長い詰めより短い必死

カケラシティー

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 渇いた音が響く。

 桜の頃は落ち着き、新緑に景色が移ると、その頃は風が冷たいという事もなくなり、日々はようやく新しい日々に塗り替えられる。

 盤面を打つ小さな駒の渇いた音。

 放課後の教室に響くそれは、小さな動物が奏でる鳴き声のように、一定のリズムで響き合い、何か会話をしているようだ。

 安木龍馬やすきたつまは難しい顔をしている。どうした理由もなく、龍馬はいつも難しい顔をしている。
 眼下に広がる盤面を眺めて、そこに並んだ駒に視線を泳がす。
 そして時々、対面している楠元歩美くすもとあゆみを盗み見たりしていた。

 歩美は涼しい目をして龍馬の手を見ている。この場合の手はではなく膝に置かれた龍馬の手。
 龍馬の思考が解けた時、静かに動いて駒を鳴らすのを静かに待っている。

 長考の末、龍馬がようやく駒を打った。歩美は直ぐ様それを受ける。
 互いに手の内を知り合った仲。渇いた音はパチンパチンと局面を進めていく。

“何か…えろっ…”

 傍らで肘をついて美野原香織みのはらかおりは、いつもこうして2人を観ている。
 観てはいるが、香織は将棋のルールを知らない。
 龍馬も歩美も教えてくれようとするのだが、香織にその気は全く無い。
 香織がこの部に所属する目的は他にあり、その為にはここにいる理由は無いのだが、それでも黙って2人の対局を見ている。
 それは香織にとっての邂逅で、2人の出してる空気を観ている事が最近の香織の楽しみなのだ。

 変わる事のない対戦相手と黙々と将棋を打ち続ける龍馬と歩美。そして、それを眺める香織。
 これが将棋部の日常の風景だ。

 歩美に絶妙の一手が出る。比較的スムーズに動いていた龍馬の手が止まった。
 順調に寄せていたのは龍馬だったが、歩美はそこへ水を差す。終盤に歩美がよく見せる逆転の一手は、即死には至らないものの、詰みまであと一手のになる。
 『詰めろ』さあ詰めてみろの意。あと一手であなたの王を詰むから、自分の王を詰めてみなさいと言う一手。

 これを受けて、龍馬がまた長考に入る。ここからの攻めで歩美の玉を逃さず捉えるか、さもなければ次の歩美の王手を凌ぐ受けを打ち守らなければならない。
 ボンヤリと描いていた龍馬の詰み筋も受けに駒を使うとほぼ崩壊してしまう。
 攻めても玉を追い詰められず、守っても攻撃力が削られ、歩美の持ち駒を考えても逃げ切れない。

「ダメだ。参った」

 龍馬が諦め投了した。

「えっ嘘?あきらめちゃうの?」

 何故か勝った歩美が諦めきれない。

“ムフフ始まった”

 香織はニヤニヤとそのやり取りを見守る。

「だって、無理だよ。ここで受けたら勝ち筋ないもん」
「受ければいいじゃん。私だって完璧に詰めるか分からないよ?」
「楠元は詰むって。俺、分かるもん」
「わかんないよ。凌げるかもしれないじゃん。そしたら違う詰み筋が出るかもしれないじゃん」
「やだよ。カッコ悪い」
「始まった。何で安木くんは形にこだわるの?詰みまで見えた時の安木くんの攻めは凄いのに、これじゃあ簡単にあきらめすぎだよ」
「将棋は勝ち負けだけじゃないの。勝ち方、負け方に美学があんの」
「何それ?」

 香織にとって、このイチャイチャがたまらない。つい先程まで互いの心を何も語らず読み合いながら、終わると今度は言いたい事を言い合う。

「あーあ。安木くん凄いのにもったいない。早すぎだよ」
「楠元が上手すぎるんだよ」
「それにしたって、もう少し粘ってよ」
「ダメ。限界だった」
「ズルイよ自分ばっか気持ち良くなって…」
「……まだ時間あるから、もう一回する?」
「…うん。今度はもっと粘ってよ」

“あーあ。どう聞いてもエロ会話”

 香織は、口元はニヤけているものの眉を潜めて、勝手に会話を脳内変換している。
 
「おふたりは、何で付き合わないんですか~?」
「いっ!?美野原。何だよ急に!?」

 香織がたまらず話を差し向けると、龍馬が慌てて反応した。

「だってメチャクチャ仲良いじゃ無いですか~?歩美先輩キレイだし、龍馬先輩も、そこそこだし」
「何だよ、そこそこって…。俺らは中学からずっと同じ将棋部なの!」
「だから、だったら付き合っちゃえば良いのに」
「いいから!そう言うの辞めろよ…」

 必死に美野原の追求をかわしながら、龍馬は横目で歩美の表情を盗み見る。
 歩美は頬を赤らめて下を向いてる。

“楠元にそういうのダメなんだよ。美野原、変に意識させないでくれよ…”

 龍馬にその気がないわけじ無い。むしろ、ずっとその気はあったし、ただ無いのはキッカケだった。将棋と一緒で詰めが甘いのだ。

「だったら、龍馬先輩、私と付き合っちゃったらどうですかぁ?」
「おまっ…!何言ってんだよ!」
「どう思います?歩美先輩?」
「べ…別に安木くんが良ければいいんじゃない?」
「楠元…。そっそんなんじゃ…。」

 しどろもどろになって取り繕う龍馬から目を逸らす歩美。

「もうヤメヤメ。さぁ楠元、もう一番」

 沈黙さの中に気まずさを混ぜながら、また教室には渇いた駒の音だけが響いた。
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