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第一章
騎士の館 4
しおりを挟む「剣の試合?」
ラウルが怪訝そうに問い返した。
「ねぇ、いいでしょう」
「そう言われてもな」
ねだるように腕に縋り付いてくるルシスに、ラウルは困り切った表情でちらりとデティを窺った。
デティも困ったように笑って答える。ラウルは、理由もなく、そんなこと許可できないことを、デティはわかっていた。ラウルはデティが力を使うことについての危険性も認識している。許せることではない。
と、デティは思っていたのだが。
「……まぁ、やってもいいか」
ラウルの言葉を聞いて、ルシスは喜ぶ。
「やったぁ!!」
逆にデティは焦った。しかし、デティが何か言う前に、ラウルは続けて言う。
「ただし、二人とも魔術は禁止だ。もちろん魔力付与の剣もな」
ラウルは、特にデティを見ていた。そして、心配そうなデティに近付くと、ポンと頭に手を置いてデティに聞こえるようにだけ言う。
「ディ、力は使用不可だ、なら問題ないだろう」
〝ディ〟と呼ばれて、デティは目を見張った。それは、限られた人にだけ知らされている、デティの、竜としての本当の名前だった。
デティが竜の血を引いていると知らされた13の時から、その力を制限する方法が与えられていた。それが、竜の本当の名前を知るものが、その力の使用を許可、制限するというものだった。
ちなみに今、デティの竜としての名前を知っているのは、国王、ファニス、そして、ラウルだった。今、ラウルはデティの竜の名を使い、竜としての力の使用を禁止した。もちろん、普段も無闇に力を使用することは国王から禁止されている。その上、ラウルが禁止をすれば、よほどのことがない限りデティは力を使えない。感情が乱れたくらいでは、簡単には暴走しないのは確かだった。
頭から手を離したラウルを見上げると、その瞳が安心しろと言うように細められる。デティは自分の力に恐怖を感じている。制約があるとはいえ、〝よほど〟のことが起これば全く不可能ではない。もちろん、禁止されたそれを無理に破れば、通常の使用より精神的負担は増す。
だからこそ、ルシスにも同じように魔術を使わないようにラウルは言ったのだ。出来るだけ、デティに危険がないように。剣術だけならば、断然デティの方が上であることを、ラウルはわかっていた。
「え~。つまんないじゃん」
ラウルの言葉に、ルシスが不満の声を上げた。しかし、ラウルもそれは譲れない条件だ。
「嫌なら、許可しない」
「ラウルのいぢわる」
ルシスが、すねたように言う。すると、いつの間にかそばに居たギアツが、ぽんっと、ルシスの肩に手を置いた。
「いいじゃないですか。剣だけの試合でも、できないよりはましでしょう」
「だけどさ」
「それに、ルシス。あなたは時間がありませんよ」
ギアツに言われて、ルシスは時計を見た。
「もうこんな時間? 早いよ」
ごねるようにルシスが言う。
「そんなこと言っても、仕事でしょう。ほら、早くしないと、時間がなくなってしまいますよ」
ギアツの言葉に、ルシスはしぶしぶうなずいた。
「デティ、それでいいか?」
ふと、ラウルが聞いてくる。ここで、嫌だとはデティには言えない。
「くれぐれも、力の使用は禁止だからな」
「分かってます」
デティは、そう言ってうなずいた。
そうして、四人は、館内にある、剣術の練習場に向かったのである。
-----
「制限時間、15分。一本勝負でいいな?」
「うん」
「はい」
そう言って、ルシスとデティは御互いに剣を構える。
「はじめ!」
ラウルの合図とともに、ルシスが打ち込んできた。
キンッ、と高い金属音が響く。
ルシスは魔術士としては、かなり剣が使えるようだ。たぶん、その辺の兵士よりも、鋭い太刀筋をしている。デティは、しっかりとそれを流した。デティから仕掛けるようなことはしない。
ルシスは、巧みに剣を操り、デティを攻め立てたが、デティはそれ以上の技量でもって全てを受け流していた。
ラウルはその技術の高さに感心した。彼女は、魔力がなかったとしても、騎士となり得るだけの技量を持っていることに改めて気付いたのだ。
(……あの時は、自分の事で精一杯だったからな)
苦笑して心の中でつぶやく。あの時、とは、デティと初めて会った時のこと。国王陛下に紹介されて、その実力を確かめるために立ち会うよう言われた。その時は、彼女の魔力と直に対峙し、恐怖した。ただ、たかだか15歳の少女に恐怖心を見せたことを恥ずかしく思い、その感情を御することに精一杯だったのだ。
二人の試合は、その間も続いている。5分、10分と時間だけが足早に過ぎていく。
さすがに息が上がってきたルシスは、全く攻めてこないデティに苛立っていた。
「なんで攻めないの?」
剣を合わせた時に、聞くが、デティは曖昧に笑うだけで剣をはじいた。
息が上がることもなく、全てをきれいに受け流していくデティ。ルシスは、急に剣を止めた。それはとても大きな隙になる。しかし、デティはそれでも打ってこなかった。
「なんで……!!」
何でと言われても、デティは困っていた。
殺気がない相手と大した理由もなく打ち合うのは、初めてなのだ。思えば、デティは自分よりも技術のある人物としか試合をしたことがない。外では公爵令嬢であるため、公に剣を持つことはなく、デティの師匠もラウルに匹敵する技量の持ち主。今まで、立ち会ったのは、ラウルとその剣の師匠のみ。相手が自分より技術がある剣士だから、手加減も要らず、本気で打っていけた。
