猫巫女こなつちゃんR

衣江犬羽

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第二章 九生絶花の章

第一話 destinêe

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 私は刀を手に取った──

 目の前の敵を倒す為に──

 お前だけは絶対に許さないと、怒りに身を任せて握った刀を振り下ろした。

 一振り、一振りと刀を振るう度に、自分の気持ちを殺し続けた。
 熱を帯びた左目から溢れる涙が、風に吹かれて消えていく。

 だけどその時になってようやく、あの人の感情を理解できてしまったんだ。

 もう負けないように。
 もう傷付かない為に。

「お前が殺したんだッッ!! お前が⋯⋯ッッ!!」
 私の叫びすら、もうお前には届かないのだろう。
 
 それでも私は戦い続ける。
 心の内で燃える、この身を滅ぼす程の焔に薪をくべて⋯⋯。

 私はもう、迷ったりしない──

     ✳︎


 こんな人波多い道の中、場違いな怒号どごうが辺りに響き渡った。
 道ゆく人達の足も話し声も止まって、空気が一瞬にしてピリついていく。

 怒号をあげたのは、学ランを着た二人の生徒。
 そして怒りの矛先はオレだ。
 後ろから思い切り肩を掴まれて怒号を浴びせられたオレは、ため息を吐いてから仕方なく足を止めた。 
「おうオメェ、オメェだよ女ァ! 聞いてんのか!」
「お前さっき俺らを無言で退かしてった奴だよなぁ?」
「⋯⋯だからなんだ。お前らが自販機にもたれかかってたのが悪ぃんだろ」
「はっ、一言かけりゃ済む事を荒げてるのはお前だぜ? 女だからって殴られないとでも思ってんのかぁ? ぁあ!?」
 男たちはオレに向けて激しく睨みつけて更に怒りをぶつけてくる。掴んだ肩を離そうとしない。
 周りの視線も気になるから、いい加減我慢ができなくなって、オレは片手に持っていたジュースを、男の顔にぶちまけてあげた。

 パシャンッ──

 見事にクリーンヒット。
 ジュースは予想以上に飛び出し、顔にかけたジュースは一瞬で男の服にまで及び、まるでお漏らしをしてしまったように足元にはジュースの泉が小さく出来上がっていた。ポタポタと股間から源泉みたいに零れ落ちていて、実に無様な光景が公衆に広がった。
「はっ⋯⋯」
 予想外にも上手く決まってしまい、オレは思わず吹き出してしまう。
 もう一人の男と周りの傍観者ぼうかんしゃたちも、その光景に呆気に取られていた。

「うーわ、やったわコイツ⋯⋯」
「おい⋯⋯いい加減にしろよお前⋯⋯コイツボコそうぜ、もう我慢出来ねえよッッ!!」
 人は、心の底からキレ始めると感情を表には出しづらくなる。それは普段から内面を守る為に、表面から感情を出す事でそれ以上の侵害を防ごうとするからだ。
 でも内面から火を付けられてしまうと、感情の広がりは身体の中を駆け巡り、中々それを外へ消化する事が出来なくなり、自分自身を抑制しようとするリミッターを焼き切ってしまう。
 こうして歯止めの効かなくなった火は、標的を追い込むまでは中々消えてくれない。
「あーあ⋯⋯中島さんの事キレさせちまったなお前⋯⋯知らねぇぞ?」
「おい、向こうの路地まで着いてけや。そこでお前終わりにしてやっからよ⋯⋯!」
 これ以上騒がれると迷惑だな、着いていこう。
「待ち合わせてるのに⋯⋯すぐ済ませるか」
 オレの服のフードがモゾモゾと動いたのを確認する。すぐ済ませるには必要な事だ。

 そうしてオレは渋々、男二人に掴まれたまま近くの路地へと移動させられた。
 路地に人の気配は無い、ここに居るのはオレと男の生徒二人だけ。
 都合が良いのはオレの方だろう。
 
「ここなら都合が良いな⋯⋯んじゃ早速失礼してぇッッ!!」
 路地に入るや否や、ジュースをかけられてすっかりベタベタの男の方から不意打ちのつもりで殴りかかってきた。
 オレに向かって放たれた拳、しかしそれが当たる事はなく、ただただ空気を裂いただけで終わったというシーンを、近くの壁まで跳躍してから目視した。
「はっ!? い、居ねえ! どうなってんだよ!」
「こっちにも来てない! 路地からは逃げてないはずだ!」
 男たちは消えたと思っているオレに慌てふためいて、キョロキョロと辺りを探している。
 隙だらけ。オレは壁から壁へと飛び移りながら男たちの背後へ回り込んで、後頭部目掛けて一発蹴りを浴びせてやった。
「おらよっと」
「ぶはぁっ!?」
 前触れ無く倒れ伏した男を見て、もう一人が腰を抜かして尻餅をついた。
「は、はぁ!? なんだ、何が起きて⋯⋯っ!」
「次は⋯⋯お前か?」
「ひ、ひぃいいっ!? す、すす、すみませんでした~ッッ!!」
 目の前のオレに恐怖を抱いたのか、もう一人の男は情けない悲鳴をあげながら倒れた男を担ぎ、颯爽さっそうと路地から逃げていった。

 あっさりと事を済ませてオレは一人、路地の真ん中で呼吸を整える。
「⋯⋯ふぅ、またどっかで飲み物買うか」
 と、路地を出ようとした矢先に後ろから飛び降りる音がした。

 振り返ると、そこには見覚えのある猫耳の彼女が、呆れるようにオレを見つめて立っていた。
 最近冷え込んできたからか、首元まであるパーカーを着込んでいて暖かそうにしている。
 最近お洒落するようになったよなと相手を見つめていると、頭の上にある耳をピクピクと動かしながら彼女は唇を動かし始めた。
「相変わらず力の使い方を誤っていますね⋯⋯緋咫椰ひたやさん」
「別にいいだろイズンさん。これしかやる事ないんだから。てか待ち合わせる予定だったろ?」
 イズン。コイツはオレ達を導く立場にいる人型の猫。
 クリーム色の髪に猫耳、青い瞳。そして変幻自在の容姿。
 オレが初めて会った時は、ロックバンドのボーカルみたいなイカつい見た目で、オレみたいな口調だった。今思えばオレに合わせた姿形だったんだろうか。
 最近はどういう訳かかなり大人しい雰囲気になっていて、服にも気を使う様になっている。
 聞いた噂では、とある猫巫女に渡された服が気に入ったのがきっかけらしい。
 変幻自在の容姿は誰かさんのおかげで統一されたという訳だ。
 
「む⋯⋯貴方が遅いから、わざわざこちらから出向いたのですよ。既に一時間も遅れている貴方が言えた事ではありません」
 ん? 一時間? イズンの言葉に疑問を持ち、自分のスマホを取り出し時間を確認してみると、予定していた時間からぴったり一時間遅れている事に気付いてしまう。
 つまり男らに絡む前からオレ遅刻してたのか。
「あー、やっべ⋯⋯」
 イズンから目を逸らして言い訳を述べようと考えを巡らせるが、頭の中には自分の顔しか思い浮かばない。
「方向音痴のワタシが時間をかけて探した結果がこれとは⋯⋯先が思いやられます」
「ま、まあ、会えて良かったじゃん⋯⋯で? いつもの場所に集まるんだろ?」
 いつもの場所、というのは猫カフェの事だ。
 猫カフェにはコイツから通じる猫共がに会する秘密の場所でもあり、オレ達が集まって話し合う場所でもある。

 今日は特別招集をかけられていて、猫カフェに集まる予定⋯⋯だったのを今思い出した。
「そうです。もう貴方抜きで始まっていますので、とにかく急ぎますよ」
「はいはい⋯⋯」

 オレはイズンに連れられて、路地から猫カフェへと移動した。

 道中、街並みを眺めていると改めて実感する事がある。
 日本で一番大きな都心部、ここ東都は流行の移り変わりが尋常じゃなく早い。
 半年前は流行っていたものがもう廃れているなんて事はもう当たり前。
 そんな経験を生まれてからずっと体験しているが、ここ数年は更に早くなっていると感じる。

