神農町奇談

文字の大きさ
2 / 8

2

しおりを挟む
 神農町は東京郊外にあり、二十三区からわずかに外れる。武蔵野台地に腰掛けて南に多摩川をにらむ土地は、古代より人が集まっていたことを示す遺跡も数多い。川の浸食でできた崖に清水が湧いて人が定住し、洪水で肥えた平地には田畑が広がり、すでに中世には今の地図と変わらない地形ができあがった。「野見つくされぬ」と歌われた雑木林を使い、炭焼きが行われ、隆盛した関東武士の要請にしたがい、武具や馬具の制作が盛んになった。注文をあつらえて納めるだけでなく、店を構えて棚にならべる現代の小売店の形式が、もう十五世紀の初めにはあったという。世がすこし落ち着けば、たとえば刀の鍔や装飾など、武具以外の注文も増え、さらに町が拡大した。中央の大都市、大伽藍の門前町ならいざしらず、このような田舎で専門店が軒を連ねてできた町が維持できたのは、職人の腕前と宣伝する商人のしたたかさであり、ついに町の名は現代まで残った。この町の名「じんの」は、かつての合戦のおりに陣を築いた「陣野」だったり、攻守において重要拠点たる「腎黄」と諸説あるが、明治の初めにはすでに「神農」の字があてられていた。神代に初めて武器を作った伝説の名にあやかっているあたり、当時の街の有力者が世の中の大転換を利用して、権威づけた感がある。とはいえ百年もたてばどんな名前でもなじむもので、神農市の中央には神農駅があり、各学校にも神農市立に一から十まで数字が付いている。昨今は周辺の市も発展をとげ、やや神農は影が薄くなっているが「それだけ落ち着いて住みやすいから」との評判もたつ。
 さて。
 木をすべり下りてきた一春はその根元の社の前に立っていた。あの石舞台は、この白木造りの小さな扉の先にあったのだが、中をのぞいてみても飾り気のない石が収まっているにすぎない。さて、先ほどまでのことは夢だったのかと思うほど一春も素直ではない。なにより、
「これは……」
 手の中にはあの石塊がにぎられている。紐もついてあきらかに人の手が加わった道具であった。
 来燎火を探して見つけだす。それを自分の口からもいってしまった。意識もしていなかったことだ。今朝方はそれで大の大人が右往左往し、家長の兄もただならぬ雰囲気で事態の収束に忙しく立ち回っていた。この春に中学生になったばかりの一春に、出番などあるはずもない。
 ならどうして「俺が取りもどす」などと大見得を切ってしまったのか。考えながら裏口に戻ると、もっとも見られたくない人に出会ってしまった。
「かずくん、どうしたのですか」
 ほうきを投げすてて駆け寄ってきたのは、伊豆見といった。この人がいなければ、水和木家の家事一切が停止して、本業の運営も成りたたない。十名近いハウスキーパーを手足のごとくあやつり、無駄に大きい屋敷を維持している。はじめてやってきたときは一春がまだ幼く、母親代理が主な勤めだった。
「やはりまだ朝の勤めは早かったのでしょうか」
「朝一番に社に水をあげる役目で、どうしたら満身創痍になるの」
「やはり明日から私がやります。さあ、服を脱いでください」
 この場で服をむこうとする伊豆見から逃れるように屋敷へ飛びこみ、風呂場へ閉じこもる。熱いシャワーに細かい傷を叩かれていると、耳元で小さな笑い声が聞こえてきた。
「ざまあねえな、ざまあねえよ」
 シャワーをとめ、目の前の鏡をぬぐうと、右の肩にヘビがとぐろをまいていた。小さな悲鳴をあげて振りはらうと、ヘビは足下でふわりと着地し、水しぶき一つはねなかった。
「手荒に扱うんじゃないぜ、俺はおまえよりずっと長くこの屋敷の水場に居着いてるんだ」
 石舞台での体験の前では、しゃべるヘビなど珍しくもない。一春は自分でも意外なほど冷静になって腰を下ろした。
「ただのヘビじゃないみたいだ、神様かその仲間のようなもんだろうか」
「祈られたってなにもできねえが、俺がいるなら虫や火の災いからは避けてやれる。俺だけじゃあないぜ。この屋敷、この町には、たくさん俺みたいなのがいるんだぜ」
「じゃあどうしてみんな気づかないんだ」
「あんた、ほんとの神様に触れてきたな」ヘビが口角を上げて笑ったのを一春は初めてみた。
「さもなくば、俺に気がつくわけがない。水に溺れたものがその匂いに敏感になるように、神仙と相対すれば気が触れて、周りが見えないものが見えるようになる……これからつらい人生だぜ、おたく」
「来燎火を知っているか」一春はなぜか、「今ここで聞いておかなくては」と思い、自然とその単語を口にした。
「この水和木の家がそれで大騒ぎになっているのは知っているだろ」
「知ってるもなにもねえ……逆だよ、逆なんだ」ヘビは浴槽のへりに上がって、あぐらでもかくようにじっくりと腰を据えた。
「来燎火は家宝として人目にもつけねえように扱われているが、そもそも来燎火を押さえつけるための一族が、水和木家なんだぜ。水は火に克つ、五行相克だ。火にかけて水が沸く、ゆえに水和木だ。来燎火とはそういった武器だぜ、そういった武器があるんだ」
「じゃあ来燎火がなくなったら」
「家の基礎がなくなるも同然だ。虫やネズミをつかまえてる役目には手に余る大事件だな」
 ようやく一春にも今朝から水和木家はもちろん、役所の人間までがあわてて出入りする事態が飲みこめた。そして「取りかえす」と、いかに大それたことを口走ってしまったかも思いいたった。「なかったことに……」したくなる気持ちを、ぐっと喉元で押しとどめる。
「ありがとう、ヘビ」一春はシャワーをとめ、体を拭いた。「俺のすることがみえてきた感じだよ」
「なんだい、来燎火をなんとかするって顔してんな。神仙に触れてきたんなら、なにか知恵があるんだろうが、危ない橋だぜ。なにもみなかったことにだってできるんだ」
「でも、俺はみてきたんだ。みたってことは、知ったってことだろ」
 月明かりに照らし出された石舞台。白い衣をまとった女神、その自信作ろくめい、そして家に町にはびこるという、このヘビのような存在が、一春を昨日とは別人に変えていた。
 ヘビにいわれて、そういえばもうひとつ、知恵の象徴をもらったのだと、脱衣所に残してきたあれを取ろうとすると、浴室の戸はむこうから開いた。
「かずくん、ひとりで洗えていますか」
 庭掃除を手早く片付けた伊豆見がタオル一枚になって立っていた。
「伊豆見がお手伝いいたしますね」
 脱ぎ捨てていた自分の服をひったくって浴室に戻った。そうしてしばらくガラス越しの押し問答が続くことになる。
 ほがらかな表情で家の守り神の一匹は眺めていたが、一春の服の中から落ちたものを目にして、思わず口笛を吹いた。
「どうだい、まともじゃねえのを持っているな。たしか……」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました

小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」 二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。 第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。 それから二十年。 第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。 なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。 不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。 これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。 ※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

処理中です...