サラ・ノールはさみしんぼ

赤井茄子

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本編

飛んでったサラと肉蒲団

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 ある日の昼下がり、サラは特注のサンドバッグを台車に乗せ主の部屋へ必死にひた走っていた。………何故かというと

「サラ!逃げる背中も素敵ですが、そろそろその嫌悪に満ちた瞳をこちらに向けてください!サラ!聞こえていますか!」

 変態野郎に追われていたからである。

 因みに、台車に括り付けられたサンドバッグは主であるリリアーヌへの贈り物だ。おこりんぼのリリアーヌが度々怒りをぶつけるため、並のサンドバッグでは対応できなくなったのである。故にしばらくの間サラの部屋で耐久テストを実施し、品質を確認していたのだ。しかし、そこは流石の特注品。マクシムからの度重なる『嫌がらせ』で溜まりまくったサラのストレスを数日間受け止め続けても、素晴らしい耐久性を見せてくれた。これなら主も遠慮なくストレス発散できるはず、早速リリアーヌに届けなければ……!
 サラが意気揚々とサンドバッグを運んでいると、丁度通り過ぎた部屋から顔を出したのがマクシムだった。後はいつものように彼の変態発言を早足でかわすうち、台車のスピードがどんどん上がり……今の状況が出来上がったのである。

「サラ!それ以上スピードを上げたら無事ではすみませんよ!!怪我する前に止まりなさい!ついでにお嫁にくるといい!」
「息をするように変な発言する野郎が後ろにいやがるから!!!止まりたくないんですよぅ!そう思うならマクシムさんがどっか行ってくださいぃ!!!!!」
「私がいなくなったら誰が貴女を止められるんですか!自力で止まれないなら台車から手を放しなさい!そのままこの胸に飛び込んでくれば万事解決です!!!!」
「うわぁん何にも解決しない!いやだぁ!!来ないでーーー!!」

 事実、台車はサンドバッグの重さでさらなる加速を見せていた。このまま壁に激突したら、壁もサラも無事では済まないだろう。それでも背後の変態を頼るのだけは嫌だ。サラはもはや台車に引き摺られながらマクシム以外の救いの手を血眼で探していた……だから、気付けなかった。

「……………っサラ!!!!危ない!!!!!」
「へ?」

 台車の行く末は壁ではなく、階段だったのである。



「ひっ……ゃぁぁああーーー!!」


 サンドバッグを乗せた台車は、サラと共に階段を飛んだ。全ての景色がスローモーションになり、彼女の中で過去の様々な記憶が蘇る。小さい頃飼っていた白い犬、初めてのご奉公、リリアーヌの花嫁姿………そしてここ最近の記憶を埋め尽くす美貌の変態執事。―――――人生の最期に思い出したのがコレか。走馬灯の終わりに何だか脱力し、サラは次にくる衝撃と痛みに耐える為ギュッと目を瞑って体を固くした。

 ドンッという落下の衝撃が、サラの体を襲う。……しかし、想像していたほど痛くない。下敷きになったものが、サラの衝撃をほとんど受け止めてくれたからだろう。運良くサンドバッグの上に落ちたのだろうか?恐る恐る目を開くと、そこにはーーーーー

「マ……クシムさ……ん………?」

 美貌の変態マクシムが、ものの見事にサラの体の下敷きになっていた。美しい顔には冷や汗が垂れ、呼吸も荒い。何処か骨が折れているのかもしれない。最悪の事態が頭をよぎり、彼女は真っ青になった。そして

「い、いやぁぁマクシムさん!!誰か!誰かぁ!うわぁあぁああん!!!!」

 サラの悲痛な叫び声が、屋敷中に響き渡ったのだった。










 その後、ガールデン家の使用人達のチームワークと迅速な対応により…ひとまずマクシムはサラの下から救助された。背骨や内臓に目立った損傷はなく、擦り傷と打ち身、右腕の軽い骨折で済んだのはまさに『運が良かった』の一言だ。しかし、頭を打ったため大事をとって数日間の絶対安静と、3ヶ月はギブスをして右腕を動かさないように……とガールデン家お抱えの医者に厳命を受けたのだった。
 因みにマクシムはサラの悲鳴を聞いた瞬間に目を覚まし、呆然とする彼女に「そういう顔も面白いですね。これはこれで興奮します」等という発言をかましていたので、同僚たちは「お前どんだけだよ」とちょっと…いや、かなり引いた。

「…………マクシムさん、ごめんなさい」

 マクシムが療養しているベッドの側に立ち、サラが深々と頭を下げた。
 ……もとはといえば、サラが一人で重いサンドバッグを運んでいたからこんなことになってしまった。今思えば、マクシムは手伝いを買って出ようとしてくれていたのだ。言い方は変態的だったが、それでも彼女を心配して声をかけてくれたのに。
 サラのほどよい大きさの胸に、後悔と罪悪感が次から次に湧き上がる。
 変態だからといって、恩人を……しかも、自分のせいで怪我をしてしまった人を杜撰に扱えるほど、彼女は厚顔無恥ではない。変態だからといって、謝らないという選択肢は存在しないのだ。

「もういいですよ…侍女頭に相当絞られたんでしょう?今後気を付ければいいのです。さぁ、顔を上げてください。貴女の辛そうな表情を見る機会を逃したくない」
「……………………………………はい」

 自分の顔なんかで、彼に恩を返せるなら安いものだ。普段なら気持ち悪さしか感じない変態発言にも言い返さず、サラは素直に顔を上げた。

「ん?」
「…………サラ………」

 唇に、柔らかいものが当たっている。

 それがマクシムの唇であると認識すると同時に、反射的にサラは手を振り上げる。しかし彼は今絶対安静の怪我人だ。しかもサラを護ってくれた恩人。例え変態だったとしても、そんな相手を殴るなどサラには出来なかった。だから、彼女はひたすら拳を握りしめ歯を食いしばって耐える。

「サラ……サラ、ハァッ……サラ………!」
「………………ッ……ふ……」

 キスは何度も角度を変えた後、マクシムの舌がサラの上唇の裏側をぞろりと撫でてようやっと終わった。
 途端に袖で口を滅茶苦茶に拭いながら後ずさる彼女に、マクシムは……とても嬉しそうに微笑んだ。


「良かった………………貴女が、無事で」




 その晴やかな笑顔を見た瞬間

 どうにか踏ん張っていた片足がブルブル震え、彼女の体が大きくかしいだ。そうして、今までさんざっぱら嫌がってきた生温い沼の中に、サラは勢いよく頭から突っ込んでしまった。


 底なし沼の名は、『恋』という。


 ……………サラの『気ままなおひとり様人生計画』は、風前の灯火であった。
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