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20 罰は罰じゃない
しおりを挟むココエラ商会の天幕から出るとどこからか笑い声が聞こえた。
女性の声だから、ルルメさんと一緒に来た女性のうちの誰かだろう。
とても楽しそうな笑い声だった。聞いてるだけで気持ちが明るくなるようなそんな声が駐屯地に響いている。
穏やかな。
とても穏やかな時間が流れていた。
ここは何処? とバカなことを考えたくなるくらい駐屯地に流れている空気が違う。
ディルユリーネは先ほどまでは捕虜のことで頭がいっぱいだったのか、周りの状況を見ているようで見ていなかったようだ。
駐屯地の開けた場所で魔法騎士達が剣術を研くための訓練をしている。その息づかいはやる気に満ちていて心地良い。
炊事場からは楽しそうに会話しながら食事を作っている女性達の声が聞こえる。
雑用をしている魔法騎士は普段は見せない笑顔で会話しながら雑用をこなしていた。その姿がいつもと違ってとても楽しそうだった。
誇り高き騎士達の姿が見えないだけで、こんなにも駐屯地に流れる空気が変わるものなのだろうか。
とても不思議な感覚だった。
駐屯地へ来て初めての光景だった。
魔法騎士達の様子がまるで違っていた。
いったい何があったのだろうか。
不思議な心持ちのまま、捕虜のいる小屋へと足を進めていると、見たくなかった人物が視界に入った。
ディルユリーネの気持ちが一瞬で沈む。
運悪くメッツァー隊長に見つかってしまった。
「ディル、暇そうだな?」
「いえ、仕事に行く途中です」
「呑気に歩いていたということはそんなに重要でもないのだろう? 先に風呂場の水汲みをしておけ」
「……分かりました」
ディルユリーネの意見など元から聞く気もないのは分かりきっていた。
諦めの境地で返事をすれば、メッツァー隊長はニヤッと嫌な笑みを浮かべてから去っていった。
忙しく動くディルユリーネを確認して、わざと嫌がらせのようにメッツァー隊長は水汲みを言い付けていったのだ。
早くジルヴァン達のところへ合流したいディルユリーネは、心の中で悪態をついた。
イライラした気持ちのまま水汲みをしていると、ちょうど通りかかったルルメさんが不思議そうに話しかけてきた。
「何をしているのですか?」
「ああ、水汲みです」
「……お1人で?」
「ははっ、……そうですね」
苦笑いしたディルユリーネを見て、思案する様子を見せたルルメさんはにっこりと笑った。
「わたし達もお手伝いします。すぐに他の人も呼んできますね」
「──あっ、待ってください。ルルメさん」
呼びかけたときにはルルメさんはもう走り出して遠くへ行ってしまった。
ディルユリーネが1人で水汲みを続けていると、ルルメさんが2人の女性を伴ってディルユリーネのところに現れる。
1人目の女性はアイシャさんという名前で、緩めの巻き髪に左目の下に泣き黒子がある色っぽい人だった。
2人目の女性はサーラさんという名前で、肩口で切りそろえられた髪のキリッとした美人だった。
2人は挨拶のあと、水汲みの手伝いを申し出てきた。
「ディル様。わたし達も一緒に水汲みをいたしますわ」
「え? ですが、これは私の仕事ですから……」
「わたし達がしたくてするのです。お手伝いさせてください」
「いや、でも……」
「まあまあ、始めましょう」
「みんなでやれば、早く終わりますわ」
背中を押されるようにして、押し切られるまま4人で水汲みをすることになった。
あと少しで風呂場の水が満水になる頃、地面を踏みしめる音に視線を向けるとメッツァー隊長が立っていた。
「何をしている」
メッツァー隊長が水汲みをしているディルユリーネ達を見下ろしていた。
「それはディルに申しつけた仕事のはずだ。そうだな?」
「はい」
「ならば、なぜ他の者にやらせている?」
メッツァー隊長は厭らしく口の端を持ち上げた。
つけいる隙を見つけたときの顔だった。また罰を増やされそうだと飽き飽きしていたところに、可愛らしい声がメッツァー隊長に答えていた。
「わたし達がどうしてもお手伝いしたくて強引にお願いしたのです」
「勝手をして申し訳ございません」
「メッツァー隊長様のお役に立ちたかったものですから」
ディルユリーネは手伝ってくれた3人に囲まれ、ルルメさん達は胸の前で手を組み上目遣いで言い募る。
