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第二章:起動
2-4:食材図鑑(グルメ・インターフェイス)
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「まずは、このアトリエの『資産』を確かめないと」
エリアーナは、興奮を抑え、冷静に厨房の調査を開始した。
セバスが慌ててランプに火を灯すと、薄暗い厨房が、ようやくその全貌を現す。
幸い、棚や調理台の「ガワ」は、湿気で反ってはいるものの、使われている木材(おそらく樫)が良質で、腐ってはいない。磨けば、すぐにでも使えるだろう。
「食材は……ほとんど残っておりませんな。当然ですが」
セバスが、食料庫(パントリー)の扉を、埃にまみれながら開けながら言う。
残っていたのは、干からびた豆の袋と、カビの生えた干し肉、そして、木箱の底に転がっていた、いくつかのシワシワのリンゴだけだった。
「リンゴ……」
エリアーナは、そのうちの一つを、無意識に手に取った。
赤黒く変色し、水分が抜けきって、石のように硬い。王都の貴族なら、目にした瞬間にゴミ箱へ捨てるような代物だ。
だが、この北の地で、誰にも見向きもされずに生き延びた、この土地の「原種」だ。
「お嬢様、そのような……汚れたものを素手で。すぐに手を洗いましょう、水場が生きているか分かりませんが……」
セバスが心配そうに言う。
(どんな味がするのかしら。いや、もう味など……)
彼女が、そのリンゴの表面に、そっと指先で触れた、その瞬間だった。
(――!?)
キィン、と。
頭の中で、澄んだ鈴の音が鳴った。
それは、前世で、完璧な温度でキャラメリゼが仕上がった瞬間に似た、心地よい高音だった。
同時に、視界が一度、真っ白にホワイトアウトする。
「お嬢様!?」
セバスの驚く声が、まるで水の中から聞くように遠い。
閉じていた五感が、無理やりこじ開けられるような感覚に襲われる。
まず、嗅覚。
今まで「埃っぽいカビの匂い」と一括りに認識していた空気が、瞬時に分解される。
(……違う。これは、ただのカビじゃない。石壁の硝石の匂い、乾燥した木材(オーク)の香り、鉄錆の匂い、そして……微かに、このリンゴが放つ、朽ちた『酸』の匂い!)
王都で麻痺していた嗅覚が、一気に蘇る。いや、前世(あかね)の頃以上に、研ぎ澄まされている!
そして、目の前の現実の光景に、前世では決して見ることのなかった「情報」が、青白い光の文字となって重なったのだ。
まるで、目の前のリンゴから、情報の糸が引き出されるように。
『リンゴ(野生亜種:クライフェルト原種)』
『状態:劣化(水分80%喪失)』
『糖度:8(Brix)』
『酸味:D(クエン酸優位)』
『香り:E(ほぼ喪失)』
『最適レシピ:ジャム(Lv.1)、コンポート(Lv.1)』
『推奨:廃棄』
「……は?」
エリアーナは、我が目を疑った。
手のひらのリンゴと、空中に浮かぶ(ように見える)青白い文字を、何度も見比べる。
(幻覚? 私、ついに王都でのストレスで……)
だが、情報は、指先がリンゴに触れている限り、明確にそこにあった。
(糖度8……低すぎるわ。これでは酸っぱいだけ。前世なら、最低でも13は欲しかった。酸味D、香りE……推奨:廃棄。当然の判断ね。でも……)
(『ジャム(Lv.1)』? レベル、ですって?)