 しかしそんな時代に流行が一切衰えない物も確かに存在している。
 オレがそう感じるのは、ビル群にでかでかと貼られたアイドルの電子広告を見た時だ。
 最近は都会や田舎際限なく、全国でアイドルが流行っている。
 その大きな影響は社会にまで及ぼし、気付いた時には日本で一番大きいライブドームなるものが今年東都のど真ん中に建設されていた。
 月末には必ずそのドームでアイドルがライブを開催するようになり、人混みは年々増加、東都を更に眠らない街へと発展させてしまった。
 月初めの出勤が苦しすぎると、ピンポイントで有給を入れる社会人の割合でSNSのトレンドに上がる事もしばしば見かける。
 それ程までに、今やアイドルは流行りというだけでなく、国民皆んなの元気の象徴というような存在になっている。
 
 そんな、ヒーローのような光の存在の頂点にデビュー時からずっと居座り続けているナンバーワンアイドルが猫カフェの常連だという事は、オレ達禊猫守みそぎびょうしゅ猫達ケットシーしか知らないだろう。

 猫カフェの様子を窓から覗いても、魔術による結界でカモフラージュされていて中を完全に把握出来ないが、扉を開けるとすぐ側のテーブル席に、堂々と猫と戯れているキャスケットに眼鏡をかけて変装をしている、ピンク髪の奴がそのナンバーワンアイドル、モモだ。
 SNSや広告を眺める度に姿格好の変わる、イズンよりも変幻自在な彼女。
 だが禊猫守をやっている時は必ず短い髪でいるので、これが本来の彼女の髪型なんだろう。

 そして視界に入っただけで分かるその圧倒的なオーラは、魔術で出来た物なんかではない。素で発している、所謂芸能人オーラ。
 オレみたいな一般人からすると、それだけで近寄り難いものがある。
「結局オレが先導して着いてんじゃねえかよ、おい」
 最初はイズンに着いて行ったはずが、気付けばオレがイズンを連れて歩いていた。何を言っているのか分からないと思うが、とてもポンコツな片鱗を垣間見た気がする。
「何も言わないでください⋯⋯駄目なんですよ、都心部は特に、複雑で⋯⋯」
「あー! ヒタヤちゃんにイズンちゃん! 来たんだね!」
「ああ、モモさん。お待たせしてすいません」
「良いよ良いよ! 今日オフだし、ボーッとする時間も欲しかったからね!」
 元気で明るい前向きな口調を欠かさないのも、彼女の個性の一つ。
 まさにオレとは正反対の存在──

「おい、さっさと始めてくれないか~。時間を無駄にしないで欲しいのだがね」
 そしてテーブル席に堂々と足を乗せて、タブレットと睨み合いをしながらせっかちな事を言ってきたコイツは、久木野姫李くぎのきり
 オレが禊猫守になる前からずっと禊猫守でいるそうだ。
 常に白衣を身にまとっていて、常に陰険いんけんな科学者のような態度でいる。
 時々、値踏みするような凍てついた視線を突き刺して来たかと思えば、「研究材料にはならんか」と小言を漏らして、いつも手に持っているタブレットに視線を戻す。
 まあ、一言で要約するなら、ヤベー奴。
 どんな生活を送っているかすら不明なやつだけど、普段は猫カフェの地下にあるラボとやらに身を置いているらしい。
 とにかく謎が多くて掴めない、雲とか霧みたいな存在。

 急かされたオレは仕方なくモモから遠い席を選んでそこに座る事にした。
「緋咫椰さんも席に着きましたね。では、始めましょうか⋯⋯」
 席に着いているのは⋯⋯は? ちょっと待った。
 イズンの言葉の後に目の前を見渡すと、そこには自分を含めた三人しか禊猫守がいない事に気付いた。
「いや、三人しか居ねえじゃん、あとの四人は?」
 オレはイズンに向けて即座に突っ込んだ。
 禊猫守は最大九人で構成されている。
 うち二人は亡くなってて今は席が空いているから、後四人いると言ったんだけど⋯⋯。
「禊猫守のいちからさんは常に居ない、そんな事は常識だよ。禊猫守のなな黒崎くろさき緋咫椰ひたや
 イズンが答えるより先に、向かいに居る久木野がオレの見識けんしきの浅さを交えながらさらりと答えてきた。
「⋯⋯そうですね。きつねの件から、一から三にはワタシから離席するように命じております」
 続いて出たイズンの言葉の内容は、オレには聞いたことのない物だった。
「なんだそれ⋯⋯じゃ残りの二人は?」
「バナナちゃんは事情があって来れないんだって」と残念そうにモモが報告。
 続けて久木野が「禊猫守の九は帰省中との報告を受けている」と言った。
 禊猫守の後にくる数字は、禊猫守になった順番で決まる。
 因みに久木野は四番目、モモは六番目で、オレは七番目、バナナは八番目。
 そして数日前、面識は一度もないけど最近入った猫巫女が九番目の席に収まった。
 亡くなったと聞いている二人は三番と五番。
 新しい禊猫守が決まり次第数字の繰り上げがあるらしい。でもそれは狐の仔の件を済ませてからの話だろう。

「すっくねーな⋯⋯」
「ま、禊猫守が集まってする話など一つしか無いからなあ。イズンよ手短にな、どうせ狐の仔の話だけなのだろう?」
 確かにコイツらと集まって交わした話なんて、ブラギの爺さんの世話をどうするかとか、迷子になった猫が見つからないから探しに行こうとか、イズンの土地勘を鍛えようとしたモモがイズンをスタッフとして雇ってみよう立ち上がるのをオレらが否定したりとか、なんでもないほのぼのとした内容ばかり。
 狐の仔の件さえ無ければオレたちは、手を取り合う事すら曖昧なのだろう。
 だから今こうして真面目な雰囲気になる事自体が珍しいんだ。
「ええ⋯⋯二人には既にお伝えしましたが改めて⋯⋯禊猫守の一人がまた、狐の仔にやられてしまったのは周知の通りですね?」
「おう、それはオレでも知ってる奴だ。禊猫守になってからイズンに最初に説明されたしな」
「五番が死亡してから三年、結局捕らえる事も出来ず、そのまま二人目の犠牲が出てしまった。そうだったな?」
「怖い、よね⋯⋯」
 元気だったアイドルの表情が曇り始めると、途端に空気も一変して重くなってしまった。
 そりゃ怖いだろう、狐の仔は何故か禊猫守であるオレ達を狙っている。そして最近二人目をやられたとあったら、次は自分かもしれないと考えるのは普通の事だ。
「狐の仔ねぇ。でも一応、発見例はあるんだろ?」
「勿論だとも。この天才の眼が、狐を見逃すはずもないのさ」
 自分の手柄の話となると、久木野は態度を変えて話に乗り出してくる。
「あー! それ、勝手に監視してた奴だよね! アタシ気付いてたけど、ああいうの良くないと思うよ! 盗撮っていうんだからね!」
 アイドルという肩書きを持った人間を天眼で監視し続けていたんだ、怒る権利は十二分に存在する。
 モモは久木野の方を向いて、プンスカとほっぺを丸くして怒りを露わにして見せた。
「⋯⋯そうですね。詩音しおんさんが亡くなられた時の情報を洗い出して、その後の姫李さんの天眼てんがんにより、辛うじて姿だけを確認することは出来ていました。しかしそこからというもの、大した動きも無く、時間は経過⋯⋯」
「二人目の犠牲者が出るまでは、本当に何も音沙汰が無かった?」
 オレは全部を聞く前に話を繋げた。
 そこに久木野も便乗して次の言葉を繋げる。
「ああ、一切無いね。天眼による監視はなるべく続けていたが禊猫守の周りにも動きは無し。更には猫巫女ねこみこが亡くなったという話も聞かなかった。⋯⋯最近まではな」
「うん⋯⋯そうなの、ヒタヤちゃん」
 モモがオレの方を振り向いて言う。
 振り向くだけでもきらびやかなので、オレはついついモモから目線を逸らしてしまった。
「禊猫守の三、瑠璃るりさんが亡くなってから数日後、つまり昨日。都心からかけ離れた地を担当していた猫巫女の訃報ふほうが一件、猫伝ねこづてで届いたのです⋯⋯」
 イズンから伝えられた言葉に息を呑み、目を見開いた。
「猫巫女まで狙い出したのかよ⋯⋯」
「猫巫女となると全国規模だから、ボクの天眼だけじゃ把握出来ないのだよねぇ⋯⋯いやいや、とっても残念だ」
 全然残念じゃなさそうに、久木野はため息を吐く。

