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第二巻
しおりを挟む今回、トランプ大統領率いるアメリカ合衆国に拘束されたベネズエラ大統領夫妻。
この出来事は連日、テレビのトップニュースとして、放映されいます。
私はこの機会にベネズエラという国について調べてみました。
皆さんも良くご存知だと思いますが、しばらく、私にお付き合い願います。
ベネズエラは南アメリカの国です。
国の正式な名称は、ベネズエラ・ボリバル共和国です。
首都はカラカス。ベネズエラ最大の都市です。
ー(政府)ー
大統領はニコラス・マドゥロ。
副大統領・大統領代行はデルシー・ロドリゲス。
ー(国土の面積等)ー
総計 916,445km2(32位)
水面積率 3.3%
人口総計(2020年)2843万6000人(50位)
人口密度 32.2[4]人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2022年) 1964億2000万
ボリバル・デジタル(Bs.D)
GDP(MER)
合計(2022年) 435億4600万ドル(94位)
1人あたり 1,617ドル
GDP(PPP)
合計(2022年) 1419億4600万
ドル(81位)
1人あたり 5,273ドル
ー(独立宣言)ー
スペインより1811年7月5日に
独立。
大コロンビアより1830年1月13日に
独立。
通貨はボリバル・デジタル(Bs.D)
(VES)。
コロンビアと共に北アンデスの国家であるが、自らをカリブ海世界の一員であると捉えることも多い。ベネズエラ海岸の向こうには、オランダ王国のABC諸島(キュラソー島など)、トリニダード・トバゴといったカリブ海諸国が存在する。ガイアナとは、現在ガイアナ領のグアヤナ・エセキバを巡って、19世紀から領土問題を抱えている。南アメリカ大陸でも指折りの自然の宝庫として知られている。南米最大の産油国であり、原油埋蔵量は3008億バレルと推測され世界最大の石油埋蔵国と言われているが質の問題により生産拡大には結びついていない。
ヨーロッパ人がこの地を訪れる前、この地にはアラワク人とカリブ人と狩猟と農耕を行うインディヘナが居住していた。タワンティンスーユ(インカ帝国)の権威は及ばなかったが、コロンビアのムイスカ人の影響を受けていた。この地から多くの人間がカリブ海諸島に航海していった。
ー(スペイン植民地時代)ー
「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」、「スペインによるベネズエラの征服および「マラカパナの戦い」と過去の歴史がある。
スペイン人に立ち向かったインディオの首長、グアイカイプーロは国民の英雄出来存在である。
ウゴ・チャベス政権によって大々的に再評価がなされた。
ヨーロッパ人が今のベネズエラと接触するのは1498年のクリストファー・コロンブスによる第3回航海が初めてである。翌1499年にはスペイン人のアロンソ・デ・オヘダとイタリア人のアメリゴ・ヴェスプッチが内陸部を探検している。その後スペイン人によって1526年にクマナが建設され、先住民の首長グアイカイプーロとの戦いの最中の1567年にディエゴ・デ・ロサーダによってサンティアゴ・デ・レオン・デ・カラカスが建設された。植民地化当初はヌエバ・エスパーニャ副王領の一部として、イスパニョーラ島のサント・ドミンゴのアウディエンシアに所属していたが、1739年にはヌエバ・グラナダ副王領の一部となり、1777年にはベネズエラ総督領に昇格した。植民地時代のベネズエラ経済はプランテーション制農業からのカカオ輸出に依存しており、クリオーリョ支配層は更なる自由貿易を望むようになった。ベネズエラはアルゼンチンと共にスペイン植民地体制の辺境だったために独立に有利な状況が整い、やがて後のラテンアメリカ独立運動の主導的立場を担うことになったのである。