だから、自分より技術が劣る相手に、どうやって、どこまで攻めて良いものか分からない。それに、ルシスは聖十二騎士で、魔術士だ。下手に本気で打って出て、怪我をさせてしまっても困る。
どうしたらいいのか、考えているデティを見て、ルシスの苛立ちも頂点に達した。
「……本気でやってよー!!」
唐突に、ルシスが叫んだ。そして、その感情は、ルシスの魔力により、増幅され、魔術として形になってデティに向かったのだ。水の刃が、全力でデティを襲う。
「やめろ!!」
気付いたラウルが叫び、ギアツも息を呑んだ。しかし、その制止も、感情で暴走したルシスには届かない。当代一とも呼ばれるルシスの魔力が、そのまま無防備なデティに当たれば無事では済まない。ラウルも、ギアツも最悪の事態が頭をよぎる。
次の瞬間。
「うわぁ!」
悲鳴を上げて、倒れ込んだのはルシスの方だった。魔力がぶつかり、巻き起こった爆風がルシスの剣を飛ばす。
意外な状況に、ギアツとラウルは目を丸くした。ルシスも何が起こったのかわかっていないようだ。呆然と座り込んでいる。
我に返ったギアツは、ルシスに駆け寄った。ラウルは、デティに目を向ける。デティは、剣を手放し、肩を抱くようにして、しゃがみ込んでいた。その体に予想した怪我の跡は見えない。どうやら、ルシスが放った魔力に、デティの魔力がぶつかり、その力が相殺されたらしい。
「デティ?」
ルシスをギアツに任せたラウルは、デティに近付いた。デティは、膝をついてしゃがみ込んでいるが、前髪に隠されて表情は見えない。
「大丈夫、か?」
そう問うと、デティは微かにうなずいた。そのとき、ちらりと覗いた瞳が青く光って見えて、ラウルは、一瞬動きを止める。
「……大丈夫です」
しかし、小さく呟いてデティが顔を上げると、その瞳は、すでに普段と同じ灰色だった。それに少し安心したラウルは、デティに手を差し延べる。
「立てるか?」
「……はい」
そう答えたデティの顔色は、ひどく悪かった。
それも当たり前だろう。なにせ、無理に力を使った上に、それを暴走させず、無理やり押さえこんだのだ。通常魔術を使う時とは比べ物にならないくらい、精神や体に負担がかかるはずだ。おそらく、今も体に力も入らないのだろう。
結局、ラウルの手を借りて立ち上がったデティは、壁際にあるベンチまで行き、そこに座り込んだ。俯いて表情は見えないが、どちらかが酷い怪我を負うような、最悪の事態は免れたようだ。
ラウルは、安堵の息を吐く。すると、座ったまま俯いているデティが微かに動いた。
「……さい」
「ん?」
デティの呟きが、ラウルは聞き取れず問い聞き返した。すると、もう一度、デティが俯いたまま口を開く。
「……ごめんなさい」
その声は、震えていた。その様子はまるで、怯える小さな子供のようだった。
デティを見下ろす位置に立っていたラウルは、ふぅ、と溜め息を付いて、デティの隣りに座った。
「君が悪いんじゃない。魔術を使ったルシスが悪いし、こんなことをさせた俺も悪かった。……君は、ただ、反射的に返しただけだろう? ある意味、それでよかったんだ。君には負担をかけてしまったが、ルシスも、あれで最高クラスの術者だ。あのまま、まともに当たれば、君の方が怪我をしていた」
ラウルが、なだめるように言うと、デティは、こくり、とうなずいた。
うなずいた反動で、ポタッ、と涙が落ちた。
ラウルはそっとデティの頭を撫でる。小さい子供をあやすように優しく撫でた。考えて見れば、デティはまだこんなに小さな少女なのだ。それでいて、持つ力も背負う事情も、大きすぎる。
自分一人だけ、まわりの人々とは違う。下手に力が暴走すれば、まわりの人を傷つけてしまう。デティは、そんな思いを抱きながら、毎日を、人として過ごしているのだから。
「ラウル」
不意に、ギアツがルシスからはなれて、ラウルのもとへやってきた。ルシスを任せていたが、見る限り特に怪我もなく、体に異常はなかったのだろう。
「私とルシスは、そろそろ行きます。……デティは大丈夫ですか?」
心配そうなギアツに、ラウルはとりあえず頷いた。
「ああ、俺が屋敷まで送って行くから」
心配するな、と返せば、ギアツは少し躊躇ったあと、「お願いします」と言って、ルシスを連れて部屋を出て行った。
二人きりになった部屋には、デティのすすり泣く声だけが響く。ラウルはデティが泣きやむまで、静かに、側にいた。そうする事しかできなかったのだ。
そして、デティが泣き止んだ頃を見計らって、ラウルは声を掛ける。
「落ち着いたか?」
「……はい」
デティは答えて、涙を拭った。
「落ち着きました」
デティは顔を上げて、真っ直ぐラウルを見て言う。
「それじゃ、そろそろ帰った方がいいな」
デティは、ラウルの言葉で、思ったよりも時間が経っている事に気付いた。もう、外は暗くなっているだろう。
「送って行くよ」
「はい。お願いします」
禁を破って力を使ったため、まだ体調の完全ではないデティは、ラウルの申し出に、素直に答えた。二人は馬車に乗って、ブルーフィスの屋敷に向かった。
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