 そう、全国規模。
 禊猫守は全員東都に収まる決まりがある。だから禊猫守だけが狙いであれば場所を東都に絞って天眼やアンダーからの捜索が可能だったけど、猫巫女も狙いの的になったとなると、狐の尻尾を掴む事は更に困難になってくる。

「禊猫守だけを狙うという事でしたから、ここ都心部に住んでいる誰かという想定をしていたのですが⋯⋯」
「北方にいる猫巫女ちゃんがやられちゃったんだよね⋯⋯」
「しかもその猫巫女は、禊猫守になりえる人物でもなんでもない者だった。狙われた理由も定かではない」
「⋯⋯で? オレらはそれを聞いて、どうすんの? 結局狐の仔の足跡を共有するだけなのか?」
「いいえ。ここから先が、皆さんに伝えておきたい事なのですが──」
 イズンがいつにも増して真面目な面持ちになる。
 それを見た二人も各々表情を変えて、イズンの次の言葉を待った。
 一呼吸挟んで、イズンは唇を再び動かす。
「実は先ほど、狐の仔を目撃したとアンダーを渡っていた猫から報告が届きました。そしてその目撃場所の再調査を、貴方達にお願いしたいのです」
 ついに来た。と、オレは少しばかり身震いし、笑みを溢した。
「おおっ! やってくれたなどこぞのケットシー!」
 久木野も珍しく嬉々として声を上げている。
「⋯⋯ようやくオレの出番って事だな?」
 オレも興奮を抑えつつ、狐の仔と相対した時の事を想像する。
「はい。ですが今回はあくまで調査ですので、もし発見してもなるべく戦闘は避けてください。では姫李さん」
 戦闘を避けろと言っても相手は人殺しだ、最善を尽くしても交える事は考慮しなきゃならないし、オレが得意なのはあくまで戦いだ。絶対に狐の面を剥がしてやる。
「ああ分かっているとも。モニターに徹すれば良いのだろう?」
「はい。それと最低限助言をして下さると、より円滑に事が済む筈なので、それも任せます」
 案外乗り気なのはオレだけでは無かったようで、作戦会議は意外にも円滑に進んだ。
 でもその中でまだ一人、不安な表情のままの奴が居た。
「あ、あの」
 案の定モモが耐えきれず、そっと挙手をしてようやく口を開いた。
「モモさん⋯⋯」
「ご、ごめんね、それ、参加出来ない⋯⋯」
 そもそも戦えるような人材じゃないし、当然の主張だ。
「危険な役割ですから、仕方がありませんね」
 モモは少しだけ身を乗り出すと、申し訳無さそうに大きい声で言った。
 そしてその言葉は意外なものだった。
「う、うん! 今週はライブに向けてレッスンがみっちりなの! だから今はちょっと大きな仕事は出来ない状態だから、だからヒタヤちゃん、姫李ちゃん、ごめんなさい!」
 久木野を除いて、その場の全員の目が点になる。
 モモは今、自分が戦いに不向きだから参加出来ないという理由を述べたのではなくて、アイドルに向けての大事なイベントがあるからどうしても関わる事が出来ないと、確かにそう言ったんだ。

「な、なるほど⋯⋯ではモモさんは不参加という事で⋯⋯」
 予想外の答えを出したモモを前に、イズンは辿々しく言葉を発してしまう。
「では、今回は解散で良いか? 後は各自でやってくれたまえよ。ボクもそろそろ手を付けたいものがあるからね」
 一方、変わらず面倒くさい態度のままでいる久木野が議題を消化したと判断すると、すぐに解散を促した。
「そうですね、今回はこれで解散といたしましょうか」
 イズンがそう言うと、すぐに久木野は席を立ち、部屋の奥にある、ラボへ続く階段へと戻っていった。
 少ししてモモもいつも通りの調子に戻り、イズンに手を振って猫カフェを後にした。
「緋咫椰さん」
 続いてオレも外へ出たが、帰る方向を向いたところでイズンに引き止められた。
「緋咫椰さんには、まだお伝えしたい事が⋯⋯」
「ん、なに?」
「緋咫椰さん一人に行かせるのは不安なので、もう一人と共に行ってもらいたいのです」
「二人でって事ね⋯⋯ふぅん、分かったよ。で誰なんだ? 最近入った新参か?」
「いえ、菜々ななさんと行ってもらいます。なので今から菜々さんの屋敷へお迎えに⋯⋯」
「菜々⋯⋯ああマジかよ、あいつと組むのか」
「これを機に親睦を深めるチャンスでは?」
 イズンが少し微笑みかけて言葉を口にする。
 でもそれはあり得ない事だ。
「やだね。だったら新参と組んで、オレが勝手に調査を終わらせる方が良い。新参の九番はどこだっけ? アンタの能力でひとっ飛び出来るだろ? 呼び戻して、オレがこき使ってやる」
「貴方のままに付き合う猫ではありませんので⋯⋯それに伝えていたでしょう、禊猫守の九は今⋯⋯姫浜ひめはまへ帰省中だと」

     ✳︎

 結局イズンには拒否されて、そのままバナナを迎えに来てしまった⋯⋯。
 
 大きな鉄の柵門を前に、奥のバカでかい豪邸がそびえ立っているのが嫌でも見える。
 ここが今から迎える人物の家だ。
「流石はお嬢様⋯⋯おっ」
 と、オレの小言に反応するように、着ているフードの中で寝ていた奴が激しく動き出し、中で体制を整えると、オレの隣の方へと大きく跳躍を決めて移動した。
「う~ん、よく眠れましたな⋯⋯おはよう御座います、お嬢」
「あのな~ダエグ、お前が寝てる間にもう会議終わっちまったぞ、全く⋯⋯後オレの事をお嬢って呼ぶの、良い加減止めろ」