ー(独立戦争)ー
最初の独立指導者フランシスコ・デ・ミランダがいた。
「解放者」「迷宮の将軍」シモン・ボリバルはスペインから南アメリカの五共和国を独立に導いた軍人、政治家、思想家、革命家である。
1789年のフランス革命によりヨーロッパの政局が混乱し、19世紀にナポレオン戦争がスペインに波及するとインディアス植民地は大きく影響を受けた。スペイン本国がナポレオンのフランスによって占領される中、インディアス植民地の各地では自治の動きが活発化した。インディアス植民地各地のクリオーリョ達は独立を企図し、ベネズエラでも1806年にはフランシスコ・デ・ミランダによる反乱が起きた。この反乱は鎮圧されたが、1808年ホセ1世がスペイン王に即位すると、それに対する住民蜂起を契機にスペイン独立戦争が勃発、インディアス植民地はホセ1世への忠誠を拒否し、独立の気運は抑えがたいものになって行った。1810年にはカラカス市参事会がベネズエラ総督を追放。翌年1811年にはシモン・ボリバルとミランダらがベネズエラ第一共和国を樹立した。しかし、王党派の介入とカラカス地震によってベネズエラは混乱し、共和国は崩壊した。この時の大地震によってカラカス市の2/3が崩壊した。
しかしボリバルは不屈の意志で独立闘争を展開し、1816年には亡命先のジャマイカから『ジャマイカ書簡』を著した。何度かのベネズエラ潜入失敗の後、ヌエバ・グラナダ人の独立指導者フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデルらの協力を得てヌエバ・グラナダのサンタフェ・デ・ボゴタを解放すると、1819年にはベネズエラとヌエバ・グラナダからなる大コロンビアを結成した。その後解放軍は1821年にカラボボの戦いでスペイン軍を破り、ここでベネズエラの最終的な独立が確定した。ボリバルはその後エクアドル、ペルー、アルト・ペルー方面の解放に向かい、1824年にアントニオ・ホセ・デ・スクレ将軍の率いる解放軍がアヤクーチョの戦いに勝利して全インディアス植民地の最終的独立を勝ち取り、ボリバルは新たに独立したボリビア共和国の初代大統領となった。しかし、留守を預かっていたコロンビアの大統領サンタンデルとの関係が悪化し、コロンビアに帰国し、帰国した後もコロンビアの政局は安定せず、1830年には赤道共和国とともにカウディーリョ、ホセ・アントニオ・パエスの指導するベネズエラはコロンビアから脱退し、完全に独立した。翌1831年にコロンビアの独裁者、ラファエル・ウルダネータが失脚するとコロンビアは崩壊し、以降この地域を統一しようとする動きはなくなった。
ー(内戦と軍事独裁の時代)ー
アントニオ・グスマン・ブランコ将軍。
独立後、旧ボリバル派は排除され、商業資本家が支持する保守党による支配が続いたが、1840年に大土地所有者を支持基盤とする自由党が結成された。保守党が中央集権を唱え、自由党が連邦制を叫び、両者は対立し、ついに1858年、3月革命が勃発し、連邦戦争という内戦が勃発。1859年~1863年までの戦いに発展した。内戦は1863年に連邦主義者の勝利のうちに終結。自由党が政権を担うことになった。しかし、自由党は失政を重ね、1870年に保守系のアントニオ・グスマン・ブランコが政権を握る。ブランコは18年間を独裁者として統治し、この時期に鉄道の建設、コーヒーモノカルチャー経済の形成、国家の世俗化などが進んだが、1888年のパリ外遊中にクーデターにより失脚した。
グスマンの失脚後、ベネズエラは再び不安定な状態に陥るが1899年にはアンデスのタチラ州出身のシプリアーノ・カストロが政権に就き、1908年まで独裁を行った。1908年にカストロの腹心だったフアン・ビセンテ・ゴメスがクーデターを起こすと、以降1935年までのゴメス将軍の軍事独裁政権が続いた。ゴメス治下の1914年にマラカイボで世界最大級の油田が発見され、ベネズエラは一気に貧しい農業国から石油収入のみを基盤にした南米の地域先進国となっていった。しかし、ゴメス将軍は「アンデスの暴君」と呼ばれるほどの苛烈な統治を敷き、「1928年の世代」を中心とする国内の自由主義者の反発が強まることになった。
