神農町奇談

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 ――鹿鳴の作戦は単純だった。
「私が表に出る。お前は切り札だ」
 握った斧につながれた長い鎖が音をたてる。
「私のように神仙の恵みを受けてはいないからな。火は深山の業でなければ止められまい」
「死ぬ気なのか」
「莫迦め、仙人が死ぬものか」そういって一春の頭を小突く。「神と人が組んで戦う。こんなに痛快なことが他にはない」
 
 生まれ育った土地でも、屋根伝いで走ったのは初めてだった。たしかに下よりずっと早い。
 遠く火柱が天に冲する。黒煙をしたがえて、火の粉がきらめく。その偉容は見るものの背骨を冷たくさせる。逃げ腰にならなかったのは、石蜂牙のおかげかもしれない。恐れはあったが、手綱がついたように落ちついている。そして心強さは、前を走るパートナーが支えてくれているせいかもしれない。
 どうして自分がこの役目についたのか。運命と呼ぶのは簡単だ。災害にあったようなものだろうか。地震や嵐で致命傷を負い、命を失うまでのわずかな時間を待っている。こんな状況にあっても、まだ本当に死ぬとは思っていない自分もいる。混乱しているのだろうか。混乱もするだろう。
「突っこむぞ、ここから死地だな」
 鹿鳴の声のすぐあとで、空気が変わったのが肌でわかった。息をすれば肺が熱さを感じ取る。眼の表面が乾く。これまでの来燎火ではない。
「外に出て、力を取り戻し始めたな」
「近づけるか」
「なるだけ私のそばにいろ」
 家々の壁が燃え始めていた。木造で密集している地域では、火の回りが早い。このままでは本当に町全体が飲まれかねない。
「鹿鳴、時間がないぞ」
「……いた」
 十重二十重の陽炎をしたがえて、炎の陣の奥で熱の化身が屹立していた。まわりから引き寄せられた空気が束になって旋風と化す。
 真正面から大顎を開いて迫る火の波を、鹿鳴の無骨な刃が一閃する。斧の表に、あの一つ目が映り込んだ。
「来燎火め」鹿鳴は手首を返し、鷹匠が自慢の一羽を放つように、刃に翼を与えた。回転数を上げて敵陣を切り裂いていく手斧は、想像よりずっと手前で跳ね返された。
「くる!」
 もう一方の斧で最初の一撃を受ける。いやらしくねめあげる月牙の瞳。とっさに一春は鹿鳴の肩越しに、瞳に向かって石蜂牙を突きいれる。だが炎の鮫は身をくねらしてかわすと、再び海へと戻っていった。
「やはり石の牙をきらっている」
「あまり付きあいたくないというのが正確なところだろうが」
 いつの間にか一春と鹿鳴は背中をあわせて、どこから現れるかわからない敵に備えていた。それをあざ笑う声が四方八方から響いた。
「なるほど、おまえたちはこう考えたのだな。『ひとりひとりではかなわない。だが、ふたりで掛かればなんとかなるかもしれない』と。あるいはこうか。『ひとりは人間。ひとりは神仙。こんな組み合わせは、相手は見たことがないはずだ』と」
 来燎火が姿を見せた。一本の黒い影は人のシルエットのようにもみえた。
「私は長く生きてきた。人の時間で何千年とだ。その間に、神と人が組んで挑んできたことが一度もなかったと、おまえたちは本当にそう考えているのか。いったい幾人を消し炭にしてきたか。神々の加護を受けたとのたまう人間だけでも百ではきかんぞ」
「よくしゃべるじゃあないか、蝋燭火のくせに」
 鹿鳴は肩をふるわせていた。「ぶふん」と息を漏らすと、げらげらと呵呵大笑した。
「おい、こいつは本当に石蜂牙を恐れているぞ! 伝家の宝刀が聞いてあきれる。さっきまでは目にも入らなかった小僧が信じられない武器を持ってきたから不安になって多弁になったのだ」
 身を躍らせて刃がまず狙いを付けたのは、障害となりそうな武器の使い手だった。
「使い方などわきまえないガキなど、一呼吸の間もなく串刺しにしてくれる」
 これだけ周りに炎をはべらせていれば、目を閉じていても外すことはない。
「死んでわびろ」
 しかし、切っ先は空をきった。そしてあろうことか。穂先の一歩分むこうで、神仙のにおいをさせた人影が飛びあがり、腕をふりあげていた。
「それなら使い方は私が教えてやる」
 鹿鳴が握っていたのは例の板斧ではない。か細い人の足である。一春はただ、石蜂牙を両手で構えて刃を下に向けていればそれでよかった。
 石の先端が半月を描く。その軌跡にあったあの一つ目を、見るものをおびえさせ、ほくそえむ第二の刃を、姉神の託した武器は一撃の下にたたき折った。
 鹿鳴の会心の笑みとは反対に、大地がきしむような悲鳴を来燎火はあげた。再び海の中に姿を消しても、相手の挑発に乗って自分の半身を奪われた悔しさは、その体内で処理できる規模を超えていた。いつまでもどこまでも、怨嗟の叫びは続いていった。
「さて、問題はこれからだ」
 すでに鹿鳴は冷静さを取りもどし、事態があまり芳しくないことを悟っていた。
「もう同じ手は二度とくわないだろう。あやつが逃げつづければ、こっちが先に炎にやられてしまう。焦ることはないと腰を据えられてはことだぜ」