 背伸びをしながら挨拶をしてきたこの黒猫は、猫巫女の頃から世話になっている長い付き合いの相棒。
 成人男性の声を発するお調子者のケットシーだが、オレが力を使う事に関しては全力で応えてくれる。
「おっと⋯⋯こりゃ失敬でした、緋咫椰ひたやさん。おや? ここはナウシズが担当している禊猫守みそぎびょうしゅの⋯⋯」
「そ。狐の仔が見つかったから、今夜バナナと一緒に目撃箇所をアンダーでパトロールするお仕事があんの」
「おやおや! そりゃあ進展が大きくあったもんですねぇ」
「今日をもってようやく、オレらに日の目が当たるって事──」
 寝起きのダエグと情報を共有していると、門の向こうから甲高い声と共に優雅に歩いてくる姿があった。
「あらあら。あらあらあらあらそんな所で話し込んでいるのは誰かと思いきや⋯⋯」
「うわっでた」
「貴方でしたのね緋咫椰さん。何処ぞの薄汚いチンピラかと見間違える所でしたわ。ねえ、セバスチャン」
「はい、お嬢様」
 馬場園菜々ばばぞのなな。長い赤髪を靡かせながら、調子の良い振る舞いでオレを過小評価する目の前のこいつが、周りにバナナと呼ばれている禊猫守だ。
 正直、オレはこいつをあまり好かない。だからオレは、こいつを外見以上の事はあまり知ろうとも思わない。
 そしてセバスチャンと呼ばれて何処からともなく出てきたのはこいつの猫、ナウシズ。
 それぞれ色の違う瞳を宿した、貴婦人のような声をした雌のふわふわの白猫。
「セバスチャンって、猫の名前かよ⋯⋯そんなので良いのか」
「て言ってますけど緋咫椰さん、オイラには名前すら付けてくれてないですよ?」
「ダエグってあるんだからわざわざ付けなくても良いだろ⋯⋯」
「そりゃあ愛という奴ですよぉ緋咫椰さぁん」
「うるせえっ」
「ところでお前達は、何用でお嬢様の元を?」
 喧騒にたわむれるオレ達を止めるように、セバスチャンが問いかけてくる。
 渋々ダエグとのやりとりを止めて、バナナの方へ顔を向けた。
「ああ、そうだった。狐の仔が見つかったんで、オレと同行して夜にパトロールするようにってイズンからの命令だ」
「ああ、ようやく見つかりましたのね⋯⋯では早速、準備をなさいましょうか。緋咫椰さんは先に向かっていてください、私もすぐに追いつきますわ」
 狐の仔という言葉を出した途端、バナナの表情が少し険しくなるのを見た。
 こいつも禊猫守になってから、何度も狐の仔についての話を聞かされてきた一人。ようやく終止符を打てるかもしれないという希望を少しでも持っているのかもしれない。
「はい、りょーかい」
「では後ほど」
 あっさりとした簡潔な会話を、門を隔てて完了させる。
 恐らく向こうもオレの事を嫌っているんだろう、禊猫守以外の事でこいつに干渉した事なんてお互い一度も無いし。
 格式高い人間程、オレみたいなのを嫌うからな。
「オレらも一旦、家に戻るか」
「そっすねえ、他に用事もないですから」
 まだ夜を迎えるには早い。ダエグが再びフードの中へ入るのを待って、オレはバナナの豪邸を記憶の片隅に置くように眺めてから、その場所を後にした。

     ✳︎
「あのー、すみませーん!」
 家に入ろうとした寸前で、女性の声が後ろから聞こえてきた。
 どうやらオレを呼び止めているようだ。
「あの! 聞こえてますかー!」
 振り向くと、その女性は息を大きく切らし、汗もかいていた。
 かなり必死な様子を伺えるが、そんなに慌ててオレに伝える事など何かあっただろうか。
「何? 何か用? つーか誰?」
「はっ⋯⋯はっ⋯⋯あ、あの⋯⋯貴方、ですよね⋯⋯私が、ナンパされてるところを助けてくれたの⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯人違いじゃないか?」
 なんだ、そんなことか。
 それを聞いてオレはすぐに家の方へと体を戻す。
「い、いえ、私、記憶力は良い方なので、間違ってる事はあり得ません⋯⋯男二人を退かした後、注意を引く為にわざと自販機で飲み物を買って、それをかけたんですよね」
「⋯⋯知らない」
 息を整えながら、女性は続ける。
『お嬢、またお節介焼いてたんすねぇ』
「話しかけようと思ったんですけど、途中から人混みで、姿が見えなくなってしまって⋯⋯あの⋯⋯」
「⋯⋯」
「あ、ありがとうございました。私を助けてくれて⋯⋯それを、どうしても伝えたかったんです」
「⋯⋯ああ、分かった分かった。じゃオレそっくりの人に会ったら伝えておいてやるよ。ありがとうってさ」
 少し開き直ったような返事を残してから、オレは扉を開けて中へと入り、女性を振り切った。
 でも扉を閉めるときに見えた女性の顔に、オレの心が少し痛んだのを感じた。
 そんなに泣かなくても、無事だったんだから別にいいだろ、それにオレにも、あれは必要な事をやっただけだ。と、そう強く思うのだった。
「ぷはっ、緋咫椰さん、何もそうまで振る舞わなくても~⋯⋯」
 フードから顔を出したダエグが、いちいち癪に触る事を言う。
「うるさい、これで良いんだよ」
 そう、これで良い、これで正しいんだ。
 だれかの記憶の中にオレは必要無いんだ。
 それこそが、オレ自身の"枷"だから。

「あっお嬢~! おかえりなさい!」
 自分への戒めを自覚していた所に、奥の廊下の方から男が声をかけながら近付いてくる。
「お嬢って呼ぶなっていつもいつも言ってるだろうが、次郎」
「えっへへ、すいやせんっ」
 このダエグと同じで調子の良い坊主頭の次郎は、オレの自称舎弟としてここに居座っている男。
 ガタイのでかい強面な奴だが、性格はオレから見ても非常に明るくて接しやすい。
 なんでもオレが小さかった頃から親父の側近として世話をしていたらしい、オレ本人は覚えていないけど。
 
 そして、二〇二八年になっても未だ存在しているヤクザの燃えカスだ。
 魄龍九煉會はくりゅうくれんかい、構成員六百人からなる、この東都をかつて支配していたとされる元極道組織。
 でも暴対法の強化によって団体規模は年々縮小。
 複数あったらしいシマも次々と退去。
 今となっては極道組織なんて残っている方が稀なくらいな程だ。
 この極道組織に残った物があるとするなら、一人の娘を育てる為だけに存在するような、馬鹿みたいにでかい屋敷だけ。
 団体規模が縮小する傍ら、親は娘を飢える事なく育てあげて、現在に至る。

 いつもの通り母親のいる壇の前へ座り挨拶を交わした後、オレは次郎に話しかけた。
「親父は?」
「はい! 組長は今大事な用があると、外へ出ていますっ!」
「オレが頼んでた買い出しは済んでるか?」
「もちろんですともっ」
 俺の言葉の後には必ず次郎の快活な返事が返ってくる。
 正直それに悪い気はしない。
「ちゃんとセオイナゲマートで買ったんだろうなあ」
 廊下を歩きながら、舎弟から渡されたレシートに一応目を通してみる。
「おじょ⋯⋯緋咫椰さんから何度も教わってますから、今回こそ大丈夫です」
 ちゃんとセオイナゲマートのレシートだ。頼んでいた物もちゃんと買われている、問題は無かった。
「うん、今日は珍しく出来てるな⋯⋯んじゃあパッパと飯作っとくから、お前は自由にゲームでもしてろ。オレも夜出掛けるから」
「はい! そうさせてもらいます! お嬢!」
「ごくろうさん⋯⋯っておい」
 お嬢って言うな。を言われる前に次郎はオレに一礼を済ませ、長い廊下を走って行ってしまった。
 日頃から注意している事なのだが、オレが小さい頃からの呼び名はなかなか抜けてはくれないみたいで、時々次郎はその事をオレに相談してくる。
 次郎の後ろ姿を見届けてから一つため息を吐いた後、冷蔵庫の中を確認しにキッチンへと向かった。
 買われた物が次郎なりに詰め込まれていた中を覗き終えてから、エプロンを着てオレは料理をし始めた。
 今日は次郎が来てるから三人分を作る。
 余り物の野菜と椎茸があるから炊き込みご飯にして、おかずには唐揚げと、冷えてきたし粕汁も加える事にする。
「ダエグ、引き出しににゃおちゅ~るがあるから、それ食べて夜まで休んでろ」
「ええ、そうさせてもらいます」
 こうしてオレは料理に取り掛かり、夜まで時間を潰す事にした。
 
