『追放令嬢は薬草(ハーブ)に夢中 ~前世の知識でポーションを作っていたら、聖女様より崇められ、私を捨てた王太子が泣きついてきました~』

とびぃ

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第19章:新生の聖女と「能力の変化」

19-1:二人きりのアトリエ

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ギルバートが、王宮魔術師団の研究ローブを翻し、王都へと出発してから、丸一日が経過した。
彼が率いていた騎士団の天幕(テント)群も、その主(あるじ)と共に、慌ただしく撤収していった。アトリエの周囲には、ギルバートが「警護」として残した、あの地下空洞での戦いを生き延びた騎士五名が、まるで存在感を消すかのように、森の風景に溶け込んでいる。
カツリ、カツリ、という、あの、私の思考を鈍らせた無機質な軍靴の音は、もうない。
代わりにアトリエに戻ってきたのは、暖炉の薪が静かに爆ぜる音と、アルコールランプの青い炎が揺れる音。そして、窓の外で、かろうじて生き残った木々の葉が、冷たい秋風に揺れる、サワサワという、か細い音だけだった。
完璧な静寂。
私が、この森で手に入れたかった、理想の「研究環境(スローライフ)」が、ようやく、戻ってきた。
(……静かね)
私は、実験台の中央に鎮座する、あの黒い呪い――『ブライト』のサンプルが封入されたガラスケースを睨みつけながら、思考に深く沈んでいた。
ヴォルフラムは拘束され、汚染源(プラント)も止まった。だが、私の「戦い」は、まだ終わっていない。この「未知の古代兵器」のサンプルが、目の前にある。
ギルバートが王都から持ち帰るであろう、ヴォルフラムの「自白(データ)」と、ロイドが手配するはずの『白金るつぼ』や『遠心分離機』が揃うまで、私にできることは、基礎的な分析と、仮説の構築だけ。
思考が、最も深く、純粋な領域へと潜っていく。
その、完璧な静寂を、破ったのは、私の背後から聞こえた、か細い衣擦(きぬず)れの音だった。
「……あの……ソフィア、さん」
簡易ベッドの上で、リリアが、ゆっくりと身を起こした。
私は、思考の海から、ゆっくりと意識を浮上させる。
リリアは、丸一日、あの地下空洞での消耗から回復するために、死んだように眠り続けていた。高熱は引き、顔色も、まだ青白いものの、血の気は戻っている。私が調合した、魔力を含まない、純粋な薬草(ハーブ)ベースの滋養強壮剤が、ようやく、彼女の「空っぽ」になった体に、受け入れられ始めたようだった。
「目が覚めたのね。気分はどう?」
私は、薬師(いしゃ)としての顔で、振り返った。
「は、はい……。お水、ありがとうございます。……あの、ギルバート様は……?」
彼女は、不安げに、アトリエの中を見回した。
この空間に、あの騒々しい「騎士団」の気配も、あの「青い光」の持ち主であるギルバートの気配もないことに、ようやく気づいたのだろう。
「ギルバートなら、王都へ戻ったわ。陛下への報告と、ヴォルフラムの尋問、それと、私の『追加発注』のためにね」
「王都へ……」
リリアの亜麻色の瞳が、不安そうに揺れた。
「……そう、ですか……」
アトリエに、再び、静寂が落ちる。
彼女のその、分かりやすい「落胆」に、私は、少しだけ、眉をひそめた。
(……まさか)
(あれだけ、自らの意志で、戦うと決めた後で。……また、『庇護者(ひごしゃ)』がいなくなったと、不安になっているの?)
王都から一人で逃げてきた、あの時の「行動力」。
地下空洞で、自らの命を触媒にした、あの「決断力」。
それらは、すべて、あの極限状態が生み出した、一時的な「興奮」に過ぎなかったというのだろうか。
もし、そうだとしたら。
(……少し、期待外れ、ね)
私が、彼女という「サンプル」への評価を、下方修正しようとした、その時。
「……よかった」
リリアは、落胆したのではなく、心の底から、安堵(あんど)したように、そう、呟いた。
「え?」
「……だって、ギルバート様がいると……なんだか、緊張してしまって」
彼女は、はにかむように、頬を染めた。
「……あの、地下での、ギルバート様……。ソフィアさんを、見つけた時の、あのお顔……。すごかったですから」
「……!」
私は、あの時の、ギルバートの「不合理な」行動――私(ソフィア)の肩を掴んだ、あの混乱した姿――を、正確に、思い出した。
私の頬が、カッと、熱くなるのを、感じた。
(この子……! 見ていたの!? 意識を失っていたんじゃ……!)
「……あなた、意識があったの?」
「い、いえ! ほとんど、なかったんですけど……でも、あの時の、ソフィアさんの『赤い光』と、ギルバート様の『青い光』が、ぶつかりあって、バチバチ! って、火花が散っているのだけ、見えて……。すごく、綺麗で……。温かくて……」
リリアは、高熱の夢の中で見た、幻想的な光景を、うっとりと、そう表現した。
(……火花)
(あれは、火花などという、ロマンチックなものでは、ないわ。……ただの、指揮官の、混乱(エラー)よ)
「……くだらないことを、言っていないで。寝ぼけているなら、薬湯を飲んで、さっさと体力を回復させなさい」
私は、自分の頬の熱を誤魔化すように、アルコールランプの火を強め、薬湯を温め直す作業に、没頭するふりをした。
「あ、はい! すみません……」
リリアは、慌てて、姿勢を正した。
だが、その表情は、もう、怯えてはいなかった。
(……そうか。彼女は、もう、ギルバート(男性)を、「庇護者」として、見てはいない。……私と、同じ、『研究者(パートナー)』として、見ているんだわ)
だからこそ、彼の、あの「不合理な」一面を、からかう余裕すら、生まれたのだ。
私は、この元聖女が、この数日間で、私が想像していた以上に、強く「新生」していることを、認めざるを得なかった。
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