彼女は、次に、隣にあった干からびた豆の袋に触れた。
指先が触れた瞬間、再び情報が更新される。
『エンドウ豆(乾燥)』
『状態:良(乾燥状態安定)』
『タンパク質:C』
『最適レシピ:スープ、煮込み』
次に、壁際にあった、打ち捨てられた小麦粉の袋。
『小麦粉(品種不明)』
『状態:劣化(酸化、害虫被害アリ)』
『グルテン値:測定不能』
『推奨:廃棄』
「……そう、そういうことなのね」
エリアーナは、自らの指先を見つめた。
前世、パティシエール天宮茜として培った、圧倒的な「知識」と「経験」。
それが、この世界で「エリアーナ」として生きる中で、この世界の「魔法」の理(ことわり)と融合し、新たな「力」として発現したのだ。
王都にいた頃は、王妃教育という「建前」に縛られ、厨房での実験も「公爵令嬢の道楽」の範囲を超えることができず、この力は眠ったままだった。
(王宮(あそこ)では、私の五感は『不要なもの』として、私自身が蓋をしていた。淑女として振る舞うために、パティシエとしての私を殺していた。でも……)
彼女は、シワシワのリンゴを、今度は愛おしそうに握りしめた。
(この地が、この『約束のテロワール』が、私を解放してくれた。婚約破棄(あの茶番)が、私を自由にしてくれた!)
(『食材図鑑(グルメ・インターフェイス)』……!)
エリアーナは、その力を、直感的にそう名付けた。
触れた食材の全てを可視化し、そのポテンシャルを「レシピ」として提示する、究極の鑑定能力。
「ふ、ふふ……あはははは!」
堪えきれず、笑い声が漏れた。
埃っぽい、薄暗い厨房に、彼女の甲高い笑い声が響き渡る。
「お、お嬢様!? いかがなさいました! やはり王都での心労が……! お嬢様、しっかりなさってください! セバスが、旦那様に、すぐに王都へお戻りになるよう手配を……!」
セバスが、本気で主の正気を疑い、慌てて駆け寄ってくる。彼の顔は、主が突然発狂したと思い、恐怖と悲嘆で青ざめている。
「違うわ、セバス! 違うのよ!」
エリアーナは、興奮で真っ赤になった顔で、涙すら浮かべながら、シワシワのリンゴを老執事に突きつけた。
「これは、ただのゴミじゃないわ! これは『ジャム(Lv.1)』よ!」
「は、はぁ……ジャム、でございますか……? レベル、とは……?」
セバスは、主がリンゴを握りしめたまま「レベル」などという謎の単語を発したのを見て、いよいよ本格的に医者を呼ぶべきか悩み始めた。
エリアーナは、興奮を抑え、冷静に厨房の調査を開始した。
セバスが慌ててランプに火を灯すと、薄暗い厨房が、ようやくその全貌を現す。
幸い、棚や調理台の「ガワ」は、湿気で反ってはいるものの、使われている木材(おそらく樫)が良質で、腐ってはいない。磨けば、すぐにでも使えるだろう。
「食材は……ほとんど残っておりませんな。当然ですが」
セバスが、食料庫(パントリー)の扉を、埃にまみれながら開けながら言う。
残っていたのは、干からびた豆の袋と、カビの生えた干し肉、そして、木箱の底に転がっていた、いくつかのシワシワのリンゴだけだった。
「リンゴ……」
エリアーナは、そのうちの一つを、無意識に手に取った。
赤黒く変色し、水分が抜けきって、石のように硬い。王都の貴族なら、目にした瞬間にゴミ箱へ捨てるような代物だ。
だが、この北の地で、誰にも見向きもされずに生き延びた、この土地の「原種」だ。
「お嬢様、そのような……汚れたものを素手で。すぐに手を洗いましょう、水場が生きているか分かりませんが……」
セバスが心配そうに言う。
(どんな味がするのかしら。いや、もう味など……)
彼女が、そのリンゴの表面に、そっと指先で触れた、その瞬間だった。
(――!?)
キィン、と。
頭の中で、澄んだ鈴の音が鳴った。
それは、前世で、完璧な温度でキャラメリゼが仕上がった瞬間に似た、心地よい高音だった。
同時に、視界が一度、真っ白にホワイトアウトする。
「お嬢様!?」
セバスの驚く声が、まるで水の中から聞くように遠い。
閉じていた五感が、無理やりこじ開けられるような感覚に襲われる。
まず、嗅覚。
今まで「埃っぽいカビの匂い」と一括りに認識していた空気が、瞬時に分解される。
(……違う。これは、ただのカビじゃない。石壁の硝石の匂い、乾燥した木材(オーク)の香り、鉄錆の匂い、そして……微かに、このリンゴが放つ、朽ちた『酸』の匂い!)
