『元悪役令嬢、追放先で奇跡の果樹園(フルーツパーラー)を開店する ~前世パティシエールの技術でスローライフのはずが、王室御用達になってしまい

とびぃ

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第二章:起動

2-3:打ち捨てられた館

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馬車が館の正面玄関に到着すると、エリアーナはセバスの手を借りるのももどかしく、自ら扉を開けて外に飛び出した。
五日間の馬車生活で凝り固まった体が、ようやく解放される。
「……」
目の前にそびえ立つ館は、王都のクライフェルト公爵邸(ロココ調の華美な装飾)とは比べ物にならないほど、古びて、そして無骨だった。
石造りの壁は、厚く、堅牢。だが、その表面は風雨に晒され、至る所を蔦(つた)が蛇のように覆っている。いくつかの窓ガラスは割れたままになっており、そこから黒い穴が、まるで骸骨の眼窩のように覗いていた。
風がその穴を通り抜けるたび、ヒュウ、と低い笛のような音が響く。
この館が、少なくともここ十年以上、主を迎えることなく打ち捨てられていたことは明らかだった。
「お嬢様、お足元を……。埃がひどい」
セバスが、年老いた体に鞭打って、錆びついた蝶番を鳴らしながら、重い樫の扉を押し開ける。
キイイイ、という耳障りな音と共に、カビと埃の混じった、時間の澱んだ匂いが、一斉に鼻をついた。
それは、ただの埃ではない。湿気を含み、石壁にしみついた、永い年月の匂いだ。
ロビーは広く、天井も高い。かつては立派だったであろう鹿の剥製が、壁から虚な目で見下ろし、色褪せたタペストリーが、亡霊のように主の帰りを待っていた。床には、動物の足跡と、鳥の羽根が散らばっている。
光は、割れた窓から差し込むだけで、ロビー全体が薄暗い。
「ひどい……」セバスが絶望の声を漏らした。「お嬢様がこのような場所に……。ここは、人が、ましてや公爵家のお嬢様がお住まいになる場所ではございません! すぐに麓の村から人を手配し、まずは掃除と寝床の確保を……。こんな冷たい石の上では、お体も休まりません!」
老執事は、パーティー用の薄絹のドレスのまま、平然と埃の海に足を踏み入れる主に、半ばパニックになっていた。
「セバス、掃除は後でいいわ」
「しかし、お嬢様! このような場所では! 毒虫でも出たらどうなさるおつもりで!」
「寝床なら、馬車で十分よ。それより」
エリアーナの声は、真剣そのものだった。
彼女の興味は、寝室のベッドがふかふかかどうかでも、客間のシャンデリアが立派かどうかでもない。
ただ一点。彼女の「聖域」の状態だけだった。
(この埃、このカビ臭さ……でも、不思議ね。王都の香水よりも、よほど呼吸がしやすいわ)
彼女は、ロビーの空気を深く吸い込んだ。
「厨房はどこ?」
「ちゅ、厨房でございますか。おそらく、こちらかと……。ですが、期待なさらないでください。王都の……公爵邸の厨房とは、訳が違いますでしょうから。こんな有様では、まともな水場すら……」
セバスに案内され、館の裏手、使用人が使うための冷たく湿った通路を進む。
そして、観音開きの重い扉を開けた瞬間――エリアーナは息を飲んだ。
「……広い」
そこは、彼女が想像していた「辺境の館の厨房」を、遥かに超える空間だった。
王都の公爵邸の厨房よりも、いや、下手をすれば王宮の厨房にすら匹敵するかもしれない、途方もない広さ。天井は高く、煙を逃すための巨大な煙突と、まるで小さな家のような、パン焼き用の巨大な石窯が三基も鎮座している。
もちろん、蜘蛛の巣だらけで、調理台は埃をかぶり、壁に掛けられた銅鍋は緑青(ろくしょう)に覆われている。
だが、そんなことは、エリアーナにとって些細な問題だった。
(この広さ! この完璧な動線! そしてあの石窯!)
前世(あかね)の記憶が、この厨房を「どう使うべきか」を瞬時に叩き出してくる。
(あの石窯は、温度管理さえできれば、完璧なスポンジが焼ける。しかも三基! 予熱温度を変えて、同時に三種類の焼き菓子が……! ああ、あの窓際の広い調理台は、石(マーブル)でできているわ! チョコレートのテンパリング(温度調整)に最適よ! 王宮の厨房ですら、あんなに大きな一枚岩の台はなかったわ。木の台でショコラを扱おうなんて、王宮のシェフはどうかしている)
(あそこは冷却室に。あそこは粉物専用の保管庫に。ああ、見て、セバス! あの井戸! 厨房の中に、専用の井戸があるわ! 清潔な水が、作業を止めることなく確保できる! なんてこと、これはもう厨房(キッチン)じゃない、完璧なアトリエ(研究所)よ!)
「お嬢様、顔が……その、笑っておられますが。本気で、気がふれてしまわれたのでは……」
セバスが、埃だらけの厨房で、うっとりと目を輝かせる主を見て、本気で心配そうな顔をしている。主が、緑青の浮いた銅鍋を、まるで愛おしい宝石でも見るかのように指でなぞっているのを見て、彼は本気で王都に引き返すべきか悩み始めた。
「ええ、そうよ、セバス。ここは、最高だわ」
エリアーナは、まるで宝の山を発見した考古学者のように、目を輝かせていた。
「ここなら、何でもできる。私が作りたかった、あの『作品』たちが、すべて作れるわ!」
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