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そして、恋が始まる。

Kちゃんとの日々

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退部後はそれはもう素晴らしい日々だった。
膝の手術をしたというのに、お菓子が食べられるからという理由だけで、茶道部に入部した。
毎週水曜にお茶をちょっと立ててお菓子を食べて女子たちとだべる。
うちの高校の茶道部は結構顔面偏差値が高く、性格の良いギャルもいた。
誰とでも仲良くしたい私は、オタク女子からギャルまでみんなとたくさん喋った。
ギャル達とは彼氏の話で大盛り上がりだった。
ギャル達の男性経験は本当に面白いものだった。
この前アオカンで駅弁してさぁ~とか、(なにそれなにそれ!!今度やってみる!!)おっぱいで挟むとまじやばいよ(by Gカップ女子)とか笑(やばいってなによ笑)
刺激的な内容が高校生にはとてもセンセーショナルで最高だった!

いまでも仲良しのCは、その時間、サッカー部の練習を窓から見学するのが習慣だった。なんと、私の中学では死ぬほど性格が悪くて有名なJのことを好きだったらしい。その頃Cと仲良くなかったため止めることができなかったが、告って秒速で派手にフラれたと聞いて心が痛くなった。(Cは現在仕事に生きていて、私が知る限り最初で最後の恋だった)

それくらい、高校生の私たちはちょっぴり大人な気持ちで恋愛を楽しみ始めて輝いていた。制服姿でデートするだけで気分が盛り上がる。

Kちゃんとは週3回のペースで遊んでいた。
ここら辺では1番都会の街中で働いているKちゃんの職場に、学校帰りに出掛けてお茶をして帰る。
毎週金曜日は駅前でデートをしてからKちゃんの実家まで電車で向かう。
電車を降りると30分ほど自転車に乗るのだが、自転車の後ろに乗せてもらって彼の応援をする。
カエルが合唱する夕方の空をバックに自転車が加速する。

青春ってこういうことなのかな

いま、人生で1番幸せかもしれない

あの時私は彼の汗ばむ背中に包まれ、青春を、幸せを、感じていた。

Kちゃんの実家は結構田舎だ。
お風呂はバランス釜だったし、電球は裸電球。農家のため、お風呂に普通に虫がいる。私は初日に裸電球にたかる蛾に水をかけて電球を割った。本当に申し訳ないと思っている。

Kちゃんの部屋は母屋から少し離れた所の1人部屋だ。さすが農家だ。土地が広い。

金曜日の夜はKちゃんが買ってきた酒をちょっぴり舐めてまず!と言いながら深夜のお笑い番組(リチャホとか)を見て2人で笑った。ちょっぴり大人な気持ちになった。

飲んだくれたKちゃんに制服を着た私は朝まで抱かれた。

土曜日の朝は昼過ぎまで寝る。そしてまたHをする。時々レンタルビデオ屋さんに出掛けてブラピの作品を借りまくる。そして2人でビデオを見ながらまたHをする。

季節毎に2人でいろんな所に出かけた。

夏は花火大会だ。1年目で県内の花火大会は全て制覇したし、毎年楽しんだ。夏が大好きな私達は離島に泊まりに行ったりもした。冬はKちゃんがプロ級の腕前のため、スノボを教えてもらって私もだいぶ滑れるようになった。(私は現在10年目で10人以上に指導してきた。)

山にも海にも都会にも旅行にもなんでも出掛けて楽しませてくれた。

近くの蛍の群生地で人生で初めての蛍の大群も見せてくれた。

近くの沼でたくさんの白鳥が飛来するのを見せてくれた。

全ての思い出がキラキラしている。
ちょっぴり大人な遊びから日常の延長まで、私が喜ぶ姿を見たいがためになんでもしてくれた。私は、愛されていた。

人生を楽しむ方法をたくさん教えてくれたのは、Kちゃんだ。Kちゃんは私の人生の師匠だ。

高校2年の終わりに初めてのあの場所でKちゃんに進路の相談をした。
私は中学の頃からなんとなく楽しそうだからというふざけた理由で保育士になりたかった。
どこの大学とかはさておき、保育士になろうと思っていることを伝えると少し寂しそうな顔をした。彼はSEだった。
なぜ寂しそうな顔をしたのか、その時の私はわからなかった。でも、今になって考えてみると、彼は私との結婚も考えていたようだ。それにあたって、稼ぎの良い仕事に就いて欲しかったようだ。(ちょくちょく、お金は稼げた方が良いとか自分の母の仕事の話とかをして稼げる職業推しをしていた。)ただ、人の夢や将来を左右する言葉はただの彼氏には言うことはできない。だから彼は寂しそうな顔をして後押しをしてくれた。

私が保育系の短大に入学する頃、Kちゃんは私が住んでいる区に引っ越してきた。私は実家から短大に通うため、Kちゃんとの距離がだいぶ近くなった。

距離が近くなったことで、私はKちゃんの家に入り浸るようになった。
その頃からKちゃんの様子が変わってきた。


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