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第八十一巻
ー(神さまの実在)ー
随分と前になりますが、私は聖書に興味を持ったことがあります。
面白いもので、私は興味を持つと徹底的に勉強したいと思うのです。そのお陰で、物事を深く掘り下げることが出来るようになったのです。
私は現在もなお、中東で繰り広げられている戦闘に憤りと悲しみを覚えているひとりの民間人です。
しかし、この戦闘で多くの尊い命が犠牲になっているのも事実です。
その戦闘の当事国の人々はイスラム教、キリスト教、ユダヤ教の信者なのです。同じ聖典である聖書を読み、同じ神を崇拝し、心のよりどころにしているのです。
この戦闘を実際に行っているのはその国々の指導者であり、支配階級であり、利害関係者なのです。
今、トランプ大統領はホルムズ海峡封鎖に伴い、各国に軍艦を派遣することを期待しています。日本も16日から高市早苗首相の訪米に伴い、トランプ大統領が自衛隊の戦艦派遣を要請されるでしょう。
さて、今日は読者の皆さんに神さまの実在について、お話します。
この神さまの実在について、理解することはとても大切なことです。
私達の暮らしている世界、そしてこの宇宙は、すべてが関連し、絶妙なバランスを保ちながら常に活動しています。この活動は偶然によるものではなく、大いなる意志が働いているのです。そして私達はその中で生かされているのです。この大いなる意志の根源が『神さま』なのです。
神さまは、私達人間一人ひとり、小さくは細胞のひとつまで、また、私達の周りの草や木、山や川、湖など、動物、植物、鉱物一切、大きくは地球、太陽、また、私達の肉眼では見えない遠くの星々に至るまで、無限に広がる大宇宙すべてを創造され、守り、生かしておられるご存在です。私達人類は神さまの慈愛に満ちた愛情と神さまの生きる力、つまり神さまの生命力により生かされているのです。
このことを読者の皆さんに理解して欲しいのです。
私達は毎日を当たり前のように生きて暮らしていますがすべては神さまのみ恵によって生かされているのです。
例えば、私達は当たり前のように呼吸をしていますが、もし空気が数分間なくなっただけでも生きていくことが出来ません。
空気、水、土、光‥‥、これらのうちの一つでもバランスが崩れただけでも当たり前に生きることが出来ません。
また、私達が意識をしないでも体内の心臓や脳細胞、臓器など一つひとつの細胞に至るまで日夜働いているのです。
これらすべてが機能するようにして下さっているのも神さまなのです。
太古の昔から私達日本人の祖先は神さまの実在をよく理解し、お互いの人格を尊重し、お互い助け合い、愛し合い幸せに暮らしていました。
しかしいつしか、人間の中に欲望が芽生え「我良し」「強い者勝ち」という論理により力の弱い人々を支配するようになったのです。
そのような社会が今の現状なのです。これは日本に限ったことだけではありません。世界中がそうなのです。
日月神示ではこの「我良し」「強い者勝ち」という人間の愚かな考え方を戒めているのです。
それではキリスト教やイスラム教、ユダヤ教などが信仰のよりどころにしている聖書について考えてみましょう。
抑々聖書とは、キリスト教、ユダヤ教で教典、正典とされるもの。イスラム教でも教典とされている。
ユダヤ教及びキリスト教関連の宗教ではもっとも重要な文書とされる。もっとも、旧約聖書と新約聖書の両者を聖書と呼ぶのはキリスト教の立場に基づくものである。ユダヤ教では所謂、新約聖書は教典ではなく、イスラム教では両聖書とクルアーンとはいずれも教典、またはそれに準じる文書である。2017年現在、聖書は全部または一部が世界3200以上の言語で翻訳されている。発行部数については諸説あるが、英国外国聖書協会の2021年の調査では50~70億冊であり、ギネス記録となっている。