1935年にゴメスは死去したが、死後もゴメス派の軍人により軍政が継続された。
1945年10月18日には青年将校と民主行動党による軍事クーデター(ベネズエラ・クーデター (1945年)が起こり、軍政は崩壊し、民主行動党と青年将校が協力するエル・トリエニオ・アデコ体制が確立した。19日には民主行動党の創設者であるロムロ・ベタンクールが大統領に就任。
1947年には新憲法が発布され、1948年2月の選挙により国民的文学者のロムロ・ガジェーゴス政権が誕生するが、ガジェーゴス政権もそれまで民主行動党に協力していた青年将校によって軍事クーデター(ベネズエラ・クーデター (1948年)で打倒された。その後、1952年から青年将校の一人だったマルコス・ペレス・ヒメネス将軍による独裁下ではベネズエラは原油高によって西半球で経済的には最も繁栄する国にまでなるも、ヒメネスは1958年にバブル経済の崩壊に伴う債務危機で失脚することになった。
ー(ベネデモクラシア)ー
「民主化の父」ロムロ・ベタンクール。
2度大統領になり、民主体制を確立したが、1945年のエル・トリエニオ・アデコ体制はその後の軍事クーデター、1958年に確立されたプント・フィホ体制も後の政治的不安定化の要因となった。
ヒメネス失脚後、民主行動党とキリスト教社会党(コペイ党)、民主共和国ユニオンの間でプント・フィホ協定と呼ばれる密約が成立し、左翼勢力の排除と政府ポストの各党への割り当てが確約され、この協定は新たな民主体制の基礎となった。
1959年には民主的な選挙の結果、民主行動党のロムロ・ベタンクールが再び大統領に就任した。ベタンクールは、1930年代にコスタリカ共産党の指導者だった経歴を持つが反共主義者に転向しており、米州機構から非民主的な国家を排除するベタンクール・ドクトリンを打ち出してドミニカ共和国のラファエル・トルヒーヨ政権や、キューバのフィデル・カストロ政権と敵対した。これに反発した左翼ゲリラ(キューバ革命に影響を受けており、キューバに直接支援されていた)が山岳部で蜂起した。一方で農地改革やサウジアラビアとともに石油輸出国機構(OPEC)の結成なども行った。ベタンクールは、左翼ゲリラと戦うも鎮圧することは出来ず、1964年に退陣した。ベタンクール政権はベネズエラ史上初めて民主的に選ばれ、任期を全うすることが出来た政権となった。
1969年にはゲリラへの恩赦を公約にキリスト教社会党(コペイ党)のラファエル・カルデラ政権が発足した。反乱は治まり、キューバを初めとする東側諸国との関係改善も行われた。続いて1974年には民主行動党のカルロス・アンドレス・ペレス政権が成立した。オイルショックの影響による原油高によりベネズエラは「サウジ・ベネズエラ」と呼ばれるほど大いに潤う。
ラテンアメリカの指導的な地位を確立しようと努めてラテンアメリカ経済機構の設立にも尽力した。
ー(カラカソ)ー
ところが、1980年代を通して豊富な原油や天然資源により莫大な貿易利益がありながら貧富の格差、累積債務が増大しプント・フィホ体制の腐敗が明らかになっていった。1989年2月27日には低所得者層によりカラカス暴動(カラカソ)が勃発。この暴動で非武装の群集に対して軍が発砲し、多くの犠牲者を出すなど世情不安が続いた。1992年には空挺部隊のウゴ・チャベス中佐が政治改革を求めてクーデター未遂事件を起こした。翌1993年には不正蓄財によりペレスが辞任し、キリスト教社会党(コペイ党)からカルデラが再び大統領に就任した。しかし、ポプリスモ政策を取ろうとしたカルデラの貧困層、中間層への対策は失敗に終わった。
