哀歌-aika-【R-18】

鷹山みわ

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追想

追想-3-

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「あー、おいしかった」
「味、薄くなかったですか?」
「俺の好きな濃いめの味だったから文句なんてないよ。やっぱり胡桃の作る料理はうまいよ」
笑顔になる。大好きな人に褒められるのは本当に嬉しい。
「私、食器洗いますね」
後片付けを始める。
彼が傍にいて、彼が料理を食べて笑ってくれるこの時間。
恋人にとっては普通の時間だろう。なんて幸せなのだろう。これが永遠に続いてほしい……
そんな事はできないのに胡桃は期待してしまう。今日も愛を囁かれたいと体が疼く。

夢を塗り潰されたのは剛史のスマートフォンの音だった。
自然に出る彼。
「もしもし。……あ、お疲れ様。無事に実家着いた?良かったあ」
声色が変わった。自分ではない別の大切な人だと分かる。

痛い。

「お義父さんとお義母さんも元気そう?ゆっくり休みなよ。
うん、分かってる。俺もご飯食べたし、そんな心配するなって」

痛い。痛い。痛い。

電話越しで笑う声が聞こえてくる。
胸の奥が、心が引きちぎれる。体の一部が潰されていく。

痛い……痛い……

こうやって辛い思いをするのは自分。後悔するのも自分。
踏み込んではいけない愛なのに、禁断なのに、それでも、まだ胡桃は愛してしまう。
自分だけ痛い思いをしているくせに。
こうやって醜い泥が出てくる。
――どうして私じゃないの?と叫びたい

「帰って来たら話いっぱい聞かせてね、待ってるぞ。
……うん、俺も……大好き」

ああ、もう無理だ。涙が溢れて止まらない。
水を止めて胡桃は居間を飛び出す。口元を押さえて自分の寝室に逃げ込んだ。
はっと自分の過ちに気づいた男は、スマートフォンを置いて慌てて彼女の部屋の扉の前に立つ。

明かりのない暗い部屋。ベッドの布団に彼女が丸まっている。嗚咽が漏れていた。
「っく……っく」
「……」
彼の足音が近づく。布団の上から撫でられる感覚がした。大きな手が布の上から包んでくれている。
――でも、それは……私のじゃない
「……ごめん」
「謝らないでください。……だって仕方ないの」
顔は見られたくなかった。シーツを握りしめる手が強張る。
“仕方ない”
この言葉を何度唱えただろう。言い続けて呪いのように刻まれていた。
「好きだから……だめだって分かってるのに……でも好きになっちゃうの。キスされる度に体が一緒になる度に離れられなくなっちゃうの」
「全部、全部胡桃にあげたい……よ」
なんてずるくて卑怯な人だろう。そんな事はもう無理なのに。
「でもできない。俺は弱くてもろい奴なんだ。憎まれてもいい。
それでも俺は君が……好きで、欲しくなる」
「……」
自分から言わないで。
胡桃は何も言えなくなる。本当は憎みたいから。
憎んで憎んで消えてしまえば良いと思った。自分を苦しめる彼が消えてくれたら……
でも憎悪以上に勝ってしまうのは強欲だった。
彼に、剛史に、愛されたいという欲が全てを押し潰していく。

布団を捲ってそっと頬に唇をあてる。
剛史には少し塩辛い味がした。彼女の涙の味。それすら美味しかった。
唇を重ねた後、胡桃の瞳に浮かぶものを舌で舐めた。どれだけ泣かしているだろうと懺悔したくなる。
それでも離れられなかった。彼女のいない未来なんて考えられなかった。
「ねえ剛史さん……私……どんどんだめになってるよ……」
何も言わない彼に言葉が止まらなくなる。
一番言いたくなかったものが出てくる。
「どうすればいいの?……大好きなのに、愛しているのに、どうして私じゃ、だめ、なの……?」
顔を手で覆いながら声を上げて泣きじゃくる。止まらない。体中の水が全て涙になっていく。
こんな風に泣いたって彼の迷惑になるだけなのに。
悲しい。辛い。苦しい。悔しい。憎い。醜い。黒い泥が胡桃の心をどんどん染めていく。
目を閉じて俯く彼は黙っている。罪悪感なのか、背徳感なのか、分からなかった。
「……ごめん…………俺はどうしたらいい。
胡桃の望むことは何、何が欲しい」
欲しいもの。そんなものは決まっている。たった一つだけ。それも分からないのか。
その一つだけなのに、言えない。
「剛史さん」
「ん……?」
縋るように胡桃は彼の首に手を回した。

「忘れさせて」
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