空海の魅力 

蔵屋

文字の大きさ
1 / 3

第一章

しおりを挟む
弘法大師は子供の時からすごかった。 
私は25歳の時、空海が断崖絶壁から身を投げた伝説の地に行ってことがあった。
さて、仏教に関する小説には必ずと言っていいほど沢山の逸話のある主人公がいます。
私は今回、この主人公を小説にしたいと思ったのです。
その主人公は
弘法大師こうぼうだいし
です。
弘法大師生誕の地、四国では「空海さん」という呼び名で親しまれています。

「弘法大師」という名前は私の幼少期、祖父からよく聞きました。
実は全国的に知られ親しまれ、また、メジャーとなっている「弘法大師」という名前は、空海さんが即身仏となった後、醍醐天皇が贈った名のことなのです。

そんな天皇も認めた空海さんの不思議な幼少期について私は読者の皆さんにお話しましょう。
空海は西暦774年、香川県善通寺市で生まれました。
父親は佐伯直田公さえきのあたいたぎみ、母親は玉依御前たまよりごぜんの間に生まれたのです。
二人は「遠い天竺より聖人が来られて、我らが懐に入る」という不思議な夢を見たあと、お生まれになったのが後に真言宗の宗祖となり、1200年以上経った今でも「お大師さん」といえば弘法大師というほど有名になる空海さんなのです。
幼名は真魚まおと名付けられました。

貴物とおとものと呼ばれた幼少期

真魚さまは、両親が貴物とおとものと呼ぶほど非常に大事に育てられました。
その理由として神童であったことや、5、6歳の頃には「泥をこねれば仏像をつくり、石を重ねれば、塔婆にかたどる」など仏事においても大変縁深かったからです。この頃から、真魚さまは「美しい蓮華の上に座って、多くの仏様と話す夢をよく見る」など、仏にまつわる不思議な体験をするようになります。
宗教的なひらめきが強かった真魚にはそれを裏づける逸話が残っているのです。

ある日、法進上人(のちに大僧都に任じられる高僧)が香川県にやってきた時、真魚の鳴き声を聞き、次のように言いました。

「この子は生まれながらにして仏縁を具えているのじゃ。成長してからは仏の教えを広めるだろう」
と予言したのでした。

さらには、朝廷から派遣された役人が道端で遊ぶ真魚の姿を見て、急に馬から降りて恭しく礼拝をしたといいます。これを怪しんだお供はその訳を尋ねたところ、
「この子は凡人ではない。四天王がまわりからお守りをしている」
と語ったそうです。
この四天王は早くから日本でも信仰されていました。「日本書紀」によれば仏教をめぐって行された蘇我馬子と物部守屋との戦いに参戦した聖徳太子は、四天王に祈願して勝利を得たことに感謝して摂津国玉造(大阪市天王寺区)に四天王寺(四天王大護国寺)を建立したとされています。
このように非凡な才能を持った真魚。
自身もその才能に気づき始め、仏の教えに対する憧れの思いをいっそう強くしたのだと伝えられています。

真魚の決意、命をも捧げた「捨身ヶ嶽伝説」
これは真魚がまだ7歳だった頃のお話しです。
お山で修行山岳修行を積まれていた真魚は、仏道に入ってこの世を救う誓いを立てようと高山に登り、断崖絶壁の頂きからこう唱えました。
「私は将来、仏の道に入って、仏の教えを広め多くの人々を迷いから救いたいと思います。どうか釈迦如来様、この願いが叶うならどうぞお姿を私に拝ませて下さい。一心にお祈りすれば、お姿を表し霊験をお示しくださると、お聞きしております。
もし叶わぬのならこの身を仏に供養として捧げます。」
と小さなお手を合わせて高い崖から身を投じられたといいます。
すると不思議なことに紫雲の中から蓮華に座った釈迦如来様が突如出現し大光明を放ちました。
そして天女が舞い降り、落ちていく真魚を抱き抱え釈迦如来様は真魚に「一生成仏」と言われたのです。
真魚は大変喜び、ついに仏の道を決心したのです。
つまり、悟りを開き仏へと至るためには厳しい修行に取り組まなければならないのです。
それが可能な人間であるかどうか命を捧げる覚悟で真魚は釈迦如来に問うたのです。
釈迦如来が「一生成仏」と宣した、ということは確かなる菩提心を持ち仏道を歩むのであるならば将来悟りを開けるであろうという「授記」を与えたということになります。