ー(チャベス政権)ー
👀ここに記載の内容は重要です。👀
1992年に起きたクーデターの首謀者、ウゴ・チャベスが1997年に「第五共和国運動」を結成し、1999年に大統領に就任した。1958年代に成立したプント・フィホ体制から排除された貧困層から支持を受け、反米・ボリバル主義とポプリスモを掲げたチャベスにより、同年12月には国名が「ベネズエラ・ボリバル共和国」に改称された。
チャベスは、国名変更、石油資源国有化、キューバとの交流など反米路線を掲げた。
ーCIAの登場ー
これにより、2002年にはアメリカの中央情報局(CIA)の援助・支援の下に軍部親米派のクーデターでいったん失脚したが、全国的な国民のデモの激化、ラテンアメリカ諸国の抗議によって再び政権に復帰し、わずか3日間でクーデターは失敗に終わった。米国は諦めず、ブッシュ政権は2006年にベネズエラに対して武器輸出の禁止措置をとった。
さらに、麻薬取引を理由に個人制裁も発動し、2005年以降少なくとも22人のベネズエラ人と27企業を制裁対象とした。
こうした経緯もあり、チャベス大統領は反米的なキューバ、ボリビア、エクアドル、ニカラグア、中華人民共和国、ロシア、イランと関係を強化し、友好的な関係を維持している。また、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体や南米諸国連合、米州ボリバル同盟、南米銀行の設立を主導して中南米の結束を図ったのである。
一方で、隣国である親米国のコロンビアとはかねてから関係が悪く、2009年7月には外交関係を凍結してベネズエラ軍の軍備増強を発表し、両国間の緊張が高まっている(アンデス危機)。2010年7月22日にはコロンビアとの国交を断絶し、国境に「全面的非常態勢」を敷くよう軍への命令が出され、3週間後の8月11日には国交回復で合意したが、依然として不安定な状況が続いている。
ベネズエラに於いては、富裕層の所有メディアにより反チャベス的な内容のものが報道されることが多かった。
チャベス政権成立以降、チャベス大統領に批判的な放送局が閉鎖に追いやられたりするなど独裁色が強められた。これは失敗に終わった2002年のクーデターを支持した放送局のオーナーたちに対する報復だとの見方もある。真相は分からない。
なお、チャベス派からのメディア発信も行われており、『こんにちは大統領』のようなテレビ番組も放送されていた。
チャベスはワシントン・コンセンサスを否定し、反市場原理主義、反新自由主義を鮮明に掲げ、富の偏在・格差の縮小など国民の大多数に及んだ貧困層の底上げ政策が中心で『21世紀の社会主義』を掲げていた。しかしながら、チャベス政権以前の旧体制派である財界との対立による経済の低迷や相変わらず深刻な格差・貧困問題、特に治安の悪化は深刻な社会問題となっており、それらを解決できないまま、2013年3月5日、チャベスはガンのため没した。
ー(マドゥロ政権時代)ー
チャベス体制を引き継いだ大統領ニコラス・マドゥロ。
チャベスの死後、その腹心であった副大統領のニコラス・マドゥロが政権を継承した。国際的な原油価格の低下と価格統制の失敗により、前政権時代から進行していたインフレーションは悪化し、企業や野党勢力のサボタージュも継続するなどマドゥロ政権下においても政情不安は続いた。価格統制の失敗例としては、トイレットペーパーがある。国内のトイレットペーパー不足を補うため、ベネズエラ政府は5,000万ロールの輸入を決定せざるを得なかった。
マドゥロはチャベス時代の反米路線と社会主義路線を踏襲して企業と敵対し、また野党と激しく対立した。
2015年12月6日、総選挙において野党・民主統一会議を中心とした右派連合が勝利を収め、過半数の議席を獲得した。ただし大統領の任期は2019年まで続き、仮に弾劾などが行われたとしても第一副大統領が昇格するためベネズエラ統一社会党が引き続き政権与党となる構図であった。
