上 下
37 / 117
第一章その2 ~黒鷹、私よ!~ あなたに届けのモウ・アピール編

うどんどんどん

しおりを挟む


 格納庫には折り畳みのパイプ椅子が並べられ、隊員達が集まっていた。

 傍らには属性添加式・箱型補助ストーブ……通称『箱助はこすけ』が置いてあって、周囲に温かみのある光を振り撒いている。

 これは支給品の中でも傑作の一つで、ランタンほどの小型・軽量でありながら、スイッチを入れればあっという間に温かくなり、消す際の冷却も瞬時だ。

 更には温める範囲や温度も微調整出来るので、凍える夜の野営には最適だし、いざという時にはサバイバル用のコンロにも使えるのだ。

 ……以前、怪我をして医薬品のない時は、この箱助で傷口を熱消毒したら……なんて考えた事もあるが、想像しただけでぞっとする苦行だった。

 壁際には人型重機が、整備用の足場を付けられた状態で並んでいるが、破損した装甲や人工筋肉が取り外され、ごつごつした骨格フレームがむき出しになっていた。この状態で化石になったら、後の人が好き勝手な想像図を描きそうだ。

 ただ整備班のメンバーは、今は風呂に行っているようだ。


「おいっす隊長」

 宮島が誠を見つけ、人懐っこい笑顔を見せた。

「あんまり遅いから、こっそり写真集でも見てるのかと思ったぜ」

「うちもそれ思ったわ。それか先にカノっちが風呂やから、そっちの覗きとかな」

 香川も箱助の光を反射しながら、神々しい感じで悪ノリしてくる。

「隊長さん、逮捕はされないようにな。仏の顔は三度までだが、犯罪は一度でアウトなんだ」

「こ、こいつら……」

 呆れる誠だったが、不意に後ろから声をかけられた。

「……あの、鳴瀬さんですね?」

「えっ? あ、はい、そうですけど」

 誠が振り返ると、格納庫の隅から、母子らしい2人組が歩いてくる。子どもは小柄な男の子で、目をこすりながらふらふらしていた。

「お風呂以外で、あまり顔を触らない方がいいよ?」

 誠は昔を思い出して子供に言った。医薬品の不足する避難所では、頻繁に顔を触る人から感染症にかかって死ぬ事を、嫌と言うほど見てきたからだ。

 母親は屈みこんで子供を支えながら誠に言う。

「覚えてらっしゃいますか。あの港で、瓦礫をこう、バーンとはじいていただいて」

「ああ、あの時の!」

 誠はようやく思い出し、母親は嬉しそうに微笑んだ。

「あなた有名なんですね。皆さんに聞いたら、すぐここを教えてくれました。本当にありがとうございます」

「あーがとじゃす」

 親子に並んで頭を下げられ、誠は恐縮の極みだった。

「あ、いえ、それが仕事なんで、その……」

 照れる誠に難波がもたれかかり、横から肘で突っついてくる。

「うりうり~、なんや鳴っち、照れまくりやないか。何警察とか自衛隊の人みたいな事言うてんのや」

「しょうがないだろ、他に引き出しがないんだよっ」

 誠の記憶では、警察も消防も自衛隊も、かつて助けてくれた大人はみんなそう言っていた。混乱の始まりに、ろくな武器も対抗手段も無かったのに、彼らはそういって誠達を助け……そして黙って死んで行ったのだ。

 あの人達への感謝は、10年が過ぎた今でも忘れていないが、年老いていく親と同じで、本当にお礼を言いたい時には、相手は居ないものなのだ。

「でもこんな時間にどうしたんです? お子さんも眠そうだし」

「こんな時間じゃないと渡せないものですから」

 女性は大きな袋を下ろし、中身を次々取り出した。

「ジャーン! あのこれ、粉末ですけど、避難区で作ってたいりこダシなんですよ。それと塩と小麦粉も。賞味期限はギリギリですけど、むしろ味が熟成するとかしないとか」

 難波は身を乗り出して喜んでいる。

「おおお、こりゃー天然ものや、むちゃくちゃ貴重品やんか!」

「実は私、混乱前は夫とお店をやっておりまして。金比羅さんの近くのうどん屋で、お参りの人が沢山来てくれて……その流れで避難区でも調理をしてましたから、安く払い下げを貰ったんです」

 女性の言葉に、宮島が腕組みして頷いている。

「金比羅さんかあ、俺も上ったぜ。石段の両側に店がずらっと並んでたよな。気持ち良く疲れた後のうどんとか、もう最高だもん。オヤジは選手時代に膝痛めてたから、階段でひいひい言ってたけど、うどん屋ハシゴして楽しかったなあ」

 宮島の父親は、広島で有名な野球選手だったのだが、引退後はお好み焼き酒場を経営していた。おいしいビールと香ばしいお好み焼きは、殺人的に危険な組み合わせだと聞いたが、当時幼かった誠達には分かるはずもない。