「それには及ばず」火の壁を突きやぶり、輝くばかりの穂先が真っ正面から現れる。
「遅い!」鹿鳴が再び手斧で弾きとばす。「致命傷を負って動きが鈍くなって……」
 わずかに生じた都合のいい余裕が、背中から穿たれる。先端は胸部まで突き抜けて止まった。
「鹿鳴、これは来燎火じゃない」
 一春が叫んだ。だが、それは火の戟とよく似ていた。
「来燎火にはちがいない……ただ、おそろしく劣悪な複製だな」顔に険しさを浮かべて鹿鳴が応じる。炎陣の外ならこんな芸当ができまい。あるいは砕けた月牙の破片から作り上げたのか。だとすれば、分身は一本二本ではきかない。
「覚悟を決めるか、カズハル」鹿鳴はパートナーにそっと耳打ちした。「私のいうとおりにすれば、あれの息の根を止められる。よけいなことを考えずにな」
「ダメだ、それじゃあ鹿鳴が死んでしまう」
「死なぬよ。私は人の形をしているだけだ。とはいえ神ともいえぬ。神でも人でもない偽物だ。それをあわれんで、せめてもと丈夫に作ってくださった姉神さまに感謝を申しあげねば」
 そういって鹿鳴は背の槍を引きぬく。その刃をじっとにらんでいたが、おもむろにかみついて、菓子かなにかのように易々と砕いてみせる。
 あたりの炎の色が変わった。入り交じる青い潮流は、積乱雲に瞬く雷光のようだった。
高速で別の槍が飛んできて、鹿鳴の腹部をとらえる。それでもなお、鹿鳴は腕を広げていった。
「打ってこい来燎火。私がすべて切り払ってやる」
 その首元に新たな戟が突きささる。宣言通り、二枚の斧で追撃する槍をたたき落とした刹那、視界にさらに三つの刃が迫る。前方だけではない。全方位同時刺突。
 自分の針の長さを持て余すように歩くヤマアラシのように、長い柄がお互いに囁くように身を寄せた。
 そこに後ろから強引に突っこんできた炎の閃光は、あの手負いの来燎火だった。首の後ろから背骨を上から順に突き破って、その感触を存分に愉しんでいく。いまだかつて、自分をここまで愚弄したものはなかった。神の持ち物にはちがいないだろう。だが、踏んできた場数が違う。桃源郷でのうのうと暮らしてきた刃が、どうして炎を止められるものか。
「……縛」鹿鳴の声とともに、斧同士をつないでいた鎖を使って結びつける。まるで自分の体が飛んでいかないように編みだされた工夫のように。
 ようやく本物が飛んできたのだ。脊髄を内側から熔解させていく力で、他のまちがえることはない。今、来燎火は鹿鳴の手につかまれていた。全身に十以上の刃を受けてもなお、そこに炎戟をとどめおく力が残っていた。
「くるったか。ならば望み通り、焼きつくしてくれる」
 いかに神の域にあろうと、火が有する熱の属性を無効化できない。だれだろうと火を掴めば燃えるのだ。鹿鳴ははじめて己の肉が焦げていく匂いをかいだ。
「あきらめよ。崩れよ。これなるは来燎火ぞ!」
 灼熱の方天戟はその熱を加速させた。火は鹿鳴の腕をかけあがり、全身が炎に飲まれた。
「肉よ爆ぜよ。骨よ溶けよ。この流星を今一度、空へ解きはなて」
 戟の特徴たる月牙とは、本来は相手に深く刺さりすぎて抜けない槍の弱点を補うための工夫だった。決して華美装飾のたぐいではない。
 もだえる来燎火が無様に身をよじる様がみえたかのだろうか。己を使って、そこに火炎の化身を縫いとめていた偽りの神が応じた。
「二度と外れぬよ。動けないよう、抱えておくと私がいったのだ」
 炎の色が濃くなっていき、ついにその姿は見えなくなった。
「約束だからな……」
 陽炎に散っていった声は、その足下に伏せて待っていたもう一人が受けとった。
 石の牙が、いや、そこから派生した、ありとあらゆる刃が今、仲間の肉体越しに来燎火を打つ。
 どの史書にも載らない、伝説として語り継がれない、幾万幾億の星屑のような無名の刃たちのきらめきが集まってできた始祖の形の刃が、たった一人の少年をよりしろに食らいついた。来燎火は英雄である。千や万の数の敵兵を相手にすることは、伝説上ありうるかもしれない。しかし星の数が相手では、話が変わってくる。そして星々には神の加護がついていた。
 ぴしり。こぼれた刃先にひびがはいる。枝分かれしていく間を、勇ましい刃たちがときの声を上げて突撃する。打ち寄せる波のようにひびを大きくしていく。
「やめよ、やめよ」
 来燎火には自身が名物たる自覚があった。自分の力を恐れ敬い、人は二千年以上尽くしてきたのだ。それが今、無名の子供の手によって失われようとしている。受けいれられるはずがない。
「私は宝だ。二度と作れぬ至高の刃。有象無象のなまくらども、触れることさえ恐れ多……」
 来燎火は最後まで己の誇りを失わなかった。
 火の粉が舞う。夏の川辺に沸く蛍火のように散っていく、小さな赤、紅、赫。
 火の粉は風に乗って炎を形作ると、一列になってある方向へと吸い込まれていく。行き先は小さな手に乗った粗末な壺だった。
「よくぞしとげたな、かずはる」
 姉神は来燎火を薬壺におさめると、現当主をしたがえて勇者の元へ急ぐ。
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