ユダヤ教において、聖書とは、紀元前4世紀までに書かれたヘブライ語およびアラム語の文書群である。全24巻から成り立ち、律法(トーラー、ヘブライ語:預言者(ネビイーム、ヘブライ語: 諸書(ケトゥビーム、ヘブライ語:に分類され、3つの頭文字TNKをとり、タナハ (ヘブライ語:と呼ばれる。 律法と呼ばれる文書(モーセ五書)を核に、預言書(神からの啓示である預言の記述)および歴史書、諸書と呼ばれる詩や知恵文学を加えたものをさす。キリスト教でいう旧約聖書と内容は同一であるが書簡の並び順は異なる。紀元前4世紀ごろには、この文書群が、複数の書物でなく「聖書」という単の書物として認識されるようになった。現存する最古の写本は紀元前1世紀頃書かれたとされる死海写本に含まれている。
紀元前4世紀頃から、ギリシア語訳が作られるようになった。有名なものにアレクサンドリアで編纂された七十人訳聖書がある。
現在、正典とされるものの範囲は1世紀末のヤムニア会議で確定された。正典とされる書物の範囲は本来慣習により多くは固定されていなかったが、エルサレム神殿崩壊ののち、ユダヤ教のキリスト教に対する民族的、宗教的結束を図る動きがあり、ヘブライ語・アラム語(アラマイ語)の原典の存在が知られていたもののみを聖書正典と定めた。正典から除外されたものを、外典・偽典と呼ぶ。16世紀にキリスト教プロテスタント諸派が、このときユダヤ教が聖典としていた文書群の範囲を採用しキリスト教にとっての旧約聖書であるとしている。
(キリスト教)
聖書はキリスト教で聖典として扱われ(ただし位置付けは教派により異なる)旧約聖書と新約聖書からなる。キリスト教では、イエス・キリスト以前の預言者と神の契約を旧約と言い、キリスト以降のキリストの言葉や奇蹟を弟子たちがキリストの死後書いたものを新約聖書と称している。
英語の音訳から、バイブル (the Bible) とも言うが、この語は ギリシア語: βιβλία(grc-latn biblía、ギリシャ語で書物の意、中性複数)が、ラテン語: biblia(ビブリア、単数女性)に転写されたものが元になっている(西方教会圏では、英語に限らず様々な言語に「ビブリア」系の語彙がみられる)。
「旧約」「新約」の「約」とは、神との契約のことで、2世紀頃からキリスト教徒の間で呼ばれ始めた。「『新約』はユダヤ教での神との契約を反古にして、神と新たに契約したということであり、旧約聖書は教典の役割を果たさないものである」と捉えるのは誤りであり、例えば新約聖書マタイ伝の一節「天と地が消え失せるまで、すべてが成し遂げられるまでは、律法から一点一画も消えることは無い」に見るように、キリスト教においても旧約聖書は決して無視できない書であり、正典に数えられている。
一方で、旧約聖書のうち「第二正典」「旧約聖書続編」などと呼ばれる部分の捉え方は、教派により異なる。七十人訳聖書の範囲を基本とする正教会およびカトリック教会は正典に数えるが、プロテスタントでは正典から外されている(ただし「正典ではないものの、読むのは有用」とされる場合もある)。
聖書は全てのキリスト教に於いて聖典とされるが、その位置付け、範囲などは教派によって異なる。ここではそれぞれの教派の主な特徴を挙げる。
カトリック教会では「聖伝の中に聖書が含まれる」とする正教会と異なり、「聖書と聖伝を同じく尊敬すべき」として、聖書と聖伝を並列させている。トリエント公会議において聖伝は「(聖書と)同じ畏敬を以て認むべきもの」(ラテン語: pari pietatis affectu)と位置づけられた。
(聖公会)
旧約聖書と新約聖書には「救いに必要なすべてのことが記されている」とされる。第二正典等とも呼ばれるアポクリファについては、旧約の民が書いた教会で使われる諸書である(正典には数えないが使う)と位置付けられる。
(プロテスタント)
このプロテスタントの人々は17世紀、イギリスから新天地を求めてアメリカ大陸に移住した。
私はこの人々が今のアメリカ人の原動力になっていると思っている。
プロテスタントにおいては、「聖書のみ」が重要な教理と位置付けられ、五つのソラの一つをなしている。
第二正典ともよばれるアポクリファについては、マルティン・ルターは「正典ではないが読むのは有用」としたが、正典に数えないだけでなく読む事も勧められない場合もある。
