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珈琲
珈琲-4-
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奢って貰えたので頭を何度も下げた。男としてはこれが普通なんだけどなと笑って彼は言う。
またどこかで返したいと呟いた。心のどこかで、また会える口実を作ろうとしている気がした。……そうかもしれない。
また、この人に会いたい。
本当は、もっと、自分の近くで話してほしい。
「あの、今日は本当にありがとうございました。……とても楽しかったです」
カフェを少し出て、大通りが見える場所まで来た。眼鏡をして帽子を被っている彼は裏側の駐車場に車を停めているらしかった。
「本当に送らなくて良いのか」
「そ、そんな!だ、大丈夫、です」
今、目の前にいる人は芸能人で。
自分はただのファンで、それ以上にはなれるわけがない。
これ以上彼といたら、勘違いを起こしてしまう。体が間違えてしまう。
だから、もう別れなければいけない。
また会いたいと思いながらも、もう連絡をしてはいけないと理性の自分が叫んだ。
そうしないと……。
「剛史さん、ありがとうございました。さようなら」
後ろを向いて、真っ直ぐ帰ろうとした。
出来れば走ろうとした。思い出として今日を残すために。
背を向けた瞬間、右手を思い切り掴まれた。
そのまま体は引力に導かれて彼の胸元へ行く。それはほんの数秒だった。
彼の顔が近づく。
唇に柔らかいものがあたる。
食事で思ったとおり、彼の唇は潤って、滑らかに自分のものと重なった。
瞬時に電流が走って、気持ち良いと思ってしまった。
「……」
しばらく硬直した。
今、自分が彼と何をしているのか理解出来なかった。
ゆっくり剛史は唇を離す。
ただ、茫然と彼の目を眺めていた。自分が彼の瞳に映っている。
「……初めて?」
「……え……」
「キス、されたの初めて?」
「……はい」
「そっか」
そのまま抱き締められた。
――これはどういう夢だろう。私の願望なの……?
ファーストキスの夢はあった。
憧れの人と会話していて、ふいにしてほしい、そんなちっぽけな願い。
「胡桃」
「……っ」
耳元で名前を呼ばれた。
呼ばれたらいいな、と期待していた事が呆気なく叶ってしまった。
ライブの歌声や番組で話す声と違う。あれは表面上のもので、彼の本当の声はもっと深い水底にいて、そこへ連れて行かれるような、そんな音がした。
離れようとは思わなかった。ここが帰る場所だと錯覚してしまいそうな程、抱き締められた剛史の中は胡桃の体にぴたりと重なっていた。
「……したことはある?」
何も答えない。頬が赤くなっているのを悟られないように顔を埋める。
彼の指が自分の顎を引っ張った。顔を上げられて目線を合わせられる。
キスすらしたことなかったのに、それは愚問すぎるだろうと唇を噛んだ。
余裕に見えたが、彼の耳がほんのり赤くなっているのに気づいた。まるで何かの衝動に必死で耐えているような、その名前を胡桃はまだ知らない。
「……全部教える。だから来て」
今、胡桃に告げているのは有名人で、自分にはとても遠い人で絶対に交わらない人で。
それでも、自分の理想の人で、こんな人が近くにいてくれたら、自分の世界が変わるかもしれないと思った人。
経験がなくても、誘われている事くらい分かる。そこまで頭は悪くない。
“全部”と彼は言った。
キスだけではないそれ以上の深くて未知のものを教えてくれる。
食事をしながら妄想してしまった、手先、口、体が教えてくれるのか。
逃げる事も断る事も、もう頭に存在していなかった。
「……はい」
こっくり頷いた時、一瞬だけ彼は歯を見せて笑った。あどけない少年のような顔だった。
でもすぐに元に大人びた表情に戻って手を腰に回してきた。
体がピクリと震える。ただ嫌な悪寒じゃない。
引かれるまま、胡桃は剛史の車がある駐車場まで一緒に歩いていった。
またどこかで返したいと呟いた。心のどこかで、また会える口実を作ろうとしている気がした。……そうかもしれない。
また、この人に会いたい。
本当は、もっと、自分の近くで話してほしい。
「あの、今日は本当にありがとうございました。……とても楽しかったです」
カフェを少し出て、大通りが見える場所まで来た。眼鏡をして帽子を被っている彼は裏側の駐車場に車を停めているらしかった。
「本当に送らなくて良いのか」
「そ、そんな!だ、大丈夫、です」
今、目の前にいる人は芸能人で。
自分はただのファンで、それ以上にはなれるわけがない。
これ以上彼といたら、勘違いを起こしてしまう。体が間違えてしまう。
だから、もう別れなければいけない。
また会いたいと思いながらも、もう連絡をしてはいけないと理性の自分が叫んだ。
そうしないと……。
「剛史さん、ありがとうございました。さようなら」
後ろを向いて、真っ直ぐ帰ろうとした。
出来れば走ろうとした。思い出として今日を残すために。
背を向けた瞬間、右手を思い切り掴まれた。
そのまま体は引力に導かれて彼の胸元へ行く。それはほんの数秒だった。
彼の顔が近づく。
唇に柔らかいものがあたる。
食事で思ったとおり、彼の唇は潤って、滑らかに自分のものと重なった。
瞬時に電流が走って、気持ち良いと思ってしまった。
「……」
しばらく硬直した。
今、自分が彼と何をしているのか理解出来なかった。
ゆっくり剛史は唇を離す。
ただ、茫然と彼の目を眺めていた。自分が彼の瞳に映っている。
「……初めて?」
「……え……」
「キス、されたの初めて?」
「……はい」
「そっか」
そのまま抱き締められた。
――これはどういう夢だろう。私の願望なの……?
ファーストキスの夢はあった。
憧れの人と会話していて、ふいにしてほしい、そんなちっぽけな願い。
「胡桃」
「……っ」
耳元で名前を呼ばれた。
呼ばれたらいいな、と期待していた事が呆気なく叶ってしまった。
ライブの歌声や番組で話す声と違う。あれは表面上のもので、彼の本当の声はもっと深い水底にいて、そこへ連れて行かれるような、そんな音がした。
離れようとは思わなかった。ここが帰る場所だと錯覚してしまいそうな程、抱き締められた剛史の中は胡桃の体にぴたりと重なっていた。
「……したことはある?」
何も答えない。頬が赤くなっているのを悟られないように顔を埋める。
彼の指が自分の顎を引っ張った。顔を上げられて目線を合わせられる。
キスすらしたことなかったのに、それは愚問すぎるだろうと唇を噛んだ。
余裕に見えたが、彼の耳がほんのり赤くなっているのに気づいた。まるで何かの衝動に必死で耐えているような、その名前を胡桃はまだ知らない。
「……全部教える。だから来て」
今、胡桃に告げているのは有名人で、自分にはとても遠い人で絶対に交わらない人で。
それでも、自分の理想の人で、こんな人が近くにいてくれたら、自分の世界が変わるかもしれないと思った人。
経験がなくても、誘われている事くらい分かる。そこまで頭は悪くない。
“全部”と彼は言った。
キスだけではないそれ以上の深くて未知のものを教えてくれる。
食事をしながら妄想してしまった、手先、口、体が教えてくれるのか。
逃げる事も断る事も、もう頭に存在していなかった。
「……はい」
こっくり頷いた時、一瞬だけ彼は歯を見せて笑った。あどけない少年のような顔だった。
でもすぐに元に大人びた表情に戻って手を腰に回してきた。
体がピクリと震える。ただ嫌な悪寒じゃない。
引かれるまま、胡桃は剛史の車がある駐車場まで一緒に歩いていった。
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