月のない夜に

瑠亜

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第五夜

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 心臓が止まるかと思った。
 気が付いたら走り出していた。どこをどう走ったのか、どうやって戻ったのか、覚えていない。
 家に帰って、扉を開ける。
 そして、目を疑った。
 いつもは綺麗に整頓された居間も台所も、椅子や机が壊され、ガラスが割れ、破片が散っていた。壊れていないものが無いくらい破壊された部屋。その奥に、白く細い腕が見えた。
 血の気が引いた。慌てて駆け寄る。

「サクっ!」

 その姿を見て、息を飲んだ。
 白かった彼女は、赤く染まっていた。流れ出た血が、水たまりのようになっている。弾かれたように、その血だまりから彼女を抱き上げる。まだ、温かかった。
 その腹に大きな傷があって、そこから、血が溢れ出る。

「サク! ねぇ、目を開けて」

 その傷を抑えるように抱き上げて、呼びかける。

「サク!」

 悲鳴のような声が、こだまする。すると、サクの瞼が小さく震えた。はっとして、見れば、赤い瞳が僕を見ていた。

「……ケイ、おかえり、なさい」
「サク、何でっ……」

 何も言えない、何も出来ない。
 おそらく僕は泣きそうな顔をしていたのだろう。僕を見て、彼女は弱々しく笑った。

「ごめ、んね」

 何で、サクが謝るのか、僕はわからない。それを感じたのか、いつの間にか側にいた使い魔が言う。

「あいつらが来た時、俺、逃げようって言ったんだ。なのに、こいつ、留守番だからって止めようとして」

 僕は、はっとした。

――留守番頼んだよ。

 何気ない言葉だった。それを、彼女は守ろうとしたのか。

「主、俺、守ろうとしたのに、あいつら人数が多くて。なんとか追い払ったんだけど……」

 申し訳なさそうに、使い魔が言う。でも、それは僕の耳に入ってこなかった。
 腕の中の、サクの心臓が、小さく震えている。
 もう、その動きを止めようとしている。

「ダメだよ、サクっ……」

 サクは、ゆっくりとその細い腕を持ち上げ、僕の頬に手を当てた。

「一緒、だね」

 嬉しそうに笑う。何のことかと考える。そして、サクの赤い瞳を見て、思い至った。
 その瞳。
 僕の瞳も今は赤。
 そこで、ふとその可能性に気付いた。このままでは、ほんの一瞬で、サクは死んでしまう。
 でも、吸血鬼なら?
 このくらいの傷なら、治る見込みはある。
 彼女を吸血鬼にする。それは、長い孤独を、隠れ追われる人生、そして、渇きという苦しみを彼女に課すという事。

「主、こいつを助けてっ」

 使い魔が、言う。
 笑っていたサクの力が、ふっと抜けた。力尽きたように、その瞼が閉じられる。頬に触れていた温もりが、そっと離れた。

 腕の中で、彼女が死んでしまう。

 それは、嫌だ。
 それだけは、絶対に、何があっても、嫌だ。
 僕は彼女の首に、牙を埋めた。
 その甘い血を吸う。長く、飢えていた心が満たされる気がした。
 とくんっ、と腕の中の彼女の心臓が大きく震えた。
 そっと彼女の首から牙を外す。そして、今度は自分の腕に牙を立てる。流れ出したその血を口に含むと、サクの唇に自分のそれを重ねる。そこから口移しで自らの血を与えた。
 吸血鬼の血は、その治癒力を高める。
 そこまでをし終えて、僕はサクの様子を伺う。

 そして。
 血の気を失っていたその瞼が、細かく震えた。その瞼がゆっくりと上がる。

 妖艶な赤い瞳が、僕を映して嬉しそうに微笑んだ。
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