 暗くなる時間帯も早くなってきて、外はより一層肌が冷える寒さで覆われる。
 そんな寒空一歩手前、街灯だけが辺りを照らす空間を、オレとダエグは歩いていた。
 目的地はもう目の前。そう思った時、オレの隣を追い越す影と華やかな香りを含んだ風は鼻を刺激してきて、それだけであの高飛車なお嬢様だとすぐに判断出来た。
「お待たせしましたわね、緋咫椰さん」
 優雅な態度をとってバナナはオレに話しかけてきた。
 バナナの姿を改めて見てみると、既にもう神衣を見に纏っていた。
 神衣を象徴する神々しい巫女服の様な羽織りには袖を通さず、肩だけで着こなしている。
 それどう言う原理で成り立ってるんだと突っ込むのは野暮だろうか。
「アンダーに入ってから神衣着れば良いのになんのつもりだよ、自慢か?」
「当たり前ですわ。貴方よりも優位に立つ者は、入る前から用意周到なのよ」
「ああ、はいはい。こっち側で狐の仔に見つかったらどうするつもりなんだろうとか、そんな事も当然頭の中に入ってますよねー、流石バナナ様だよなー」
 何故だかムカつく態度を取ったまま話しかけてくるので煽り返してみると、
「⋯⋯それなら好都合ね、狐の仔なんて私一人で十分ですもの」
 全く効いちゃいない様子だった。
『口の減らないサンプルだねえ、キミたち。早くアンダーに入りたまえよ』
「「っ!?」」
 同時に、何処からか届く声に身を震わせた。
 しかしその声には聞き馴染みがあった、そしてこのバナナとは違う上からの態度は一人しか居ない。
「久木野⋯⋯お前いつの間に」
『既にモニターは開始されている。私の天眼によってお前たちの姿も確認済みだ。そしてこの声はお前たちだけに届くように魔術で繋いでいる。適切なタイミングで通信していくから、早くアンダーに入って狐の仔を見つけ出したまえよ』
「了解しましたわ久木野さん。確かに、貴方と会話をしている暇なんてありませんわ、もう行きましょう。抜き足差し足、猫足で」
「はいはい⋯⋯」
 向き合って会話をしてくれるような二人ではないと、オレは少し苛立ちながら人気の無い場所へ行き、アンダーへ入る為の技を発動した。
みそぎ猫渡ねこわたり」
 そう唱えてからつま先で地面を軽く叩いてやると、空間が反転するような、水面に映る自分と意識が入れ替わるような、奇妙な感覚が全身を包んだ。
 そしてその感覚の間に、オレ達は既に裏側へ入り込んでいた。
 一見普通の街並みで、普通に人が通っているが、猫渡を使用して出たこの裏側の世界は全くの偽物。
 つまりこれは世界の裏側を渡り歩く禊技。
 裏側を歩くオレ達を人々は認識しないし、存在ごと裏返っているから触れそうな場面になってもお互いすり抜けてるだけで干渉などもしない。
 試しに地面を抉って見たことがあるが、表側に戻った時には同じ抉った箇所が無かった為、表と裏では事象も反映されないという事になる。
 何とも不思議な空間だが、この裏側でなら人目を気にすることなく探索する事ができる。
 狐の仔を見つけるにはうってつけの空間だ。
「神衣⋯⋯」
 裏側へ行けた事を確認したオレは、すぐに次の技を発動させた。
 バナナと同じ羽織りがすぐにオレの身体から羽織られる。
「相変わらず古くせえな」
「まあそう言わずに、緋咫椰さん」
 神衣中はダエグの精神と統一されるから、ダエグが喋る時はオレの口から発せられるか、オレの心の中で響く。
 禊猫守になってから会得した技はどれも奇妙な類だが、これはいつまでも慣れない。
「んーで? バナナはどこいった?」
 気持ちを切り替えて、オレは歩き出す前に今も見ているであろう久木野に語りかける。
 案の定返事はすぐに帰ってきた。
『もう目撃地点へ向かっているぞ。お前も早く向かいたまえ』
「了解⋯⋯」
『一応戦闘の可能性も示唆しておけよ。特にお前はな』
「へいへい」
 早く終わらせて作り置きした料理を食べよう、そんな考えを巡らせつつオレはバナナと合流する事にした。

「うーん⋯⋯いませんわね」
「目撃したのはいつの事なんだ? 久木野」
『報告してきた猫によると、私たちが猫カフェで話し合う少し前だそうだ』
「なら解散してすぐに向かうべきだったろ⋯⋯」
「浅はかですわね。狐の仔がもしいたとして、日中に我々が襲われでもしたらどうするのです? 堂々と街中で戦うことになってしまいますわ。であれば今、この夜であれば痕跡もあるかもしれませんし、痕跡さえあれば狐の仔をたどれるかもしれません。さっさと天眼を凝らして、隈なく見渡しますわよ」
「りょーっ⋯⋯」
 バナナが歩道から探しているのが見えるので、オレは屋根伝いで上から探して見ることにした。
 姿形すらハッキリとしていない者を探すのは骨が折れるが、これが禊猫守の仕事だ。

     ✳︎
 探し始めて数十分、隈なく見渡しても狐の仔の姿や痕跡も発見出来ずにいた。
 分かりきっていた結果だが⋯⋯。
 途中痺れを切らしたのか、向こうの方までバナナが探し始めたが戻ってくる気配はなく、見つかるまでには至っていない。
「今回も成果ゼロで終わりだな」
「何にも見つからないですねえ」
『私から見ても、特に何の手かがりも無いな』
 そろそろバナナもしょんぼりした顔を浮かべて帰ってくる頃だろう、合流した時がタイムアップだな。裏側だろうと身体は冷えるし。
 そんなこんなで人様の屋根で寝そべって休憩していると、遠くからこちらへ近づいてくるバナナの姿が見えた。
 道を歩くのを諦めて屋根伝いに飛んでいる所を見ると、もうしらみ潰し切ったんだろう。
 サボっているところを見られると面倒なので、オレは冷静を装って立ち上がった。
 バナナはオレのすぐそばに着地すると、さっそくこちらに顔を合わせて口を動かし始めた。
「駄目ね。何処を見渡しても、狐の姿は無いわ」
「ま、そうなるか⋯⋯。⋯⋯んじゃもう帰ろうぜ。このままずっと外にいたら、身体中が冷えて仕方ないよな」
「ええ、是非そうしましょう。風邪を引いてしまっては元も子もありませんから」
 佇むオレを余所にバナナは一足先に帰ろうと、オレの前を横切った。
「そうだな⋯⋯」
 良いタイミングが経てして訪れたので、横並びになるタイミングでバナナの腹部目掛けて思いっきりぶん殴ってみた。
 自分でも分かるくらい良いところにヒットする。
 あの高飛車なお嬢様が、誰にも聞かせた事のない唸り声を上げて大きく屈んだ。
「うぐっ⋯⋯貴方、なにを⋯⋯」
 苦痛の表情をオレに向けながら言った。
 良い感じだ、それで良い、それが正しい。
「なにをって⋯⋯殴ってくれと言わんばかりに、お前がマヌケだったから」
「は、はあ⋯⋯!?」
「おいおい。まだ惚けられると思ってんのかよ、案外狐の仔って知能が低いのか?」
『なに? 狐の仔だと?』
 一連の様子を見ていた久木野もついに口を挟む。
「あれぇ⋯⋯? 気付かれちゃった」
 苦痛に歪んだ顔は徐々に不気味な笑みへと変わり、バナナに化けた奴は消えるように後退した。更にモヤがかかる様に姿を覆うと、一瞬のうちに狐の面を付けた、話に聞いた通りの姿を表した。
 全身を隠す白いローブに狐の仮面。これで確定した。間違いない、コイツが三年間探し求めていた狐の仔だ。
『ビンゴだ! そいつが狐の仔で間違いないぞ!』
「どうしてバレちゃったの~? ボクそんなに下手だった?」
 身体をクネクネと曲げながら、なにやら仮面の内から粘着質な液体を垂らして奴は撫でるように呟いてきた。
「気味の悪いヤツだな⋯⋯。アイツはオレの事が嫌いだけど、決して禊猫守の仕事に手を抜くようなタイプじゃないし、オレが表に帰る提案に乗った時点で、お前がポカしたって事なんだよ」
「あはははは、あははははははは」
 自分から聞いておいて気味の悪い笑い方をする狐の仔に、オレの腕はもう鳥肌で一杯になってしまう。
「それで? バナナはどこに行ったのかな? 化け狐さんよ」
「えへへへ⋯⋯倒しちゃった。動けずに倒れてるかもね」
 向こうまで探しに行ったのは大体十分前⋯⋯つまりその間にバナナを倒して、バナナに化けてオレに近づいたって訳か。
 イズンにはなるべく戦いは避けろと言われたが、これはもう無理って話だ。
 それに油断したら、オレもすぐにやられるかもしれない。
 コイツはかなり戦い慣れてる奴だと、オレの勘が過敏に反応している。
 逃げようもんならオレは死ぬ。
 もう戦いは、避けられない──