日本では日本語の聖書が用いられることが多い。エキュメニズムを旨とする教会派や社会派は新共同訳を用いる傾向にあり、2018年に発行された聖書協会共同訳に移行してゆくものと思われる。同様に、保守的な神学を持つ狭義の福音派教会は新改訳を用いる傾向にあるといえるが、あくまで傾向であって決まりはない。むしろ個別には、諸事情により傾向に添わない例もしばしば見受けられる。ほかにも口語訳などが用いられており、キリスト教会の聖書であれば、実際には訳が問題となることはさほどない。また、翻訳の差異に対する考察を入り口にした内省も許容される傾向にある。例外的にエホバの証人の訳による新世界訳は、エホバの証人以外の教会で礼拝に用いられることはほとんどないが、それは、新世界訳にある他の教会とは明らかに異なる特色のある独自の翻訳がそれらの教会の教えとは相いれないためだろう。
(東方教会)
(正教会)
正教会では、聖書は聖伝のうち、書かれたものの中で最も重要なものであると位置づけられる。聖書は聖伝の一部であり、「聖伝」という一本の柱の中に聖書は含まれていると理解される[27]。「正教会の聖伝を生きる人は、聖書を「自分のことが書いてある書」として読むことができる」とされ、「聖伝の中に聖書がある」ことが強調される。
(聖書の印刷・書写・頒布部数)
かつては書物自体が高価で貴重品だったこと、民衆に教典の内容が知れわたることを教会/聖職者が忌避したため、聖書は一部の聖職者だけの物だったが、15世紀中頃にグーテンベルクが活版印刷による聖書を出版して以降、一般にも広く読まれる様になった。また、聖書翻訳も活発に行われ、2017年現在、聖書は全部または一部が世界3200以上の言語に翻訳されている。そのなかには、アイヌ語訳や、ケセン語訳なども含まれている。
(全世界)
全世界での発行部数は50億部(以上)、60億冊、70億冊、英国外国聖書協会の2021年の調査では50~70億冊、80億冊、150億冊、1815年~1998年に約3880億冊(推定)などの説がある。
2000年の1年間に世界中の聖書協会によって約6億3300万冊が配布・販売(国際聖書協会の発表)
世界一発行されている本としてギネス・ワールド・レコーズに登録されている(発行部数は資料によって食い違いがある。)。
(日本)
1874年~2004年に3億4584万1334冊が頒布(日本聖書協会調べ)。
(聖書の庭)
聖書の庭、聖書庭園、バイブル・ガーデン(英:Biblical garden)は、キリスト教の聖書に登場する植物を集めた庭園である。植物園や公園、庭師が管理するテーマガーデンの一種である。
聖書に登場する植物のリストには、ユダヤ教やキリスト教の聖典に示されている植物の種がよく紹介されているが、聖書に登場する植物の中には、その正体についてかなり不確かなものもあるため、複数の候補種を展示している場合もある。また、特に気候の異なる地域では、聖書のテーマや題材に類似する植物にしていることもある。また、聖書の物語を説明するために、あるいは聖書の時代の人々の生活を示すために、オブジェを展示している庭園もある。
世界各地で作庭されており、レバントから遠く離れた場所での栽培例も多く、日本では福岡県にある西南学院大学の聖書植物園、アメリカ合衆国ではミズーリ州セントルイスのミズーリ植物園が知られている。
(イスラム教)
イスラム教においても新旧約の聖書は啓典とされる。ただし、新約・旧約という分け方はせず、正典に含まれない書もある。また、聖書よりもクルアーンが優越すると考えられており、内容に齟齬がある場合はクルアーンの記述が優先される。これは現行の聖書は、預言者たちに下された元の形から、ユダヤ教徒、キリスト教徒の手で歪められたとされるためである。イスラム教においてはクルアーンは啓典を確証すると同時に現行の聖書の誤りを糾す啓示でもある。
ムスリムのあいだでは聖書のうちのある章句をムハンマドの出現を予言したもの、とする解釈もなされる。代表的なものは申命記18章18節-19節の「イスラエルの兄弟(同胞)から立てられるモーセのような預言者」をムハンマドとする説である。なお『ヨハネによる福音書』5章46節ではイエスがモーセは自分について書いている、と語ったとある。『使徒行伝』3章20節以下ではペトロが申命記の一節をひいてこれがイエスのことであると語ったという記載がある。ただし、学者たちは人々の必要に対して出現する一連の預言者たちを指すと考えている。