ルルメさん達の可愛らしい仕草に鼻の下を伸ばしたメッツァー隊長の視線は、ルルメさん達の胸もとに注がれていた。
「君たちに聞いているのではない。ディルにどういう事かを説明しろと言っているんだ」
ルルメさん達の胸もとから視線を外すことなく、ディルユリーネを問い詰める。
どこに向かって言っているのだろうか。いくら何でもその姿は間抜けすぎた。
「メッツァー隊長様。どうかお許しください。どうしてもわたし達がメッツァー隊長様のお役に立ちたかったのです」
「いや許さん。ディルには別の罰を与える。洗濯を夕刻までに1人で終わらせろ」
「まあ、それはもう終わっておりますわ」
「薪割りは──」
「それも終わっておりますわ」
「掃除は───」
「それも終わっております」
メッツァー隊長の言葉を端から全て、ルルメさん達がかわるがわる封じる。
ルルメさん達の言葉に二の句が継げなくなったようで、遂には黙り込んでしまった。
「どうぞ何かありましたら、わたし達にお申し付けください。喜んでいたしますわ」
何も言えなくなったメッツァー隊長は視線を彷徨わせたあと、ルルメさん達の気迫に押されるように肯くと、足早に去っていった。
こんなにも情けなく逃げるように去ったメッツァー隊長を初めて見た。
ディルユリーネは驚きでついメッツァー隊長を見送っていた。
そんなディルユリーネに向かって、3人は小悪魔のように片目を瞑って合図を送ってくる。
そしてディルユリーネに近寄ると、ディルユリーネにしか聞こえない音量で3人の本音が零れてきた。
『これで当分何も言ってこないはずよ』とサーラさんが言い。
『本当に厭なヤツね。虫唾が走るわ』とアイシャさんが言う。
『困ったときには声かけてくださいってお伝えしましたのに、ほんとディル様ったら我慢強いんですから、めっ』とルルメさんが言った。
最後には可愛らしい顔で叱られてしまった。
確かに出会った当初からそんな声がけをしてもらってはいたけれど、建前だと思っていたし、守らなければいけない立場の私が助けてもらうわけにはいかないと思っていた。そんなことになったら本末転倒になってしまう。
だから、今回助けてもらって、彼女達が本気で言っていたのだと分かって戸惑った。
いつも守る側で守られる側になったことがなかったから、どうすればいいのか分からない。
しかし、ルルメさん達に助けてもらって、とても助かったのは確かだった。
「ルルメさん、アイシャさん、サーラさん、水汲みを手伝ってくださりありがとうございました」
メッツァー隊長のしつこい問いかけにも対応してもらうことになってしまって、申し訳なく思ってお礼を言うと、ルルメさんが楽しそうに笑っていた。
「ディル様。水汲み楽しかったですね」
「え? ええ……」
水汲み中、4人で世間話をしていた。
ルルメさん達はディルユリーネの知らないことをいろいろと知っていて、いろいろな事を笑いを交えて教えてくれた。
とても楽しい時間だった。
「わたし達、ディル様と水汲みできてとても楽しかったのですよ」
「また、ご一緒しましょうね」
「次は絶対に声をかけてくださいね」
みんなの笑顔は、メッツァー隊長の事など気にも止めていないようだった。
それよりも水汲み中の会話が楽しかったとディルユリーネに伝えてくれた。
メッツァー隊長の事などどうでもいいというように。
──そうか。罰と思うから罰になるのであって、みんなとの会話の場になると思えば、それは楽しい時間になる。
ああ、確かに。そう考えれば、雑用もとても楽しい事のように思える。
そっか……。ようは気持ちの持ちかたなのか。
そう思うと、心が軽くなった。
あれだけ苦だったメッツァー隊長の命令も、今後は楽しく終わらせることが出来そうだった。
「みなさん、ありがとうございました。私はまだ行かなければならないところがあるのでこれで失礼します」
「お疲れさまです。何かお手伝い出来ることがあれば、声をかけてくださいね」
「その時には宜しくお願いします」
「お任せください」
ルルメさん達の笑顔に見送られて、ディルユリーネは急いでジルヴァン達のもとへ向かった。
ディルユリーネの心はとても軽く明るくなっていた。
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