「ダエグ!」
「分かってますよ!」
 オレの呼び声にはダエグが迅速に応えてくれた。
 手のひらから伸びる、今から取り出す武器の形になっていくその光を勢いよく掴み取り、握られたという前提でそれを振り回して、武器としての形を呼び出す。
「あは⋯⋯二重人格なのぉ?」
「そうだよ。一人二役の、「お前を狩る猫だッ!」」
 ついに光は姿を表し、大きな鎌と成った。
 これがオレの形──
「「窮鼠猫咬キュウソネコカミッッ⋯⋯!」」

「でっかい鎌だあっ!」
『戦うのであれば気をつけたまえよ、相手も武器を使う可能性がある』
「刀だろ? 分かってるよ」
 事前情報によると、コイツは刀を携帯しているはず。それで過去の禊猫守がやれているから、必ず刀を抜く瞬間がやってくるはずだ。
「じゃあ、殺ろっかっ!!」
 仮面の奥から漏れる狂気じみた叫びを上げながら、狐の仔はそのまま突き進んできた。
「直進⋯⋯?」
春夏秋冬しゅんかしゅうとうォ⋯⋯!」
 掛け声と共に拳を握り、なおも迫ってくる。
 オレは咄嗟に鎌を構え、拳を迎え撃とうとした。
 リーチなら今はオレの方がある。ステゴロのまま来るならオレの勝ちだぞ狐⋯⋯!
狐々熄こんこんちきィッッ!!」
 予測通り、叫びを上げて狐の仔は拳を突き出した。
 突き出された拳はそのまま鎌に当たった。
 予想以上の衝撃に、鎌を抑えるオレの身体は屋根の上を大きく滑り、それと同時に人間が出せるような力じゃないと、オレはすぐに判断した。
 衝撃が収まってから顔を見上げると、二つ目の衝撃に思わず顔が引き攣ってしまう事になった。
「これは⋯⋯」
 毒。鎌の当たった箇所からゴポゴポと噴き出ているこの紫色の泡は間違いなく、毒。
 毒を実物で見た事なんて無いが、頭でそう直感した。
「毒だって!?」
 ダエグが思わずオレの口から叫ぶ。
「えへ⋯⋯春⋯⋯」
 春、と聞いたオレに直感が更に冴え渡った。
 オレは狐の仔が接近するより先に後ろへ跳躍し、向かいの屋根へと移った。
「夏ぅ!」
 狐の仔の次の拳は空振り、そのまま屋根へと突き刺さった。
 その一連の動きをすぐに天眼で見て、思わず表情が歪み、背筋が凍った。
「最悪だ、当たってる⋯⋯」
 拳で砕かれた屋根から、次々と紫色の泡が噴き出ていたのを確認出来てしまったのだ。
 間違いない、アレは⋯⋯。
「拳から毒を⋯⋯出している⋯⋯?」
「とんでもなくヤベー奴ですよ、こいつは! お嬢!」
 次に拳にやられて凹んだ鎌の部分を見てみると微かに毒が残っており、凹んだところから更に鎌を溶かし始めていた。じき毒にやられて穴が出来てしまうだろう。
『刀で攻撃するのではなく、拳とは⋯⋯おい、緋咫椰聞こえているな』
「聞こえてるよ、なんだ?」
「お嬢、駄目だ! 狐の仔が向かってきてる!」
「ちっ⋯⋯! 喋ってる暇も無いか⋯⋯!」
『動きは禊猫守以上、か⋯⋯』
 狐の仔はオレたちと同様に一回の跳躍で速度を出して、オレに向かってきていた。
 少し遅れて後退するが間に合わず、距離を取れなかった。
「逃がさないよぉ! 食らってよ大人しくさあ! 狐々熄ィ!」
 凹んだ鎌でガードしようものなら毒でやられた所から突き抜けて、拳が直撃してしまう。
 
 なら⋯⋯。
「ならもう一本呼び出せば良いんだよ、なあダエグ!」
「窮鼠猫咬⋯⋯!」
 もう片方の手から同じ鎌を呼び出した。
 光が鎌を形作る前にオレは狐の仔へ近づき、その鎌を振り下ろした。
 狐の仔の腕へ向けた光は既に形作るのを終えていて、見事に突き刺さってくれていた。
 カウンターは成功した。
「いだあああ!!!」
 狐の仔の悲鳴と共に跳躍していた身体をそのまま投げるように地面に向けて鎌を動かし、そのまま衝突させてみせた。
「⋯⋯猫巫女にも禊猫守にも、戦闘に長けるような素質なんてそうあるものじゃない。でもなあ、だからこそお嬢は選ばれてる⋯⋯! お前が現れてから、俺達猫が何も対策をしてきてないと思うなよ、狐っ⋯⋯! 緋咫椰さんは、狐と戦う為に選ばれた巫女さんなんだ! この野郎!」
 ダエグは感情を剥き出しにして、狐に向けて吠えた。
 ノロノロと起き上がろうとする狐の仔を屋根から見下ろし、オレも毒にやられた鎌を捨てる。
「痛い⋯⋯痛い、じゃないか⋯⋯」
 怯んだ声を鳴かせながら、フードの取れた狐の仔は振り返った。
 付けていた仮面も破片となって崩れ落ちていくのが見えた。
「猫風情が⋯⋯っ!!」
 白い髪に、狐耳、狐色に輝いた瞳。
 そして、まるでこの世の全てを憎むような表情──
 底が見えない程恨みのこもった形相を見せつけられ、一瞬だけ身体が動く事を拒否した。
 背筋が凍る、と言うレベルのようなものでは決してない。
 頭のてっぺんから足の先まで、ピクリとも動いてはくれなかった。
 それ程に、恐ろしく凍てついた視線はオレ達を縛り付けている。
『不可解だな⋯⋯』
 そしてこんなタイミングで、久木野が通信を入れてきた。
「なにが⋯⋯」
『色々だ。そもそも何故狐の仔がアンダーに入り込めている? その世界にはケットシーと禊猫守しか入れない筈、うっかり入り込めるような隙間など微塵も存在しないのだ』
「さあな⋯⋯狐側にも色々能力があるんだろ」
『ああ、それは間違いない。しかしその能力が⋯⋯猫巫女から発せられる物と酷似していたとしたら⋯⋯』
 久木野の口から耳を疑う発言が飛び込んでくる。
「は⋯⋯? 久木野、お前何を言って⋯⋯」
『よく聞くんだ⋯⋯黒崎緋咫椰。面が割れ、露わになった狐の仔の顔⋯⋯三年前に惨殺された禊猫守、香山詩音かやましおんと瓜二つなんだ』
 久木野の言葉は、オレを震え上がらせるには十分な内容だった。
 今相対している狐の仔はつまりオレ達と同じ人間だとでも言うのだろうか。
『髪の色や瞳の色には差異がある。だがしかし、そっくりなんだ⋯⋯っ! 香山詩音と! まるで双子のように!』
 通信越しに、久木野が声を荒げているのが伝わってくる。
 報告によれば、香山詩音の遺体は一時的に目撃はされたものの、駆けつけた頃には遺体ごと消えていて、迷魂となって故郷へと戻ったと聞く。
 自分が亡くなったという事実を受け入れられぬまま、香山詩音は実体を保ったまま、親友の猫巫女に浄化される事になったらしいが。
 あの一連の奇妙な事件は今もなお続いている、と言うことなのだろうか。
 嫌な想像をしてしまいそうになる、狐の仔の身体は、その時の⋯⋯。
「そんな馬鹿な事⋯⋯」
「お嬢! 来ますよ!」
 危険信号の様に、ダエグがオレを呼びかけ、現実へと戻させる。
 ハッとなり狐の仔へ視線を向けると、既にもう接近しているのが見て取れた。
「夏ぅ!!」
 狂った笑みを浮かべながら狐の仔は既に拳を振りかぶろうとしていた。
 鎌で防ぐ間も無く、拳はオレの腹部へと到達しようとしていた。
「くっ!」
 刹那の中での状況判断、直撃の前に身を翻す事で神衣の羽織りをはためかせて、狐の仔の視界を覆った。
 神衣の羽織りを脱ぎ捨てるという行為は神衣の解除条件に当たらない。が、狐の仔の拳から発せられる毒にやられた羽織りが泥のように溶け始めると、オレとダエグはまるでヒーローの変身が途切れてしまうように、一瞬の光の後に引き剥がされてしまった。
「神衣が解かれただとっ!? アイツの毒、魔力を溶かすものでも含まれてるのかっ!」
 焦りながらも、ダエグは状況を理解する為に言葉を口にする。
 魔力を溶かす毒、という事は──
 理解が追いつく前にそれは起きてしまう。
 手にしていた鎌はいつの間にか毒に犯されており、そしてなんの前触れもないまま、音もなく綻び、霧散していった。
 握りしめていた感触を握り締め、その余韻に触れるしか無くなっていたのだ。
「⋯⋯やられたな。コイツ⋯⋯」
 春と来て夏と来たのだから、残り半分をオレ達は攻略しなくては、この状況を打開する事も出来ないだろう。