(他宗教)
イスラム教以外にも、イエスなど聖書に登場する人物や天使の存在を教義内に持つ後発宗教(スピリチュアリズムなど)が存在しているが、イスラム教における解釈と同様、肯定的な扱いと否定的な扱いとが同居している。
(その他)
イギリス・ケンブリッジの聖書研究所「ティンダルハウス」が2017年11月15日、最新版のギリシャ語新約聖書を出版した。現存する英語の新約聖書のほとんどは、1975年版のギリシャ語本文が使われており、当時入手可能だった写本を編さんしたものが底本になっている。しかし、ティンダルハウスによる最新版のギリシャ語新約聖書では、1975年以降に発見された複数の古代写本の断片も取り入れられている。
ー(日月神示)ー
麻賀多神社の社務所で天明が最初に自動書記で書かされた原文は下のようなものであった。
「二二八八れ十二ほん八れ ㋹の九二のま九十の㋹のちからをあら八す四十七れる」
これは次の通り現代語訳できる。
「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる」
続いて
「卍も十も九も八きりたすけて七六かしい五くろうのない四かくるから 三たまを二たんにみかいて一すしのま九十を十四て九れ四 いま一十九十六あるか 九の九六八三たまを三かいておらぬ十こせぬ 九の四八まって二十十七一九六てある」
これを分かりやすく解説すると、以下のようになる。
「仏もキリストも何もかもハッキリ助けてシチ難しい御苦労の無い世がくるから ミタマを不断に磨いて一筋のマコトを通して呉れよ 今一苦労あるが この苦労はミタマを磨いておらぬと越せぬ この世始まって二度とない苦労である」
解釈としてはマコトの神が世に出現して神の力を現して、すべてを助け何の苦労もない理想的な世界に立て直していくが、その前には人類は未だかつてなかったほどの大災厄や大試練を迎えなければならない。助かるためには身魂(心、精神、身体)を絶え間なく磨き、鍛練しつつ備えよ。磨いていなければ助かることが出来ない。という内容だと考えられている。
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ライト文芸
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佐野優斗 20歳 双子
兄の蓮と性格はまったく違う。頭は悪く、甲南大学経済学部の学生である。不良の友人が多く、いつも喧嘩をして、警察の厄介になっている。
佐野美波 25歳。神戸女学院大学家政学部を優秀な成績で卒業した才女でくある、
佐野遥 17歳 神戸女学院高校に通う。
根っからの|クリスチャン《Christian》である。
佐野蒼太 父 レジーナ不動産社長。
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島倉隆史 常務 関西学院大学商学部卒業。
生粋の日本神道信仰者である。
森理恵 社長秘書 文也と愛人関係にある。
進藤匠海 大学医学部教授 文也の親友である。
永野愛 教授秘書 進藤教授の秘書である。
平野大志 文也の友人 ミナミの反社会的組織の幹部である。
(あらすじ)
大阪北摂地区の高級住宅街にある会社の所有するマンションがあった。建物の構造は、鉄筋コンクリート造り、7階建、1 階は商業施設、2階は貸事務所、3階はスポーツクラブ、4階から6階は社宅、7階は社長、常務など経営陣の所有物件。
この会社は不動産業を営むレジーナ不動産である。非上場のため、発表している決算内容は信頼できない。
資本金 8000万円
売上高 1000億円
経常利益 55億円
純利益 10億円
従業員数 1200名(うち正社員数 1100名)
この物語はフィクションです。
この物語に登場する人物、団体等実在していても、一切関係ありません。