反マドゥロ政権の野党が三分の二(167議席中112議席)を占めたことで以降国民議会を使った立法行為が不可能となったマドゥロ政権は、自身の影響下にある最高裁判所を使って国民議会の立法権を制限する様々な手段を打つようになった。例えば国民議会が可決させた法律を大統領が「違憲判断のため」として最高裁に送り、最高裁に違憲判断を出させて立法を無効化する方法である。2016年1月から4月に国民議会が可決させた5つの法案は全て最高裁に送られ、そのうち4つが「違憲」として無効化されている。
また最高裁はアマソナス州選出の3人の野党議員に「不正選挙があった」として公務就任権を認めず、2016年7月にこの3人が国民議会で宣誓すると最高裁は「最高裁の決定を尊重しない限り国民議会は法的有効性をもたない」と宣言。以降マドゥロ政権はこの「3人問題」を理由に国民議会を無視して最高裁に立法権を代行させるようになった。予算案も国民議会ではなく最高裁に提出して承認させている。
2016年4月、大統領の任期が後半に入った事を踏まえ、野党は憲法に規定されている任期途中での大統領罷免を求める国民投票の実施を宣言、10月に国民投票の第一条件となる1%の有権者の署名が与野党共同運営の選挙管理委員会に提出された。この署名に死亡者や有権者登録されていない人物の署名が含まれていた事が与党側から問題視され、選挙委員会と野党は再発防止を約束して手続きを再開したが、10月20日に7州の裁判所は「身分証明書の窃盗事件と関連がある」として手続き停止を命令した。
一連の騒動で与党と野党に続き、司法と議会の対立も鮮明となった。
2017年3月29日、最高裁判所は「不正選挙に基いた議会」「侮辱罪にあたる状態が続く議会の手続きは無効である」との司法判断を下し、立法権も最高裁判所に付与する異例の事態となった。
この決定を与党側は歓迎したが、野党や南米諸国をはじめとする米州機構のみならず最高検察庁のルイサ・オルテガ・ディアス検事総長など政府要人からも懸念や批判が相次いだ。
マドゥロは国家安全保障委員会の決定として最高裁に再考を促し、最高裁の判断は撤回された。
2017年4月以降、反政府デモとそれに対する鎮圧が頻発しており、非政府組織「ベネズエラ社会紛争観測所」の集計で死者は80人を超えている。
デモは継続的に続けられており、7月8日で100日間連続となったのだ。
政府支持派の暴動も発生し、群集が国会に突入して反政府派の議員らを議会に閉じ込める事件も起きている。
政府側と野党側デモの衝突は激化の一途を辿り、4月27日に民主統一会議議長で正義第一党の党首エンリケ・カプリレス・ラドンスキーは早期選挙の実施を要求した。
ー(制憲議会成立)ー
マドゥロは野党連合民主統一会議の早期再選挙の要求を却下し、代わりに憲法の修正による改革を提案した。
しかし制憲プロセスが憲法違反である疑いがある上、制憲議会選挙が「一人一票の原則」を無視し、通常の1票に加えてマドゥロが指名した労組や学生組織など7つの社会セクターに所属する者に2票を与えるという前例のない与党有利の選挙制度になっていたことから野党に強い反発を巻き起こした。このような選挙に立候補することは恣意的な選挙制度を有効と認めることになるため、全野党が立候補せず、選挙をボイコットした。
2017年7月31日、制憲議会 の議会選挙が実施された。野党候補がボイコットした事で全候補が与党から出馬、政権に対する「信任投票」と位置付けられ街頭での衝突も内戦寸前の状態に陥っている。
軍や警察は政府側を支持して行動しており、民間人と警官・兵士の側の双方に死者が発生した。同日深夜、マドゥロは統一社会党が全議席を占める制憲議会の成立を宣言した。
宣言において国民議会の廃止を行う意向も示しており、制憲議会のロドリゲス議長も右派連合は「裁きを受けるだろう」として旧議会の廃止を示唆、ベネズエラは事実上の一党独裁体制へ移行しつつある。