 頭ではそう思っていても、思うように身体は追いつかない物だ。
 途轍もなく、今は走り出したかった。
 毒の仕組みの全ては理解出来ていないが、魔力を阻害するような物でしかないのならと、少し前に狐の仔が殴った屋根の部分を探す為、辺りを見渡してみる。

 向かいの屋根の大きく砕けた部分、そこには今まで目にしていた紫色の毒は付着していなかった。
 ここにきてようやく、一つの仕組みに気付く。
 この毒は魔力のみを溶かす毒で間違いない。
 人工で作られた屋根が溶けず、魔力で作られた鎌や羽織りが溶けていたのはそういう事だ。
 オレ達はケットシーの魔力あってこそ⋯⋯それを阻害されるとなると打つ手が殆どない。
 しかしまだ脚は動く、ダエグも無事、魔力だけ溶かすなら神衣を発動する必要も無い。

 勝算は、ある──
 だから身体は、既に走る方を選んでいた。
 踵を返し、反対側へ!
「逃がす訳無いじゃん! ここで殺すから! ね!? 秋と冬を食らっていってよ! ねえ!?」
「ダエグ、オレの脚を魔力で強化しろっ! とにかく今は距離を取る!」
「了解です、お嬢っ⋯⋯!!」
 逃げるという選択肢は、負けない為に存在する策の一つに過ぎない。
 であればこそ、この勝算を確実な物とさせなくてはいけない。
 ダエグはオレの頭に乗ると、肉球を押し付けて脚に魔力を運んだ。
 魔力を帯びていく脚は、どんどん速度を増して街を駆け抜けていく。
 神衣の時ほど早くは無いが、風の抵抗を物ともしない程度には速度を出せている。
「天眼も発動。よし、狐はっと⋯⋯?」
 しかし変わらず狐の仔は鬼のような形相でオレ達の後ろを追いかけてきている。
 一回一回の跳躍も長く、獲物を狙う動物のような執着だ。
 毒さえなけりゃまともに相手してえ所けどな⋯⋯。
「ところでお嬢、どこへ行く気です? 逃げるだけじゃジリ貧ですよ」
「もうすぐ着く。それまでの辛抱だダエグ」
「ねえ! 待ってよ! 殺させて!」
「うるせーなアイツ⋯⋯言われなくても、もうすぐ相手してやるよ⋯⋯」

 溌剌とした殺意が後ろから迫り来る中道を走り続けて、ようやく目的地の周辺まで辿り着いた。
 これで良い、これが打開策、勝算だ。

 足を止め、後ろを振り返った。
 狐の仔は既にオレを殴りかからんとしていた、拳を振り下ろすまで止まってはくれない感じだ。
「あはは、止まった、止まったねえ! 相手してくれるのお!」
「ああ、相手してやるよ。でも⋯⋯」

 拳に直撃するという一歩手前の刹那、空気を引き裂くような音と共に、オレの後ろから駆け抜けるモノが狐の仔の腕へと被弾した。
「がぁぁああっっっ!?!? いっだあああああ!!!!」
 迫り来ていた狐の仔は空中で怯み、オレを通り越してそのままの勢いで地面へと滑り落ちていった。
「相手をするのは、ウチの高飛車貴族だ」
「誰が高飛車ですって?」
 狐の仔に一発浴びせたのは、神衣を剥がされて銃を両手に構えたバナナと猫のナウシズだった。
「お嬢、良くバナナさんの位置を捉えられましたね」
「おう。早く帰りたくて、向こう側まで探しに行ってたバナナを天眼で見てたんだ。狐の仔が化けていた時に反応が遠くに無かったから見つけるのに時間を要したけど、毒が魔力だけを溶かすって仕組みが分からなかったら、今頃殴り合いのタイマンだったろうな」
『──おい、おい聞こえるか』
 追われる緊迫感も無くなり安堵していたところに久木野の通信がバナナの方からスピーカーで入ってきた。
「はい、久木野さん。何故だか私から聞こえておりますわ」
『状況はどうなってる? 何故緋咫椰は魔力を絶っているんだ?』
「狐の仔の毒のせいだろうな。はあ、久木野の通信も、オレ達が扱う全ては魔術に起因してるから、マジでこの状況じゃなきゃ閃かなかったな」
 天眼で捉えられるのは迷魂めいこんの様な精神色と、同じルーン魔術から沸き立つ魔力。
 バナナの反応が無くなったのは毒にやられて見えなくなったからだ。
「なるほど⋯⋯私が魔弾を込めてからやけに反応が機敏になったのはそういう事ですのね」
「そういう事」
「うっうう⋯⋯腕が重くて、動けない⋯⋯」
 狐の仔の声に全員が振り向く。
 銃弾を受けた腕が持ち上がらなくなっている様子だった。
「私の魔弾で、その腕は鉛のように重くなっていますの。そう簡単には持ち上がりませんわ」
「重いよおお⋯⋯!!」
「ダエグが最初に言ったよな。何の対策もせずに三年間生きてきたオレじゃないんだよ。お前をぶちのめす為に禊猫守になったんだからな~狐の仔さんよ~」
 近寄りながら鎌を呼び出し、今までの分ほくそ笑んでやった。
『案外、あっけなかったな』
「く、くそぅ⋯⋯こんなはずじゃないのにぃ」
 狂っていた表情から一変して、子供のような泣きっ面で持ち上がらない腕を抑えてオレ達に怯えている。
「貴方には聞かねばならない事が山程あります。抵抗すれば命の保証は出来ませんよ」
「そんなぁ⋯⋯ううっ」
「毒使ってくるような奴が泣こうとしてもよお」
「──いや、違う、なにか⋯⋯」
 突然バナナが何かに気付いたようにオレを静止させる。
「あ? 何が──」

「お嬢、伏せてっっ!!」
 ダエグの叫びがオレに届く前に、何かがオレに向けて振り下ろされたのが分かる。
 背後からの強烈な気配が突き刺さる中、必死に振り返る。
 さっきの狐の仔とは訳が違う、これは確かな、殺意に満ちたものが──

