるんだから、感謝しかないよ。助けてくれて、本当にありがとう」
「————————」
ルカの目が見開かれる。
オレの伝えたいことは、これが全てだ。
もしかしたら、記憶のあったオレなら恨み言の一つや二つ口にしたのかも知れない。でも、今のオレが伝えたいことは感謝だけだ。
再び俯いたルカは、袖で目元をぐしぐしとして———
「うんッ、どういたしまして! これからもよろしくね、アトラ!」
満面の笑みで、そう言ってくれた。すごい力で手が握られ、ブンブンと振られる。それも、なんだか悪い気はしなかった。安心した。
「良かったわね、ルカちゃん。……まあ、ここで恨みを向けるようなら消えてもらうことになったから————おめでとう坊や。ひとまずね」
抑揚のない声が、距離を無視して耳元で囁いた。『消えてもらう』という言葉が、『退室してもらう』程度の穏便穏当な意味でないことは、ルミィナの目を見るまでもなく明らかだった。
「ん、アトラ?」
「ぃゃ、な、なんでもない」
ルカに手を握られてる間、冷や汗が止まることはなかった。『消す』という選択肢を、この魔女だけは未だ手元に残している。
実際、オレは未だにこの魔女のことを知らない。けれど、少なくとも味方ではあるという甘い考えは、あくまでオレだけの願望に過ぎないことを、その声の冷たさだけが告げていた。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
ルカとの和解?が済み、しばらく雑談をしていた。
ルカの話では、前のアトラは今のオレと少し違ったらしく、人格が変化しているのも吸血鬼化の影響かもしれないとのことだった。
まあ多分それ以外にも、そもそも記憶を失って以降も、失う前と同じ人格であり続けるものなのかは微妙なところだ。
ただ、根本は変わってないんじゃないかというのがルカの所見だった。ある事柄に対して抱く感情は同じであり、ただその表現や反応が変わっただけだと思う、と。
ここら辺は、記憶のないオレには検証できない。きっとルカにしか分からない部分だ。
その他にも、ルカはオレの記憶を埋めようといろんな話を聞かせてくれた。時々嘘みたいに人格者なアトラが出てくる度に、オレは本当に脚色されていないのかを疑わなければならなかった。
そんな話もようやく一区切りして、ルミィナが唐突に言った。
「さて、ルカちゃんが満足したところで本題に入りましょう。坊やにとっては命に関わることだから、今知っておかないと面倒だもの」
「命に関わること?!」
どこか弛緩した気持ちが、ルミィナの言葉で一気に張り詰める。
「ええ。坊やにはまずこの国のことを知って、自分の立場を認識してもらわないといけないわ」
ルミィナは酷薄な笑みを一瞬浮かべてから、“本題”を口にする。オレはルカの言っていた『大変』の意味を、ちっとも理解していなかったことを知ることになるのだった。
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ファンタジー
ローラシア王国の北のエルラント辺境伯家には天才的な少年、リーゼンしかしその少年は現代日本から転生してきた転生者だった。
リーゼンが洗礼をしたさい、圧倒的な量の加護やスキルが与えられた。その力を見込んだ父の辺境伯は12歳のリーゼンを辺境伯家の領地の北を治める代官とした。
これはそんなリーゼンが異世界の領地を経営し、豊かにしていく物語である。
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