王都で麻痺していた嗅覚が、一気に蘇る。いや、前世(あかね)の頃以上に、研ぎ澄まされている!
そして、目の前の現実の光景に、前世では決して見ることのなかった「情報」が、青白い光の文字となって重なったのだ。
まるで、目の前のリンゴから、情報の糸が引き出されるように。
『リンゴ(野生亜種:クライフェルト原種)』
『状態:劣化(水分80%喪失)』
『糖度:8(Brix)』
『酸味:D(クエン酸優位)』
『香り:E(ほぼ喪失)』
『最適レシピ:ジャム(Lv.1)、コンポート(Lv.1)』
『推奨:廃棄』
「……は?」
エリアーナは、我が目を疑った。
手のひらのリンゴと、空中に浮かぶ(ように見える)青白い文字を、何度も見比べる。
(幻覚? 私、ついに王都でのストレスで……)
だが、情報は、指先がリンゴに触れている限り、明確にそこにあった。
(糖度8……低すぎるわ。これでは酸っぱいだけ。前世なら、最低でも13は欲しかった。酸味D、香りE……推奨:廃棄。当然の判断ね。でも……)
(『ジャム(Lv.1)』? レベル、ですって?)
彼女は、次に、隣にあった干からびた豆の袋に触れた。
指先が触れた瞬間、再び情報が更新される。
『エンドウ豆(乾燥)』
『状態:良(乾燥状態安定)』
『タンパク質:C』
『最適レシピ:スープ、煮込み』
次に、壁際にあった、打ち捨てられた小麦粉の袋。
『小麦粉(品種不明)』
『状態:劣化(酸化、害虫被害アリ)』
『グルテン値:測定不能』
『推奨:廃棄』
「……そう、そういうことなのね」
エリアーナは、自らの指先を見つめた。
前世、パティシエール天宮茜として培った、圧倒的な「知識」と「経験」。
それが、この世界で「エリアーナ」として生きる中で、この世界の「魔法」の理(ことわり)と融合し、新たな「力」として発現したのだ。
王都にいた頃は、王妃教育という「建前」に縛られ、厨房での実験も「公爵令嬢の道楽」の範囲を超えることができず、この力は眠ったままだった。
(王宮(あそこ)では、私の五感は『不要なもの』として、私自身が蓋をしていた。淑女として振る舞うために、パティシエとしての私を殺していた。でも……)
彼女は、シワシワのリンゴを、今度は愛おしそうに握りしめた。
(この地が、この『約束のテロワール』が、私を解放してくれた。婚約破棄(あの茶番)が、私を自由にしてくれた!)
(『食材図鑑(グルメ・インターフェイス)』……!)
エリアーナは、その力を、直感的にそう名付けた。
触れた食材の全てを可視化し、そのポテンシャルを「レシピ」として提示する、究極の鑑定能力。
「ふ、ふふ……あはははは!」
堪えきれず、笑い声が漏れた。
埃っぽい、薄暗い厨房に、彼女の甲高い笑い声が響き渡る。
「お、お嬢様!? いかがなさいました! やはり王都での心労が……! お嬢様、しっかりなさってください! セバスが、旦那様に、すぐに王都へお戻りになるよう手配を……!」
セバスが、本気で主の正気を疑い、慌てて駆け寄ってくる。彼の顔は、主が突然発狂したと思い、恐怖と悲嘆で青ざめている。
「違うわ、セバス! 違うのよ!」
エリアーナは、興奮で真っ赤になった顔で、涙すら浮かべながら、シワシワのリンゴを老執事に突きつけた。
「これは、ただのゴミじゃないわ! これは『ジャム(Lv.1)』よ!」
「は、はぁ……ジャム、でございますか……? レベル、とは……?」
セバスは、主がリンゴを握りしめたまま「レベル」などという謎の単語を発したのを見て、いよいよ本格的に医者を呼ぶべきか悩み始めた。
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