香川県善通寺にある「出釈迦寺」にその伝説はあります。伝説に影響されるように、真魚が身を投じた崖は捨身ケ嶽しゃしんがたけと呼ぶようになり、その崖がある山を我、師を拝すると書いて我拝師山がはいしさんさらに崖の近くに釈迦が出ると書いて出釈迦寺しゅっしゃかじという寺が建立されました。
その場所は山と池に囲まれた静かな場所で、時間がゆっくり流れている感じがします。

お寺の奥には捨身ヶ嶽が残っていて、頂上まで登ることができます。坂が急なので登る際には気をつけてくださいね。毎月15日には無料送迎バスが出ているようなのでそれを利用した方が楽に上がれると思います。
ここから身を投げた空海はやっぱりすごい。
と私は思いました。
空海はまだこの時12歳。やはり空海は只者ではなかったのだ、と私は25歳の時思ったのでした。

香川県は空海が幼少期を過ごした場所です。
空海にはこのような伝説が数多く残っています。
もし香川に行くことがあったら、空海生誕の地「善通寺」と「出釈迦寺」に行かれたら良いと思います。
私は空海が幼少の頃、見ていた景色や空気を感じたのでした。
私が25歳の時でした。


 


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

儒教の教えと男尊女卑 虐げられた女性達! 二千年の歴史

蔵屋
歴史・時代
 私はこの世で女性程素晴らしい、そして美しい女神は存在しないと思っています。 私の人生には女性と幼い赤ちゃんや幼児しか存在しません。 何故なら彼女たあや赤ちゃん、幼児達の魂が水晶のように綺麗だからです。 女性達のこの世での役割は大変に大きなもので、神さまの期待も大きいのです。 どうか、今年一年、お幸せに生きて下さい。 無理をされないで、明日のことを心配しないで、今を楽しく生きて下さい。 また、育児をされてるお母さんは大変だと思います。  私は世の中のお母さん達にお願いしたいことがあります。  『お母さんはお子様のお手本なのですよ』ということです。 どうか、今年一年、お母さん方のご家族がお幸せでありますように。 ー(儒教の教えと男尊女卑)ー この物語の始まりです。 どうか、最後までお読み頂き、何かを感じで下さい。決して世の中の悪に染まらないで下さい。いつも神さまと一緒に暮らして下さい。 必ず“幸せ“になりますよ。 さあ、新しい新春を迎え私達と一緒に幸せな人生を歩みましょう。 あなたのご家庭が幸せになると、周囲の方のご家庭も幸せになります。すると社会も幸せになり、国家も幸せになり、やがて全世界の国々も幸せになります。 この世界が日月神示という最高神霊の国常立尊(くにとこたちのみこと)の教えにある ミロクの世なのですから。 さあ、この物語を読んで下さいね。  日本では奈良時代以降に儒教的価値観が取り入れられ、江戸時代には朱子学が支配的な学問体系となり、家族制度や教育制度に大きな影響を与えた。  日本の伝統的な性別役割の形成にも儒教思想が関与したと指摘されている。  孔子の教えをまとめた『論語』には、人を愛する心である「仁」が最も大切であると記されており、男尊女卑を直接説いたものではないという解釈もある。  また、『礼記』には、女性への服従を強要するだけでなく、夫には妻への配慮や家庭内での強い責任が求められると記されている。  近代以降、西洋的な価値観が東アジアに伝わってから、儒教の女性観は「男尊女卑」や「三従四徳」として批判的に見られることが多くなった。  しかし、これは社会変革の時期に提示された偏った見方であるという意見もあるのです。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

処理中です...