2017年8月2日、レオポルド・ロペス、アントニオ・レデスマら野党連合の主要政治家が軍に連行された。
8月3日、反政府派に転じているオルテガ・ディアス検事総長は検察庁に不正選挙に関する捜査命令を出したが、これに対して軍が検察庁を包囲下に置いた。
8月5日、ベネズエラ最高裁判所はオルテガを検事総長から解任する決定を下し、制憲議会もオルテガが深刻な職権乱用により起訴された事を発表した。
8月18日、制憲議会は国民議会から立法権などの権限を剥奪したと宣言した。
ー(反発の激化)ー
2018年5月21日の大統領選挙は、選挙前に有力野党政治家の選挙権がはく奪されたうえで行われたため、マドゥロ再選の「出来レース」状態となり、主要野党はそれに反発して選挙をボイコットした。マドゥロ政権は国際選挙監視団の査察を拒否して国民の投票を監視し、マドゥロに投票しなかった者は食糧配給を止めるなど、なりふり構わぬ選挙戦を展開した。
西側諸国やブラジルなどはこの選挙を批判し、欧米や日本などは2019年1月10日の大統領就任式の出席を拒否した、選挙の正当性を否定される形となった。その後もインフレーションなど経済的な混乱は加速した。
2019年1月10日にマドゥロは2期目の大統領就任式を行ったが、首都カラカス市内でもデモが活発に行われるようになり死者も発生した。
1月23日には国民議会議長フアン・グアイドが昨年の大統領選挙は憲法違反で無効と主張し、1月10日をもってベネズエラは大統領が不在となったので、憲法233条に従って国民議会議長である自分が暫定大統領になったことを宣言した。
体制転覆を目指す米国のドナルド・トランプ大統領は、「マドゥロの政権は正統ではない。ベネズエラにおいて唯一正統なのは国会である」として、グアイドの暫定大統領就任を直ちに承認した。これに対抗して1月24日にマドゥロ政権は「アメリカ合衆国と国交断絶する」と発表したが、アメリカ合衆国連邦政府は「グアイド政権を通じて、ベネズエラとの外交関係を維持する」としている。
その後、アメリカに続く形で西側諸国が続々とグアイド暫定大統領就任を支持表明した。日本国政府はしばらくの間グアイドの承認を保留してきたが、2019年2月19日に「ベネズエラ政府に対して大統領選挙の早期実施を求めてきたにもかかわらず、いまだに行われていない」として「グアイド暫定大統領を明確に支持する」との意向を表明した。
反発がありながらも、実際のところベネズエラでは引き続きマドゥロが軍部の支持を確保して実効支配している。またロシア、中国、北朝鮮、イラン、キューバ、トルコ、シリア、パレスチナ、ボリビアなど反米主義的な国家群からは、2期目就任の承認を受けている。
二つの政権が対立する形となった。
2019年2月2日には、マドゥロの退陣を求める大規模デモ活動がベネズエラ全土で執り行われ、この中で、グアイドが「デモ参加者に発砲するのをやめてほしい。それだけでなく、ベネズエラの再建にかかわってほしい」として、ベネズエラ軍に対する呼びかけを行った。
一方のマドゥロ側でも政権支持を目的とした集会が行われ「立法府が再び合法化されることに同意する」と訴えた上で、2020年に行われることになっている国会議員の選挙を前倒しすることを提案した。
2019年2月20日、マドゥロ政権は、オランダ王国に属するアルバ、キュラソーとの海路を遮断したと発表。翌21日には「ベネズエラに人道危機は存在しない」「領土侵害を防ぐ」と称してブラジルとの国境を封鎖すると表明した。
コロンビアとの国境封鎖の指示も行われていたが、2月23日にはグアイド側はこれを無視して国境沿いで人道支援の受け入れ式典を開催。この時点で50か国から暫定大統領として承認を受けたグアイドに対し、コロンビア、チリ、パラグアイの各大統領も受け入れ式典へ参加して支援を表明した。