「お嬢ーっ!!」
 何かが当たる前に、ブザーを咥えたダエグがオレの背後に回り込み、それの軌道を逸らしていた。
 反動でブザーは引き抜かれ、大きな鳴動めいどうが鳴り響いた。
『なんだ、何が起きているんだ』
「ダエグッッッ!!!」
 振り向くと、視線の先で刀身が見えた。
 振り下ろされたのはそれだと瞬時に分かった。
 刀だ、刀で攻撃してきたんだ。
「だ、大丈夫です⋯⋯お嬢」
 ダエグに外傷は無いようだが、触れてみると恐怖で身体が震え上がっているのが伝わった。
 オレ自身も目の前の狐の仔の殺意に呆気に取られそうになってしまいそうになっていた。
「⋯⋯逸らしたか」
 狐の面を付けたもう一人が、刀を構えてそっと呟いた。
六花りっか~っ! コイツら強いよ~!」
「お前は喋り過ぎだ。隠れる意味が無くなっただろうが」
 六花と呼ばれた狐の仔は話しながら手を伸ばすと、同じく動けずにいたバナナの銃とブザーが、音と共に粉砕された。
「えっ!? じ、銃が!」
 虚しく響いていたブザーが一瞬で鳴り止んだ。
「み、見えなかった⋯⋯」
『刀⋯⋯刀、だと⋯⋯まさかコイツは』
 何かを投げたという動作しか、オレには分からなかった⋯⋯この二人目は、想像以上にヤバい。
「お、動くようになったよ~、六花~」
「魔弾の効果が⋯⋯」
「後は私がやる。お前は退いてろ」
「六花がそう言うなら~⋯⋯」
 危機感が全身に走る。
 明確な殺意を向けられたオレは咄嗟に構えた。
「ダエグ、神衣だ。早くしろ」
「は、はいっ!」
 すぐに神衣を羽織り、距離を置きながら鎌を構えた。
 バナナも同様に神衣を羽織って構えている。
『おい、緋咫椰⋯⋯』
「無理だ、黙っててくれ」
 挟み撃ちの構図だが違う。
 バナナの武器は恐らく、呼び出せないのだろう⋯⋯こんな状況で武器を構えない奴じゃない。
「⋯⋯」
「⋯⋯っ!?」
 瞬きした一瞬でオレとの距離を詰められ、交える事なく持っていた鎌が吹き飛ばされてしまった。
 息つく暇もなく次の攻撃はやってくる。
 武器同士を交える事すら叶わず、オレは全力で鎌を呼び出しては一振りで吹き飛ばされ、両断され、ただただ魔力を消費するだけの茶番を味わった。
 繰り返すうち、当然姿勢も崩されて、ひたすらに遊ばれたオレは尻餅をつかされた。
『聞こえているか二人とも、撤退するんだ。その狐の仔は尋常じゃない』
 バナナは向かいで動けずにいる。
 完全に戦意を損失しているようだった。
 これは、死んだか──
「目障りだ、消えろ」
『おい、動くんだ二人とも!』

 死を覚悟したその瞬間、オレの足元の地面から奇妙な輪っかが何本か突き刺さった。
 更に突き刺さった輪っかから鎖のようなモノが飛び出して、狐の仔と刀を次々と縛り上げていく。
「な、なんだ、これ⋯⋯」
 疑問に思っていると、空中を駆けてやって来たその人物がそれを投げているのが見えた。
「チッ⋯⋯目障りだな」
 しかし鎖は簡単に刀で斬られ、あまり意味をなさない。それでも謎の人物は輪っかを投げる手を止めない。
浄化の軛プュリカフシス、駄目か」
 その人物はそのまま地面へ降り立つとそう呟いた。
 その後ろ姿を見てオレはようやくその人物は禊猫守だと分かった。
 神衣で身を羽織り、チャクラムのように大きな輪を両手に携えながら、狐の仔と相対していた。
「ブザーが鳴ったので、急いで駆けつけました」
「お前、新入りか」

 ダエグが咥えていたブザーは一見普通の防犯用の物だが、あれには所持者の魔力が込められており、ブザーが起動すると禊猫守に信号が送られる仕組みになっている。
 狐の仔対策の小物、意味をなさない物と思っていたが、ダエグはこれを狙っていたのか。
 正直、その時の新入りはとても頼もしく映っていた。
 結んでいる黒髪を揺らしてこちらに振り向く彼女の姿に、オレはそっと胸を撫で下ろす。
「はい! 禊猫守の九、西野小夏にしのこなつ。皆さんと共に、この場を切り抜けますよ!」
「クソ⋯⋯」
 狐の仔は大きく身体をひねらせ、幾つも絡み合った鎖を全て斬り伏せると、身を引くようにビルの上へ跳躍した。
 そして白いもやから更に、二人の狐の仔が姿を表したのだった。
『狐の仔が、三人も⋯⋯』
「狐の仔⋯⋯あれがそうなんですね」
 新入りが見上げながら呟く。
 そして全員が見上げると、刀を持った狐の仔が大きく声を上げて喋り始めた。
「⋯⋯我々は皧狐しろこ、お前たちを抹消させる者」
『皧狐⋯⋯』
「この塗り替えられた世界に終わりをもたらし、本来在るべき物に修正する存在だ」
 この場の誰もが理解出来るはずのない言葉を、狐は並べていく。
「でも今日はお開き、だよね。六花」
 涎を垂らしながら、素顔の狐はそう言った。
「ふん⋯⋯」
「またね、猫共」
「⋯⋯」
 静寂の中、三人の狐は霧に紛れ、いつの間にか姿を消していた。
『消えた⋯⋯天眼でも捉えられない、か』
 久木野の言葉を最後に、一先ずこの場は収まり、オレ達は無事に狐の仔改めて皧狐の情報を得る事が出来た。
 しかし、皧狐を名乗る三人の明確な敵は、今後も姿を隠しながら、あるいは堂々と、オレ達を殺しにやって来るのだろう。

     ✳︎
 翌日、猫カフェにて。

「とまあ、結果はどうあれ我々猫側は狐の情報を得る事が出来たという訳だねぇ~」
 調査に赴いたオレとバナナ、通信していた久木野に新入りとイズンを加えて、猫カフェの隅っこでは重たい空気が漂っていた。
「昨日は⋯⋯結果から考えれば、オレ達の負けだ」
 猫カフェの静寂を打ち破るようにオレから切り出してみるが、久木野以外は俯いていた。
「しかし皆さん、良く無事に帰って来てくれました。そして狐について多少判明した事もあります。十分な成果と言えるでしょう」
 今度はイズンがそう言って、戦いに赴いたオレ達を励ましては見るものの、この重い空気は取れなかった。
 端的に言って、圧倒的な差を見せつけられたからだろう。オレ自身もそう思う程に、狐の力は強大で、彼女らには底知れぬ悪意があった。
 慈善活動グループのようなオレ達とは全く質の異なる者達といきなり対峙した衝撃を飲み込むには時間が必要不可欠だった。
「まあ、ボクとしては非常に興味深い成果だったよ。これからの課題も見つかったしね」
「もっと、強くならないといけませんね、私達」
 新入りはめげながらも密かな熱を灯していた。
 それでもその悪意に負けじと対策を練らなければ、オレ達猫に生きる道は無い。
 戦う為の力を身に付けていくのがオレ達の今後の課題だ。
「ああ。強くならなきゃ、狐にやられっぱなしのままだからな」
「⋯⋯そうですわね⋯⋯ホントに」
 高貴なお方も握り拳を作る程に悔しがっている、滑稽だが気持ちだけは理解出来てしまった。

 そんなこんなでひたすらに重い静寂が続いたが、これを一瞬にして晴らす人物が、猫カフェの扉を開けて颯爽と登場する。

「おっはよう、みんな~!!! そして~? ハロウィンライブ、行こ~う!!」
「「「⋯⋯はい?」」」
 一人のトップアイドルが一瞬で空気をぶち壊し、この物語の次のページを豪快にめくっていった。

 まだオレ達の物語は、動き出したばかり──
     ✳︎

 そのまま猫カフェで色々あった後オレは外を出ると、昨日家の前で訪ねて来た女性とバッタリ会い、目が合ってしまった。
 気まずい空気が流れてすぐに向こうから切り出して来てくれた。
「あ⋯⋯あの、すいません。どこかで⋯⋯お会いしましたっけ⋯⋯?」
 オレは大きく息をついてから足を動かし、そしてすれ違いざまに返事を返した。
「⋯⋯いや、初対面だ。失礼した」
 大いなる力には、それに伴う代償を支払う必要がある。

 これはたったそれだけの話──
 
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