 母親は手を祈るように組み合わせ、誠を見つめる。

「それで、受け取っていただけると嬉しいんですけど」

「おおきに奥さん、うちら学徒で公務員やないし、受け取っても別にええんや」

「それは良かった、こんなものしか無くてきゃあっ!」

 子供がその場で寝落ちしそうになったので、女性は慌てて抱き抱える。

「もう限界みたいですね。そろそろおいとまします」

 誠達は2人を格納庫の入り口まで見送った。

「ありがとうございました。貴重な食料を」

「いえいえ、それではこれで」

 子供をおんぶして、母親は立ち去っていった。

「律儀な人やなあ」

 見送る難波の背後では、香川が震えながら拳を握っている。

「………………やるぞ!」

「やるって、何をや」

「うどんだよ! この材料で他に何をやるって言うんだ! 今すぐやるぞ!」

 香川はテーブルを引っ張り出すと、スキンヘッドにねじり鉢巻を締めた。それから手を洗い、満面の笑みで小麦粉をこね始める。

「おおお、この手触り、この指通り……まさに十年ぶりだ! うどんの体験学校で鍛えた腕を見せてやるぞ!」

「ほぼ素人ってことやんか」

 難波は律儀にツッコミを入れた。

「あいつは讃岐うどん一筋やな。でもうちは、ダシを吸ってふんわりした、関西のやわいうどんも好きやねん。同じ系統で伊勢うどんも好きなんよね」

「おっ、うどんトークか? なら俺は、旅行で食った稲庭うどんが好きだぜ」

 宮島は元気良く会話に参加してきた。

「秋田やな。うまいけど、急に遠なったわ。鳴っちは何派?」

「俺は鍋焼き系かな。松山で食べた、アルミ鍋のやつも昭和感があって好きだし、ほうとうも相当うまいと思うんだ」

「そか、鳴っちはオヤジさんの実家が長野やから、山梨近いねんな」

 難波は空中を指差しながら返事をしてくる。どうやら宙に日本地図を思い浮かべているようだ。

「でも待ってくれ、群馬のお切り込みも歯ごたえがあって旨いんだ。あの幅が広いやつ。あと、ひっつみも素朴でいいし。カニをかち割った出汁で煮たひっつみときたら、冬の寒さに……」

「ちょい待ち、地図思い出しとるねん。群馬は長野の隣やったな。あと、ひっつみは岩手やっけ。手で千切って茹でるやつやろ」

 難波は忙しく空中を指差しながら解説を入れる。

「あとは武蔵野うどんやろ、名古屋の味噌煮込みうどんやろ、長崎は五島のうどんもうまかったし。もっと探せば、隠れたゴールデンルーキーもおるやろなあ」

「てか、さっきから食う事ばっかだぜ」

 宮島の言葉に、一同はしばし笑った。

「でもな、うちのおとんが言うてたんや。どんなにへこんでても、故郷ふるさとの味を食べたら、もっかい頑張ろうって気になるねん。せやから勝って日本を取り戻したら、グルメ博覧会開こうや」

「……大仕事だよな。今の日本で餓霊と張り合ってるのって、横須賀の連中ぐらいだろ」

 少し弱気な誠の言葉に、難波はやれやれといった顔で首を振った。

「なんやなんや、変態鳴っちともあろうもんが、珍しく弱気やないの。いつもは餓霊絶対倒すマン、絶対誰も死なせないマンの癖に」

「酷い、そして語呂悪いな……」

「よっしゃ、俺がやったるぜ! 今日から俺は、日本絶対取り戻すマンだぜ!」

 宮島が調子よく叫ぶと、ふいに後ろから声がかけられた。

「随分楽しそうじゃない?」

 振り返ると、濡れ髪をタオルで押さえながらカノンが立っていた。あちこちメリハリの利いたしなやかな体を、白いTシャツに包んでいる。

 お風呂が気持ちよかったのか、普段より柔らかな表情であり、石鹸の爽やかな香りに誠は少しどきりとした。

「そ、その、久しぶりに食べ物談義で盛り上がってたんだよ。香川はずっとうどんをうってるけどさ」

 誠は手短に説明する。

「能天気ね。でもごちそうって言ったら、備前の祭り寿司が一番でしょ」

 カノンは得意げにそう言う。

「あれって具材に1つずつ違う味を付けてるし、きちんとやったら、仕込みに2日もかかるんだから」

 宮島はテンションが上がってきたのか、ケンケンして靴をぬいでから、椅子に片足を乗せて叫んだ。

「よーし、こうなったら俺様が大活躍してだな、うどんと言わず、日本中のうまいもんを復活させてやるぜ!」

「あんた、昨日もそういうこと言うてボスが出てきたやろ」

「ここにはさすがに出ねえだろ。だからさ、」

 その時だった。

 香川のいるテーブルに置いた通信端末から、鋭い警告音が鳴り響いたのだ。

「火急音やん、どないしたん?」

「香川! ああ粉だらけか、俺が取る」

 手が粉まみれな香川に代わり、誠が飛びついて端末を操作すると、ノイズ交じりの声が聞こえてきた。

『緊急事態。至急ブリーフィングルームに集合されたし。繰り返す、至急ブリーフィングルームに集合されたし……』

 宮島は片足でジャンプしながら誠の端末を覗き込んでくる。

「まじかよ。機体の修理も終わってねえのに、一体何が起こったんだ?」

「今表示する。くそ、粉で滑る!」

 誠は苦労しながら端末を操作し、画面に情報を映し出した。それを見た瞬間、一同の顔に驚愕と絶望が浮かび上がった。

「おいおいおいおい……何だよこりゃ、冗談じゃねえぜ」

「あかんわ……これはもう、絶対無理やろ……」

 気丈な彼らでも、さすがに呆然としている。

 高縄半島避難区に、敵の大部隊が接近していた。中型以上に絞っても、その数、推定5000を越える……!
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!


処理中です...