4月30日にグアイドが離反兵士らに自宅軟禁から救出されたレオポルド・ロペスとともにビデオメッセージを出し、軍に決起を呼び掛けた。これにより反マドゥロ派の軍人たちが催涙ガスなどで鎮圧にあたるマドゥロ政権側と衝突した。
その後ベネズエラ各地で衝突が発生した。
マドゥロ政権側はこれを「クーデター」と非難し「クーデターは失敗に終わった」と主張している。
一方、アメリカ政府は「アメリカはグアイド氏を暫定大統領だと考えており、明らかにクーデターではない。グアイド氏側による勇敢な行動だ」としてグアイドの行動を支持表明した。
2019年ベネズエラ蜂起未遂があった。
2020年5月2日、アメリカの民間軍事会社「シルバーコープUSA」および反体制派の志願兵によるマドゥロ政権転覆計画が実行されたが、事前に察知したベネズエラ当局によって早期に鎮圧された。
マドゥロ政権はシルバーコープUSAがグアイドと支援協力関係にあったとして批判したが、グアイドはこれを否定している。
ギデオン作戦 (2020年)。
2020年6月、最高裁判所が全国選挙評議会メンバーを決定し、野党人事に介入した。12月、主要野党はボイコットを表明中で国会の選挙が実施され、マドゥロ派が圧勝し、新たな国会議長としてホルヘ・ロドリゲスが選出された。
欧州連合、アメリカはこの選挙結果を認めていないが、欧州連合はグアイドが議長・議員職を失ったことを理由に「暫定大統領」の承認を取り下げた。一方でアメリカのトランプ政権は、引き続きグアイドを暫定大統領と認めることを表明。
2021年1月に米国大統領に就任したジョー・バイデンも、グアイドを暫定大統領として引き続き認めるとしている。
ここまで、米国など西側諸国が中心となってベネズエラに強力な経済制裁を科して体制転覆を目指しているが、実現はしていない。狙い通り、経済基盤である原油生産・輸出は激減したが、ベネズエラ政府は違法な採掘から麻薬密売までのさまざまな違法ビジネスに手を出したり、政権側の富豪に経済の一部を開放したりして、国内支持基盤を固めた。さらに、米国の金融システムに依存していないイランや中国、ロシアといった国々とも連携することで、制裁を出し抜いたかたちになった。
市民の生活難は続いているが、マドゥロの支持率は一定を保ち、逆に反政府の諸外国が推すグアイドと野党の支持率は汚職問題などで低下してきている。
2022年、欧米によるロシアへの経済制裁と世界的インフレーションにより原油価格が高騰すると、米国はベネズエラ産原油の禁輸措置緩和の可能性を示した。
同年11月26日、アメリカ政府はマドゥロ政権と野党連合の対話が再開されたことを理由に、シェブロンに対してベネズエラでの操業を限定的に許可した。
野党勢力による暫定政府への支持は2020年12月の選挙以降落ち込み、2023年1月5日に暫定政府は解散され、野党勢力による国民議会の議長に亡命中のディノラ・フィゲラを選出した。
ー(2024年の政治危機)ー
2024年7月の大統領選挙は、3期目を目指すマドゥロと、野党連合による戦いになると見られていた。当初野党連合は2023年10月の予備選挙でマリア・コリーナ・マチャド元国会議員を統一候補と定めていたが、マドゥロ政権側はマチャドを公職につくことを禁じる命令を出し、立候補辞退に追い込んでいる。
マチャドは後継としてコリーナ・ヨリスを指名したが、これも立候補できなかった。野党側の主張によれば、政府側の妨害により、ヨリスを統一候補として登録するためのシステムへのアクセスができなかったことによるとしている。
結局野党連合側はエドムンド・ゴンサレスを統一候補とすることとなった。同年7月28日の投開票の結果、選挙管理委員会はマドゥロの得票率が51%に達したと発表し、マドゥロ側は勝利宣言を行った。
しかし野党側は選挙に不正があったとして反発し、大規模なデモが発生した。
8月28日には中央選挙管理委員会に当たる選挙評議会の幹部が不正があったとして告発している。アメリカ•ペルー•アルゼンチン、米州機構はマドゥロの勝利を認めず、国際連合人権高等弁務官事務所も懸念を示し、ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領は再選挙を提案している。
マドゥロ政権側は選挙結果に疑念を示した中南米7カ国の外交官に国外退去を命じている。
9月、マドゥロ政権はゴンサレスに対し、扇動容疑で逮捕状を出した。これを受けてゴンサレスはスペインに亡命している。
ー(アメリカ合衆国によるベネズエラ攻撃とマドゥロ大統領拘束)ー
2026年1月3日、首都カラカスを含む複数の都市で爆発が起き、CBSなど米主要メディアは、トランプ米大統領がベネズエラ国内の軍事施設などへの攻撃を命じ、米軍による地上攻撃が行われていると報じた。
マドゥロ政権は国家非常事態を宣言し、米国による「軍事侵略」を拒否すると表明した。
トランプ米大統領は、ベネズエラへの攻撃を「成功裏に完遂した」と発表し、マドゥロ大統領とシリア・フローレス夫人を拘束した上でベネズエラ国外に連れ出したと発表した。
ベネズエラ最高裁は、マドゥロ大統領が米国に拘束されたのを受け、ロドリゲス副大統領に暫定大統領として職務を代行するよう命じた。
ー(ベネズエラ難民問題)ー
長らく反米左翼政権が続いたベネズエラでは、2015年に政治的迫害などを理由に、アメリカ合衆国へ亡命申請したベネズエラ人は5,605人である。2016年には14,700人を超え、2017年にはさらに更新することが確実視されている。
さらに経済危機で、ベネズエラ難民の数は急増していった。国際連合によれば、2018年11月までに国外へ逃れたベネズエラ難民は300万人を超え、この数はベネズエラ国民の1割に相当する。
2018年9月4日、エクアドルの首都キトで中南米諸国がベネズエラ難民対策の国際会合を開いた。有効な対策はまとめられなかったものの、「キト宣言」を発表し、ベネズエラ難民を「十分に受け入れる」と明記した。
最も受け入れている国は、隣国のコロンビアであり、2023年12月末時点で現在約285万人のベネズエラ難民を受け入れている。
しかし北部の町ククタでは施設に収容しきれないベネズエラ人が路上にあふれており、ベネズエラ人による犯罪が社会問題になっている。
ほかにもペルーに104万8,528人、ブラジルに49万1651人、エクアドルに47万1,420人、チリに 43万5,728人、アルゼンチンに 21万5,541人のベネズエラ難民が流出している(いずれも2023年12月末時点。但し、庇護申請者[120万130人]は含まれていない。)
ブラジルでは、ベネズエラ難民のテントを襲撃する運動が発生しており、治安悪化の原因になっている。
2019年6月7日に国連難民高等弁務官事務所が発表した難民と国外移住者数は約400万人としており、過去7カ月間で100万人増加する驚異的なペースとなった。
その後も改善することなく、2023年12月末時点で難民と庇護申請者、その他国際的保護を要する者を合わせた約730.3万人がベネズエラ国外へ避難している状態である。
読者の皆さんはもうお分かりでしょう。
ベネズエラは、既に国家として機能していません。何故、ベネズエラという国を捨てて国外へ逃れる難民が数千万人もいるのでしょうか?
それは日月神示の原文にある獣の集団にベネズエラが陥っているからです。ベネズエラに未来はありません。あるのは、獣たちの醜い争いだけです。
このような国を支持する国は獣だということです。
今回のトランプ大統領率いるアメリカ合衆国の活躍に私はエールを送ります。
アメリカ合衆国は善の国なのです。
現政権のベネズエラは悪の国なのです。
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